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宮崎駿さんが言わずにいられなかったこと~アカデミー賞名誉賞受賞スピーチと記者会見における発言から(一部文字起こし)

 今晩(2014年12月8日)配信した「メルマガ金原No.1933」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
宮崎駿さんが言わずにいられなかったこと~アカデミー賞名誉賞受賞スピーチと記者会見における発言から(一部文字起こし)

 ちょうど1ヶ月前の11月8日、宮崎駿監督が米アカデミー賞名誉賞授賞式に出席し(こんなことはたしかに最初で最後でしょう)、短いスピーチをされたことはニュースでどのように流れたのでしょうか?
 何しろめったにTVを見なくなって久しい私は、宮崎監督がアカデミー賞名誉賞を受賞したことすら、授賞式から何日か経ってようやくネットで知ったという有様で、日本のマスメディアが、どんな風にこの出来事やスピーチの内容を伝えたかは知らないのです。
 
 そこで、私と同じように何も知らない人がもしかするといるかもしれないので、以下にスピーチ全文をご紹介します。

 引用元は毎日新聞WEB版に掲載されたもので、それを基に、ネットで視聴できる受賞スピーチの模様を聞きながら若干の校正を施しました。

 スピーチ自体は日本語で行われ、英語による逐語訳が4段落に分けて行われました。
 以下の文字起こしの内、(アニメ制作をしていた)及び(同じく名誉賞を受賞した94歳の女優)という2箇所の括弧書きは、毎日新聞が文脈を補った注釈であり、各段落の後に付けた会場の反応は、私が音声を聞きながら書き加えたものです。
 
宮崎駿監督の受賞スピーチ全文】
 私の家内が、お前は幸運だとよく言います。(笑)
 一つは、紙と鉛筆とフイルムの最後の時代の50年に、私がつきあえたことだと思います。(拍手)
 それから、(アニメ制作をしていた)私の50年間に、私たちの国は一度も戦争しませんでした。戦争
でもうけたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。そのおかげが、僕らの仕事にとっては、とても
力になったと思います。(反応なし)
 でも最大の幸運は今日でした。(同じく名誉賞を受賞した94歳の女優)モーリン・オハラさんに会え
た。これはすごいことです。こんな幸運はありません。美しいですね。本当に良かった。どうもありがとうございました。(笑と大きな拍手)
 
 なお、授賞式後の記者会見の模様については、以下の映像と全文文字起こし(!)をしてくれたサイト「スタジオジブリ非公式ファンサイト ジブリのせかい」をご紹介しましょう。
 
宮崎駿監督】アカデミー名誉賞授賞後会見【2014/11/9】
 
 私は、記者会見の中で、授賞式におけるスピーチについての説明を求められた質問に対する宮崎監督の答えに注目しました。
 特に、「それから、私の50年間に、私たちの国は一度も戦争しませんでした。戦争でもうけたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。そのおかげが、僕らの仕事にとっては、とても力になったと思います」という発言をなぜしたのかについては、質問した記者の意図とは関わりなく、「言わずにはいられない」という監督の思いがひしひしと伝わってくる6分間でした(動画の26分~33分です)。

 文字起こしが掲載された「ジブリのせかい」は、コピー出来ない設定になっているようなので、以下にペーストする訳にはいきませんが、是非、動画の該当部分を視聴していただきたいと思います。

 宮崎さんは、アニメーションの世界の先人(『桃太郎の海鷲』を作った人)や先輩(大塚康生さん)の活動に、戦争がどのような影を落としたかを想起した後、次のように自らの思いを述べられました。
 その部分を、私があらためて文字起こししましたので是非お読みください。
 
「その後ね、いろいろあっても、とにかくアニメーションの仕事が続けてこれたっていうのは、やっぱり日本の国が70年近く戦争をしなかったてことがもの凄く大きいと思ってます。特にこの頃、ひたひたと感じます。もちろん、特需で儲けたりとか、朝鮮戦争で。それで経済を再建したとかね、そういうことはいっぱい起こってるんですけど。でもやっぱり、戦争をしなかったっていうのは、日本の女たちが「戦争をしたくない」と、本当にちゃんとそういう気持ちを強く持って生きてたこと。だいぶ年をとって亡くなってる方も多いですけど。
 それから、原爆の体験を、本当に子どもたちにまで・・・、僕も本当にいっぱいケロイドだらけの人が家を訪ねてきて、物乞いのためにケロイドを見せるっていういようなことを体験してます。それで最初の、1952年に被爆地のもの凄く生々しい写真が出るんですけど、出版されるんですけど(金原注:出版がその時期になったのは、それまで)実は占領軍が許可しなかったからですね。でも、その前に聞いてました。原爆がどういうことになったかっていうのを。だからそれで・・・、話が飛ぶようですけど、『ゴジラ』というのが出てきた時に、ぼくはあの時は中学生だったのか小学生だったのか憶えてないですけど、怪獣ものを観に行くというような気楽さじゃないんですよ。水爆実験の結果ゴジラがやって来るっていうね。ただごとじゃないインパクトを感じてたんです。それで、同時にニュースフィルムでやってたのはビキニ環礁の水爆実験のフィルムですからね。これはもの凄く恐ろしかったです
 そういう、戦争と原爆から繋がる記憶を持ってたから、やっぱり戦争をしてはいけないっていうふうに、それが国の中心として定まってたんだと僕は思いますよ。それが、70年過ぎるとだいぶ怪しくなってきたっていうことだと思うんです。それについて今とやかく僕は言いませんけども、やっぱり自分が50年この仕事をずっと続けてこられたのは、日本がいろいろあっても経済的に安定していたこと。安定してたのは、やっぱり戦争をしなかったことだと僕は思ってます。それをしゃべったんです。随分こんなに長くはしゃべりませんよ、本当に」
 
 宮崎さんの発言に私があえて付け加えることは何もありません。
 これ以外の質問についてもそうですが、「どうして自分の気持ちが彼ら(日本の記者)に伝わらないのだろうか」という苛立たしさを抱きながら、それでも「今、これは言うべきだ」と決意した宮崎さんの気迫を私は感じましたが、皆さんはどう受け止められたでしょうか?
 
 それにしても、受賞スピーチにおける宮崎さんの「それから、私の50年間に、私たちの国は一度も戦争しませんでした。戦争でもうけたりはしましたけれど、でも戦争をしなかった。そのおかげが、僕らの仕事にとっては、とても力になったと思います」という発言(より正確にはその通訳)を聞いたアメリカの聴衆の無反応ぶりは、やはり「戦争をし続けてきた国」の人々ならではの反応だったのでしょうか。
 もっとも、記者会見のように、1954年の『ゴジラ』をどのように観たかという具体的なエピソードも交えて言葉を尽くしてもらえれば(もちろん、授賞式にそんな時間がある訳ありませんが)、もっと宮崎さんの真意がアメリカの聴衆にも伝わったのに、とは思いますが。

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2013年9月9日
宮崎駿監督の引退会見と“技術が支える思想性”について ※追記あり