本日(2014年8月10日)配信した「メルマガ金原・臨時増刊号」を転載します。
ところが、そのわずか3日後に行われた長崎市での平和祈念式典での首相「あいさつ」が、またしても「コピペ」だったのです。
この「居直り」をどう捉えたら良いのでしょうか。
(引用開始)
ええええっ?!マジですか。そこまでいっちゃってるのか、安倍さんって。現実とは思えない。
安倍氏が広島で批判されたにもかかわらず、長崎でもコピペしたことは、彼が過ちを犯したとき、それを認め訂正することで自らの無謬性を損なうくらいなら、もう一度過ちを繰り返して居直ることを選ぶ人間であることを示している。国家の最高権力者として、これほど危険な人物はいない。
なぜ安倍氏が危険であるかといえば、例えば安倍氏が日本を破滅に追いやるような戦争を始めたとする。そのとき彼は「しまった」と後悔したとしても、たぶん戦争はやめない。やめないどころか、別の戦争を新たに起こすだろう。そのようにして自らの無謬性を担保しようとするのが安倍という男である。
広島と長崎で続いて起きたコピペ事件は、そのような安倍晋三という男の本質を曝け出した重大事件ではないだろうか。コピペしたこと自体はたわいもない怠慢な失策にも思えるが、その失策をどのように挽回しようとしたかという点にこそ、安倍氏の闇の深さが窺えるのである。
安倍氏が広島で批判されたにもかかわらず、長崎でもコピペしたことは、彼が過ちを犯したとき、それを認め訂正することで自らの無謬性を損なうくらいなら、もう一度過ちを繰り返して居直ることを選ぶ人間であることを示している。国家の最高権力者として、これほど危険な人物はいない。
なぜ安倍氏が危険であるかといえば、例えば安倍氏が日本を破滅に追いやるような戦争を始めたとする。そのとき彼は「しまった」と後悔したとしても、たぶん戦争はやめない。やめないどころか、別の戦争を新たに起こすだろう。そのようにして自らの無謬性を担保しようとするのが安倍という男である。
広島と長崎で続いて起きたコピペ事件は、そのような安倍晋三という男の本質を曝け出した重大事件ではないだろうか。コピペしたこと自体はたわいもない怠慢な失策にも思えるが、その失策をどのように挽回しようとしたかという点にこそ、安倍氏の闇の深さが窺えるのである。
(引用終わり)