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極右グループが利用し尽くす「善意」~想田和弘氏が指摘する「善意」の行き着く先

今晩(2014年9月17日)配信した「メルマガ金原No.1851」を転載します。

なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
極右グループが利用し尽くす「善意」~想田和弘氏が指摘する「善意」の行き着く先
向井理(むかい・おさむ)氏といえば、人気の二枚目俳優という程度のありきたりの認識しかく、その出演作にしても、NHK朝の連続テレビドラマ『ゲゲゲの女房』でのヒロインの夫役(モデル・水木しげる氏)を何度か見たことがある位であり、その後、どのような出演作があるかについても全く無知だったのですが、思いがけず、同氏の名前と、その文章にまで触れることになってしまいました。
 
 きっかけは、映画監督の想田和弘(そうだ・かずひろ)さんのFacebooktwitterへの投稿でした。
 そして、今日(9月17日)、「マガジン9」に月1回連載している「映画作家・想田和弘の観
察する日々」に、それらの投稿を整理してまとめた以下の記事がアップされたのです。
 
マガジン9 2014年9月17日up
映画作家・想田和弘の観察する日々
第20回 素朴で善意の「感謝」がファシズムを支えるとき
 http://www.magazine9.jp/article/soda/14678/
 
 想田さんが、向井氏のブログに注目したのは、テレビ東京開局50周年企画番組として、百田尚樹氏の小説『永遠の0』が、防衛省自衛隊の協力の下撮影されており、その主演俳優が向井理氏だったからなのですが、たしかに、この4年前(2010年)の8月15日に1人の若手俳優によって書かれたブログ自体だけではなく、そこに寄せられた4400件以上のコメントを読み進めることによって見えてくるものがあることは間違いありません。
 
 想田さんが紹介した向井理氏のブログはこういうものです。
 
向井理オフィシャル・ブログ The Laboratory 2010年8月15日
「幸せ」
 http://ameblo.jp/osamu-labo/entry-10620733410.html
(抜粋引用開始)
今日は日本がポツダム宣言を受諾して65年の日です。
何年か前のブログにも書きましたが決して終戦『記念日』ではありません。戦争に関わった人
全てに於いて、まだ戦争は終わっていないからです。
しかも北の地では65年前の今日以降もソ連と戦っていましたから。
昨日放送したドラマ『帰国』の撮影前に靖国神社に参拝に行きました。
劇中の自分のセリフにもありましたが、『国の責任者が参拝するのは当然の義務なんじゃない
のか』
今日本はいろいろな問題を抱えていて、その一つに靖国神社に関することも含まれています。
でも、じゃあ何故それが問題なのか?それを理解しなければ何も進まないと思います。
八月十五日が来ると改めて今の自分は幸せだと思います。
(略)
そして、必死になって日本の行く末を案じながら散っていった人達のことを考えると感謝の気
持ちで一杯です。
さらにあの戦況下で無条件降伏まで持っていったのは凄いことだと思います。
日々戦争のことを考えるのは難しいですが、一年に一回でも深く考えてみても良いんじゃない
でしょうかね。
世界のどこかで、いまでも戦い、争いが起こっています。
戦争についていろんなことを考えると、ただただ自分は幸せです。
(引用終わり)
 
 先入観なしにこの文章を読んで(いや十分先入観を持たせてしまっていますが)、どう思われるでしょうか?
 私がまず「おかしい」と思うのは、「今日本はいろいろな問題を抱えていて、その一つに靖国
社に関することも含まれています。でも、じゃあ何故それが問題なのか?それを理解しなければ何も進まないと思います」と書きながら、それでは、筆者がどのように靖国問題を「理解」したかの説明がないのです。
 実際に、この勿体ぶった前置きに続いて、今の自分は幸せで「申し訳ないくらいです」と散々
へりくだった上で、いきなり「必死になって日本の行く末を案じながら散っていった人達のことを考えると感謝の気持ちで一杯です」と続き、さらに「あの戦況下で無条件降伏まで持っていったのは凄いことだと思います」という意味不明の賛辞まで飛び出します。
 
 向井氏にとって、このブログの文章を書いた意味は、靖国神社に参拝して英霊に感謝を捧げた自分の精神のすがすがしさが読み手に伝わればそれで良いということに尽きるのだと思います。想田氏が指摘するようなことはおそらく考えたこともなければ、考える必要があるなどということも念頭に浮かんだことすらないでしょう。
 
 ここで、想田和弘氏の向井氏の文章についての批判(というより感想という方がふさわしいでしょうか)を引用してみます。
 
(引用開始)
 衝撃的なのは、「あの戦況下で無条件降伏まで持っていったのは凄いことだと思います」とい
う記述である。向井氏は「ポツダム宣言」や「無条件降伏」の意味を理解していないのだろうか。理解していれば、「無条件降伏まで持っていった」などという記述になるはずがない。
(略)
僕はこのブログを読みながら、なんともやるせない気持ちになった。
 おそらく向井氏はポツダム宣言の意味を誤解しているわけだが、それほどまでに基本中の基
本である事実を正確に理解することなく、靖国や戦死者に対する感傷だけをナイーヴ(naive)に表明し、読者と共有してしまう。読者も歴史的事実など考慮せず、素直に感動してしまう。この図は、なんだか現代日本の極めて典型的な光景のように思えたのだ。
(引用終わり)
 
 一俳優の、それほど深く考えて書いたとも思えないブログをサカナに大人げないイチャモンを付けていると思われる人がいるかもしれません。
 しかし、私はそうは思いません。上記に引用した想田さんの文章が語るとおり、「この図は、な
んだか現代日本の極めて典型的な光景のように思」えるからです。 そして、それは、向井理氏の短いブログに寄せられた4400以上のコメントを、30でも40でも読み進めば、きっと納得されることでしょう。
 あえて、ここには引用しませんので、ご自分で向井氏のブログを開き、コメントの一部(とても全
部は読めませんので)に是非目を通していただきたいと思います。
 そこに展開されている「論調」は、安倍政権の官房機密費で雇われたのではないかと疑われ
るような薄汚い職業ネトウヨの書き込みなどとは一線を画す、あえて言えば「善意に満ちた」コメントが大半なのです。
 もちろん、想田さんが危機感を持たれて、今回の記事のタイトルを「素朴で善意の『感謝』が
ファシズムを支えるとき」とされた趣旨も、まさにそこにあるのです。
 安倍内閣の支持率が何故なかなか落ちないのか?という多くの人が抱く疑問を解く手がかり
の1つが、この辺にあるような気がします。
 もちろん、安倍晋三氏や百田尚樹氏をはじめとするそのブレーンが「善意の人」だなという気は
毛頭ありません。全く逆です。近年の日本の政治グループで、これほど「善意」を利用するのに長けた人たちはいなかったということを言いたいのです。
 
 最後に、想田さんのまとめの文章を引用して、私もこの稿を終えることにします。
 
(引用開始)
 今のうちに不吉な予言をしておく。
 もし万が一、安倍首相かその後継者が将来「戦争指導者」になったとき、向井氏らはやはり
素朴に、善意で自衛隊員への「感謝」の念を表明するであろう。しかしそのとき彼らの頭の中には、「そもそも日本が戦争すべきかどうか」という疑問が湧くことはたぶんない。過去に起きた戦争の本質を問わない人間が、これから起きる戦争の本質を問うとは、考えにくいからである。
 彼らはそのとき、胸を張って、心に一点の曇りもなく、こう言うのではないだろうか。
 「戦争になった以上、今は戦争の是非を議論するときではない。日本人なら一丸となって自
衛隊を応援し、英霊には感謝しようよ」
 かくして戦争そのものを批判し、戦死者に感謝しない人間は、「非国民」となるのである。
(引用終わり)
 
(付記)
 向井理氏のファンが私のブログを読むことなど金輪際ないかもしれませんが、出来れば1人で
も2人でも読んで欲しい記事をご紹介しておきます。
 
2014年1月1日
なぜ総理大臣が靖国神社に参拝してはいけないのか?(基礎的な問題)
 http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/35352195.html
2014年8月30日
“平和主義と天皇制”~「戦後レジーム」の本質を復習する
 http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/39928954.html
2014年9月1日
戦争に敗けるということ~加藤朗氏『敗北をかみしめて』を読んで考える
 http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/39963366.html
 
(参考書籍)
想田和弘著 『熱狂なきファシズム ニッポンの無関心を観察する』(河出書房新社