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3人の年頭所感を読んで2015年の日本を思う~今上陛下、安倍首相、内田樹氏

 今晩(2015年1月1日)配信した「メルマガ金原No.1957」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
3人の年頭所感を読んで2015年の日本を思う~今上陛下、安倍首相、内田樹

 年のはじめの元旦に年頭所感を発表することがならわしとなっている人々がいます。多くは、公的な立場にあるがゆえのものですが、中には個人的な習慣という場合もあるようです。
 そのような年頭所感の数々をしらみつぶしに読んでみるのも興味深いとは思いますが、とてもそのような時間的余裕はないので、ここでは、今日私が読み得た3人の年頭所感のみご紹介します。その3人とい
うのは以下の方々です。
 
1 今上陛下(天皇明仁
2 安倍晋三内閣総理大臣(兼自由民主党総裁
3 内田樹(うちだ・たつる)氏(神戸女学院大学名誉教授)
 
 もちろん、それぞれの年頭所感を読んでの私なりの意見、感想はありますが、それは後のこととして、まずは虚心にそれぞれの文章を読んでいただければと思います。なお、1と2は公的な立場で発表されたものなので全文引用し、3については部分引用にとどめます(リンク先で是非全文をお読みください)。
 
平成27年 天皇陛下のご感想(新年に当たり)
(引用開始)
 昨年は大雪や大雨,さらに御嶽山の噴火による災害で多くの人命が失われ,家族や住む家をなくした人々の気持ちを察しています。
 また,東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々
仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。昨今の状況を思う時,それぞれの
地域で人々が防災に関心を寄せ,地域を守っていくことが,いかに重要かということを感じています。
 本年は終戦から70年という節目の年に当たります。多くの人々が亡くなった戦争でした。各戦場で亡く
なった人々,広島,長崎の原爆,東京を始めとする各都市の爆撃などにより亡くなった人々の数は誠に多いものでした。この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考え
ていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。
 この1年が,我が国の人々,そして世界の人々にとり,幸せな年となることを心より祈ります。
(引用終わり)
 
安倍内閣総理大臣 平成27年 年頭所感
(引用開始)
 新年あけましておめでとうございます。
 総理就任から2年が経ちました。この間、経済の再生をはじめ、東日本大震災からの復興、教育の再生
社会保障改革、外交・安全保障の立て直しなど、各般の重要課題に全力で当たってまいりました。さら
には、地方の創生や、女性が輝く社会の実現といった新たな課題にも、真正面から取り組んできました。
 そして先の総選挙では、国民の皆様から力強いご支援を頂き、引き続き、内閣総理大臣の重責を担うこ
ととなりました。
 いずれも戦後以来の大改革であり、困難な道のりです。しかし、信任という大きな力を得て、今年は、
さらに大胆に、さらにスピード感を持って、改革を推し進める。日本の将来を見据えた「改革断行の一年
」にしたい、と考えております。
 総選挙では全国各地を駆け巡り、地方にお住いの皆さんや、中小・小規模事業の皆さんなどの声を、直
接伺う機会を得ました。こうした多様な声に、きめ細かく応えていくことで、アベノミクスをさらに進化
させてまいります。
 経済対策を早期に実施し、成長戦略を果断に実行する。今年も、経済最優先で政権運営にあたり、景気
回復の暖かい風を、全国津々浦々にお届けしてまいります。
 今年は、戦後70年の節目であります。
 日本は、先の大戦の深い反省のもとに、戦後、自由で民主的な国家として、ひたすら平和国家としての
道を歩み、世界の平和と繁栄に貢献してまいりました。その来し方を振り返りながら、次なる80年、90年、さらには100年に向けて、日本が、どういう国を目指し、世界にどのような貢献をしていくのか

 私たちが目指す国の姿を、この機会に、世界に向けて発信し、新たな国づくりへの力強いスタートを切
る。そんな一年にしたいと考えています。
 「なせば成る」。
 上杉鷹山のこの言葉を、東洋の魔女と呼ばれた日本女子バレーボールチームを、東京オリンピックで金
メダルへと導いた、大松監督は、好んで使い、著書のタイトルとしました。半世紀前、大変なベストセラ
ーとなった本です。
 戦後の焼け野原の中から、日本人は、敢然と立ちあがりました。東京オリンピックを成功させ、日本は
世界の中心で活躍できると、自信を取り戻しつつあった時代。大松監督の気迫に満ちた言葉は、当時の日
本人たちの心を大いに奮い立たせたに違いありません。
 そして、先人たちは、高度経済成長を成し遂げ、日本は世界に冠たる国となりました。当時の日本人に
出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。
 国民の皆様とともに、日本を、再び、世界の中心で輝く国としていく。その決意を、新年にあたって、
新たにしております。
 最後に、国民の皆様の一層の御理解と御支援をお願い申し上げるとともに、本年が、皆様一人ひとりに
とって、実り多き素晴らしい一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
平成27年1月1日
内閣総理大臣 安倍晋三

(引用終わり)
※なお、自民党ホームページにも、「安倍総裁(総理) 平成27年 年頭所感」が掲載されていますが、肩書きが「自由民主党総裁」に変更されている以外、中身は全く同じ文章のようです。
 
内田樹の研究室 2015年の年頭予言
(抜粋引用開始)
あけましておめでとうございます。
年末には「十大ニュース」、年頭には「今年の予測」をすることにしている(ような気がする)。ときど
き忘れているかもしれないが、今年はやります。
今年の日本はどうなるのか。
「いいこと」はたぶん何も起こらない。
「悪いこと」はたくさん起こる。
だから、私たちが願うべきは、「悪いこと」がもたらす災禍を最少化することである。
(略)
私たちの国はいま「滅びる」方向に向かっている。
国が滅びることまでは望んでいないが、国民資源を個人資産に付け替えることに夢中な人たちが国政の決
定機構に蟠踞している以上、彼らがこのまま国を支配し続ける以上、この先わが国が「栄える」可能性は
ない。
多くの国民がそれを拱手傍観しているのは、彼らもまた無意識のうちに「こんな国、一度滅びてしまえば
いい」と思っているからである。
私はどちらに対しても同意しない。
国破れて山河あり。
統治システムが瓦解しようと、経済恐慌が来ようと、通貨が暴落しようと、天変地異やパンデミックに襲
われようと、「国破れて」も、山河さえ残っていれば、私たちは国を再興することができる。
私たちたちがいますべき最優先の仕事は「日本の山河」を守ることである。
私が「山河」というときに指しているのは海洋や土壌や大気や森林や河川のような自然環境のことだけで
はない。
日本の言語、学術、宗教、技芸、文学、芸能、商習慣、生活文化、さらに具体的には治安のよさや上下水
道や交通や通信の安定的な運転やクラフトマンシップや接客サービスや・・・そういったものも含まれる

日本語の語彙や音韻から、「当たり前のように定時に電車が来る」ことまで含めて、私たち日本人の身体
のうちに内面化した文化資源と制度資本の全体を含めて私は「山河」と呼んでいる。
外形的なものが崩れ去っても、「山河」さえ残っていれば、国は生き延びることができる。
山河が失われれば、統治システムや経済システムだけが瓦礫の中に存続しても、そんなものには何の意味
もない。
今私たちの国は滅びのプロセスをしだいに加速しながら転がり落ちている。
滅びを加速しようとしている人たちがこの国の「エリート」であり、その人たちの導きによってとにかく
「何かが大きく変わるかもしれない」と期待して、あまり気のない喝采を送っている人たちがこの国の「
大衆」である。
上から下までが、あるものは意識的に、あるものは無意識的に、あるものは積極的に、あるものは勢いに
負けて、「滅びる」ことを願っている。
そうである以上、蟷螂の斧を以てはこの趨勢は止められない。
自分の手元にあって「守れる限りの山河」を守る。
それがこれからの「後退戦」で私たちがまずしなければならないことである。
それが「できることのすべて」だとは思わない。
統治機構や経済界の要路にも「目先の権力や威信や財貨よりも百年先の『民の安寧』」を優先的に配慮し
なければならないと考えている人が少しはいるだろう。
彼らがつよい危機感をもって動いてくれれば、この「後退戦」を別の流れに転轍を切り替えることはある
いは可能かも知れない。
けれども、今の日本のプロモーションシステムは「イエスマンしか出世できない」仕組みになっているか
ら、現在の統治機構やビジネスのトップに「長期にわたる後退戦を戦う覚悟」のある人間が残っている可
能性は限りなくゼロに近い。
だから、期待しない方がいい。
とりあえず私は期待しない。
この後退戦に「起死回生」や「捲土重来」の秘策はない。
私たちにできるとりあえず最良のことは、「滅びる速度」を緩和させることだけである。
(略)
(引用終わり)
 
 年頭所感を書くということは、それなりに自らの覚悟を公(おおやけ)にするという性格を持つことになるはずの営みです。私がたまたま2015年の元旦に読み得た3人の年頭所感には、各人各様の「覚悟」が示されていると思いました。
 もちろん、その向けられているベクトルが、1人だけ他の2人と全く別の方向を向いていることは言うまでもなく、私が、その1人が書き連ねた言葉の数々に全く共感を覚えなかったと言っても、意外に思う人は誰もいないでしょう。
 
 安倍晋三氏の年頭所感は、そのベクトルだけが問題なのではありません。使われている言葉の重みの無さこそ、彼の、あるいはその周辺の有象無象の最大の特徴かもしれないと私は思っています。
 一々数え上げればきりがありませんので、一点だけ指摘します。
 今上陛下の「ご感想」は、今年が終戦から70年の節目の年に当たることを指摘し、戦争により多くの人々が亡くなったことを想起した上で、「この機会に,満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。」と述べられています。それでは、内閣総理大臣の年頭所感で、その点についてどう触れられているかというと、「本は、先の大戦の深い反省のもとに」・・・これだけです。誰が、どういう風に反省し、その結果、教訓として何を学び得たか、という最も肝心な内容に一切触れず、ただ単に「反省」という言葉を使えば反省したことになるとでも言わんばかりの「言葉の重みの無さ」こそ、彼及び彼らの通有性だと私が考えるものです。

 このような例はいくらでもありますが、一例として、自民党が2012年4月27日に発表した「日本国憲法改正草案」の前文をご紹介しましょう。
 
(引用開始)
 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴いただく国家であって、国民
主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位
を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家
族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある
経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。
(引用終わり)
 
 一般に現行憲法の三大原則は、「国民主権」「平和主義」「基本的人権の尊重」だと言われていますが、それは、憲法の全体が、そのような理念で貫かれているからこそ「三大原則」なのであって、「国民主権」とか、「平和主義」とか、「基本的人権の尊重」とかいう言葉が憲法に使われているからではありません(実際、このとおりの言葉は使われていません)。
 ところが、自民党の「改正草案」前文には、「国民主権の下」「平和主義の下」「基本的人権を尊重するとともに」という言葉が羅列されているだけで、その内実は全く伴っていませんし、伴う必要があるとも思っていません。「とにかく書いておけばいいのだろう」という、国民をなめきった底意が透けて見える文章だと私は考えています。
 安倍首相「年頭所感」における「日本は、先の大戦の深い反省のもとに」も全くこれと同じです。
 内田樹さんが守るべき日本の山河の具体例の先頭に挙げられている「日本の言語」とは、自民党日本国憲法改正草案」や安倍首相「年頭所感」などで使われている言語とは全く異なった意味内容を持ったものでしょう。
 
 とはいえ、安倍首相の「年頭所感」も、彼なりの「覚悟」を込めたメッセージと受け取るべきでしょう。私には、私たちに対する「最後通牒」のように聞こえますけれどね。
 
 ところで、内田樹さんの「年頭予言」を読んで「悲観的過ぎる」と感じた人も多いでしょうが、内田さんにしても、何もみんなをがっかりさせるためにこの文章を書いた訳ではないと思います。要は、自分の力に及ばないことをあれこれ言挙げするよりは、自分に出来ることを絶対にやり抜くという「覚悟」を、まずは自らに言い聞かせることが重要という風に私は受け取りました。
 
 最後に今上陛下の「ご感想」について若干書いておきたいことがあります。
 1つは、多くの人が注目したであろう「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び,今後の日本のあり方を考えていくことが,今,極めて大切なことだと思っています。」という部分についてです。この発言の射程の中に「昭和天皇の戦争責任」がどのように位置付けられるのか、それとも射程外なのかというデリケートな問題をはらみつつ、あえてこのような「ご感想」を年頭に公表されたということは、重く受け止めるべきだと思います。
 このメルマガ(ブログ)で何度かご紹介してきた保阪正康さんの問題意識を今上陛下も共有されていることは明らかだと思います。
 
 
 もう1つ、年頭にあたっての「ご感想」は、即位の翌年(平成2年)以来、毎年公表しているものですが、それをずっとたどって読んでくると、それぞれ短い文章ながら、ご自分で考え抜いて書かれたものだろうということが伝わってきます。
 私がとりわけ皆さんに注目していただきたいと思っていることを最後にご紹介しましょう。それは、3.11の翌年(2012年・平成24年)以来、今年までの4年連続で同じ話題を取り上げ続けておられることです。
 その部分を抜粋して引用します。
 
平成24年(2012年)
「昨年は春には東日本大震災が起こり,夏から秋にかけては各地で大雨による災害が起こり,多くの人命が失われ,実に痛ましいことでした。また,原発事故によってもたらされた放射能汚染のために,これま
で生活していた地域から離れて暮さなければならない人々の無念の気持ちも深く察せられます。」
平成25年(2013年)
放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れない人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごさざるを得ない
人々など,年頭に当たって,被災者のことが,改めて深く案じられます。」
平成26年(2014年)
東日本大震災から3度目の冬が巡ってきましたが,放射能汚染によりかつて住んでいた地域に戻れずにいる人々や,仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々など,年頭に当たり,被災者のことが改めて深く案じられま
す。」
平成27年(2015年)
東日本大震災からは4度目の冬になり,放射能汚染により,かつて住んだ土地に戻れずにいる人々や仮設住宅で厳しい冬を過ごす人々もいまだ多いことも案じられます。」
 
 これは、安倍首相得意のコピペ挨拶とは全く似て非なるものであり、強い信念に基づく「繰り返し」であると私は確信しています。
 皆さんはどう思われるでしょうか?
 
 (弁護士・金原徹雄のブログから) 
2014年8月18日 
2014年12月23日