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日弁連が集団的自衛権行使に反対する集会とパレードを主催する意味 

 今晩(2014年10月10日)配信した「メルマガ金原No.1874」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
日弁連集団的自衛権行使に反対する集会とパレードを主催する意義 

 一昨日(10月8日)の午後6時から、日比谷野外音楽堂において、日本弁護士連合会が
主催する「閣議決定撤回!憲法違反の集団的自衛権行使に反対する10・8日比谷野音
大集会」が開かれ、その後パレードが行われました。
 和歌山弁護士会の幟を掲げてきたかどうかまでは未確認ですが、何人かの弁護士が和歌
山からも参加しました。
 
 主催、共催、協力の各団体は以下のとおりです。
 
【主催】日本弁護士連合会
【共催】東京弁護士会第一東京弁護士会第二東京弁護士会、横浜弁護士会、埼玉
弁護士会、千葉県弁護士会、関東弁護士会連合会
【協力団体】戦争をさせない1000人委員会、解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会、立
憲デモクラシーの会
チラシ
 
 弁護士会、とりわけ日本弁護士連合会がこのような集会やパレードを主催することの意義については、村越進日弁連会長の開会挨拶で触れられていますので、以下に文字起こしをしておきました。
 日弁連が、この企画の実施にあたり、あえて3つの外部団体、とりわけ、「戦争をさせない10
00人委員会」と「解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会」に協力を求めたのは、単に動員
が不安だったからではないでしょう。
 村越会長が挨拶の中で述べた「今は、あらゆる相違を超えて、幅広い国民・市民が、人権
と平和と民主主義を守るために力を合わせる時であると考えます」ということの実践であろうと理
解しています。
 問題は、その理念を、各地で(和歌山も含めて)実践できるかどうかなのですが。
 
 なお、この集会&パレードについて、非常にクリアな画像がアップされていますのでご紹介します。集会は約1時間なので、全編の視聴も容易です(各発言者ごとに分割された別角度からの動画もアップされていましたので、それぞれの発言者の箇所に埋め込んでおきます)。
 村越進日弁連会長、上野千鶴子さん、青井未帆さんの3人の発言を文字起こしをしたと
ころで力尽きました。残りの方については、もしも追加で文字起こしできれば、「弁護士・金原
徹雄のブログ」にアップするかもしれません(あまりあてにはなりませんが)。
 ただ、一部、文字起こしの正確性について確信が持てない箇所もありますが、ご容赦ください。
 
日弁連主催 トークリレー&パレード [閣議決定撤回!憲法違反の集団的自衛権使に反対する10・8日比谷野音大集会&パレード] 2014.10.8 @日比谷野音
 


1分~ 開会
司会 田邊護日弁連副会長、水地啓子日弁連副会長
 
2分~ 主催者開会挨拶
村越進日本弁護士連合会会長


「皆さん、こんばんは。日弁連会長の村越でございます。本日は、大変お忙しい中、日弁連
主催する集団的自衛権の行使に反対する集会とパレードに、全国各地からこのように多数の市民、そして会員の皆さまにご参加をいただきまして、まことにありがとうございます。ことに、ご協力をいただきました戦争を許さない1000人委員会(金原注:正しくは「戦争をさせない1000人委員会」)、解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会、そして立憲デモクラシーの会の皆さま、さらには、このあとリレートークでご登壇、ご発言をいただく皆さま、本当にありがとうございます。
主催者を代表して、一言ご挨拶を申し上げます。
 申すまでもございませんが、私ども日弁連は、政党でも政治団体でもございません。社会運
動を目的とする団体でもございません。法律家団体、しかも強制加入制の弁護士団体でございます。会員の中には、様々な思想信条の方、政治的立場の方がおられます。そうした日弁連が集団的自衛権の行使に反対しパレードをたるのはいかがなものか、というような意見もたしかに聞かれます。しかし、私ども弁護士の使命は、最大の使命は人権の擁護にあります(拍手)。日弁連は、その使命を達成するために存在していると言っても過言ではございません。そして、これも言うまでもないことでございますが、戦争は最大の人権侵害であり、人権は平和の中でしか守ることができません(拍手)。従いまして、私たちは、人権を守るために、平和を危うくするような動き、戦争の危険性を高めるような動きには反対しなければならない。私はそう考えております(拍手)。言いかえれば,私たち日弁連は、憲法前文と9条が定める恒久平和主義、これを守る責務があるのだと思います(拍手)。
 また、憲法はそもそも、国家権力をしばるものでありますが、憲法前文は、日本国民は、政府の行為により2度と戦争の惨禍が起きないようにという決意をしている訳でございます。時の政府が、その一存で解釈を変え、閣議決定でこの憲法を実質的に変えてしまうなどということは、全くの背理であり、手続を無視した憲法の破壊であり、立憲主義に反することは明らかであります(拍手)。日弁連は、この点からも、今回の閣議決定を容認することはできません。
 今は、あらゆる相違を超えて、幅広い国民・市民が、人権と平和と民主主義を守るために力
を合わせる時であると考えます。私ども日弁連も、法律家団体として、その立場、領域において、全力を尽くす決意であります。皆さん、集団的自衛権の行使を許さないために、そして、閣議決定に基づく関連法の「改正」を許さないために、力を合わせて頑張りましょう。よろしくお願いします。ありがとうございました」
 
8分~ 日弁連からの報告
山岸良太日本弁護士連合会憲法問題対策本部本部長代行

 山岸代行から紹介のあった日弁連「意見書」は以下のとおりです。
2014年9月18日 
集団的自衛権の行使容認等に係る閣議決定に対する意見書

 
22分~ リレートーク1
宮﨑礼壹(みやざき・れいいち)さん(元内閣法制局長官、法政大学法科大学院教授)


 宮﨑さんは、検事出身で、2006年9月から2010年1月まで、安倍晋三(第1次)、福田康
夫、麻生太郎鳩山由紀夫という4代の首相の下で内閣法制局長官を務められ、とりわけ第1安倍政権の時、集団的自衛権行使容認への政府解釈の変更を断固拒否した気概の持ち主として有名です。
「宮﨑でございます。集団的自衛権とは何か。自衛権という名前がついているので、自己防衛権の一種だろうという風に考える人がいまだにたくさんおられます。また、紛らわしい言説が増えております。しかし、これはご存知のとおり、違います。我が国が攻撃されていないにもかかわらず、自国と密接な関係にある他国が第三国から武力攻撃を受けたことを理由にして、その第三国に対し、自ら、というのは自衛隊が武力を行使すること。これが集団的自衛権の定義であります。このことについて、「かかわらず」とかいうことについて、「言い過ぎだ」ということを言う人もおりますが、7月の国会の集中審議におきましても、安倍総理、岸田外務大臣、お2人とも、この定義をお述べになって確認しておられます。この基準、我が国が外国から武力攻撃を受けているのか、そうではないのかという基準は、決定的な分水嶺だと思います。従来我が国は一貫して、この要件がないのに自衛隊武力行使をすること、すなわち集団的自衛権を行使することは、憲法9条に違反するっていう風に解釈してまいりました。その要件がないのに武力を行使するということは、すなわち先制攻撃になってしまう。このように考えてまいりました。本年7月1日に至って、安倍内閣は重大な閣議決定をしました。集団的自衛権のいわゆる部分容認ということであります。それによれば、日本への武力攻撃がなくて、他国への武力攻撃があった、という場合であっても、いわく、我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険が認められれば、自衛隊による武力行使ができるように憲法解釈を変更するというものであります。言葉の上では、わずかな拡大のように見えます。そう言って評価する方もおられます。しかし、読みようでいくらでも広く解釈できる、適用できる基準でありまして、歯止めの名前に値しないと思います(拍手)。現に、7月の国会集中審議の際に、2つ注目すべき答弁がありました。1つは安倍総理の答弁です。ご存知のとおりでございますが、ホルムズ海峡をイランが機雷封鎖するようなことがあったら、それは中東における石油に大部分の石油を依存する日本にとって、死活的利害に関わる。従って、新3要件ですね、というものに該当する可能性があるという風におっしゃいました。すなわち、経済的利益であっても、この「明白な危険」にあたり得るということをおっしゃいました。2つ目は、岸田外務大臣の答弁です。日米同盟というのは、日本にとって死活的に重要であるから、米国が攻撃された場合は、新3要件下にあっても、日本の集団的自衛権発動の可能性は、他に比べて高いということを言われました。大体、集団的自衛権の行使ということが問題になりそうなのは、大部分は米軍との関係でありますね。このように、限定になっていないんですよ。また、もともと限定できるような、認めた上で限定を、歯止めをかけるということができる筋合いのものではなかったと思います。集団的自衛権を、一般的に言って、発動する時に、自分の国の国民や納税者に対して、「これは自分の国に大した利害はないんだけれども派兵するんだ」という風に説明する国がどこにあるでしょうか(拍手)。「自国の死活的利害に関わっているのだ。関わってもいるのだ」という説明をするに違いないと思います。法制化の作業が来年の春以降という風に言われております。しかし、その間、この閣議決定を最高の号令(?)といたしまして、防衛省内閣法制局を含む行政機関、関係省庁は、集団的自衛権の行使のための膨大な法制定作業を始めつつあります。また、新しい日米安保協力ガイドラインというものが年末に向けて策定されようとしていまして、事実上の対米約束ということになっていこうとしております。ぼんやりしてはいられないと思います。反対の声をあげて広げていかなければならないと思います。以上です」
 
28分~ リレートーク2
上野千鶴子(うえの・ちずこ)さん(社会学者、戦争をさせない1000人委員会呼びかけ人)

「10月8日は、私には特別な日です。47年前のこの日、京大生の山崎博昭君が羽田闘争で
亡くなりました。私は彼の同期生でした。彼の死をうけて、山崎追悼デモに参加下のが、私の生まれて初めてのデモ体験でした。あと3年で山崎君の死から50周年になります。その間に私は高齢者の仲間入りをしましたが、彼は19歳で時間が止まったままです。「10.8」は反戦闘争でした。あの当時、ベトナム戦争は日本人にとって大変近く、日本はアメリカの戦争協力者でした。アメリカの戦争の共犯者になりたくない、あの当時にはそういう切迫感がありました。ベ平連もまた、ベトナムに平和を市民連という反戦活動でした。その前の1960年の安保闘争反戦闘争でした。まだ戦争の記憶が生々しかったころのことです。あれから半世紀以上経って、今、日本国民の5人に4人が戦後生まれになったというのに、私たちは再び、他人の戦争に巻き込まれようとしています。集団的自衛権は私たちをアメリカの戦争の共犯者にするものです。イラクでは、イスラム国を名乗る武装集団がフランス人やイギリス人を敵国人として処刑しています。アメリカの戦争に参戦すれば、日本人もイスラム国の敵国人となるでしょう。来年は戦後70年。私たちは、戦後をずっと生きてきました。この「戦後」を「戦前」にしてはなりません。
  憲法を解釈だけで変えられる だから 7月1日は壊憲記念日
「壊憲」の「壊」は「破壊」の「壊」です。今の政権は既に憲法を破壊しつつあります。今日は皆
月食の日。お月さんも泣いてます。
 解釈改憲の根拠として、菅官房長官が持ち出した砂川判決は、最高裁までアメリカが政治
介入したことが暴かれつつあります。司法の中立性が損なわれた判決だったのに、それを解釈改憲の根拠にするなんてとんでもないことです。司法が自ら司法に対する信頼を失わせるような振る舞いをすれば、日本は法治国家ではなくなります。最近、司法への信頼を回復するような画期的な判決がありました。大飯原発差止訴訟での福井地裁の判決です(拍手)。判決文は、生命の価値と経済活動の自由とを天秤にかけてはならないときっぱり言いました(拍手)。司法に良心があることを示した判決でした。今日の集会は日弁連の主催です。法律の専門家たちの集団には、法に対する信頼を取り戻す責任があります。法が政治に左右されるほど空疎なものならば、皆さん方には、自分の職業に誇りを持つことができるでしょうか。内閣法制局の長官も、その下で働く職員たちも法の専門家です。彼らは、自分の仕事に誇りを持たないのでしょうか?私たちは今、立憲主義法治国家も民主主義も骨抜きにされる危機に立っています。こんな世の中を望んだ訳じゃなかったのに、一体どうしてこうなってしまったのでしょうか。山崎君の死から50年経って、彼に申し訳ない思いです。かつて私たちが若者だったころ、「こんな世の中に誰がした」と大人たちに詰め寄りました。今私たちは、「こんな世の中に誰がした」と今時の若者に詰め寄られたら、言い訳ができません。「あの時、あなたは、どこで何をしていたの?」「どうして、戦争を防げなかったの?」と問われたら、答えることができないような大人にはなりたくない、そう思った初志を忘れたくない、そう思います」
 
33分~ リレートーク3
青井未帆(あおい・みほ)さん(学習院大学教授)

「皆さん、こんばんは。学習院大学の青井でございます。今というこの時代ですね、後に振り返
った時に、あれが戦後平和主義の終わりだった、2014年は転換点だった、と言われてしまうかもしれないと危惧しております。私自身のことをお話いたしますと、私は戦後生まれの両親から生まれました。戦後民主主義教育を受けた者でございます。戦争を知る両方の祖父母も亡くなりました。身の回りでも、先の大戦にまつわるお話がだんだん減ってきております。つまり、戦争を知る世代から、戦争を直接的には知らない世代へ、世代が転換する中、私たちは、来し方、歴史方を世代をまたぎながら語り得る、残り少ないチャンスに向き合っているのではないでしょうか。「過去に盲目である者は、現在においても盲目である」1985年、ドイツ、敗戦から40周年、当時の西ドイツ大統領であるヴァイツゼッカー氏が連邦議会で行った演説の非常に有名な言葉です。氏はまた「ガレキ女のことは憶えておられるでしょうか?」このように過去の記憶を喚起しました。私はこのスピーチを大学への通学途中で読みました。あまりの衝撃に涙を落としたものであります。浅学非才の身でございますけれども、過去を学び、将来につなげていこうと、その時に心に誓いました。過去に学ぶこと、未来にこれを伝えること、世代間で記憶を伝えていかなければいけない。智恵を伝えていかなくてはいけない。これまで人間のなしてきた蛮行、愚かな行為、この積み重ねを反省することなしに、私たちは未来を作っていくことができません(拍手)。智恵の検証というのは、私たち1人1人の問題であるはずです。総力戦で誰が亡くなったんでしょうか。誰が弾となり、盾となってしまったんでしょう。なぜ、何千度にもなるような焼
夷弾を消すような義務(金原注「防空法」参照)を課されてしまったんだろうか。
 そして、憲法研究者として私が意識せざるを得ないのは、権力の統制に、最終的には失敗
してしまった明治憲法の問題です。日本国憲法は、権力、それも生の暴力ともなり得る実力の統制を課題としてきました。そして、日本国憲法の背負った課題というのは、戦後政治の中で、相当に真摯に取り組まれてきたものであります。しかし、今私が恐れているのは、現在の日本政治の中で、憲法がなくなっているんじゃないか。あるいは、極めて軽くなっているんじゃないかということであります(拍手)。思い出していただきたいんですけども、安倍首相がなだ首相でなかったころ、次のように述べています。「日本国憲法は、自分たちが専制や隷従、圧迫や偏狭をなくそうと考えている訳ではない。いじましいんですね。みっともない憲法です」思い出されたことと思います。また、最近では、安保法制懇座長代理(金原注:北岡伸一氏のこと)が次のように述べています。「憲法は最高法規ではなく、上に道徳律や自然法がある。憲法だけでは何もできず、重要なのは具体的な行政法である。その意味で、憲法学は不要だとの議論もある」皆さん、思い出していただきたいと思います。私はこの言葉を聞いたときに非常に衝撃を受けました。政治がなされるにあたっては、超えていけない一線がある。規(のり)がある。これが立憲主義の意味であります。政治は憲法に従わなくてはならない(拍手)。無限定に権力を行使したいという欲望を押さえて、規(のり)を守るということは、今日の国際標準的な考え方でもあります。我が国の政府も他国の政府に向かって「法を守れ」と言っていることからも(金原注:中国を牽制して安倍首相が「法の支配」が必要との発言を繰り返していることを指したものでしょう)、これが国際標準であることは明らかです(拍手)。しかし、憲法が「みっともない」ものである、あるいは「不要であるものかもしれない」ものであるならなば、日本で権力が従うべき規(のり)というのは、実際には何なんでしょうか。あるんだろうか?憲法はあるんだろうか?憲法研究者ですけれども、非常に不安に思うところであります。統制されない権力を欲する姿勢が垣間見られる、ちらちらと垣間見られる。非常に不安です。特定秘密保護法、日本版NSC法、そして今回の集団的自衛権、いずれも根っこは1つであると言うべきであり、相互に関係しております。最高法規であることをうたった憲法を見失ってしまえば、糸の切れた凧になってしまう。権力はしかるべき手続に従って、しかるべき内実をともないながらこれを実行されていかなければならない。このことは、多くの犠牲を払いながら、私たち人間が学んできたことであるはずです。私たちの子どもや孫へ、この世代の転換期にあたり、智恵と経験を引き継いでいきましょう。」
 
39分 リレートーク4
中野晃一(なかの・こういち)さん(上智大学教授、立憲デモクラシーの会呼びかけ人)

「皆さん、こんばんは。「立憲デモクラシーの会」呼びかけ人ということで、今日お招きいただきました。実は、青井さんも呼びかけ人なので、私だけがこのタイトルを持ってる訳じゃおよそないんですけれども。
 政治学をやっております。政治学をやっている者からすると、日弁連主催のこのような集会にお呼びいただけるっていうのは、ちょっと自分が上り詰めたというような感慨があります(笑)。というのは、法律と政治というのは必ずしも仲がいい分野ではなくって、近親憎悪のようなものがあると思うんですが、どちらかというと、法律というのは、実際のところ、内閣法制局の方が頑張ったり、色々するもんですから、どんな法律でもある程度ソーセージのように、それなりに食べられるものに出来上がっている訳ですね。弁護士の方であるとか法曹の方というのは、食べ物として法律を、一応理に適ったものだということでやってらっしゃるんだと思うんです。政治学というのは、その点、ソーセージができる過程を見るものでありまして、あまり見ない方がいいというようなことが言われています。クズ肉が入ったりスジが入ったり骨が混じったりよく分からない添加物が入ってるというようなことがある訳です。ただ、私のような政治学者であっても、青井さんのような憲法学者、そしてまた日弁連の方たちとこうやって一緒に立ち上がっているというのは、およそクズ肉どころか、入っていてはいけないものが、長靴だとか何だとか、よく分からないものが、今入っている法律が作られようと、そのための閣議決定がなされたということなんではないかと思っております。
 それだけの危機にある訳なんですが、政治学者のはしくれとして、一応、集団的自衛権、そしてその安倍さんがやろうと言っている「積極的平和主義」というのは何なのかということを自分なりに調べてみました。しかし、どのような報告書を見ても「積極的平和主義」といったもののきちんとした定義というのはなされていないようです。私が唯一知っているものというか、見つけることができたものは、日本経済新聞の「経済教室」に昔、北岡(伸一)さんが書いたものなんですけれども、ここで彼は、「積極的平和主義とは、消極的平和主義の逆である」(笑)「消極的平和主義とは、日本が非武装であればあるほど世界は平和になるという考えである」と、憲法を正確に定義しているんですね。どういうことかと言うと、「積極的平和主義というのは、日本が抑止力を高めれば高めるほど、いわば武装すればするほど平和になる」という、「消極的平和主義」と彼らが呼ぶものの真逆の考えであると、そういうことのようなんです。
 で、もうちょっとさらに調べてみて、安倍さんがまさにその与党協議という茶番が行われているときに、外国に行ってぺらぺら「これからこういうこやります」と話していった1つの例であるシャングリラ・ダイアローグという場での5月の30日の演説があります。結構、全文を読むとぞっとするような自己陶酔のたくさん入った気持ち悪いものなんですけれども、ここでこんなことを言っています。「国際社会の平和、安定に、多くを負う国ならばこそ、日本は、もっと積極的に世界の平和に力を尽くしたい、「積極的平和主義」のバナーを掲げたいと、そう思うからです。自由と人権を愛し、法と秩序を重んじて、戦争を憎み、ひたぶるに、ただひたぶるに平和を追求する一本の道を、日本は一度としてぶれることなく、何世代にもわたって歩んできました。これからの、幾世代、変わらず歩んでいきます」正気とは思えないですよね(笑と拍手)。「何世代にもわたって」、「ひたぶるに」って言葉が分かんないんですけども、「歩んできた」と言ってしまうんです。これは、戦争は何だったんだろうかと。あれは、青井さんも仰ってましたけども、せいぜい我々、戦争知らなくなって2世代目ぐらいの40代ぐらいなんですけども、それで一体なんで「何世代にもわたって」っていうことを安倍さんは言ってしまうのかと。彼の大好きな靖国神社、そちらに書いてある「靖国Q&A」というのが子ども向けにありまして、そこを見ると、子どもにも分かるように靖国神社を説明しているというものなんですけれども、そこでこんなことが書いてあります。「靖国にまつられている神は誰なんですか?」という問いに対してなんですが、「戦争は本当に悲しい出来事ですが、日本の独立をしっかり守り、平和な国としてまわりのアジアの国々と共に栄えていくためには戦わなければならなかったのです。こういう事変や戦争に尊い命を捧げられたたくさんの方々が靖国神社の神様としてまつられています」そこに平和を祈りに行くのが安倍さんな訳です。恐ろしいですよね。私は金曜日にノーベル平和賞を9条を利用(保持)してきた日本国民が受賞するか、どきどきしながら見守っているんですけれども、安倍さん、このまんまいくと、あの授賞式にのこのこ出て行って、そしてこのシャングリラ・ダイアローグの演説をコピペして、またもう1回読むんではないかと恐れています。必ず閣議決定を撤回させて、我々の手に主権を取り戻せるように一緒に頑張りましょう」


46分~ リレートーク5
三木由希子(みき・ゆきこ)さん(NPO法人情報公開クリアリングハウス理事長)
 
52分~ リレートーク6
高田健(たかだ・けん)さん(解釈で憲法9条を壊すな!実行委員会)

59分~ 閉会挨拶
高中正彦(たかなか・まさひこ)日本弁護士連合会副会長

1時間04分~ パレード・デモ