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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

後藤政志さんが語る「吉田調書の意味するもの」

原発 科学
 今晩(2014年10月29日)配信した「メルマガ金原No.1893」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
後藤政志さんが語る「吉田調書の意味するもの」

 「後藤政志が語る、福島原発事故と安全性」という後藤政志さんの公式サイトがあり、一昨
日(10月27日)アップされた興味深い動画に思わず見入ってしまいましたので、皆さまにもご紹介したいと思います。
 
『吉田調書の意味するもの』~2014年10月18日講演会の補足説明~
 

 動画のタイトルにあるとおり、去る10月18日に後藤さんがされた講演の「補足説明」というこ
となのですが、その講演会の事前告知が後藤さんの上記サイトに掲載されていました。
 
 
 それによると、主催が「一般社団法人 吉田昌郎元所長と福島フィフティーを顕彰する会」、集会の全体タイトルが「3・11の教訓を生かす吉田昌郎元所長・顕彰講演会」というもので、この告知を見た時、私は、「こういう集会の中で、後藤さんは一体どんな話をされるのだろうか?」と疑問に思ったことは事実です。
 その後、この「顕彰講演会」の動画はないかと探しているのですが、まだ見つかっていません。
 従って、確言するだけの根拠はありませんが、今回アップされた動画は、「補足説明」というよ
りは、「語り直し」なのではないか?などと想像しています。
 
 政府事故調がヒアリングした参考人の内、3.11当時、東京電力福島第一原子力発電所長であった故・吉田昌郎氏を始めとする19人の調書が公開されており、非常に貴重なものなので、いずれじっくり目を通したいと思いながら、なかなか時間がとれていないのですが、その中でも最も注目を集めている吉田所長の調書から何を読み取るべきかについての後藤さんの意見には、非常に聴くべきところが多いと感じました。
 
 
 そこで、動画の25分以降、最後のまとめの部分を文字起こししてみました。事故が起こっしまった時、決死隊を投入することをシステムに組み込むことなど道義的に絶対許されないという後藤さんの主張を否定できる者などいるはずがないと思うのですが。
 それでも、この国は原発再稼働に向けてまっしぐらです。
 
『吉田調書の意味するもの』~2014年10月18日講演会の補足説明~から抜粋して文字起こし
 (吉田調書から)何を学ぶべきかということをもう一度考えてみますと、やはり、吉田所長、フ
クシマ50、頑張ったけども、本当にそれが過酷事故を防げたかというと、ある面で結果として、東関東全滅まで行かなかった、壊滅まで行かなかった。しかし、もしかしたら、もっと手前で止められたことを止められなかったという見方もあるんですね。もっと、(事故の)規模をあそこまでしないで済んだかもしれない。そういう、これは水掛け論になるわけですけれども、どちらにもあり得るということですね。そういうことがあって、じゃあ、死を覚悟して決死隊がそういう対応をすると、仮にそうした場合にですね、それは一体どういう意味を持つだろうか。本当にそれで出来るという保障があるならば、私は意味があると思いますけども。これは、チェルノブイリでそうですね。チェルノブイリで決死隊がですね、自らの身体を張って放射能を止める努力をしている。
滅茶苦茶に放射能を浴びて多くの方が亡くなっているわけですね。それが決死隊です。だけど、その人たちがやったからそれで防げるかどうか、結果がよく分からないけれど、それを決死隊でやる、というこのひどさですね。しかも高放射線のところに行ったら確実に死んでしまうわけですね。そうすると、じゃあそれをしないと防げない、たとえば、東関東が壊滅する可能性があった事故において、じゃあここに、「放射能を防ぐために、高放射線のところに行って」という指示を誰が出すんですか?誰が行くんですか?これは、福島(第一原発)の中でですね、非常に涙ぐましい努力があって、じゃあ若い人いかせないから俺たちが行くという、そういう美談があります。それはそれでいい、間違っていませんね。ですけど、問題はそこに本質はない。むしろ、そんな環境、そんなことを強要するような原発というものの事故ということをですね、許容するかどうか、どう考えるか、ということが一番大切なんです。しかも、そこでですね、誰がそれを命令できるのか、強制できるのか。菅(直人)さんがどなって、どうのこうのってね、東電言ったことがけしからんって言う人がいますけど、それは、ものの捉え方によります。菅さんがこれは本当に駄目だと、壊滅していったら大変だということで、自分も含めて身体を張るっていう趣旨のことを言ったのはですね、ある種の美談なんですよ。それがいいか悪いかっていうのは難しいですけども、私は両面あると思いますけども、問題なのは、そういうことの主観的な一個人がどう動いたとか、吉田さんがどう頑張ったとか、そんなレベルの問題じゃない。そんなことで原発がコントロールできるんだったら、これは簡単ですよ。そんなことはあり得ない。結局は、結果として努力をしても駄目になる可能性があるということが一番本質なんですね。特に、水素爆発や水蒸気爆発ですね、そうするとそういうもので格納容器が早期に破損しますと、決死隊を出す余裕もないんですね。全面撤退になり得ます。そういうことが最悪のシナリオですから、そうすると、人が勝手に選択できるわけではなくて、偶然の事故に依存するというのが、まさに原発の事故だということになるかと思います。そうすると、そういう偶然性によってですね、一電力会社どころか、国として、国家としての存亡にかかわるレベルまでなってしまうわけですから、そうすると、その一体、撤去をどうするのかということと、そういう偶然にかけていくということがあるわけですから、まさに死を賭したロシアン・ルーレットであると言わざるを得ないと思うんですね。そうすると、その中でですね、原発の運転という犠牲を強いることでしか助かる見込みのないシステムをですね、これを過酷事故対策と称して使うということは、道義的に許されるはずがないと私は思います。もしそういうことを考えるんでしたら、自分がそこに行くべき、自分がそこに志願して特攻隊として行くんだと、そういうことになるかと思います。ですけど、私は特攻隊というもの自身に否定的に見てまして、先ほど言いましたように、決死隊としてそういうことをやることを英雄視することとかですね、そういうことは全く間違っていて、そんな状況に持っていくこと自身を何とか食い止めるというのが私たちがやるべき責務だと、そのように思います。こんな矛盾に満ちたシステムをですね、野放しにすること、これが許されない。ですから、福島事故から何を学ぶかというのは、この1点を学ばずして学ぶものはないというのが私の結論です。

 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2014年9月28日