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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

「原発がこわい女たちの会ニュース」第93号が届きました

 今晩(2015年4月2日)配信した「メルマガ金原No.2048」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発がこわい女たちの会ニュース」第93号が届きました

 「原発がこわい女たちの会」松浦雅代さんから、同会ニュース第93号をお送りいただきましたのでご紹介します。
 掲載記事は以下のとおりです。
 今号も、読み応えのある貴重な原稿が揃いました。
 是非じっくりとお読みください。
 
巻頭記事 原発5基が廃炉になる。
原発がこわい女たちの会28年のつどい 佐藤栄佐久氏講演会
命ど宝(橘柳子氏寄稿)
福島のお百姓・根本洸一さんをお迎えしてお話を聞く機会がありました。(付・鈴木静枝さん訪問記)
小出裕章さん 今年3月末で京都大学原子炉実験所を退官
お知らせと編集後記
 

原発がこわい女たちの会ニュース NO93号・2015年03月29日発行
事務局〒640-0112和歌山市西庄1024-15 TEL&FAX:073-451-5960松浦雅代方
原発がこわい女たちの会ブログ 
http://blog.zaq.ne.jp/g-kowai-wakayama/
原発5基が廃炉になる。

 ○日本原電敦賀一号(運転年数45年) 
 ○関西電力美浜一号(運転年数44年)、美浜2号(運転年数42年) 
 ○中国電力島根1号(運転年数40年) 
 ○九州電力玄海1号(運転年数39年)

廃炉は、経営的には当然だ。国が会計制度などのルールを変え、経営的にはノーリスクになった。国の保護策があっての判断だ。原子力に依存してきた会社は、採算が合う原発を生きながらえさせようとするだろう。電力自由化にする以上、保護策は取り払うべきだ。」(朝日新聞2015/3/18・大島堅一立命館大学教授)
 2014年4月の自民党政府のエネルギ―政策は、その後も具体的な論議はさけて来ました。「原発依存度については可能な限り低減させる」と言いながら「原発は重要なベースロード電源」としています。この中で具体化した廃炉。このあとも廃炉が続くことを願います。
 学術の立場から国に政策提言など行う日本学術会議が、原発から出る「核のごみ」対策を政府と電力会社が明確化することを原発再稼働の条件にすべきだとする政策提言をまとめている。(そのような対策もなく原発を再稼働することは)「将来世代に対する無責任」と批判しており、新増設も容認できないと強調しています。(共同通信2015/2/15)
 福島原発事故は何も収束していない。避難者は約12万人のまま、仮設住宅に放置されている人たち。汚染水もコントロールされていません。 このような中で、再稼働は許してはいけない。
 

原発がこわい女たちの会28年のつどい
佐藤栄佐久氏講演会「原発問題と地方の論理」
◎日時5月10日(日)14:00~
◎場所あいあいセンター6階・センターみらい/参加費500円
チラシとチケット同封します。
(金原注)
 元福島県知事・佐藤栄佐久氏の講演会については、私のブログでも詳しく紹介していますのでご参照く
ださい。
 

命ど宝     2015・3・11 本宮にて  橘 柳子
 
 もう?又の再びの3.11だ。「時のたつのは早いというけれど」その時とは何をさしているのだろうか。東日本大震災東京電力福島原発事故で強制避難により故郷を追われた避難の民はその中味と思いは千差万別である。私個人に限って言えば長くもあり短くもある。そのようなことよりも、人々の心が福島を離れてはいないだろうか。わあーこわい、もう―?とおもうとき、心が波立つ。
 2011・3・11の状況と避難経路は「忘れてしまいたい」と思う人々と「いや忘れてはいけないし、後世の人たちにつたえていかなければ」と考える人。そして「どっちでもいいじゃん」と心の中で思い、黙っている人、その他かな…?じゃ「お前は」といわれれば、忘れてはいけない、苦しくとも語るべき、伝えるべきと考える一人である。そんな中で思いを共有しようとしてる方と出会うことは励みである。
 遠い和歌山から放射能測定器持参で福島を訪れ状況を伝えてくださる松浦さん。その彼女の悩みは、測定器がはげしく反応する福島と反応もなく数値の低い和歌山で、原発と被害そして課題をどう語ればいいのかと思いあぐねるという。加えて人々の関心度もあるのだろう。事故当時と現在の人々の心の推移は不安を感ずる。福島は自宅に一時帰宅する時、今でも測定器をもち、首からはガラスバッジ下げる。でもほとんどの避難者は「そんなことしてもなんにもならない」と心の中で思ってる。仮設住宅周辺も含め、周りのモニタリングポストの変化も横目でみて、そのことは話題にしない。何故って?機器自体を信じられなくなってきているからだ。来仮する人々が持参する機器の数値を見て、その違いを考えているからだ。本物はなにかと…?一方4年間仮設住宅で生活した人々が業を煮やして新たに自宅を建設。あるいは中古家屋を購入、転居を開始。狭い仮設では我慢も限度。もう待てないのだ。
 復興のかけ声は声だけでじぶんたちのところには届かないと思いはじめている。各市町村の行政は努力はしているが、復興住宅はわずかしか建たない。何故って人員も資材もすべて不足である。何故不足しているかも解っている。
 国に抗議したら、答弁席からヤジを飛ばしても、メディアも世論も沈黙を決め込むのも解ってるからに他ならない。でもでも「沈黙は金なり」等と云って黙ってる時だろうか。時々の経過は心を静めるどころか、表現しがたい不安と疑念が澱のようにたまってくる。このような時、「命ど宝」の沖縄のことばが浮かぶ。日本の命は安いものだ。「事故の責任も反省」の弁はおろか謝罪のことばすらもないのだから…。
浪江駅 静かな朝、仮設の窓から電柱にとまっているすずめの一群(5~6羽)をたまたま見かけた。原発事故当時、避難の地でさえすずめもからすも目にすることはなかった。このすずめたちも放射能の影響は受けているだろうに。何んと健気に生きていることか。すずめと人間命は同じよと思いながら…。たまに上京する折、車窓から連続する美しい自然をながめる。でも心からその自然を満喫もできず、安心してながめることもできない。「事故がおきたら全部ダメに」一種のトラウマ、低線量被曝を受け続ける地で生き、展望の開けない中、願望と現実のギヤップに心を病む。人間の営みを根底からうばってしまう「原発事故」罪なき市井の人々を苦しめていることに目をそらしてはいけない。「座して黙してはいられない」と思う日々である。
(写真は4年前のままで一見何事もなかったようにたたずむ浪江駅。2014年11月18日撮影)

 追伸
 2015年3月11日の本宮の朝は雪におおわれていました。3月の雪。
 避難途上の16日。朝一面雪で覆われていました。その中を私が運転して親友宅にむかったことを思い出しています。つらかったよ…。
 
※3.11に橘さんからFAXで届きました。福島原発事故から4年目の3月11日、和歌山でも雪がちらつく寒い日でした。(松浦雅代)
 

福島のお百姓・根本洸一さんをお迎えして
お話を聞く機会がありました。
 
 根本洸一さんは、福島県南相馬市小高区で長らく有機農業に取り組んでこられた篤農家です。女の会会員の古田伊公子さんが福島で知り合われた根本さんご夫妻を個人的に関西・和歌山(波満乃家のクエ料理)に招待されたので、ならばわれらもお会いしたいヮと便乗した次第です。(女の会ニュース86号「南相馬市小高より」は、お連れ合いの根本幸子さんの古田さん宛の手紙を転載させていただいたもの。残念ながら諸般の都合で洸一さんお1人になりました)
根本さん&鈴木静枝さん 午後には晴天となったこの日は浜さんの案内で、日の岬から紀伊水道の眺めを満喫していただいたそう。その後わたしたちと合流してまずは、町内の施設に入所されている鈴木静枝さんのもとをお訪ねしました。
(写真:根本洸一さんは後列右から2人目)
 鈴木静枝さんはおかわりなくお元気でした。
 小学校の師弟関係だった鈴木静枝さんと浜一己さん。「鈴木先生」は、それはキビしかったそうで、よく忘れ物をして遠くの家まで取りに帰らされたなどと思い出を語る浜さんだが、のちにお二人は反原発運動の同志になるのだから面白い。
 原発を拒んで作らせなかった和歌山の現地の人たちと、原発を拒みながら近隣立地の東京電力福島原発の事故のため、理不尽な被害を被らざるを得なかった南相馬の根本さんたち。両者の交流は感慨ふかいものでした。
東北電力による浪江・小高原子力発電所の計画は、反対して建てさせなかった。2013年3月東北電力は正式に撤退)
 98歳になられる鈴木静枝さん、「七十や八十はまだまだ若い、これからや」には、77歳の根本さんはじめ「一同(笑)」でした。また、「それで、原発は止まるんかいの?」
 もちろん、全国の原発はこのまま再稼働しないでおれるか、このさき廃炉に追い込めるか、という意味です。大先輩からはっぱをかけられることしきりでした(ご本人はそんなおつもりでなかったかもしれないが)。
 さて、根本さんだが、南相馬市小高区で、農業に励んでおられます。
 ここは東電福島第一原発から十数キロ、当初は避難指示区域(警戒区域)で立ち入りが禁止。1か月ほど避難生活を送ったのち、相馬市に仮住まい(借り上げ住宅)。敷地周辺にて野菜作りに励み、喜んでくれる人に配った。体を動かしていないと苦痛なのだ。
 2012年、小高区が避難解除準備区域に再編されると、相馬市の仮住まいから通いで農業再開。行政から多くの栽培規制や出荷規制を受けながら3年間「試験栽培」に打ち込んで来られたのです。2015年度の作付け計画は、有機農業水田30アール、餌米販売用24アール、みんなの田んぼ10アールの水稲を中心に、ジャガイモなど野菜の栽培です。「みんなの田んぼ」は体験農業用の圃場で、播種から田植え、稲刈り、脱穀、籾摺りと、口に入るまでの一連の行程に参加し体験することを目論むもの。
 とはいえ根本さんの事故以前の耕作面積6.5ヘクタールからすると、これはごく一部にすぎないです。昨年栽培した有機米は全袋検査の結果すべて、10Bq/㎏以下(県が測定下限値と定めた25Bq/㎏以下(玄米))だったそうで、ほんとうによかったです。
 元もと福島県は、有機農業推進室を立ち上げ県で有機認証を行うなど、有機農業の先進地のようです。根本さんはそんな福島県で有機農業ネットワークの初代会長をつとめられた方。有機農業者は、農地を大切に育てておられるので、それが放射能で汚される悲憤は人一倍と推察しますが、都会の消費者や流通組織、県内外の大学の研究者や学生など再建支援に関わっていくグループ・個人のつながりも大きいようです。
 「自分の農業と暮らしだけではなく、みんなとともに小高へ帰りたい」という地域の復興を大目標に、頑張っておられるが、状況はたいへんきびしい。除染も遅々として進まないまま(住宅2015年、農地2016年の予定)、周りの人々が小高への帰還を諦めた、別のところに家を建てたという話が多くなり根本さんの耕作地以外は雑草に覆われたまま。小高区の農業・生活の再開は見通しが見えないとのことです。
 放射能汚染でさっぱり売れなくなった収穫物。風評被害に対抗し安全性を確かめるには、とにかく放射線量を測定することだと生産物の測定に片っ端から取り組んだ。結果は「検出せず」の連続。根本さん曰く「それでもダメだよねぇ」
 今まで消費者には有機農業の安全性に安心を求めて購入してもらっていただけで、生産者と消費者の関係性は希薄であった、と思い至られたようだ。
 「南相馬市小高区の農業・生活再建支援の会」が「おだかつうしん」に記されているように、「根本さん応援団としても(中略)まわりの状況はどうであれ、根本さんと共に歩き、小高の現地で農業や農家らしい暮らしを体験し、学び、継承していく活動を、前向きに、自由に、明るく取り組むこと」に新たな方向性を求めておられるのも肯けるところです。
 途方もない環境汚染をもたらした東京電力福島原発事故原発に反対し再稼働を許さない運動とともに、私たちは消費者として被災された生産者とどう向き合うのか、重要な課題を突き付けられた根本さんとの出会いでした。
 
注)本稿は、根本さんのお話のほか、「おだかつうしん」第13号(作成・南相馬市小高地区の農業・生活再建支援の会 発行・根本洸一)、『放射能に克つ農の営み』(菅野正寿・長谷川浩編著 コモンズ)を参考にしました。(sora)
 

小出裕章さん
今年3月末で京都大学原子炉実験所を退官
ご苦労さまでした。
そしてありがとうございました。
 
 2015年2月27日(金)熊取町の京大原子炉実験所に於いて(写真掲載)、14:00から第111回目の京大原子力安全問題ゼミが開かれました。小出さんが在職中の最後の講義を聞きに行ってきました。小出裕章氏今まで安全ゼミに参加した人に連絡があり、(会場の収容人数に合わせて)申し込み先着順に100名と云う事でした。が当日は140名になったようです。別室を設けていました。
 私たちは、小出裕章さんとの関係というより熊取グループの人たちに教えて頂いたのは「ペンペン草」の時からです。黄ばんだレジメが残っていました。丁度30年前1985年1月17日(木)で、勉強会はその当時はほとんど「紀の国会館」の会議室を使用していたと思います。小出さんの講演はNHKの夕方のニュースで報道されたことだけは覚えています。テーマは「原子力発電所から出るゴミ(放射性廃(棄)物)のゆくへ」と書いていますね。小出さんは原子力の廃(棄)物が専門でした。
 この翌年チェノブイリの事故が起きました。私たちは「原発がこわい女たちの会」を結成しました。原子力の専門家として、和歌山県各地の女の会でも、つぎつぎと講演をお願いしてきました。呑み込みのよくない私たちに嫌がらずに教えて頂いたことは感謝です。退官後は仙人になると言っていましたけど、福島原発事故が起こってしまているからそういう訳にもいかないでしょうね。
 2015年2月27日の第111回原子力安全ゼミの小出さんの演題は「原子力廃絶までの道程」でした。基本は30年前のレジメも同じです。(あらためて読んでみました)
 当日は、今中哲二さん(一年後に退官予定)の司会で、最初に川野眞治さんが「伊方原発訴訟の頃」として熊取の仲間のこと、伊方訴訟で指摘した殆どの事故が起きていること、つまり伊方訴訟の先見性を話されました。
 小林圭二さん、海老澤徹さん、全員揃ってお元気な姿だったのはうれしかったですね。
 
間違った人生、
それでも恵まれた人生だった
若い時に、愚かにも原子力に夢を抱いてしまった。
原子力は私がかけた夢とは正反対の世界であった。
原子力を進める組織はあまりに巨大で、私は敗北し続けた。
ついに福島第一原子力発電所事故も起きてしまった。
でも、私はずっと自分のやりたいことをやることができた。
誰からも命令されなかったし、誰にも命令しなかった。
全国で反原発を闘う仲間たち、6人組の仲間にも恵まれた。
私を見守ってくださった方々に感謝します。
 
 小出裕章さん講演最後のことばです。(松浦雅代)
 
(金原注)
 3.11直後の2011年3月18日に第110回ゼミが開かれてからほぼ4年ぶりに、小出裕章さん
の定年退職を機に熊取で開かれた第111回原子力安全問題ゼミ。
 原子力安全研究グループのホームページ(貴重な資料が集積されていますが、京都大学URLに間借り
(?)しているようなので、来年、今中哲二さんが定年退職するまでに引っ越し先を確保しなければならないでしょうね)に、松浦さんの記事でも紹介されている小出さんと川野さんの講演(講義)で使用されたパワーポイント資料がアップされていましたのでご紹介
します。
「伊方原発訴訟の頃」川野眞治(原子力安全研究グループ)
「原子力廃絶までの道程」小出裕章(京都大学原子炉実験所)
 

福島県甲状腺がん及び疑い 福島県全体で117人
 2年前異状なしの8人が甲状腺がん(2015年2月12日発表)
 先行検査(2011年から2013年度まで)本格検査(2014年から2015年度に実施している2巡目の本格検査)事故当時18歳未満だった子ども38万人を対象に実施している甲状腺検査で計118人の子どもが甲状腺がんの「悪性・悪性疑い」と診断され、その内88人が手術を行い一人を除く87人が甲状腺がんと確定しました。
(詳しくは福島県「県民健康調査」検討委員会第6回甲状腺検査評価部会・27/3/24)
(金原注)
 「県民健康調査」検討委員会 第6回「甲状腺検査評価部会」(平成27年3月24日開催)の資料は
以下のページからダウンロードできます。
 

原発事故被害者の救済を求める全国運動 第二期署名が始まっています。
 「原発事故被害者の住宅・健康・保養支援の立法化と完全賠償の実現を求める請願署名」
 第二次集約日5月末日までにお願いします。署名用紙同封します。
(金原注)
 「原発事故被害者の救済を求める全国運動」ホームページから、
「原発事故被害者の住宅・健康・保養支援の立法化と完全賠償の実現を求める請願署名」署名用紙リーフレットをダウンロードできます。
 なお、同サイトによると、「第一次集約日:2015 年 3 月末日、第二次集約日:2015 年 5 月15日」となっています。
 

◎福井の原発の避難計画では住民の安全は守れない!リーフレットを同封します。
 避難計画を案ずる関西連絡会のメンバーが避難元や避難先の各市町村に申し入れをし、避難計画の実態をチェックしたものです。和歌山は滋賀の広域避難先になっています。
(金原注)
 リーフレット「避難計画では住民の安全は守れない」は以下のページからダウンロードできます。
 

◎A4判で、厚さ一センチまで82円で配達出来たヤマト運輸クロネコメール便がこの3月で廃止になります。今後は郵便局から定型郵便物の大きさで、ニュースをお送りします。
 
<記>
 女の会ニュース92号を発行した1月18日前後から2月1日の後藤健二さんの殺害動画が公開されるまで、緊張する日が続いていました。後藤さんのお母さんの姿が痛々しかった。結果的に日本政府は後藤さんを殺してしまった。
 理解できなかったのはイスラエル訪問中だった安倍総理が、日の丸だけではなくイスラエル国旗をバックに「テロには屈しない」と宣言したというニュース。あぜんとしました。安倍総理は何故中東を、それも親米国だけ訪問していたのかも。しかし、今、日本で集団的自衛権閣議決定後の動きや憲法改正への動きを見ていると、アメリカに忠誠を誓い、いっきに憲法を変えようとしている人たちがいることがわかった。何んとしても止めたい。と思う。しかし特効薬はない。
 今のところ、私は是非5月10日の佐藤栄佐久氏講演会を聞きに来て下さい!と言うしかありません。何故「知事抹殺」されたのか是非ご本人からお聞きください。福島県の郡山にお住まいです。
 友人や知人にチケットを すすめてください。(松浦雅代)
◎女の定例会(仮称)は4月11日(土)14:00~ボランティアサロン(旧丸正)にて
 テーマは憲法です。参加自由。