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追録・「慰安婦」問題に立ち向かう「強い意志」~大沼保昭氏と朴裕河氏「議論の両極化に抗して」(2/23動画と会見詳録)

 今晩(2015年3月29日)配信した「メルマガ金原No.2044」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
追録・「慰安婦」問題に立ち向かう「強い意志」~大沼保昭氏と朴裕河氏「議論の両極化に抗して」(2/23動画と会見詳録)

 今日お送りするのは、去る3月1日に配信した記事の「追録」です。
 まず、3月1日に書いた文章の冒頭部分を再掲します。
 
2015年3月1日
「慰安婦」問題に立ち向かう「強い意志」~大沼保昭氏と朴裕河氏の会見(2/23日本記者クラブ)を視聴して
(引用開始)
 去る2月23日(月)、日本記者クラブにおいて、大沼保昭明治大学特任教授(東京大学名誉教授)と朴裕河世宗大学教授を招いた会見が開かれました。
 大沼保昭(おおぬま・やすあき)氏は、著名な国際法学者であり、また、アジア女性基金理事として、いわゆる「従軍慰安婦」問題に長年取り組まれてきた方です。
 また、朴裕河(パク・ユハ)氏は、日本文学研究のかたわら、いわゆる「慰安婦」問題についても積極的に発言し、また最新の著書『帝国の慰安婦』(日本版は昨年刊行)に対し、「ナヌムの家」の元「従軍慰安婦」から出版差止等が提訴されたということで話題となりました。
 このお2人の「慰安婦」問題についての見解・立場が必ずしも一致している訳ではないということは、以下にご紹介する会見動画を視聴すれば明らかですが、それにもかかわらず、このお2人が一緒に招かれたのは、日韓両国のいずれにも存在する、左派と右派というか、リベラル派と民族派というか、そのような極端な教条主義的見解とは一線を画し、様々な立場の者が参加した議論の機会を保障し、たとえ非常な困難が予想されるとしても、解決に向けた道筋を見出そうという姿勢に共通点があるということではないかと、私は、日本記者クラブ企画委員の意図を推測しているのです。
(引用終わり)
 
 上記ブログに、お2人の意見を知るための著書や参考サイトを紹介しておきましたので、ご参照いただければ幸いです。
 
 今日お届けする「追録その1」は、記者会見の模様を伝える別動画です。3月1日の時点では、日本記者クラブの公式サイトを探しても動画を見つけることができなかったため、ビデオニュース・ドットコムが撮影・配信していた動画をご紹介したのですが、その後(3月2日に)日本記者クラブ公式YouTubeチャンネルに動画がアップされていましたので、あらためてご紹介することとしました。
 
大沼保昭 明治大学特任教授、朴裕河 世宗大学教授 「慰安婦問題を考える」 2015.2.23
 

 「追録その2」は、会見の模様を文字起こしした「会見詳録」です。
 日本記者クラブにおける記者会見や研究会の全てについて「会見詳録」が作成される訳ではなく、それなりに重要度の高いものが選択されているのだろうと推測しますが、その内容を振り返り、検討するためには、やはり「会見詳録」の有用性は非常に高いものがあります。
 また、詳録の作成にあたっては、当然、講話者ご本人による校正を経て、細かな言い間違いなどは訂正されているでしょうから、その意味でも、価値が高いと思います。
 既に動画を視聴された方でも、是非、「会見詳録」をお読みになれば、また新たな発見があるのではないかと思います。
 
日本記者クラブ 研究会「慰安婦問題を考える」 2015年2月23日
議論の両極化に抗して 会見詳録
大沼保昭 明治大学特任教授/朴裕河 世宗大学教授

(抜粋引用開始)
大沼保昭 今日は、日韓の枠組みで慰安婦問題を考えて、その中で、いま話題になっている朴裕河さんが来られるのでお集まりになっている方が多いとは思いますが、慰安婦問題を日韓の枠組みの中で考えるということ、それ自体を少し考え直してみませんか。
 繰り返し申しあげましたように、元慰安婦は日本にもおりますし、インドネシアにも、中国にも、フィリピンにも、台湾にも、オランダにも、いろんなところいるわけですね。韓国の慰安婦は、そのごく一部でしかない。まずその根本がある。
 慰安婦問題を日韓問題として考える限り、現在の韓国のメディアのあり方、また韓国の朴大統領の姿勢からしても、今年の 6 月なり 8 月までに日韓の間で政府間の合意ができるかどうか、できたとしても、一体どういう合意ができるかということについては、正直、楽観的になれません。そのためのアドバイスを下さいと言われても、私にはその能力はないと答えるしかありません。
 他方で、慰安婦問題を、日本の先輩たちが犯してしまった罪を戦後の日本国民が総体としてどう受けとめて、それにわれわれがどういう姿勢で向かいあい、次の世代にそう恥ずかしくはない日本を手渡していく、そういう発想をするのであれば、話は少し違ってくるだろう。韓国が満足しようが、満足しまいが、それは二義的であって、第一義的に日本自身の問題であるわけです。
 私は、これは昔から言っていることですし、実際にほとんど実現可能性はないと思いながら現在も言い続けていることですけれども、問題の解決ということを考える際には、ブラント西独首相(当時)がワルシャワ・ゲットーでひざまずいた、あの行為というものを考えないわけにはいかない。
 ブラントのあの行為は、当時の西ドイツ国内でかなり激しい批判、非難を受けた行為といわれています。決して最初からもろ手を挙げて賛成されたわけではない。しかし、ヴァイツゼッカーの名演説もさることながら、私はブラントの、まさにあの行為が「戦争責任に向かい合う戦後のドイツ」というイメージをつくりあげたと思います。
 慰安婦問題について、日本が過去に犯した問題がいま不当に理解されている、そういう部分があることは間違いありません。欧米のメディアを含めた世界のジャーナリストが日本の報道を公平にやっているとは、私は必ずしも思っていません。諸外国の報道、理解に不当な要素があることは間違いない。それを本当に覆したい、日本の名誉を回復したいと思うのであれば、ブラントがやったような象徴的な、非常に印象に残る行為を日本の政治指導者がやるべきでしょう。そうした行為をなすべき主体は、総理か、せいぜい外務大臣であって、日本大使ではありえない。
 日本が国際社会において、名誉ある地位を占めるということを本気で考えるのであれば、そういうことを考えるべきだし、またメディアの方々も、そういう形で日本政府への要求を突きつけるなり、自分たちの論陣を張るべきだろうと思っています。
 私の話は以上です。ありがとうございました。
 
朴裕河 こういうことが長く続いた結果として、みんな嫌になっていますね。私も嫌になっています。そうした状態を引き起こすのは一種の嫌悪感情ですが、解決のためには、それにあえて打ち勝つ必要があると思います。それに続く諦めの感情を乗り越える必要があると思います。
 それはなぜかというと、このままだと次世代に、いまのような状況を引き渡すことになるからです。そうならないように、やはり大人である以上、みんなでやるべきこと、やれることをやるべきだと思います。つまり、関係回復への意志、これがかなり消えているように思います。
 90 年代にはあった、そういった気持ち自体が消えているように思います。それは日本でも韓国でも一緒ですね。
 そこで、必要になるのが市民の力。もう私は政治家にあまり期待していません。先ほど、政治家の役割だけでは解決にならないかもしれないというふうに話しましたが、悪化してしまった感情の回復に向けて、できることをやるべきだと思います。
 具体的な方法として、私は 2 つを提案しました。
 1 つは、今年すぐにできるとは思っていませんけれども、国会決議が必要だという提案です。
 それは 3 つの意味があります。
 1 つは、先ほど大沼先生がおっしゃってくださった国民基金のやり直しです。アジア女性基金は民間基金と言って批判されました。国会決議となれば、今度は、国民の代表となっている国会議員が関与することになります。当然ながら、左も右も入ることになります。そういった構図が必要だということです。
 2 番目ですが、2007 年以降、アメリカ議会を初めとして欧米での(慰安婦問題に関連した)日本批判の決議が相次ぎました。それに対して、日本は、私が知る限り、公式には一度も答えていません。日本からの何らかの応答が必要だと思います。国会決議で批判的応答ができるはずです。
 3 番目ですが、パラダイムチェンジを示すという意味です。これは私が書いた本の最も重要なことでもありますが、これまで慰安婦問題は戦争犯罪として考えられてきました。もちろんそのとおりではあります。しかし、そこで忘れられていることがたくさんありました。韓国は、戦争犯罪として被害者になったわけではありません。言うまでもなく、占領地になり、植民地となった結果での動員でした。そういった帝国とはどういうものかということをいま一度考えてみるべき、というのが私の考えです。
 今年は戦後 70 年という年になるわけですけれども、戦後日本という枠組み、それから、その中で守られてきた価値を私は高く評価しています。その価値をこれからも守ってほしいと、隣国の一人として思っています。
 ただし、その中で、やはり植民地支配をした、もっと具体的に言えば、領土拡張への一種の欲望があった。「支配」とはどういうことなのか、に対してきちんと考えることを、日本は国民レベルでしてこなかったと思います。もちろん思想家とか、いろんな人がいろいろ考えてきましたが、反戦ほどには、反支配、反帝国、反植民地支配といった概念は定着していないというのが私の思いです。
 そういったことを考えることによって、もともと帝国主義を始めた西欧諸国にもいえることがあると思います。
 私が強調したかったのはいろいろありますが、そういった枠組みのつくり直しが、慰安婦の方たちの、とても複雑な身体の持つ意味を根本的に考える道につながるというのが、私がこの本に込めた思いでした。
 長くなって済みません。以上です。
(拍手)
(引用終わり)