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会見詳録で読み直す保阪正康さん「昭和史から何を学ぶか」

 今晩(2015年2月25日)配信した「メルマガ金原No.2012」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
会見詳録で読み直す保阪正康さん「昭和史から何を学ぶか」

 誰に頼まれた訳でもないのに「毎日配信(メルマガ)」「毎日更新(メルマガを転載するブログ)」を
続けていると、「手を抜く」という訳ではないものの、「昨日の疲れが残っているので」「短く済ませた
い」日というのがあるものです。
 今日がまさにそれで、昨日
「山城博治氏らは何を根拠に米軍に『身体拘束』され沖縄県警に『逮捕』されたのか?」を書いた疲れがとれません。
 
 とはいえ、ご紹介するコンテンツ自体は、きっとお役に立つものと思います。
 昨年10月7日、保阪正康さんが日本記者クラブで行った講演の模様は、その翌日すぐにメルマガ(ブ
ログ)でご紹介しました。
 
2014年10月8日
保阪正康氏が語る“戦後70年”と次世代に伝えるべきこと
 
 その内容を文字化した「会見詳録」が日本記者クラブのホームページにアップされていましたので、その動画と併せてご紹介したいと思います。
 動画を視聴することも意義深いものですが、文字化されたものを「読む」ことによってより明確な理解に達する
ということもあるだろうと思います(時間の短縮になるという副次的な効果もあります)。
 
動画 作家・保阪正康氏 「戦後70年 語る・問う」②  2014.10.7
 
 
 是非、詳録の全文をお読みいただきたいと思いますが、以下に、「私たちは太平洋戦争から何を学んでいるかということを次の世代に伝えていく役割があると思います。」として、3つの「教訓」を語られた冒頭部分をまず引用します。
 
(引用開始)
 私個人のことで言えば、太平洋戦争が教えていることは3点に絞られると思います。それは、政治、思
想に全く関係がなく、誰が見てもこの3つだけは共通の理解としてつないでいかなければいけないと思い
ます。
 1つ目です。政治と軍事の関係です。軍事が政治を従属化してコントロールしました。政治が軍事をコ
ントロールするのは、20世紀のシビリアンコントロール。どの国もそうでした。民主主義体制のアメリカ、イギリスは言うまでもなく、ヒトラースターリンでさえも、文官ですから、軍事をコントロールしま
した。つまり、政治が軍事をコントロールしました。
 反して、私たちの国は軍事が政治をコントロールしました。軍事が政治をコントロールするという、こ
れは統帥権という言葉で語られます。この異様さ。つまり、日本の太平洋戦争は、軍事が政治をコントロールして抑圧した中で行われた。とすれば、当然ながら日本の軍人はどういう教育を受けて、どういう物の考え方をして、どういうような歴史観を持っていたのか、というのが検証されなければいけません。そこに至って、やっと政治とか思想の問題が入るのかなと思います。私たちの国の太平洋戦争の決定的な誤
りの一つは、軍事が政治を支配下に置いたということです。
 2つ目です。特攻作戦、玉砕という、どの国も選択しないような作戦行動を戦略・戦術として採用した
ということ。これは、十死零生のこういった作戦を平気で行った軍事指導者たち、その責は重いと思いま
す。その責を私たちは深く批判し、そして検証して、次の世代へ伝えていかなければいけない。
 しかし、これは政治とか思想の問題ではないかわりに、文化とか伝統の問題です。私たちの国はそれほ
ど命を粗末にし、江戸時代から含めて日本の共同体の中に、こんなむちゃくちゃな特攻作戦や玉砕を許容する、そういう戦術を許容する文化的風土はなかったはずです。それが、こういう作戦を平気で採用したとするならば、近代そのものの受け入れの中に、日本の指導者たちの体質があったということ、これをや
はり徹底的に批判しないと。政治や軍事の側で批判するのではなくて、文化や伝統の側で批判する。
 いまに至るも、特攻作戦や、あるいは玉砕を、ある意味で言えば美化する向きもあるけれども、特攻に
行った人たち個々に私はそれぞれの思いはあります。しかし、戦略・戦術として、こういう採用をした太平洋戦争は、私たちの国の文化や伝統に反するという一点で批判しなければいけないと思います。それが2
つ目です。
 3つ目は、20世紀の戦争はルールがありました。どのような形であれ、ルールのもとで行われました。
特に第一次世界大戦が科学技術の発展等によりあまりにも悲惨な状態に陥ったために、ルールをつくった。例えば捕虜の扱いをめぐったルールがあった。捕虜の扱いは1907年、早くからあったにしても、いろいろな形でルールがあった。パリ不戦条約を含めてあったにもかかわらず、私たちの国は残念ながらそういう国際的ルールを無視した。ルール無視の戦争をやった。そのことは私たちの国の、やはり20 世紀最大の恥ずかしさだと思います。戦争がいい悪い以前の問題として、ルールなき戦争をやったことで、この国の
体質とか歴史が問われるということ。それは問われても仕方がないと言えるのです。
 この3つ、軍事が政治を支配したこと。特攻作戦や玉砕という日本の文化や伝統に反する戦略・戦術を
用いたということ。国際的ルールに反したということ。守らなかったということ。この3つは、私は太平洋戦争の反省点だと思います。教訓だと思います。この教訓をもって次の世代に伝えていくということが
大事かなと思います。
 戦後70年というのは、誰がどのような意見を持とうが自由ではありますけれども、それぞれがこの70
年の空間の中で何を学んだのかを次の世代へ伝える、伝えるべき学んだことを継承していく、そのための踏み台だったとも考えていいのではないかと思います。この3つのことを言いたいということが私の話の
前書きなのです。
(引用終わり)
 
 あと2箇所ばかり引用したいと思います。
 1つは、前回私のメルマガ(ブログ)で取り上げた際にもご紹介しましたが、戦後70年を振り返る意
義と現政権の謙虚さの欠如について語られた部分です。
 
(引用開始)
 私たちは、なぜ戦後70年と言うか。それは実に簡単で、70年という空間は、私たちにとって、たかが3
年8カ月。たかがという言い方は誤解を生むと困ります。3年8 カ月の時間帯。中国との戦争を入れると7年。満州事変から数えると14年。この昭和の14年。特に中心になるのは7年。これが70年たって、いまもやはり戦後として総括し切れていないということですね。このことが、やはり、なぜ70年と言うのだろうということを、基本的なところで考えなければいけないと思
います。
 「戦後70年」を語り継いでゆく70年というのは、くどいですけれども、日露戦争のとき、70年たって1975年のとき、日露戦争の70年だよというとき、誰が生きていて、どの人がどうだなんて考えてもいない。しかし、いま70年というと、あの戦争に行ったときのあの人たち、20歳で行った人が90歳なんだよなとか。この70年というのは何だったのかということですね。この70年をなぜ「戦後70年」と言い続けるのだろうということを考えないことは、歴史に対して不謹慎過ぎると思います。私たちの国は戦後70年と言わなければいけないほど、考えざるを得ないほど、あの戦争の中に多くの禍根、未成熟な、近代人足り得ていなかったシステムなど、いろいろなものを抱えていたということですね。だから70年ですね。簡単にほいと捨てていい70年ではないということなのだと思います。
 これは、くどいけれども、こうやって70年語り継いでいる私たちの国は、ある意味で誠実なのだと思い
ますね。誠実だから、やはり合わせ鏡のように、真ん中に鏡を立てて、こっち側の7年あるいは、3年8カ月が、70年もの時間帯で相似形をなしている。時間ははるかにこっちは大きい。しかし質的にはそれに匹敵するような、私たちに突きつけている問題があるのだ。というふうに考えなければ、この70年は全く
の徒労でしかない。むだな時間になる。
 あまり現政権を批判したくはないけれども、現政権の最大の問題点は、この70年に対する謙虚さがない
ということだと思いますね。謙虚さがないということは、この70年の前の3年8カ月をきちんと検証する
という気があるのかということを問いたいと思います。
 伊東正義とか、後藤田正晴とか、宇都宮徳馬とか、自民党の保守政権のかつての人たち、はどれほど謙
虚に、あの戦争を分析し、保守政治の中に取り入れていったか。ということに対して、私たちは徹底的に学ばなければいけないと思いますね。そういう学びが70年のはずなのです。それが全くない。「何なんだ、これは」というふうに言いたくなるのですが。言いたくなるのも、むべなるかなというふうに思ってほ
しいと思います。
(引用終わり)
 
 最後の引用は、現憲法について触れられた部分からです。
 
(引用開始)
 いまの憲法を「平和憲法」と言ったり、「平和団体」と言うことに対して、かなり批判的です。平和憲
法とか平和団体というような言い方は、傲岸不遜きわまりない。平和憲法は、努力目標です。いまの憲法は「非軍事憲法」です。軍事憲法から非軍事憲法に移行したのですね。だから非軍事を徹底的に貫くというのが趣旨です。とはいえ、現実の中で非軍事は貫けない。それが、ある種の有事のときにどうするのだというようなことがあって、非軍事憲法を手直ししていかなければいけない、というのが、戦後70年の歴
史の中にあります。
 それはしかし、平和憲法と最初に言ってしまったために、これを守る以外になくなってしまった。平和
憲法を守る以外になくなってしまったために、恐るべきほどそういった発想、考え方が疲弊化する。
 安倍さんの戦後レジームの清算は、それほど強い言葉で言う必要はないと思いますが、ある意味でそこ
のところをうまく突いてきていると思いますね。
 平和憲法と言った人たちの保守化。動きがとれなくなったしまった。非軍事憲法から平和憲法へ行くた
めには時間と空間が必要です。そういう努力をしたのか。そういう努力をしないで、平和憲法と言っていれば、何か役割が済んだような。そうではないだろうと考えを持ちますね。だからあえて言えば、平和憲法ではない。非軍事憲法だという意味で、この非軍事憲法平和憲法という努力目標に近づける努力を私たちはしていかなければいけない。けれども、その努力を初めから放棄している戦後、それは何なのか、
ということを言いたいですね。
(引用終わり)
 
 いわゆる「従軍慰安婦」問題についての言及も含め、何から何まで同意できるということにらなくて当然ですが、歴史に対する向き合い方をこそ、私たちは保阪さんのお話から学ぶべきなのだろうと思います
 
 なお、一々はご紹介できませんが、日本記者クラブの会見詳録には、非常に興味深いものがたくさん集積されています。
 一度、どんなものがあるのかと、調べてみられることをお勧めします。
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2014年12月9日
※2014年10月16日に「立憲フォーラム」と「戦争をさせない1000人委員会」が主催する院内集会の講師として招かれた保阪正康さんの講演映像をご紹介したものです。
 
「しかし私たちの国は、世界で唯一、歴史修正主義が権力を持ってるんですね。権力と一体になってるんです。NHKの3人の安倍さんによって送り込まれた経営委員を見てください(金原注:会長と2人の経営委員という趣旨かもしれません)。彼らはまさにその典型ですね。私たちは、安倍さんの歴史観というのは、歴史観じゃなくて、それは歴史をですね、政治のツールに使ってるってこと。道具に使ってるってこと。そのことはきちんと見極める必要がある。そして、世界に恥ずかしい状況である。歴史修正主義が公然と権力と一体化しているっていうこと。だから安倍さんは、『侵略には定義がありません』って言いますね。そんなこと、東京裁判見てください。第一次世界大戦の裁判記録読んでください。パリ不戦条約見てください。そんなこと、いっぱい資料見れば分かるし、現に、安倍さんが『侵略に定義がない』って言った時に怒ったのは、アメリカの上院の共和党の保守派ですね。『じゃあ、真珠湾は何だったんだ』っていうことで。つまり、そういったゆがんだ歴史観というのはですね、それぞれの国に全く信用されていないということ。で、このことをですね、私たちはやっぱりきちんと知るべきだと思うんですね」(24分~)