wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

安倍晋三内閣総理大臣・施政方針演説(2/12)の冒頭と末尾についての若干の感想

 今晩(2015年2月15日)配信した「メルマガ金原No.2002」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
安倍晋三内閣総理大臣・施政方針演説(2/12)の冒頭と末尾についての若干の感想

 2月12日に安倍晋三内閣総理大臣が行った施政方針演説は約45分を要したようですが、全編視聴した我慢強い国民がどれだけいたのでしょうか。
 視聴しようと思えば、今からでも、以下の方法で視聴できます。
 
衆議院インターネット審議中継

「カレンダー検索」から「2015年2月12日」を選択してクリック

「会議名」から「本会議」(これしかないが)を選択してクリック

「説明・質疑者等」から「安倍晋三内閣総理大臣)」を選択してクリック
 
 また、首相官邸ホームページには、上記とは別動画(政府インターネットテレビ)とともに演説原稿(でしょう)が掲載されています(もっとも、こちらは映像と音声が同期しておらず、音量レベルも低く、視聴するだけなら衆議院インターネット審議中継の方をお勧めします)。
 
 
 今日は、この施政方針演説全体を批判するのが目的ではなく(とてもそんな時間はありません)冒頭と末尾についての感想を若干述べるにとどめます。
 
 最初にイスラム国人質事件に触れた後、本論の冒頭において、以下のように述べた部分は新聞報道でもよく使われました。この長い原稿をしらみつぶしに読む気力が各紙のデスクになく、冒頭部分だけでお茶を濁したとしても(まあ、そんなことはないでしょうが)全く文句を言う気にはなりません。

「日本を取り戻す」
 そのためには、「この道しかない」
 こう訴え続け、私たちは、二年間、全力で走り続けてまいりました。
 先般の総選挙の結果、衆参両院の指名を得て、引き続き、内閣総理大臣の重責を担うこととなりました。
 「安定した政治の下で、この道を、更に力強く、前進せよ。」
 これが総選挙で示された国民の意思であります。全身全霊を傾け、その負託に応えていくことを、この議場にいる自由民主党及び公明党の連立与党の諸君と共に、国民の皆様にお約束いたします。
 経済再生、復興、社会保障改革、教育再生、地方創生、女性活躍、そして外交・安全保障の立て直し。
 いずれも困難な道のり。「戦後以来の大改革」であります。しかし、私たちは、日本の将来をしっかりと見定めながら、ひるむことなく、改革を進めなければならない。逃れることはできません。
 明治国家の礎を築いた岩倉具視は、近代化が進んだ欧米列強の姿を目の当たりにした後、このように述べています。
 「日本は小さい国かもしれないが、国民みんなが心を一つにして、国力を盛んにするならば、世界で活躍する国になることも決して困難ではない。」
 明治の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。今こそ、国民と共に、この道を、前に向かって、再び歩み出す時です。皆さん、「戦後以来の大改革」に、力強く踏み出そうではありませんか。
(引用終わり)
 
 何と言ったら良いのか、岩倉具視ですか。国会の議場で失笑した議員がいたとしても不思議はないのですが、みんなあっけにとられて失笑もできなかったかもしれません。
 「日本を取り戻す」と言うけれど、一体「いつの日本を取り戻す」というのか?ということがかねて多くの国民の疑問というか、懸念であり、大方の人は、「戦前の、より端的に言えばポツダム宣言受諾前の日本を取り戻す」ということだろうと理解していたのではないかと思います。
 最近はあまり使わなくなったようですが、かつて愛用したキャッチフレーズが「戦後レジームからの脱却」であり、戦後レジームの出発点がまさにポツダム宣言の受諾(1945年8月14日)なのですから、このように理解するのが最も論理的であった訳です。
 そこにいきなり岩倉具視です。どういう脈絡で持ち出してきたのかよく分かりませんが、他にも吉田松陰を賞揚する箇所が演説の中にありましたから、自分を「維新の志士」になぞらえて高揚しているのかもしれません。この人物の性向から考えて大いにありそうなことですが。
 
 ただし、安倍首相が取り戻したがっている「戦前レジーム」(とは言わないでしょうが)の起点をどこに求めるかと言えば、大日本帝国憲法の発布(1889年)と並んで、明治維新(1868年前後)と考えても別に不自然ではなく、そういう観点からすれば、この施政方針演説に岩倉具視吉田松陰が登場しても驚くにはあたらないのかもしれません。
 しかしながら、明治4年(1871年)というような非常に早い時期に、岩倉具視が何故大規模な使節団を率いて長期間の米国・欧州視察の旅程にのぼったのかと言えば、各地に大名諸侯が割拠する封建制(幕藩体制)を打破し、国民国家に転換して独立を全うするため、どのようなグランドデザインを描くべきかについての知見を得たいという切実な目的意識を持っていたからであり、「日本を取り戻す」というような情緒的で後ろ向きのベクトルなど、岩倉具視のような公家出身の指導者であっても一切持ち合わせていなかったでしょう。
 こんなところで引き合いに出されては、岩倉公もさぞ迷惑なことだと思います。
 
 それから「戦後以来の大改革」という表現を聞いて(読んで)、まともな言語感覚の持ち主であれば、相当な「違和感」をいだいたはずです。「これ、日本語?」と思いませんでしたか?
 そう感じる理由は簡単で、「戦後」という言葉自体、「戦争の後」という一定の長さを持った時間の間隔を含意しており、これは「戦争終結以来」という言い替えも可能な概念として使われてきた言葉です。それにもかかわらず、さらにそれに「以来」を付け加えられると、普通の人は、「戦後以来(戦争終結以来以来)の大改革」と受け取り、「意味が分からない」ということになるのだと思います。
 これを何とか意味の通じる日本語として解釈しようとすれば、安倍首相は、「戦後」というのはとっくに終わっていると考えているというしかないでしょう。さて、いつ終わったと考えているのでしょうね?自分が2度目の総理大臣になった時でしょうか?1度目の時には「戦後レジームからの脱却」を主張していましたから、その頃は。まだ「戦後」が続いていると思っていたはずですから。
 たしかに、まだ自衛隊に戦闘命令が出ていないだけで、もはや「戦後」ではなく、「テロとの戦争」という新たな「戦争」を、安倍首相が勝手に始めてしまったという解釈なら十分にあり得ます。
 もちろん、以上の感想で述べた解釈以外に、「戦後以来の大改革」というのは、「戦争終結直後以来の大改革」と言うべきところ、やや言葉足らずだったに過ぎない、という解釈もあり得ることは百も承知の上で書いていることをお断りしておきます。
 
 さて、施政方針演説の中間ははしょって末尾の部分を読んでみましょう。
 
(引用開始)
 私たち日本人に、「二〇二〇年」という共通の目標ができました。
 昨年、日本海では、世界に先駆けて、表層型メタンハイドレート、いわゆる「燃える氷」の本格的なサンプル採取に成功しました。「日本は資源に乏しい国である」。そんな「常識」は、二〇二〇年には、もはや「非常識」になっているかもしれません。
 「日本は変えられる」。全ては、私たちの意志と行動にかかっています。
 十五年近く続いたデフレ。その最大の問題は、日本人から自信を奪い去ったことではないでしょうか。しかし、悲観して立ち止まっていても、何も変わらない。批判だけを繰り返していても、何も生まれません。
 「日本国民よ、自信を持て」
 戦後復興の礎を築いた吉田茂元総理の言葉であります。
 昭和の日本人に出来て、今の日本人に出来ない訳はありません。私は、この議場にいる全ての国会議員の皆さんに、再度、呼び掛けたいと思います。
 全ては国民のため、党派の違いを超えて、選挙制度改革、定数削減を実現させようではありませんか。憲法改正に向けた国民的な議論を深めていこうではありませんか。
 そして、日本の未来を切り拓く。そのために、「戦後以来の大改革」を、この国会で必ずや成し遂げようではありませんか。
 今や、日本は、私たちの努力で、再び成長することができる。世界の真ん中で輝くことができる。その「自信」を取り戻しつつあります。
 さあ皆さん、今ここから、新たなスタートを切って、芽生えた「自信」を「確信」へと変えていこうではありませんか。
 御清聴ありがとうございました。
(引用終わり)
 
 この部分については、出来れば動画も視聴することをお勧めしたいですね。ただし、政府インターネットテレビの方では音が割れて何を言っているのかほとんど不明ですから(少なくとも私のパソコンでは)、衆議院インターネット審議中継の方をお勧めします。
 安倍氏が「~ではありませんか」と見得を切る箇所の原稿には、多分大きな字で「議場から万雷の拍手とかけ声」というト書きが書き込まれているのでしょう。
 とにかく「気色が悪い」の一言ですが、それだけでは感想というにはやや不足かと思いますので、あと一言、二言。
 
 「日本は、私たちの努力で、再び成長することができる。世界の真ん中で輝くことができる。」とあります。別に日本が輝いてもいいのですが、世界の他の国々と横並びで輝くだけでは不満なのか?なぜ「世界の真ん中で」輝かなければいけないのか?ということについての説明が一切ありません。
 グローバル化の進展、格差社会の進行、巨大な財政赤字、歯止めのきかない少子化は、全て関連し合った問題であって、景気の良いかけ声を吹きまくれば効果があらわれるというようなものではないでしょう。香具師の手口と言うしかありません。
 
 ただし、「『戦後以来の大改革』を、この国会で必ずや成し遂げようではありませんか。」とぃう以上、本通常国会に「戦後以来の大改革」法案を出そうというのでしょうから、普通に考えれば、それは5月連休明けに出てくると言われる「戦争立法」以外のものとは考えられません。
 経済、復興、社会保障、教育、地方、女性など、戦後70年の歩みの中で、それなりの改革の努力を(主として自民党政権が)積み重ねてきたのでしょうから、それを超越するような「戦後以来の大改革」を行うなどと言えば、自民党の先人たちに対する冒涜でしょう。
 とすれば、もしも実現すれば「戦後以来の大改革」と言えるのは、戦後一貫して「戦争しない国」であり続けた日本を「戦争する国」に転換させる「戦争立法」しかあり得ません。
 
 そして、最後に「憲法改正に向けた国民的な議論を深めていこうではありませんか。」について。
 これも何度も書いてきたことですが、総理大臣に憲法改正を目指すような権限は憲法によって与えられていません。
 逆に、総理大臣その他の国務大臣には、明確に憲法尊重擁護義務が課されています(日本国憲法99条「 天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」)。
 ただし、国会議員には、各議院に憲法改正発議権が付与されていることから、憲法改正を論ずる権限が認められているというまでです。
 内閣総理大臣国会議員ではありますが、施政方針演説というのは、内閣を代表して(内閣総理大臣として)行う行政活動そのものであって、その演説の中で憲法改正に意欲を示すことなど、法論理的には「あり得ない」ことです。
 もっとも、立憲主義を「王権が絶対権力を持っていた時代の主流的な考え方」という珍妙な学説(?)を国会で披露した人物に、施政方針演説で憲法改正に意欲を示すことが憲法論的にどのような意味を持つのかわきまえて欲しいと求めることなど、不可能を強いることだとは思いますが。
 
 今日は、2月12日の施政方針演説の本体部分ではなく、冒頭と末尾の一部について若干の感想を述べてみました。
 これだけでも、非常に問題があることがお分かりいただけたのではないかと思います。 施政方針演説本体については、文章のあれこれを批判する時間があれば、今後の国会での具体的審議に注目した方が建設的だろうと思います。