補遺「自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ(1)「自衛隊の可能性・国際貢献の現場から」~伊勢﨑賢治氏
今晩(2014年7月30日)配信した「メルマガ金原No.1802」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
去る6月7日、「自衛隊を活かす会(21世紀の憲法と防衛を考える会)」が開催した「第1回シンポジウム 『護憲』を超えて① 自衛隊の可能性・国際貢献の現場から」については、テープ起こしが終了したものから、順次ホームページで公開されており、当日の登壇者の内、以下の方々の発言は、本メルマガ(ブログ)で既にご紹介済みです。
「自衛隊を活かす会」は何をめざすか
柳澤 協二 氏 (元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長)
カンボジアPKO派遣の経験と課題
渡辺 隆 氏 (元東北本部方面総監・第一次カンボジア派遣施設大隊長)
南スーダンPKO派遣の経験と課題
山本 洋 氏 (ビデオ出演)(元中央即応集団司令官)
私の憲法9条部隊構想
加藤 朗 氏 (桜美林大学教授、同国際学研究所長代理、元防衛研究所)
2014年7月4日
「『自衛隊を活かす会』シンポジウムから学ぶ(1)『自衛隊の可能性・国際貢献の現場から』」
今日は、その時点ではまだホームページに掲載されていなかった、「自衛隊を活かす会」呼びかけ人の1人である伊勢﨑賢治さんの講演内容が文字起こしされていましたので、前回の「補遺」ということでご紹介します。
対テロ戦争における日本の役割 アフガンを事例に
伊勢﨑 賢治 氏 (東京外国語大学教授、元国連平和維持軍武装解除部長)
(抜粋引用開始)
本日の僕の話は、いま話題になっている集団的自衛権の行使です。
国際法上許された武力行使は、Self-Defense, Collective Self-Defense, Collective Securityの3つですが、日本では、個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障という訳が当てられています。集団的自衛権と集団安全保障の区別がつきにくい。集団安全保障は、国連の安全保障理事会が決めて何かをすること(UN Security Council Measure)ですから、集団的自衛権と混同しないように「国連的措置」と言うほうがいいと思います。集団的自衛権を行使する主体のなかで、一番大きいのがNATOですが、その戦争と付き合った僕の経験から、近未来がどうなっていくのかということを見てみたいと思います。
日本では9条との絡みで、集団的自衛権はあるが、行使はできないと解釈されてきました。そのお陰で、集団的自衛権というと、なにか「悪」のような感じがあります。しかし、国連憲章では、個別自衛権と集団的自衛権は、固有なものと位置づけられていますから、これから国際情勢を観る時に、その日本特有のバイアスを一旦取ってみましょう、と。これが、今日の僕の話の前提です。
いま戦われている集団的自衛権の行使で最大のものは、「悪の枢軸国家」を見据えたものではなくて、いわゆる非対称戦です。つまりゲリラとかテロリスト、日本的に言うと「国家に準ずる武装組織」、もしくは、その国家を跨ぐような非合法組織を相手にする戦争のことです。その戦場がどんどん大きくなってきて、ご存じのように、米・NATOの集団的自衛権戦のアフガニスタンで、現在、軍事的な勝利のないままの撤退を我々は迎えようとしています。そこが今日の話です。アメリカ建国史上最長の戦争です。アメリカ人はこんな長い戦争を戦ったことがないのです。我々日本人は一番の親米国を名乗るなら、このことを深く認識するべきなのです。
(略)
いまアフガニスタンでは、タリバンとの和解を、軍事的な勝利に代わるもう一つの政治的な成果として進めようとしています。そのため、いま我々は、アフガン側タリバンとパキスタン側のアルカイダ的なものとを区別しなければならない状況にあります。アルカイダは許せんけど、アフガン側タリバンは違うと、無理にでも信じ込もうとしないと持たないんです。アメリカを始め国際社会はもうなにも打つ手がないのです。だから、とにかく国境に国際的な目をおいて、「タリバンよ、お前の言い分も聞いてあげるけど、絶対にパキスタン側のアルカイダ的なものとは手を切ろうよ」ということでやるしかない。
そうしないと、米・NATOの撤退に伴う「タリバン化」は、このRegion全体の原理化、過激化の決定的な引き金となってしまうのです。
国際社会では、NATOがやってきたことをPKOで引き継ぐ案も議論されていました。僕は、それは支持しませんが。小さな政治ミッションでしかなかったアフガニスタンのUNAMA(国連アフガニスタン支援団)のマンデートを少し拡大し、国連軍事監視団を設け、NATOの代わりの蝶番にすることが一番現実的だと思います。
国連軍事監視団は、伝統的に安保理の眼と言われ、国連の本体業務中の本体業務です。大尉以上の軍人が多国籍のチームを作り、信頼醸成にあたります。非常に名誉ある任務です。そして、非武装が原則です。こういう任務は、紛争当事者国に利害関係のない国の要員が向いています。より大きな中立性が発揮できるからです。僕は、自衛隊がその特質を最大限に発揮できる任務だと思います。
日本は紛争地帯で非常にイメージがいいのです。去年の暮れ、ドイツのアフガニスタン・パキスタン特別代表ミヒャエル・コッホ特命全権大使が日本に来ていました。彼は、日本と一緒になって、避けられないアフガニスタンの「タリバン化」をいかに「国際化」させるかの可能性を探っていました。タリバンを、一つの政治単位として認めて、過激な連中でも、みんなでワイワイもり立てて、明るい原理主義者になってもらおうと…。半分冗談みたいですけど、そんな感じで、国際社会のコミットに杭を打つために、アフガニスタンにもう一人の国連事務総長特別代表のポストを置く。タリバン和平のための。こういう具体的な案を提示しました。これを日本と一緒にやりたいということで来たのですけれども、自公政権はあまり興味を示さなかったようです。でも、敢えて、タリバンの懐に入っていき、政治単位としての成長を側面支援するしか道はないとしたら、これはアメリカにはできないのです。誰ができるでしょう。少なくともコッホ大使は、日本に期待を寄せていたのです。
(略)
最後にもう一つ。これが非常に大切です。集団的自衛権の行使主体間の関係は「補完的」だということです。みんなが同じことをする必要はありません。ドラえもんが統合指揮だとしたら、しずかちゃんやデキ杉君にジャイアンのように戦えとはいわないのです。例えば、NATOの中で、平和外交の旗手のノルウェーや、日本と同じような大戦の十字架を背負っているドイツに対して、イギリスのように戦えとは絶対に言わないし、逆にそういう国の「特性」を対テロ戦の根幹である「人心掌握」に活かそうとします。
ということで、僕は、集団的自衛権に関しては、相手を憎むべき敵ということではなく、地球規模の課題と捉えて、積極的に行使するべきだと思うんです。ただし、非武装で。
(引用終わり)
本日の僕の話は、いま話題になっている集団的自衛権の行使です。
国際法上許された武力行使は、Self-Defense, Collective Self-Defense, Collective Securityの3つですが、日本では、個別的自衛権、集団的自衛権、集団安全保障という訳が当てられています。集団的自衛権と集団安全保障の区別がつきにくい。集団安全保障は、国連の安全保障理事会が決めて何かをすること(UN Security Council Measure)ですから、集団的自衛権と混同しないように「国連的措置」と言うほうがいいと思います。集団的自衛権を行使する主体のなかで、一番大きいのがNATOですが、その戦争と付き合った僕の経験から、近未来がどうなっていくのかということを見てみたいと思います。
日本では9条との絡みで、集団的自衛権はあるが、行使はできないと解釈されてきました。そのお陰で、集団的自衛権というと、なにか「悪」のような感じがあります。しかし、国連憲章では、個別自衛権と集団的自衛権は、固有なものと位置づけられていますから、これから国際情勢を観る時に、その日本特有のバイアスを一旦取ってみましょう、と。これが、今日の僕の話の前提です。
いま戦われている集団的自衛権の行使で最大のものは、「悪の枢軸国家」を見据えたものではなくて、いわゆる非対称戦です。つまりゲリラとかテロリスト、日本的に言うと「国家に準ずる武装組織」、もしくは、その国家を跨ぐような非合法組織を相手にする戦争のことです。その戦場がどんどん大きくなってきて、ご存じのように、米・NATOの集団的自衛権戦のアフガニスタンで、現在、軍事的な勝利のないままの撤退を我々は迎えようとしています。そこが今日の話です。アメリカ建国史上最長の戦争です。アメリカ人はこんな長い戦争を戦ったことがないのです。我々日本人は一番の親米国を名乗るなら、このことを深く認識するべきなのです。
(略)
いまアフガニスタンでは、タリバンとの和解を、軍事的な勝利に代わるもう一つの政治的な成果として進めようとしています。そのため、いま我々は、アフガン側タリバンとパキスタン側のアルカイダ的なものとを区別しなければならない状況にあります。アルカイダは許せんけど、アフガン側タリバンは違うと、無理にでも信じ込もうとしないと持たないんです。アメリカを始め国際社会はもうなにも打つ手がないのです。だから、とにかく国境に国際的な目をおいて、「タリバンよ、お前の言い分も聞いてあげるけど、絶対にパキスタン側のアルカイダ的なものとは手を切ろうよ」ということでやるしかない。
そうしないと、米・NATOの撤退に伴う「タリバン化」は、このRegion全体の原理化、過激化の決定的な引き金となってしまうのです。
国際社会では、NATOがやってきたことをPKOで引き継ぐ案も議論されていました。僕は、それは支持しませんが。小さな政治ミッションでしかなかったアフガニスタンのUNAMA(国連アフガニスタン支援団)のマンデートを少し拡大し、国連軍事監視団を設け、NATOの代わりの蝶番にすることが一番現実的だと思います。
国連軍事監視団は、伝統的に安保理の眼と言われ、国連の本体業務中の本体業務です。大尉以上の軍人が多国籍のチームを作り、信頼醸成にあたります。非常に名誉ある任務です。そして、非武装が原則です。こういう任務は、紛争当事者国に利害関係のない国の要員が向いています。より大きな中立性が発揮できるからです。僕は、自衛隊がその特質を最大限に発揮できる任務だと思います。
日本は紛争地帯で非常にイメージがいいのです。去年の暮れ、ドイツのアフガニスタン・パキスタン特別代表ミヒャエル・コッホ特命全権大使が日本に来ていました。彼は、日本と一緒になって、避けられないアフガニスタンの「タリバン化」をいかに「国際化」させるかの可能性を探っていました。タリバンを、一つの政治単位として認めて、過激な連中でも、みんなでワイワイもり立てて、明るい原理主義者になってもらおうと…。半分冗談みたいですけど、そんな感じで、国際社会のコミットに杭を打つために、アフガニスタンにもう一人の国連事務総長特別代表のポストを置く。タリバン和平のための。こういう具体的な案を提示しました。これを日本と一緒にやりたいということで来たのですけれども、自公政権はあまり興味を示さなかったようです。でも、敢えて、タリバンの懐に入っていき、政治単位としての成長を側面支援するしか道はないとしたら、これはアメリカにはできないのです。誰ができるでしょう。少なくともコッホ大使は、日本に期待を寄せていたのです。
(略)
最後にもう一つ。これが非常に大切です。集団的自衛権の行使主体間の関係は「補完的」だということです。みんなが同じことをする必要はありません。ドラえもんが統合指揮だとしたら、しずかちゃんやデキ杉君にジャイアンのように戦えとはいわないのです。例えば、NATOの中で、平和外交の旗手のノルウェーや、日本と同じような大戦の十字架を背負っているドイツに対して、イギリスのように戦えとは絶対に言わないし、逆にそういう国の「特性」を対テロ戦の根幹である「人心掌握」に活かそうとします。
ということで、僕は、集団的自衛権に関しては、相手を憎むべき敵ということではなく、地球規模の課題と捉えて、積極的に行使するべきだと思うんです。ただし、非武装で。
(引用終わり)
上記引用は、冒頭と最後の方から少しだけ抜粋したもので、アフガニスタンについての情勢の推移などの本体部分は抜けていますので、是非リンク先で全文をお読みください。
さて、伊勢﨑さんの提案については、様々なご意見があるだろうと思います。
私はといえば、かなりの部分で「そうだろうな」と同意できるのですが、全面的には賛同しきれないところが残るのです。それは、「集団的自衛権の行使主体間の関係は『補完的』だということです」という主張に関わることで、それはそうかもしれませんが、集団的自衛権の行使主体間の関係が必ずしも「対等」であるとは考えられず、とりわけ日本と米国との関係を念頭に置けば、到底「補完的」ということに信頼をおくことはできない、というある種の「思い込み」があるのです。
そうである以上、「集団的自衛権は行使できない」という憲法上の制約を取り払うことは危険過ぎると考えざるを得ないのです。
もちろん、伊勢﨑さんが、どのような意味内容のものとして「集団的自衛権」という概念を使っておられるかについては、よくよく全体の文脈から理解する必要があることは言うまでもありません。そうでないと、最後の「ということで~」以下の結びの言葉について、思わぬ誤解をする人がいないとも限りませんから。
私はといえば、かなりの部分で「そうだろうな」と同意できるのですが、全面的には賛同しきれないところが残るのです。それは、「集団的自衛権の行使主体間の関係は『補完的』だということです」という主張に関わることで、それはそうかもしれませんが、集団的自衛権の行使主体間の関係が必ずしも「対等」であるとは考えられず、とりわけ日本と米国との関係を念頭に置けば、到底「補完的」ということに信頼をおくことはできない、というある種の「思い込み」があるのです。
そうである以上、「集団的自衛権は行使できない」という憲法上の制約を取り払うことは危険過ぎると考えざるを得ないのです。
もちろん、伊勢﨑さんが、どのような意味内容のものとして「集団的自衛権」という概念を使っておられるかについては、よくよく全体の文脈から理解する必要があることは言うまでもありません。そうでないと、最後の「ということで~」以下の結びの言葉について、思わぬ誤解をする人がいないとも限りませんから。
(付記)
去る7月26日に、「自衛隊を活かす会」主催による第2回シンポジウムが開かれました。
去る7月26日に、「自衛隊を活かす会」主催による第2回シンポジウムが開かれました。
第2回シンポジウム 「護憲をこえて」② 対テロ戦争における日本の役割と自衛隊
今、対テロ戦争における日本の役割と自衛隊の可能性を考える意味
柳澤協二(元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長)
対テロ戦争の意味
加藤朗(桜美林大学教授、同国際学研究所長代理、元防衛研究所)
最近のイラク情勢と戦後のイラク国家建設の失敗
酒井啓子(千葉大学教授)
国際テロ対策と日本の役割
宮坂直史(防衛大学校教授)
非武装自衛隊は対テロ戦争を終わらせるか
伊勢﨑賢治(東京外国語大学教授、元国連平和維持軍武装解除部長)
討論
今、対テロ戦争における日本の役割と自衛隊の可能性を考える意味
柳澤協二(元内閣官房副長官補、国際地政学研究所理事長)
対テロ戦争の意味
加藤朗(桜美林大学教授、同国際学研究所長代理、元防衛研究所)
最近のイラク情勢と戦後のイラク国家建設の失敗
酒井啓子(千葉大学教授)
国際テロ対策と日本の役割
宮坂直史(防衛大学校教授)
非武装自衛隊は対テロ戦争を終わらせるか
伊勢﨑賢治(東京外国語大学教授、元国連平和維持軍武装解除部長)
討論
これについても、いずれ「文字起こしがされたらご紹介しようと思いますが、とりあえずIWJによるアーカイブ映像をご紹介しておきます。ただし、視聴するためには有料会員登録が必要ですが、5分余りのサンプル映像が無料視聴できます。
サンプル映像
(付録)
『Hard times come again no more』 作:Stephen Collins Foster
日本語詞:長野たかし
演奏:森川あやこ&長野たかし&鈴木勇造