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「ドイツ脱原発の旗」のその後と梶村良太郎さんからのメッセージ

 今晩(2015年3月15日)配信した「メルマガ金原No.2030」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
「ドイツ脱原発の旗」のその後と梶村良太郎さんからのメッセージ

 毎週金曜日の午後6時から1時間、雨が降っても、雪が降っても(和歌山でも雪が降ることもあるのです)、凍えるような寒さでも、関西電力和歌山支店前に集まり、静かに脱原発をアピールし続ける人々がいます。
 私自身、多忙にかまけてほとんど参加できないことを申し訳なく思っていますが、その関電和歌山支店前アクションの初期の頃からの参加者で、本年1月に逝去された金田輝久さんが、その死の直前に息子さんの住むドイツから持ち帰った「脱原発の旗」については、西郷章さんから『ドイツ脱原発の旗に願いを込めて』という感動的な文章を寄稿していただき、私のメルマガ(ブログ)でご紹介させていただきました。
 
 
 金田さんが持ち帰ったその旗は、その後も、多くの人の脱原発にかけた思いを載せて、和歌山で、そして福島で翻っています。
 
金田さんの旗1 まず、3月8日(日)には、和歌山城西の丸広場で開催された「フクシマを忘れない!原発ゼロへ 和歌山アクション2015」に奥様の金田則子さんとともに登場し、全体集会で西郷さんから、この旗が持ち帰られた経緯が紹介された後、奥様から集会実行委員会の東山邦夫委員長に旗の伝達が行われ、その後実施されたアピールパレード(原発さよなら行進@和歌山vol.7)に、高浜原発再稼働阻止を訴えるこの日の集会用の横断幕や、アーティスト増山麗奈さんが全体集会でのアクティブペインティングで仕上げたばかりの作品などとともに、則子さんと関電和歌山支店前アクションの仲間が持ったこの黄色い旗も参加したのでした。
関電前2 1時間近いデモ行進の中頃、隊列が関西電力和歌山支店前に差しかかる直前、金田輝久さんの遺志や長年アピールを続ける関電和歌山支店前アクションの参加者に敬意を表するため、金田さんの奥様の持つこの旗が隊列の先頭に立って関電前を行進しました。天上の輝久さんはこの光景を見てくださっていたでしょうか。
 
 3月8日「フクシマを忘れない!原発ゼロへ 和歌山アクション2015」での「ドイツ脱原発の旗」を撮影した写真のうちの何枚かは、私のFacebookタイムラインに投稿しています。
 

 そして、次にこの旗が向かったのは、福島県郡山市でした。
 福島県では、あくまで3月11日にこだわる「3.11反原発福島行動実行委員会」主催による集会が毎年行われており、今年も郡山市民文化センターを会場として全体集会が開かれ、その後、JR郡山駅までのデモ行進が行われました。
 和歌山からは、昨年に引き続き、西郷章さん(和歌山市)や寺井拓也さん(田辺市)が参加されたのですが、金田さんが持ち帰られた旗も和歌山から同行して郡山で翻ることになりました。
 「3.11反原発福島行動」ホームページに掲載された記事の中に、その旗を持つ寺井拓也さんの写真がありました。
 
3.11カウントダウン⑤全国から現地入りぞくぞく
※集会の前日(3月10日)、雪が舞い散る郡山駅前に全国から集まった人々の中に、寺井拓也さんの手に持たれたあの旗が!写真の上から2枚目と3枚目がそれです。3枚目の写真で寺井さんと一緒に写っているのは椎名千恵子さんでしょうか?
 
 また、3月11日当日の朝、郡山駅頭でこの旗の来歴をアピールする西郷さんの様子を撮影した動画があります。
 
 
 その後、この旗は大会会場の郡山市民文化センターから郡山駅までのデモ行進の隊列に参加しました。ちらっとですが、その旗が翻るのが見られる動画がありました。7秒~に歩きながら携帯用アコーディオンを弾く西郷章さんの姿があり、1分~、持ち手の姿はよく分からぬながら、「ATOMKRAFT?NINE DANKE」の旗が行進しています。
 
 金田さんが持ち帰った旗は、これからも、脱原発を願う人々が集う様々な場所に掲げられることでしょうが、ここで、そもそもこの旗を金田輝久さんに譲り渡してくださったドイツ在住の梶村良太郎さんからのメッセージをご紹介しようと思います。
 西郷章さんが書かれた『ドイツ脱原発の旗に願いを込めて』という文章を紹介した私のブログは、ドイツ在住の金田さんの息子さん(真聡さん)やその友人の梶村良太郎さんも読んでくださったようで、金田さんの奥様を通じて、梶村さんから、私と「和歌山で(脱原発の)運動をされている皆さんへの応援のメッセージ」が届き、「仲間のみなさんにお伝え頂ければ幸いです」ということでしたので、私と仲間とを繋ぐこのメルマガ(ブログ)でご紹介することとしました。
 メッセージをPDFファイル化したものはこちらから読めます。
 
 以下に、梶村良太郎さんからのメッセージ全文を転記します。 
 
 
金原様
初めまして、金田真総さんの友人の梶村良太郎と申します。
旗の件をブログで紹介していただき、ありがとうございます。少し遅いかもしれませんが、真総さんから聞いて、金原さんと和歌山で運動をされている皆さんへの応援のメーッセージをしたためました。仲間の
皆さんにお伝え頂ければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
梶村 良太郎
 

皆様
 
初めまして、ドイツのベルリンに住む梶村良太郎といいます。ドイツに生まれ育ち、今は再生可能エネルギーを推進するための団体に勤めています。ブログでもすでにご紹介いただきましたが、昨年の暮、今は亡き金田輝久さんが最後のドイツ旅行から持ち帰った反原発の旗は、私が差し上げたものです。
 
金田さんはベルリンで共に頑張っている友人の父親であり、その思想や活動ぶり、意志の強さは常に彼を通じて聞かされていました。そして昨年の暮にはベルリンを訪れた金田さんご夫妻にお会いし、ドイツの脱原発のこと、皆様が和歌山で活動されている様子など、短時間ながら多くのお話をさせていただきました。そんな折、金田さんはこの「Atomkraft? Nein Danke(原子力?ノーサンキュー)」のロゴが入ったグッズを、地元の反原発デモのために持って帰りたいと話されていました。私は自宅に置いてあったあの旗を思い出し、後日、金田さんの息子さんを通じて差し上げた訳です。
 
赤い太陽に笑顔のデザインは、1975年にデンマーク反原発活動から生まれたそうです。一見、闘争の旗に笑顔は不似合いに見えますが、「原子力?」の問いかけにフレンドリー且つきっぱりと「ノーサンキュー」と答えるあたりに、かえって決意の強さを窺い知ることができると思います。その秀逸さもあってか、デザインは瞬く間に各国に広がり、ドイツの反原発運動にも浸透していきました。ドイツの運動は徐々に勢力を増し、三十数年をかけて州の政府、そして中央政権にも反原発運動出身者が参加するようになり、現在の脱原発につながっていきます。そんな息の長い、世代を超えた流れを、あの笑顔はずっと見守ってきたような気がします。そして、それはまぎれもなく、活動を続けてきた市民が産んだ流れです。
そんな旗が少しでも、和歌山で活動を続ける皆さんの力になればと思い、生前の金田さんに託しました。
応援しています。頑張ってください。
 
梶村 良太郎
 

(付記その1)
 梶村良太郎さんは、自然エネルギー財団が運営するサイトの中の連載コラム「ドイツエネルギー便り」の寄稿者の1人ですが、そこに掲載されたプロフィールをご紹介しておきます。
「梶村良太郎(かじむら・りょうたろう)1982年、ドイツ・ ベルリン生まれ。ビーレフェルト大学大学院メディア学科卒。現在、再生可能エネルギーの情報発信を専門とするNPO、Agentur fur Erneuerbare
Energien(ドイツ再生可能エネルギー・エージェンシー)に勤務。」
 梶村良太郎さんがこのコラムに寄稿された論考2編をご紹介します。
2014年7月11日
ドイツの「再生可能エネルギー法」見直しは成功の証

2014年9月16日
24年目の快挙と、これから先

 また、先のブログでもご紹介しましたが、金田真聡さんが法政大学建築同窓会サイトに寄稿している「金田真聡のドイツ・ベルリン建築通信」の第9回「なぜドイツは、エネルギー転換を決断することができたのか」が、梶村良太郎さんへのインタビューとなっていますので、再度ご紹介しておきます。
 
(付記その2)
 梶村良太郎さんのお父様であるフリージャーナリスト・梶村太一郎さんのブログ「明日うらしま」は、私を含め、多くの日本人が貴重な情報源としてお世話になっているサイトですが、その最新記事(実に豊富な写真付き)は是非皆さんにも読んでいただきたいと思います。
2015年3月8日
296;ベルリンで元気なフクシマ事故4周年の脱原発デモ;メルケル首相も訪日を前に「日本も脱原発と再生エネルギーの道を歩むべき。安全が最高の戒律」とメッセージ