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続 “コピペ”でなければ良いというものではない~“平和と繁栄”はいかにして築かれたのか

 今晩(2014年8月18日)配信した「メルマガ金原No.1821」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
続 “コピペ”でなければ良いというものではない~“平和と繁栄”はいかにして築かれたのか
 
 去る8月15日、政府主催の全国戦没者追悼式における安倍晋三首相「式辞」について、先の戦争における加害責任について一切言及せず、「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります」と述べたことに対して、「そこに『反省』という契機が抜け落ちている以上、戦没者の犠牲をもたらした『戦争』があったからこそ、今の『平和』があるという倒錯した論理の罠にからめとられることになります」と批判しました。
 
 
 同じ8月15日、ビデオニュース・ドットコムのニュース・コメンタリーにおいて、神保哲生さんと宮台真司さんが、この「式辞」について、私とはやや異なった観点から語り合っておられるのを興味深く拝見しました。
 

(番組案内から引用開始)
 8月15日の全国戦没者追悼式の首相の式辞の中に、歴代の首相式辞が必ず触れていた戦争に対する日本の加害責任や謝罪の言葉が含まれていなかったことが、一部のメディア
で大きく取り上げられるなどして、注目を集めている。
 確かに、これまで歴代政権は戦没者追悼式の式辞の中で、「先の大戦では、多くの国々、
とりわけアジア諸国の人々に多大な損害と苦痛を与えました。深く反省するとともに、犠牲になられた方々とそのご遺族に対し、謹んで哀悼の意を表します」などと、不戦の誓いやアジア諸国への加害責任とそれに対する反省の言葉を述べることが慣習になっていた。今回、安倍首相があえてそれを式辞から外したことは安倍氏自身、あるいは安倍政権の過去の戦争
に対する認識が強く反映されたものとして注目に値する。
 しかし、今回の式辞にはそれとは別にもう一つ、安倍首相の歴史認識を色濃く反映する興
味深い文言が含まれていた。それが以下のくだりだ。
 「戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。」
 安倍首相がそう語ったのに対し、その後壇上に上った天皇陛下は「終戦以来既に69年、
国民のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられました」とする式
辞を読み上げている。
 相前後した2つのスピーチの中で、今日の日本の繁栄が何の上に築かれたものと認識して
いるかについての違いが際だつ形となった。
 実は歴代の首相の式辞では現在の日本の平和と繁栄について、多少のバリエーションはあ
るものの、概ね「戦争によって命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれたもの」とすることが、歴代政権によって踏襲されてきた。安倍首相自身も、第一安倍政権の式辞では「今日の平和と繁栄は戦争によってかけがえのない命を落とした方々
の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれたもの」としていた。
 今回の式辞で安倍首相は、そこからあえて「国民のたゆまぬ努力」のくだりを削り、今日の日
本の繁栄が戦争の犠牲者の上に成し遂げられたものであるという部分のみを残すことを選択し
ていた点が際立った。
 追悼式のスピーチから見えてくる安倍首相の歴史認識の意味するところを、ジャーナリストの
神保哲生社会学者の宮台真司が議論した。
(引用終わり)
 
 なるほど、こういう視点から見る見方もあるのだなあ、と感心しました。
 3日前、私は「加害責任」について歴代首相がどう言及していたかという部分のみを検証していましたので、今日は、その補遺(続編)として、“平和と繁栄”がいかに築かれたのかという部分を確認してみることにします。

平成8年(1996年) 橋本龍太郎首相
戦後我が国は、焦土の中から立ち上がり、平和を国是とし、幾多の困難を乗り越えて、国民のたゆまぬ努力により目覚しい発展を遂げてまいりました。
 
戦後我が国は、焦土の中から立ち上がり、平和を国是とし、幾多の困難を乗り越えて、国民のたゆまぬ努力により目覚ましい発展を遂げてまいりました。
 
戦後我が国は、焦土の中から立ち上がり、平和を国是とし、幾多の困難を乗り越え、国民のたゆまぬ努力により目覚ましい発展を遂げてまいりました。
 
戦後我が国は、焦土の中から立ち上がり、平和を国是とし、幾多の困難を乗り越え、国民のたゆまぬ努力により目覚ましい発展を遂げてまいりました
 
戦後我が国は、平和を国是として焦土の中から立ち上がり、国民のたゆまぬ努力により、幾多の困難を乗り越え、目覚しい発展を遂げてまいりました。
 
現在我々が享受している平和と繁栄が、祖国のために心ならずも命を落とされた戦没者方々の犠牲の上に築かれていることに思いを致し、戦没者の方々に敬意と感謝の誠を捧げたいと思います。(略)
我が国は、戦後、平和を国是として、国民のたゆまぬ努力により、焦土の中から立ち上がり、
幾多の困難を乗り越え、めざましい発展を遂げてまいりました。
 
私たちは、現在享受している平和と繁栄が、戦争によって心ならずも命を落とした方々の犠牲の上に築かれていることを、ひとときも忘れることはできません。(略)
我が国は、戦後、平和を国是として、国民のたゆまぬ努力により、幾多の困難を乗り越え、めざましい発展を遂げてまいりました。

平成15年(2003年) 小泉純一郎首相
私たちは、現在享受している平和と繁栄が、戦争によって心ならずも命を落とした方々の犠牲の上に築かれていることを、ひとときも忘れることはできません。(略)
我が国は、戦後、平和を国是として、国民のたゆまぬ努力により、幾多の困難を乗り越え、
平和で豊かな日本へ、めざましい発展を遂げてまいりました。

平成16年(2004年) 小泉純一郎首相
今日の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています。
 
この尊い犠牲の上に、今日の平和は成り立っていることに思いを致し、衷心からの感謝と敬意を捧げます。

平成18年(2006年) 小泉純一郎首相
今日の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています。

平成19年(2007年) 安倍晋三首相
今日の平和と繁栄は、戦争によってかけがえのない命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています。

平成20年(2008年) 福田康夫首相
戦後、我が国は、一貫して平和国家としての途を歩み、国民ひとりひとりのたゆまぬ努力により、平和と繁栄を享受してまいりました。私たちは、今日の平和と繁栄が、戦争によってかけがえのない命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれたものであることを、ひとときも忘れることはありません。

平成21年(2009年) 麻生太郎首相
今日の日本の平和と繁栄は、戦争によって、命を落とされた方々の尊い犠牲と、戦後の国民の、たゆまぬ努力の上に築かれております。

平成22年(2010年) 菅直人首相
戦後、私達国民一人一人が努力し、また、各国・各地域との友好関係に支えられ、幾多の困難を乗り越えながら、平和国家としての途を進んできました。

平成23年(2011年) 菅直人首相
我が国は、国民一人一人の努力によって、戦後の廃墟から立ち上がり、今日まで幾多の困難を乗り越えてきました。(東日本大震災からの復旧・復興を述べた箇所で言及)

平成24年(2012年) 野田佳彦首相
今日の我が国の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれています。

平成25年(2013年) 安倍晋三首相
いとしい我が子や妻を思い、残していく父、母に幸多かれ、ふるさとの山河よ、緑なせと念じつつ、貴い命を捧げられた、あなた方の犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。

平成26年(2014年) 安倍晋三首相
戦没者の皆様の、貴い犠牲の上に、いま、私たちが享受する平和と、繁栄があります。そのことを、片時たりとも忘れません。

 このように、橋本龍太郎首相時代から延べ19回の首相「式辞」を読んでみると、小泉純一郎氏が「式辞」を述べることになった平成13年に重要な変化があったことに気づきます。それは、我が国の戦後の“平和と繁栄”が、戦没者の犠牲の上に築かれているというフレーズの登場です。それ以前の橋本龍太郎小渕恵三森喜朗各総理の「式辞」にも、戦没者の「尊い犠牲」についての言及はありましたが、それは「この平和で豊かな今日においてこそ、過去を謙虚に振り返り、戦争の悲惨さと、そこに幾多の尊い犠牲があったことを次の世代に語り継ぐとともに、国際社会において再び戦争の惨禍を繰り返すことのないよう、恒久の平和を確立することが、我々に課せられた重大な責務であります。」(平成11年小渕恵三首相の「式辞」から)というように、「尊い犠牲」は、「戦争の悲惨さ」とともに、次の世代に語り伝えるべきもの、という文脈において使われていました。
 小泉首相平成13年「式辞」にも、同じように「戦争の悲惨さと、そこに幾多の尊い犠牲があったことを次の世代に語り継ぐ」ことはうたわれていますが、その前の部分で戦没者の「犠牲」に対し、「敬意と感謝の誠を捧げたいと思います」とまで賞揚している以上、受け取る印象は相当に異質なものにならざるを得ません。
 そして、この“平和と繁栄”が戦没者の犠牲の上に築かれているというフレーズは、繁簡の差はあっても、ほぼ歴代首相の「式辞」に引き継がれることになりました。
 ただし当初は、「今日の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とした方々の尊い犠牲と、戦後の国民のたゆまぬ努力の上に築かれています」(平成16年小泉純一郎首相の「式辞」から)というように、「尊い犠牲」と「国民のたゆまぬ努力」を併置するのが基本パターンとして定着していました(平成17年は例外)。
 このパターンが崩れたのは民主党政権交代してからで、2回「式辞」を述べた菅直人首相は、国民の努力を残しながら、「尊い犠牲」を賞揚する部分は削除しました。
 続く野田佳彦首相は、一転して、「今日の我が国の平和と繁栄は、戦争によって心ならずも命を落とされた方々の尊い犠牲の上に築かれています」という部分を復活させながら、従来の自民党首相は必ず言及していた「国民のたゆまぬ努力」には触れないという新しいパターンを生み出しました。
 言い回しの違いはあれ、昨年、今年と続いた安倍晋三首相による「式辞」は、パターン的には「野田方式」を踏襲したものです。ただし、野田首相の「式辞」にはあったアジア諸国民に与えた損害と苦痛への反省と哀悼の意、不戦の誓いはすっぽりと抜け落ちていますが。

 以上で、昨年及び今年の全国戦没者追悼式における「式辞」において、安倍首相が、何を述べ、何を述べなかったかが明らかになったと思います。要約すれば以下のとおりです。

① 村山富市首相から数えれば19年にも及んだ歴代首相によるアジア諸国民に対する加害についての反省と哀悼の意の表明を削除した。
② 多くの首相が述べた「不戦の誓い」にも言及しなかった。
③ 戦没者の犠牲の上に“平和と繁栄”があると述べながら、“平和と繁栄”をもたらしたものが「国民のたゆまぬ努力」との言及はなかった。

 以上を踏まえれば、安倍首相は、アジア諸国民に対する加害責任があるとは思っておらず、我が国の“平和と繁栄”をもたらしたのは戦没者らの「犠牲」によるものでり、今後、場合によっては日本が自ら武力行使に及ぶこともあると考えていると解するのがごく素直な解釈というものでしょう(これ以外の解釈の余地ってあるでしょうか?)。

 最後に、ビデオニュース・ドットコムで神保さんと宮台さんが触れられていた戦没者追悼式における天皇陛下「おことば」をご紹介しておきます。

全国戦没者追悼式 平成26年(2014年)8月15日 での 天皇陛下おことば
(引用開始)
 本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを
新たにいたします。
 終戦以来既に69年,国民のたゆみない努力により,今日の我が国の平和と繁栄が築き
上げられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨は今なお尽きることがありません。
 ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い,全国民と共に,戦
陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和と我が国の一層
の発展を祈ります。
(引用終わり)
 
 なお、平成元年(1989年)即位後の主要な「おことば」宮内庁公式サイトで読むことができます。
 
 最後に、即位後初の戦没者追悼式(平成元年)における「おことば」をご紹介します。今年のものと大筋ではほとんど同じです。平成のはじめ頃に「コピペ」などという言葉はありませんでしたが、実質的に毎年同じ「おことば」を述べられているのです。けれど、それを非難しようとする人は(天皇制廃止論者は別として)、ほとんどいないのではないでしょうかね。「変えなくても良い」、あるいは「変えてはならない」言葉があるということでしょう。
 他方、最後のパラグラフを比較すると、平成元年にはなかった「戦争の惨禍が再び繰り返されないことを切に願い」という憲法前文を踏まえた表現が付け加えられています。調べてみたところ、これは平成7年(1995年)の追悼式から述べられるようになったということが分かりました(当時の首相は村山富市氏)。おそらく、天皇陛下ご自身の意向により付け加えられたのでしょうが、この一言を付け加えるためにどれだけの努力が必要であったのかはさておくとしても、変更するのであれば、このような方向で変更して欲しいものだと、歴代首相に対しても思わずにはいられません。
 
(引用開始)
 「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に際し,ここに,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,尊い命を失った数多くの人々やその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。
 顧みれば,終戦以来すでに44年,国民のたゆみない努力によって築きあげられた今日の
平和と繁栄の中にあって,苦難にみちた往時をしのぶとき,感慨は誠につきるところを知りま
せん。
 ここに,全国民とともに,我が国の一層の発展と世界の平和を祈り,戦陣に散り,戦禍に
たおれた人々に対し,心から追悼の意を表します。
(引用終わり)