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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

「集団的自衛権と憲法」を学ぶ~憲法学習会講師用台本の一例として

今晩(2014年11月5日)配信した「メルマガ金原No.1900」を転載します。

 
集団的自衛権憲法」を学ぶ~憲法学習会講師用台本の一例として

 私が憲法学習会の講師を依頼される都度作成するレジュメが、ほとんど講演用台本と言ってもよいような詳細なものになるのは、メルマガ(ブログ)への転載も視野に入れてのことであり、実際、これまでも、たびたび掲載してきました。
 ただし、毎回毎回新たに書き下ろすだけの時間が取れるはずもなく、似たようなテーマで以前お話する時に使ったレジュメをベースに、必要な手直しをするのは、おそらくどなたでも同じことかと思います。
 
 今晩(11月5日)お招きいただいた「和歌山法律関連労働組合」主催の学習会用に用意したレジュメは、去る7月26日に開催された「日教組和歌山/日退教和歌山」合同学習会で使用したレジュメに手を入れたものですが、手直ししている内に1割程度分量が増加してしまいました。
 7月26日用のレジュメは以下のとおりです。
 
2014年7月20日
あらためて集団的自衛権を学ぶ~遅すぎるということはない 自分が何をするかこそが問
題~
 
http://blog.livedoor.jp/wakaben6888/archives/39234237.html
 
 今回の改訂では、主には「8 今からでも遅くはない」に、最近の(特に和歌山における)動きを取り入れ、どのような活動が行われているのか、どのように活動していく方策があるのかを、やや具体的に説明することにしました。さらに、「9 補遺(憲法73条からのアプローチ)」を書き足して、7月1日閣議決定が、いかに憲法違反のとんでもないものであるかということについての論拠を補強しました。
 
 ただ、末尾に掲載した(参考までに)に、去る10月20日、満80差の誕生日を迎えられた皇后陛下の、宮内記者会からの質問に対する文書回答の抜粋を増補しようと思ったのですが、レジュメには間に合いませんでしたので、本メルマガ(ブログ)で増補しておきました。
 
2014年10月20日
皇后陛下お誕生日に際し(平成26年) 宮内記者会の質問に対する文書ご回答
 
http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/gokaito-h26sk.html
 
 今日のレジュメの完全版(12頁)と短縮版(2頁)のPDFファイルを掲載しておきます。
 
 
 私が学習会で言いたかったことは、(完全版)を読んでいただければほぼご理解いただけるかと思います。
 今日もお話したのですが、昨年に比べて、今年は学習会の講師依頼の頻度が(少なくとも私の場合)明らかに減っています。
 7月26日以降、今日まで3ヵ月以上、学習会のお声がかかりませんでした。
 様々な団体の「活動疲れ」による「停滞」でなければ良いのですが。
 

2014年11月5日(水) 和歌山法律関連労働組合 学習会
和歌山市あいあいセンター 会議室
 
集団的自衛権憲法」を学ぶ
  ~遅すぎるということはない 自分が何をするかこそが問題~
          
                        弁護士 金 原 徹 雄
 
目次(今日のお話の流れ)
(1)なぜ「7.1クーデター」と呼ばなければならないのか?
(2)集団的自衛権とは何か? その① 国連憲章51条から考える
(3)集団的自衛権とは何か? その② 実際の行使事例から考える
(4)集団的自衛権とは何か? その③ 米国の「先制攻撃正当化論」から考える
(5)日本国憲法集団的自衛権 従来の政府解釈を理解する
(6)「7.1クーデター」の「論理」
(7)殺すな 殺されるな
(8)今からでも遅くはない
 
1 なぜ「7.1クーデター」と呼ばなければならないのか?
 数十年来確立してきた憲法解釈を破棄し、集団的自衛権の行使を容認した2014年7月1日の閣議決定を、私は「7.1クーデター」と呼んでいます。
 まだそれほど一般的に使用されるには至っていませんが、憲法上到底是認できない、言い替えれば、正当化できないことを強権的に実現した場合、それは「クーデター」と呼称すべきであって、軍事力を行使して現政権を打倒することだけが「クーデター」なのではありません。
 ある政権の政策が、良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、意見が様々に対立するのは常態ですが、日本の今日の事態は、本来「あり得ない」「絶対にあってはならない」ことが起こっているという認識が必要です。
 そのような認識を国民の多くが共有するためには、事態を直感的に伝えることのできる正しい用語・概念をみんなが共通に使用すべきであり、これも重要な運動の一環であるというのが、私が「7.1クーデター」という呼称を使っている理由です。
 ただ、「趣旨は分かるが、そこまではどうも」という人には、私は「7.1事件ではどうか?」とお勧めしています。
 
2 集団的自衛権とは何か? その① 国連憲章51条から考える
 日本が降伏し、第二次世界大戦が終結するのも時間の問題と考えられていた1945年6月26日、連合国の間で、国際連盟に代わる新たな国際組織を作ることが合意されました。「集団的自衛権」という概念は、その合意文書(国連憲章)の51条で初めて国際法上使われた概念であることは注意しておくべきでしょう(個人の正当防衛権に対比することが可能なのはせいぜい個別的自衛権まで)。憲章51条は以下のように規定されています。
「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない」
 ここで言う「集団的自衛の固有の権利」について、わが国では、通常次のような概念であると説明されています(この解釈に固まるまでには変遷がありましたが)。
「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」(1972年・田中角栄内閣が参議院決算委員会に提出した「資料」)。
 とりあえず、「集団的自衛権」とは以上のようなものであるとして検討を進めていきますが、現実に世界で行われてきた、またこれからも行われるであろう「集団的自衛権」に基づく「武力行使」はこんなものではない、ということはしっかりと認識しておく必要があります(次項で詳説します)。
 この憲章51条の位置付けを知るためには、国連憲章が、「武力による威嚇又は武力の行使」をどのように法的に位置付けたかを知る必要があります。
 すなわち、国連憲章2条4項は、
「すべての加盟国は、その国際関係において、武力よる威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない」
と規定し、憲章において特に認めた例外的な場合(42条以下の「集団安全保障措置」、前掲の51条による「個別的自衛権」と「集団的自衛権」)を除き、武力行使(戦争)を違法としており(「戦争の放棄に関する条約(1928年)」の戦争違法観を継承)、これを前提とする限り、安全保障理事会が「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要」と判断して容認した武力行使(集団安全保障措置、例えば湾岸戦争)、もしくは個別的自衛権行使の場合以外に「合法」と主張できる武力行使(戦争)は、集団的自衛権の行使しかあり得ないのです。
 これを逆の面から言えば、世界中で行われている戦争は、国連加盟国が関与している限り、集団安全保障措置(安全保障理事会の決議が前提)でも個別的自衛権の行使でもないものは、「全て」集団的自衛権の行使という「名目」で行われていると考えて差し支えありません。
 
3 集団的自衛権とは何か? その② 実際の行使事例から考える
 再度、日本政府が長年維持してきた集団的自衛権の定義を再掲しておきます(この定義自体は、「7.1クーデター」後も維持されています)。
「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」
 ところで、国立国会図書館が発行する月刊誌「レファレンス」平成21年1月号に掲載された『集団的自衛権の法的性質とその発達―国際法上の議論―』(松葉真美)という論文に、国連安全保障理事会に「集団的自衛権を行使した」と報告された(憲章51条第2文)主要な事例が列挙されていましたのでご紹介します。
1 ソ連ハンガリー(1956年)
2 米国/レバノン(1958年)
3 英国/ヨルダン(1958年)
4 米国/ベトナム(1965?75年)
5 ソ連チェコスロヴァキア(1968年)
6 ソ連アフガニスタン(1979年)
7 米国/ニカラグア(1981年)
8 リビア/チャド(1981年)、フランス/チャド(1983年、1986年)
9 イラクによるクウェート侵攻(1990年)
10 ロシア/タジキスタン(1993年)
11 米国/アフガニスタン(2001年)
 以上の内、「9 イラクによるクウェート侵攻」については、安保理決議に基づき多国籍軍イラクを武力で排除する(これは「集団安全保障措置」)までの間に取られたクウェートの同盟国らによる対イラク禁輸のための海上阻止行動などを指します。なお、2003年から始まったイラク戦争が掲載されていない理由は不明ですが、おそらく安保理に対する報告がなされていないのでしょう(古い安保理決議を根拠に正当化している面もありますが、それでは到底国際世論を納得させられません)。
 これらの事例から分かることは、本来の憲章51条の趣旨は、自国だけでは防衛力が十分でない国が、他国と攻守同盟を結ぶことによって防衛力を増強し、万一の場合に、国連安保理が適切かつ実効的な措置をとるまでの間、自国を防衛できるようにするということであったのかもしれないのですが、実際に行使された事例の大半はそんなものではなく、大国が自国の勢力範囲内の小国に武力介入することを「正当化」するためにこそ「集団的自衛権」が行使されてきたということです。
 
4 集団的自衛権とは何か? その③ 米国の「先制攻撃正当化論」から考える
 しかし、「集団的自衛権」の「実際」を知るためには、以上の事例を検討するだけでは全く不十分です。とりわけ、米国の「同盟国」にとってはそうです。
 日本の陸上自衛隊(施設隊)や航空自衛隊(輸送隊)が派遣されていたイラク戦争(2003年~)を例に考えてみましょう。
 イラクに攻め込んだ軍隊の主力はもちろん米軍でしたが、他にも英国、イタリア、ポーランド、スペインその他多くの国が順次イラク戦争に「参戦」していました。そのような国々は、何を根拠に「参戦」していたのでしょうか?イラク戦争国連安全保障理事会武力行使容認決議はありませんでした。イラクが英国やイタリアやスペインを攻撃したなどと聞いたことはありませんね。そうです、単純な消去法です。「集団的自衛権」しかあり得ません。
 それでは、集団的自衛権の定義「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」に戻って考えてみましょう。イラク戦争に「参戦」したこれらの国々と「密接な関係にある外国」ってどこでしょう?「イラク」ではないですよ。イラクは攻撃対象国(敵)なのですからね。これも消去法です。「米国」しかありません。
 「でも、イラクは米国を攻撃したっけ?」というところに気がついた方は、現在の国際政治の中で「集団的自衛権」という概念が持つ「いかがわしさ」の本質に肉迫しているのです。そうです、イラクが米国を攻撃したのではなく、米国がイラクを攻撃したのです。であるにもかかわらず、なぜ英国以下の諸国が「集団的自衛権」など行使できるのでしょうか?それを理解するためには、イラク戦争開戦直前に、米国のジョージ・ブッシュ大統領が行った演説を想起しなければなりません。
「われわれは行動を起す。行動しないリスクの方が極めて大きいからだ。すべての自由な国家に危害を加えるイラクの力は、1年、あるいは5年後に何倍にもなるだろう。この力を得れば、サダム・フセインと彼のテロリスト連合は、最強となったときに破壊的な紛争の機会を得ることができる。この脅威が突然、われわれの空や都市を脅かす前に、われわれは今、脅威が発生する場所で、脅威に立ち向かうことを選択する」
 つまり、イラクは、何年後かに強力な力を持つようになるかもしれず(第一段階の仮定)、そのイラクが米国を攻撃する可能性がある(第二段階の仮定)から、今、「脅威に立ち向かう」(先制攻撃する)というのです。これは、要するに「この国は将来米国に危害を加える可能性がある」と判断すれば、米国が好きな時に先制攻撃できるということに他なりません(実は、バラク・オバマ大統領も、2013年の国連総会で似たような演説を行っています)。
 次項以下において、日本国憲法の下で集団的自衛権の行使を容認するような解釈は不可能であることを論じる際には、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」という従来の定義に従いますが、集団的自衛権には上記のような「大問題」があることを認識する必要があることをやや詳しくお話しました。
 くどいようですが、「集団的自衛権とは何か?」という問に対する答えをまとめるとすれば、以下の3類型に大別できます。そして、理論的・理念的には①を前提として論じられているものの、過去実際に行使された事例の大半は②であり、更に特に米国の同盟国にとって切実に「集団的自衛権」行使の可能性を考慮すべきは③であるということを常に念頭に置かねばなりません。
① 公権解釈:自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること
② 大半の行使事例:大国による武力介入の正当化根拠(形式上は憲章51条に準拠したとする)
③ 現在の米国の方針に従う場合:米国が先制攻撃を行う「敵」に対して、米国とともに武力行使すること
 
5 日本国憲法集団的自衛権 従来の政府解釈を理解する
 ここでは、「7.1クーデター」まで、長年にわたって政府がとり続けてきた「憲法自衛権」についての政府の公権解釈をあらためて理解しておこうと思います。
 「政府解釈が変わってしまったのだから、以前の政府解釈を学ぶことは無意味ではないの?」と思われるでしょうか。決してそんなことはありません。
 今回の安倍政権の「閣議決定」が、「クーデター」と称するほかない暴挙であることを真に理解するためには、従来の政府解釈の論理をしっかりと理解することが不可欠です。
 それは、理論的に不可欠であるばかりか、従来の政府の立場を良しとする真の保守派との連携のためにも不可欠です。
 残念ながら、現在の政界は、極端な極右主義が跋扈し、良識的な保守主義者やリベラル勢力が逼塞を余儀なくされるという危機的状況に直面しています。
 そのような状況だからこそ、いよいよ従来の政府解釈を正しく理解しておく必要があります。
 さて、日本には自衛隊という組織があります(1954年創設/ちなみに私と自衛隊は「同い年」で、お互い今年還暦を迎えます。ついでに言うと、「ゴジラ」も同い年です)。
 当然、日本政府は、自衛隊憲法9条に違反するものではないとの立場を貫いてきました。一見すると、陸海空の3自衛隊は「軍隊」そのもの(憲法9条2項が言うところの「戦力」)ですよね。諸外国には、自衛隊よりも貧弱な装備人員の「軍隊」がいくらでもあります。
 それでは、政府はどのようにして自衛隊が合憲であるという理論付けを行ってきたのでしょうか?これ(自衛隊合憲論)についての解釈論が、実は「集団的自衛権」についての憲法解釈を導くための「キモ」となる部分なので、しっかりと学んでください。
 従来の政府の解釈を要約すると、以下のようになります。
① 憲法9条は、わが国が主権国家として固有の自衛権を有することまで否定したものではない(外国から不正な攻撃を受けた場合に国民の生命・財産を守ることは国の責務である。←憲法13条等)。
② 従って、わが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏付ける自衛のために必要な最小限度の実力を保持することは、憲法上認められる。
③ 自衛隊は、自衛のために必要な最小限度の実力であるから、憲法9条2項で保持を禁止された「陸海空軍その他の戦力」にはあたらず合憲である。
 以上が、私の理解するところを要約した従来の自衛隊に関する政府解釈です。
 そして、これを前提として、実際に認められる自衛権の発動としての武力の行使については、以下の3要件が必要と解釈されてきました。
 ア)わが国に対する急迫不正の侵害があること
 イ)この場合にこれを排除するために他に適当な手段がないこと
 ウ)必要最小限度の実力行使にとどまるべきこと
 日本が、国際法上「集団的自衛権」は有しているものの、憲法9条の下においては行使できない、と解釈してきたのは、以上の「自衛隊はなぜ合憲なのか」「自衛権を行使するために必要とされる3要件」についての解釈から、論理必然的に導かれる結論だからです。
 そもそも、「集団的自衛権」というのは、1945年に制定された国連憲章51条で初め
て使用された概念であり、その意味内容は、「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力をもって阻止すること」と理解されています。
 つまり、集団的自衛権の行使が問題になるのは、「自国が直接攻撃されていない」場合であることが大前提なのです。もしも、日本が「攻撃」されたなら、それは個別的自衛権を発動するかどうかという問題であって、集団的自衛権の問題にはなりません。
 そこで、くどいようですが、もう一度、自衛隊はなぜ合憲なのかを確認しておきましょう。自衛隊は、わが国が外国から急迫不正の侵害(「侵略」と言ってもよい)を受けた場合に、国民の生命・財産を守るための必要最小限度の実力である「から」、9条2項が保持を禁じた「戦力」にはあたらないのです。これをしっかり押さえてください。
 そして、そのような自衛隊が、実際に自衛権を行使するためには、当然ながら「わが国に対する急迫不正の侵害があること」が要件でしたね。
 ところが、集団的自衛権というのは、わが国ではなく、「自国と密接な関係にある外国」に対して「武力攻撃」があった場合というのが絶対の要件なのですから(この「武力攻撃」すらないのに個別的自衛権集団的自衛権を行使したのがイラク戦争です)、この場合、自衛隊を合憲とする、そして、自衛権の行使を合憲とする大前提である「わが国に対する急迫不正の侵害」がないのですから、そのような場合に、自衛隊武力行使できるというような解釈は、「憲法全体をどうひっくり返してみても読む余地がない」(阪田雅裕元内閣法制局長官への朝日新聞インタビューから)のです。
 以上が、遅くとも1972年の田中角栄内閣当時に固まって以降、40年以上にわたり、一貫して維持されてきた政府解釈です。
 
6 「7.1クーデター」の「論理」
 7月1日の「閣議決定」には、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」というご大層な名称が付されています。
 国の政策は本来全て「国民のため」に策定されるべきものであるはずなのに、何故、仰々しく「国民を守るための」と表記するのか?と、国民は疑念を抱かねばウソです。
 その構成は以下のようになっています。
 1 武力攻撃に至らない侵害への対処
 2 国際社会の平和と安定への一層の貢献
 3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置
 4 今後の国内法整備の進め方
 この内、集団的自衛権について定めているのは「3 憲法第9条の下で許容される自衛の措置」です。「1」や「2」も重大な問題を含んでいますが、時間の都合上、ここでは「3」についてのみ説明します。                       集団的自衛権の行使を限定的に容認したとされるのは以下の部分です。
「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、必要最小限度の実力を行使することは、従来の政府見解の基本的な論理に基づく自衛のための措置として、憲法上許容されると考えるべきであると判断するに至った」
 これがいわゆる「新3要件論」と言われるものです。
 どうでしょうか、意味分かります?
 この「論理」は、これまでもたびたび引用してきた1972年に田中角栄内閣が明らかにした見解の換骨奪胎です。その「剽窃(ひょうせつ)」ぶりがいかに盗っ人猛々しいか、1972年見解と読み比べてみれば一目瞭然です。なにしろ、「7.1クーデター宣言(閣議決定)」には、「この(1972年政府見解の)基本的な論理は、憲法第9条の下では今後とも維持されなければならない」とまで書いてあるのですからね。この「面の皮の厚さ」にどうやって対抗していくかが最大の問題です。
「しかしながら、だからといって、平和主義をその基本原則とする憲法が、右にいう自衛のための措置を無制限に認めているとは解されないのであって、それは、あくまで外国の武力攻撃によって国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底からくつがえされるという急迫、不正の事態に対処し、国民のこれらの権利を守るための止(や)むを得ない措置としてはじめて容認されるものであるから、その措置は、右の事態を排除するためとられるべき必要最小限度の範囲にとどまるべきものである。そうだとすれば、わが憲法の下で武力行使を行うことが許されるのは、わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって、他国に加えられた武力攻撃を阻止することをその内容とするいわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないといわざるを得ない」(1972年政府見解)
 なお、いわゆる「新3要件」が、何らかのしばりになると考える者がいるとすれば、よほど楽天的な性格か、もしくは何も考えていないかのどちらかです。
第1要件:我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において、
→1972年見解からのパクリですが、個別的自衛権の合憲性を根拠づけるために使用された概念を集団的自衛権に転用しようというのですから、同じ用語が使用されていても、意味内容が同じであるはずがありません。公明党が自慢するかもしれない「明白な危険」にしても、1972年見解の「急迫、不正の事態」(要するに自国に対する武力攻撃があったということ)とは天地の違いであり、「明白な危険」の要件など、あってもなくても五十歩百歩です。米国が第三国と交戦状態に入った場合、時の内閣の判断次第でいくらでもこの要件に該当したという主張がなされることでしょう。
第2要件:これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに、
→そもそも日本が攻撃されていない状態で、「他に適当な手段」が有るか無いかを検討するってどういうことですか?言葉の遊びです。
第3要件:必要最小限度の実力を行使すること
→自国への攻撃を排除するという目的が明確な個別的自衛権の行使であればこそ、必要最小限度ということが意味を持ち得るのですが、攻撃されてもいないのに他国に対して行使する武力行使の「必要最小限」って、一体どんな「目的」を達成するための「必要最小限度」なのか少しも分かりません。しかも、日本が勝手に「この辺が必要最小限度」だと思っていても、交戦相手国が反撃をエスカレートしてきたらどうするつもりですか?この第3要件もナンセンスです。
 ところで、内閣官房のホームページには、この「閣議決定」についての「一問一答」が掲載されています。是非一度閲覧されることをお勧めします。「一問一答」の「答」は、読んでもよく分かりません(答えになっていません)。けれど、「問」は非常に参考になります。なるほど、集団的自衛権を認めるということはこういうことなのか、ということがよく分かります。全部で24問が掲載されていますが(その後増補されて35問になっている)、その内のいくつかをご紹介します。これらの「問」に自信をもって「否」と答えられる人がどれだけいるでしょうか(しかも論理的に)。
解釈改憲立憲主義の否定ではないのか?」
「国会での議論を経ずに憲法解釈を変えるのは、国民の代表を無視するものではないか?」
憲法解釈を変え、平和主義を放棄するのか?」
憲法解釈を変え、専守防衛を放棄するのか?」
徴兵制が採用され、若者が戦地へと送られるのではないか?」
「日本が戦争をする国になり、将来、自分達の子供や若者が戦場に行かされようになるのではないか?」
自衛隊員が、海外で人を殺し、殺されることになるのではないか?」
「歯止めがあいまいで、政府の判断次第で武力の行使が無制約に行われるのではないか?」
自衛隊は世界中のどこにでも行って戦うようになるのではないか?」
「日本は石油のために戦争するようになるのではないか?」
「今回の閣議決定により、米国の戦争に巻き込まれるようになるのではないか?」
「武器輸出の緩和に続いて今回の閣議決定を行い、軍国主義へ突き進んでいるのではないか?」
 
7 殺すな 殺されるな
 自衛隊は、創設以来、1人の戦死者も出さず、1人の他国の人も殺さず、災害救援活動、海外での国連平和維持活動(PKO)、国際緊急援助隊としての活動など、もっぱら「人助け」のための活動を行ってきました。
 もちろん、他面において、着々と装備を増強してきた面もあり(今や護衛艦という名前の「空母」まである)、60年間の自衛隊の歴史をどう評価するかは人によって様々でしょう。
 しかし、自衛隊への評価はさておくとしても、憲法9条があればこそ、「海外派兵」は許されず、集団的自衛権の名の下に、自衛隊員をアフガニスタンイラクで「戦死」させずに済んできたのです(「集団的自衛権の行使」という名目によって、多くの国の兵士がアフガニスタンイラクで命を落としています)。
 これまで、自衛隊に入隊した子を持つ親が、海外で息子(もしかすると娘)が「戦死」するかもしれないなどという心配をする必要がなかったのは、憲法9条による「しばり(制約)」があったからであることは明らかです。
 さらに、このように「国外に軍隊を出さない国」という「声望」が、日本の安全保障戦略上、非常に重要な「ソフトパワー」であるとの評価もあります。
 その「かけがえのない価値」が、今や「9条の明文改憲」を待つまでもなく、安倍政権によって葬り去られようとしています。
 その最初の突破口が「集団的自衛権」です。近年、世界で起こっている戦争の多くは集団的自衛権の行使を名目としています。それは、先に詳述したとおり、国連憲章上、武力行使が合法と認められるのは、安全保障理事会が「国際の平和及び安全の維持又は回復に必要」と判断して容認した武力行使(集団安全保障措置)、もしくは個別的自衛権行使以外には、集団的自衛権を行使する場合だけだからです(ただし、事実上それをも無視した米国の先制攻撃論に注意/イスラエルも同様の論理による先制攻撃の実績を持つ)。
 かつて、主権国家同士が宣戦布告し合い、一般民衆(非戦闘員)のいない地域に戦場を設定して会戦を行い、雌雄を決するという戦争が行われていた時代もありましたが、それは「日露戦争」(1904年~1905年)までのことでしょう。
 現代の戦争(武力紛争)は、市民が、子どもたちが生活している場そのものが戦場となるのが常態であり、いったん戦争が始まれば、戦闘員よりもはるかに多くの子どもを含む非戦闘員が犠牲になるということは、間近くは「ガザの惨劇」を見るだけでも容易に分かることです。
 そのような戦場に自衛隊員を投入して彼らに「人殺し」をさせるのですか?日本の防衛と何の関係もない外地で自衛隊員に戦死を強いることもいとわないというのですか?
 今まさに、1人1人の国民が、この問に自らの全人格をかけて答えを出すことが、否応なく義務づけられてしまったのだと思います。
 
8 今からでも遅くはない
 いったんなされた「閣議決定」をひっくり返すことは、実は容易なことではありません。圧倒的多数を誇る与党(自民党公明党国会議員の中で、明確に閣議決定は認められないという意思を明らかにしたのが、わずかに、村上誠一郎衆議院議員自民党)1人だけだったということの意味は決して軽視すべきではありません。
 また、誰が考えても、今回の「クーデター」に米国政府の「支持」があったことは疑う余地がありません。沖縄における辺野古新基地建設のための埋立工事強行が、同一線上の文脈で理解できることも間違いありません。
 このような惨憺たる状況の中であっても、「遅すぎる」ということはありません。
 今は、自分たちの力が及ばず、憲法を無視したクーデターを強行する与党に多くの議席を与えてしまっている現実を直視した上で、地方、国政を問わず、憲法の価値を守る候補者を見出し、擁立し、1人でも多く当選させていくこと、現職の(特に与党の)議員に対しては、国民の意思を無視した暴走・極右政策に追従していては、議員自身の未来がないということへの理解を求めること、1人1人が自分の責任において、わが国の将来、とりわけ子どもたちの未来に対して責任を負っているのだという自覚を持ち、自分にできることをやり続けることが必要です。
 私が特に注目している和歌山県内の動きとしては、子育て中のママが中心となって声を上げる動きが広がっていることです。和歌山市の「楠見子連れ9条の会」、田辺市の「9条ママnetキュッと」など。そして、今まで考えられなかったような自分たちの生活の場でのデモも実行されるようになってきています(7月29日の「ふじと台デモ」、10月31日の「楠見でもデモ」)。是非、周りの動きに注意し、自分も声をあげてみませんか?(雇用主が理解のある人なら、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」が呼びかけて毎月やっている「憲法の破壊を許さなランチTIMEデモ」に参加させてもらえるかもしれない。次回は11月7日。次々回は12月8日。いずれも12時20分市役所前をスタートして京橋プロムナードまで)。
 当面、年内の合意が約束されている新「日米ガイドライン」に注目し、米国の世論に対する「憲法無視のクーデター政権への支持表明という許し難い内政干渉」を行った米国政府の政策判断が、米国自身の長期的な利益を大きく損なう愚かな決定であるとのキャンペーンが必要でしょう。私や一般市民には荷が重いですが、米国大使館への抗議声明の送付くらいなら誰でもできます(日本語なら)。
 福島県知事選挙の結果は既に10月26日に出ていますが、まだこれから年内には沖縄県知事選挙があります。多くの国民の声を無視して原発を推進し、辺野古新基地建設を強行しようとする安倍政権にNOを突きつける選挙結果を実現するため、県外の国民も、選挙を支援するための出来るだけの取組は考えられるでしょう。
 さらに、来年4月には統一地方選挙があります。9月26日の和歌山県議会における憲法改正促進意見書の採択などを見るにつけても、改憲推進議員の議席を1つでも減らす4年に1回の機会が目の前に迫っています。
 そして、時期通常国会の後半、予算案が通過し、統一地方選挙が終わった後に、「7.1閣議決定」を具体化するための法案が一括して提出されるのではないかと言われています。ここが当面の決戦場です。法案が出てくるまでに施行される選挙で政権を追い詰める結果を出し続けるため、どのような戦略をとり得るのかが問われています。
 「あきらめる」という選択肢があり得ない以上、1人1人、自分に何が出来るかを考え、実践していくことが求められています。
 しかし、私たちは孤独ではありません。個人としての責任を自覚した人たちが、共通の目的を持って協力すれば、道は必ず開けます。
 
9 補遺(憲法73条からのアプローチ)
 以上は、「集団的自衛権憲法」の中でも、とりわけ「9条」との関係を中心に説明
したのですが、実は、日本国憲法の下では集団的自衛権を行使できないということの根拠として、「73条」からアプローチする方法もあります。
 この点は、これまであまり一般的ではなかったのですが、最近、何人かの有力な憲法学者が主張されるようになっていますので注目してください。
 ここで、この論点を詳しく述べる紙幅もない(というよりも私の理解が十分ではない)のですが、簡単にいうと以下のとおりです。
 憲法65条は、「行政権は、内閣に属する」とした上で、その具体的な行政権の内容を73条で規定しています。つまり、憲法は、国会や裁判所、内閣などに色々な権限を授権しているのですが、その内、内閣に授権された行政権の範囲を画すのが憲法73条なのです。
 ところで、集団的自衛権を行使するということは、それが立法権司法権の行使でない以上、内閣に付与された行政権の行使として説明するしかないのですが、本当に、日本国憲法73条は、そんな権限を内閣に与えていると解釈する余地があるのか?という論点です。
 現在、自衛隊法に基づき内閣総理大臣自衛隊に防衛出動を命じる憲法上の根拠は、憲法73条に規定された「一般行政事務」に求められています。もちろん、個別的自衛権の行使だけを想定してです。
 これも相当苦しい解釈ですが、これが他国防衛のために日本の領域外で自衛隊に武力の行使を命じることなど、到底「一般行政事務」では説明できない、従って、憲法73条は、内閣に集団的自衛権を行使することを認めていない、という結論になるという訳です。
 このことを、学習院大学の青井未帆教授は、明治憲法において天皇大権とされていた戦を宣し、和を講ずる権限が、日本国憲法には(内閣の権限としても)継承されなかったことに着目し、行政権を「控除説」によって説明するとすれば、日本国憲法上、内閣に認められた権限は、
 (戦前の、あるいは普通の国の)国家権力の総和―戦争大権―立法権司法権
であると主張しており、「7.1閣議決定」は、憲法上ありもしない権限を、内閣が勝手に作り出したもの、絶対にあってはならないことであると厳しく批判しています。
 「9条」だけではなく、このような「73条」からのアプローチにも注目していただければと思います。
 

 最後に、日本国憲法を引用します。私たちの力の源泉である憲法に常に立ち戻りましょう。
 
(前文)
 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
 
第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
 
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
 
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。

第六十五条 行政権は、内閣に属する。
 
第七十三条 内閣は、他の一般行政事務の外、左の事務を行ふ。
一 法律を誠実に執行し、国務を総理すること。
二 外交関係を処理すること。
三 条約を締結すること。但し、事前に、時宜によつては事後に、国会の承認を経ることを必要とする。
四 法律の定める基準に従ひ、官吏に関する事務を掌理すること。
五 予算を作成して国会に提出すること。
六 この憲法及び法律の規定を実施するために、政令を制定すること。但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
七 大赦、特赦、減刑、刑の執行の免除及び復権を決定すること。
 
九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
 
第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
 
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 
 
(参考までに)
皇后陛下お誕生日に際し(平成25年10月)
宮内記者会の質問に対する文書ご回答 より
「5月の憲法記念日をはさみ,今年は憲法をめぐり,例年に増して盛んな論議が取り交わされていたように感じます。主に新聞紙上でこうした論議に触れながら,かつて,あきる野市の五日市を訪れた時,郷土館で見せて頂いた「五日市憲法草案」のことをしきりに思い出しておりました。明治憲法の公布(明治22年)に先立ち,地域の小学校の教員,地主や農民が,寄り合い,討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で,基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務,法の下の平等,更に言論の自由,信教の自由など,204条が書かれており,地方自治権等についても記されています。当時これに類する民間の憲法草案が,日本各地の少なくとも40数か所で作られていたと聞きましたが,近代日本の黎明期に生きた人々の,政治参加への強い意欲や,自国の未来にかけた熱い願いに触れ,深い感銘を覚えたことでした。長い鎖国を経た19世紀末の日本で,市井の人々の間に既に育っていた民権意識を記録するものとして,世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います。」「この1年も多くの親しい方たちが亡くなりました。・・・,日本における女性の人権の尊重を新憲法に反映させたベアテ・ゴードンさん,・・・等,私の少し前を歩いておられた方々を失い,改めてその御生涯と,生き抜かれた時代を思っています。」

天皇陛下お誕生日に際しての「おことば」
会見年月日:平成25年12月18日

「80年の道のりを振り返って,特に印象に残っている出来事という質問ですが,やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです。私が学齢に達した時には中国との戦争が始まっており,その翌年の12月8日から,中国のほかに新たに米国,英国,オランダとの戦争が始まりました。終戦を迎えたのは小学校の最後の年でした。この戦争による日本人の犠牲者は約310万人と言われています。前途に様々な夢を持って生きていた多くの人々が,若くして命を失ったことを思うと,本当に痛ましい限りです。」
「戦後,連合国軍の占領下にあった日本は,平和と民主主義を,守るべき大切なものとして,日本国憲法を作り,様々な改革を行って,今日の日本を築きました。戦争で荒廃した国土を立て直し,かつ,改善していくために当時のわが国の人々の払った努力に対し,深い感謝の気持ちを抱いています。また,当時の知日派の米国人の協力も忘れてはならないことと思います。」
天皇という立場にあることは,孤独とも思えるものですが,私は結婚により,私が大切にしたいと思うものを共に大切に思ってくれる伴侶を得ました。皇后が常に私の立場を尊重しつつ寄り添ってくれたことに安らぎを覚え,これまで天皇の役割を果たそうと努力できたことを幸せだったと思っています。」

2014年10月20日
皇后陛下お誕生日に際し(平成26年) 
宮内記者会の質問に対する文書ご回答

「今年8月に欧州では第一次大戦開戦から100年の式典が行われました。第一次,第二次と2度の大戦を敵味方として戦った国々の首脳が同じ場所に集い,共に未来の平和構築への思いを分かち合っている姿には胸を打たれるものがありました。
 私は,今も終戦後のある日,ラジオを通し,A級戦犯に対する判決の言い渡しを聞いた時の強い恐怖を忘れることが出来ません。まだ中学生で,戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく,従ってその時の感情は,戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈はなく,恐らくは国と国民という,個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する,身の震うような怖れであったのだと思います。
 戦後の日々,私が常に戦争や平和につき考えていたとは申せませんが,戦中戦後の記憶は,消し去るには強く,たしか以前にもお話ししておりますが,私はその後,自分がある区切りの年齢に達する都度,戦時下をその同じ年齢で過ごした人々がどんなであったろうか,と思いを巡らすことがよくありました。
 まだ若い東宮妃であった頃,当時の東宮大夫から,著者が私にも目を通して欲しいと送って来られたという一冊の本を見せられました。長くシベリアに抑留されていた人の歌集で,中でも,帰国への期待をつのらせる中,今年も早蕨さわらびが羊歯しだになって春が過ぎていくという一首が特に悲しく,この時以来,抑留者や外地で終戦を迎えた開拓民のこと,その人たちの引き揚げ後も続いた苦労等に,心を向けるようになりました。
 最近新聞で,自らもハバロフスクで抑留生活を送った人が,十余年を費やしてシベリア抑留中の死者の名前,死亡場所等,出来る限り正確な名簿を作り終えて亡くなった記事を読み,心を打たれました。戦争を経験した人や遺族それぞれの上に,長い戦後の日々があったことを改めて思います。
 第二次大戦では,島々を含む日本本土でも100万に近い人が亡くなりました。又,信じられない数の民間の船が徴用され,6万に及ぶ民間人の船員が,軍人や軍属,物資を運ぶ途上で船を沈められ亡くなっていることを,昭和46年に観音崎で行われた慰霊祭で知り,その後陛下とご一緒に何度かその場所を訪ねました。戦後70年の来年は,大勢の人たちの戦中戦後に思いを致す年になろうと思います。
 世界のいさかいの多くが,何らかの報復という形をとってくり返し行われて来た中で,わが国の遺族会が,一貫して平和で戦争のない世界を願って活動を続けて来たことを尊く思っています。遺族の人たちの,自らの辛い体験を通して生まれた悲願を成就させるためにも,今,平和の恩恵に与っている私たち皆が,絶えず平和を志向し,国内外を問わず,争いや苦しみの芽となるものを摘み続ける努力を積み重ねていくことが大切ではないかと考えています。」