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長崎から届いた「平和宣言」と「平和への誓い」

 

 今晩(2014年8月9日)配信した「メルマガ金原No.1812」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
長崎から届いた「平和宣言」と「平和への誓い」
 
 台風11号の接近により、屋内に会場を移すことも検討されていた今年(2014年)の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が、無事、本日(8月9日)午前10時35分から、長崎市平和公園で開催されました。
 同式典では、長崎市長による「平和宣言」と被爆者代表による「平和への誓い」が読み上げられる例になっています。
 今日のメルマガ(ブログ)では、この「平和宣言」と「平和への誓い」をご紹介しようと思います。安倍首相の来賓「あいさつ」を無視しても、残念に思う人はまずいないでしょう。

 長崎「平和宣言」は、広島とは異なり、市長を含む15名の委員で構成される起草委員会における3回(5月~7月)の審議を経て、最終的に市長が決定するという「長崎方式」をとっていることは、ご存じの方も多いと思います。
 今年の起草委員会が開催されたのは、
  第1回 5月11日
  第2回 6月14日
  第3回 7月 5日
の3回でした。
 手続の流れとしては、第1回では、基本的な方向性について委員が意見を述べ、第2回に、第1回での議論を踏まえた事務局(長崎市)案が示されてさらに議論を重ね、第2回で出された意見を踏まえた最終事務局案が第3回委員会に提示されるというものであったようです。

 最終の第3回委員会での審議経過を報じた長崎新聞の記事の一部を引用してみましょう。
 
長崎新聞 2014年7月7日
集団的自衛権懸念を明確に
(抜粋引用開始)
 長崎原爆の日(8月9日)の平和祈念式典で長崎市長が読み上げる平和宣言文の起草委員会(委員長・田上富久市長、15人)が5日、市内であり、事務局は閣議決定された集団的自衛権の行使容認への直接的な言及を避けた原案修正案を提示。委員からは「表現
が弱い」「被爆地としての懸念、警戒感を明確に表明すべき」などの指摘が相次いだ。
過去2回の会合は、行使容認に対する危機感を打ち出すよう求める意見が多かったが、今
回も市は盛り込まなかった。田上市長は「市民の中にさまざまな意見がある」と説明したが、委員からは「国民の意向が反映される機会もないまま、日本の将来を左右する重大な憲法釈の変更がなされた」など、政府批判が噴出。女性委員5人のうち3人は「被爆地だからこそ言わなくてはならない」などとして、集団的自衛権の文言自体をしっかり盛り込むべきと主張し
た。
(略)
今回が最終会合だったが、市長は再度、修正案を作成した上で複数の委員に意見を求め
る考え。7月中に宣言文をまとめる。
(引用終わり)
 
 3回の起草委員会での審議を踏まえた最終案の骨子は、8月1日に公表され、その際、「集団的自衛権」の文言が挿入されることは明らかとなったのですが、それでも不十分ではないかということを、その背景事情も含めて、毎日新聞長崎支局の小畑英介記者が、「記者の目」に書いていました。
 
毎日新聞 2014年8月8日
Listening:<記者の目> 8月9日、長崎平和宣言=小畑英介(長崎支局)
(抜粋引用開始)
 長崎は9日、69回目の「原爆の日」を迎える。平和祈念式典で田上富久(たうえとみひさ)・長崎市長が読み上げる平和宣言は今年、安倍晋三政権が7月に閣議決定した「集団的自衛権の行使容認」に言及するかが起草過程で議論となった。田上市長は「集団的自衛権」に触れ、国民が抱く平和への不安や懸念に耳を傾けることを政府に求める方針だが、私は、現状説明にとどめず、十分な議論を経ないまま憲法9条の解釈を変更したことへ
の強い警鐘を鳴らすべきだと考える。
 長崎市の平和宣言の起草には、市長を含む起草委員会の15人が関わる。盛り込むべ
き要素や文章表現について委員から出た意見を参考に、市長が最終決定する。起草委の構成メンバーは被爆者や大学の研究者らで、今年は5~7月に3回の会合が開かれた。集団的自衛権を巡る議論が大詰めとなる時期に重なったが、市側から2度示された宣言文案
に「集団的自衛権」の言葉はなく、委員から盛り込むよう求める声が相次いだ。
(略)
 しかし、田上市長が1日発表した宣言骨子では、集団的自衛権には触れるものの、行使
容認に対する評価はしないという。市長は「現在の状況を明確にするために入れた方がいいと考えた」と言及の理由を説明する一方で「一日も早く核兵器をなくすという思いは一致しているが、安全保障にはさまざまな意見がある」と苦慮をにじませた。多くの人の共感を優先させる姿勢は理解できても、市長自身の平和問題に対する理念や信念を感じ取ることは難し
い。
 集団的自衛権に言及しなかったもう一つの被爆地・広島の平和宣言に比べ、長崎は一
歩踏み込んだとは言える。しかし起草委の議論を踏まえれば、あまりに抑制的な印象だ。市議会などにみられる保守層には「世論が二分されるテーマは平和宣言になじまない」との声も根強い。加えて、今年の田上市長の平和宣言は2期目の最後で、来春に市長選を控える。「岸田文雄外相のお膝元」という広島と別の事情による自民党への思惑をくみ取る向きも地元にはある。長崎原爆被災者協議会の山田拓民(ひろたみ)・事務局長(83)は「選挙を控えた今の田上市長に政治問題への先鋭的な発言は、期待しづらいかもしれない」と
話す。
(略)
 安全保障を巡る国の岐路で迎える8月9日、戦争のできる国づくりに突き進む政府を戒め
る言葉を、「被爆地の声」として田上市長には発してほしい。それが被爆都市の首長としての
務めではないだろうか。
(引用終わり)
 
 思えば、今年長崎の起草委員会委員が初めて集まった5月11日は、安保法制懇「報告書」提出を受けて安倍首相が、集団的自衛権行使容認への「基本的方向性」を表明した記者会見を開く4日前のことであり、最後の第3回委員会が開かれたのが、7月1日「閣議決定」の4日後であったことが象徴するとおり、今年の「長崎平和宣言」は、否応なく「集団的自衛権」と向き合わざるを得ない状況にあったのです。
 以下に、今年の「平和宣言」全文をご紹介しますが、それを読んでどう受け止められたでしょうか?
 「この辺が限界だったのかな」と思いつつも、「もう少し頑張れたのではないか」という残念な気持ちも禁じ得ないというところでしょうか。
 
平成26年 長崎平和宣言
(引用開始)
 69年前のこの時刻、この丘から見上げる空は真っ黒な原子雲で覆われていました。米軍機から投下された一発の原子爆弾により、家々は吹き飛び、炎に包まれ、黒焦げの死体が散乱する中を多くの市民が逃げまどいました。凄まじい熱線と爆風と放射線は、7万4千人もの尊い命を奪い、7万5千人の負傷者を出し、かろうじて生き残った人々の心と体に、69年た
った今も癒えることのない深い傷を刻みこみました。
 今も世界には1万6千発以上の核弾頭が存在します。核兵器の恐ろしさを身をもって知る
被爆者は、核兵器は二度と使われてはならない、と必死で警鐘を鳴らし続けてきました。広島、長崎の原爆以降、戦争で核兵器が使われなかったのは、被爆者の存在とその声があったからです。
 
 もし今、核兵器が戦争で使われたら、世界はどうなるのでしょうか。
 今年2月メキシコで開かれた「核兵器の非人道性に関する国際会議」では、146か国の代
表が、人体や経済、環境、気候変動など、さまざまな視点から、核兵器がいかに非人道的な兵器であるかを明らかにしました。その中で、もし核戦争になれば、傷ついた人々を助けることもできず、「核の冬」の到来で食糧がなくなり、世界の20億人以上が飢餓状態に陥ると
いう恐るべき予測が発表されました。
 核兵器の恐怖は決して過去の広島、長崎だけのものではありません。まさに世界がかかえ
る“今と未来の問題”なのです。
 こうした核兵器の非人道性に着目する国々の間で、核兵器禁止条約などの検討に向け
た動きが始まっています。
 しかし一方で、核兵器保有国とその傘の下にいる国々は、核兵器によって国の安全を守
ろうとする考えを依然として手放そうとせず、核兵器の禁止を先送りしようとしています。
 この対立を越えることができなければ、来年開かれる5年に一度の核不拡散条約(NPT)
再検討会議は、なんの前進もないまま終わるかもしれません。
 核兵器保有国とその傘の下にいる国々に呼びかけます。
 「核兵器のない世界」の実現のために、いつまでに、何をするのかについて、核兵器の法的
禁止を求めている国々と協議ができる場をまずつくり、対立を越える第一歩を踏み出してください。日本政府は、核兵器の非人道性を一番理解している国として、その先頭に立ってくだ
さい。
 核戦争から未来を守る地域的な方法として「非核兵器地帯」があります。現在、地球の陸
地の半分以上が既に非核兵器地帯に属しています。日本政府には、韓国、北朝鮮、日本が属する北東アジア地域を核兵器から守る方法の一つとして、非核三原則の法制化とともに、「北東アジア非核兵器地帯構想」の検討を始めるよう提言します。この構想には、わが国の500人以上の自治体の首長が賛同しており、これからも賛同の輪を広げていきます。
 
 いまわが国では、集団的自衛権の議論を機に、「平和国家」としての安全保障のあり方についてさまざまな意見が交わされています。
 長崎は「ノーモア・ナガサキ」とともに、「ノーモア・ウォー」と叫び続けてきました。日本国憲法
に込められた「戦争をしない」という誓いは、被爆国日本の原点であるとともに、被爆地長崎
の原点でもあります。
 被爆者たちが自らの体験を語ることで伝え続けてきた、その平和の原点がいま揺らいでいる
のではないか、という不安と懸念が、急ぐ議論の中で生まれています。日本政府にはこの不安と懸念の声に、真摯に向き合い、耳を傾けることを強く求めます。
 
 長崎では、若い世代が、核兵器について自分たちで考え、議論し、新しい活動を始めています。大学生たちは海外にネットワークを広げ始めました。高校生たちが国連に届けた核兵器廃絶を求める署名の数は、すでに100万人を超えました。
 その高校生たちの合言葉「ビリョクだけどムリョクじゃない」は、一人ひとりの人々の集まりであ
る市民社会こそがもっとも大きな力の源泉だ、ということを私たちに思い起こさせてくれます。長崎はこれからも市民社会の一員として、仲間を増やし、NGOと連携し、目標を同じくする国々や国連と力を合わせて、核兵器のない世界の実現に向けて行動し続けます。世界の皆さん、次の世代に「核兵器のない世界」を引き継ぎましょう。
 
 東京電力福島第一原子力発電所の事故から、3年がたちました。今も多くの方々が不安な暮らしを強いられています。長崎は今後とも福島の一日も早い復興を願い、さまざまな支援を続けていきます。
 
 来年は被爆からちょうど70年になります。
 被爆者はますます高齢化しており、原爆症の認定制度の改善など実態に応じた援護の充
実を望みます。
 被爆70年までの一年が、平和への思いを共有する世界の人たちとともに目指してきた「核兵
器のない世界」の実現に向けて大きく前進する一年になることを願い、原子爆弾により亡くなられた方々に心から哀悼の意を捧げ、広島市とともに核兵器廃絶と恒久平和の実現に努力することをここに宣言します。
 
2014年(平成26年)8月9日
長崎市長 田上 富久

(引用終わり)
 
 さて、市長による「平和宣言」に引き続き、被爆者代表が読み上げる「平和への誓い」。今年は、6歳で被曝した城台美弥子(じょうだいみやこ)さんでした(「城臺美彌子」と表記した新聞もありました)。ネットでは既に多くの賞賛の声が寄せられていますが、おそらくは、起草委員会における審議経過から、田上市長による「平和宣言」の内容が満足のいくものにはならないことを前提として、被爆者代表として何を言わねばならないかを考え抜いた末の「誓い」だろうと思います。
 逆に言えば、「平和への誓い」が、集団的自衛権行使容認という政府方針に対して踏み込んで批判する内容になることを前提に、「平和宣言」は(安心して)あの程度の表現にとどめられたのだと評しては、皮肉に過ぎるでしょうか。
 なお、「平和への誓い」全文は、いずれ長崎市の公式WEBサイトに掲載されるはずなのですが、まだ搭載されていないのか見つけられませんでしたので、東京新聞に掲載されたものを引用します。
 
「平和への誓い」
(引用開始)
 一九四五年六月半ばになると、一日に何度も警戒警報や空襲警報のサイレンが鳴り始め、当時六歳だった私は、防空頭巾がそばにないと安心して眠ることができなくなっていました。
 
 八月九日朝、ようやく目が覚めたころ、魔のサイレンが鳴りました。
 
 「空襲警報よ!」「今日は山までいかんば!」緊迫した祖母の声で、立山町防空壕(ごう)へ行きました。爆心地から二・四キロ地点、金毘羅山中腹にある現在の長崎中学校校舎の真裏でした。しかし敵機は来ず、「空襲警報解除!」の声で多くの市民や子どもたちは「今のうちー」と防空壕を飛び出しました。
 
 そのころ、原爆搭載機B29が、長崎上空へ深く侵入して来たのです。
 
 私も、山の防空壕からちょうど家に戻った時でした。お隣のトミちゃんが「みやちゃーん、あそぼー」と外から呼びました。その瞬間空がキラッと光りました。その後、何が起こったのか、自分がどうなったのか、何も覚えていません。しばらくたって、私は家の床下から助け出されました。外から私を呼んでいたトミちゃんはそのときけがもしていなかったのに、お母さんになってから、突然亡くなりました。
 
 たった一発の爆弾で、人間が人間でなくなり、たとえその時を生き延びたとしても、突然に現れる原爆症で多くの被爆者が命を落としていきました。私自身には何もなかったのですが、被爆三世である幼い孫娘を亡くしました。わたしが被爆者でなかったら、こんなことにならなかったのではないかと、悲しみ、苦しみました。原爆がもたらした目に見えない放射線の恐ろしさは人間の力ではどうすることもできません。今強く思うことは、この恐ろしい非人道的な核兵器を世界中から一刻も早くなくすことです。
 
 そのためには、核兵器禁止条約の早期実現が必要です。被爆国である日本は、世界のリーダーとなって、先頭に立つ義務があります。しかし、現在の日本政府は、その役割を果たしているのでしょうか。今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじる暴挙です。日本が戦争できるようになり、武力で守ろうと言うのですか。武器製造、武器輸出は戦争への道です。いったん戦争が始まると、戦争は戦争を呼びます。歴史が証明しているではないですか。日本の未来を担う若者や子どもたちを脅かさないでください。被爆者の苦しみを忘れ、なかったことにしないでください。
 
 福島には、原発事故の放射能汚染でいまだ故郷に戻れず、仮設住宅暮らしや、よそへ避難を余儀なくされている方々がおられます。小児甲状腺がんの宣告を受けておびえ苦しんでいる親子もいます。このような状況の中で、原発再稼働等を行っていいのでしょうか。使用済み核燃料の処分法もまだ未知数です。早急に廃炉を含め検討すべきです。
 
 被爆者はサバイバーとして、残された時間を命がけで、語り継ごうとしています。小学一年生も保育園生も私たちの言葉をじっと聴いてくれます。この子どもたちを戦場に送ったり、戦禍に巻き込ませてはならないという、思いいっぱいで語っています。
 
 長崎市民の皆さん、いいえ、世界中の皆さん、再び愚かな行為を繰り返さないために、被爆者の心に寄り添い、被爆の実相を語り継いでください。日本の真の平和を求めて共に歩みましょう。私も被爆者の一人として、力の続くかぎり被爆体験を伝え残していく決意を皆様にお伝えし、私の平和への誓いといたします。
 
 平成二十六年八月九日
 被爆者代表 城台美弥子
(引用終わり)

 最後に、今日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典の模様を中継したIWJ長崎チャンネル1の映像アーカイブをご紹介しておきます。
 52分~ 田上富久市長「平和宣言」
 61分~ 城台美弥子さん「平和への誓い」
 73分~ 安倍晋三首相「あいさつ」
 

(付録)
『ラブソング・フォー・ユー(LOVESONG FOR YOU)』 
作詞作曲:ヒポポ大王 演奏:ヒポポフォークゲリラ