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内閣総理大臣の孤独な闘い~天皇制と日本の若者を救った幣原喜重郎(この仮説は知っておく価値がある)

 今晩(2015年5月30日)配信した「メルマガ金原No.2106」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
内閣総理大臣の孤独な闘い~天皇制と日本の若者を救った幣原喜重郎(この仮説は知っておく価値がある)

 明日(5月31日)午後2時00分から、和歌山JAビル11階において、「九条の会・わかやま」連続講座「戦争しない国をいつまでも」の第1回が開かれます。
 各回とも、講座は2部構成となっており、前半は「九条の会・わかやま」呼びかけ人がお話され、後半で「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」会員が法的な問題について講師を務めることになっています。
 明日の講座の内容はチラシから転記すると以下のとおりです。

1部 「ユネスコ世界遺産憲法九条―その通底するもの」
     講師:江川治邦氏(元和歌山ユネスコ協会事務局長)
2部 「どこをどう変える安全保障関連法案~その問題点は何か~」
     講師:金原徹雄氏(弁護士) 
 
 是非、多くの方にご参加いただければと思います(もっとも、会場の定員は96名だそうですが)。
 
 ところで、先日、この連続講座のための「序論」として書いたものを、メルマガ(ブログ)でご紹介しました。
 
 
 今日はその続編です。
 もっとも、「序論」の続きは、普通であれば「本論」のはずなのですが、それは明日の本番で実際に話してみないと、講師の私自身にも、「どこをどう変える安全保障関連法案」の「肝」がどこかを断言しにくい、話してみて、ようやく自分でも得心がいくというところがあって(学習会の講師を務めた経験のある人なら分かると思いますが)、今日のメルマガ(ブログ)に書くのは「本論」ではありません。
 それでは何なのかといえば、多分「余論」といったものになるでしょう。ただし、非常に重要な「余論」であると思っています。
 「余論」として書きたいと思っていることは2つあります。
 1つは、日本国憲法9条が、日本の若者が「米国の尖兵」となることを阻止してきたという側面と、おそらくはそのことに自覚的であったと思われる総理大臣の「孤独な闘い」についてです。
 もう1つは、以前にもメルマガ(ブログ)で取り上げたことがありますが、自衛隊員による服務宣誓の問題です。
 今日は、その内の前者について考えてみたいと思います。
 
 5月27日、28日の両日、衆議院・我が国及び国際社会の平和安全法制に関する特別委員会(平和安全特別委員会)における日本共産党志位和夫委員長による質疑を視聴された方は、今次の戦争法案(政府は「平和安全法制整備法」及び「国際平和支援法」と呼称)が成立すれば、安倍晋三首相や中谷元防衛相がいかに遁辞を弄しようが、海外に派遣される自衛隊員が命を落とし、かつ第三者を殺傷するリスクが飛躍的に高まることを、具体的なイメージをもって得心されたことと思います。
※ちなみに、5月28日にメルマガで配信した後ブログにアップした記事(国会論戦はこうありたい~志位和夫日本共産党委員長による安倍首相追及を多くの人に視聴して欲しい)は、主にFacebookでシェアを重ね、私のブログとしては驚異的なことですが、アップしてからの24時間で1,000余のアクセスを記録し、2日目に入った現在でもアクセスは続いており、この稿を書き始めた5月30日午後6時時点では、累計2,300アクセスを超えています。それだけ、多くの人の共感を集めているということでしょう。
 
 しかも、存立危機事態であれ、重要影響事態であれ、国際平和共同対処事態であれ、米国の意向と無関係な自衛隊の出動などあり得ず、それは改定された(第3次)日米ガイドライン(日米防衛協力のための指針)を一読するだけで明らかです。
 
 
 我が国の自衛隊員がいかに危険な任務に投入されようとしているかは、「本論」で論じるべきことであり、上にご紹介した志位和夫氏による質疑の他、昨日のメルマガ(ブログ)でご紹介した龍谷大学の石埼学教授による講義などを視聴して勉強されることをお勧めします(龍谷大学・石埼学教授による日本国憲法講義「平和主義と安保法制」を受講しよう)。
 
 さて、以上を前提として、次には「なぜ日本の自衛隊員が米国のために命を落とさなければならないのか?」ということを考えざるを得ないのですが、安倍首相から、この最も根本的な疑問にまともに向き合った答弁があると信じる人はおそらく1人もいないでしょう。そんな誠実さが少しでもある政治家であれば、そもそもこんな法案を出してくるはずがなく、昨年7月1日の閣議決定もあり得なかったでしょうから。
 従って、この問いに対する回答は、私たちが自ら考える必要があります。
 そこで、私の意見ですが・・・と言うほど大したことでも何でもなく、多くの識者の意見を祖述するに過ぎませんが、「日本が米国に対する戦争に敗北したから」というものです。それも単なる敗北ではなく、ほぼ抵抗力を喪失する段階まで追い詰められた上での敗北であったということです。そういう意味から言うと、広島、長崎への原爆投下やソ連の参戦を回避できなかった当時の日本政府の判断ミスの代償は非常に大きく、現在にまで尾を引いていると言わねばなりません。 
 
 ところで、ポツダム宣言、特に7項、9項、11項などによれば、占領継続中の日本再軍備などあり得ないと考えざるを得ませんが、占領終結後の日本にもしも「9条」が無かったら一体どうなっていたか、ということを想像したことがあるでしょうか?
 例えば、(制定の経緯はともかく)現在の日本国憲法と非常に良く似た憲法が制定されており、ただ、「戦争の放棄」については侵略戦争の放棄だけが規定されていたとしましょう。そして、軍を保有すること、軍の指揮権が内閣に属すること、通常の裁判所とは別系統の軍事審判所を設置すること、そして、これらの軍事関連規定は独立回復後に施行されることという附則の付いた憲法があったとしましょう。
 いわば歴史を遡って「if」を考えてみるということなのですが、これは、「憲法9条」が果たしてきた歴史的機能を正しく理解するためには必須の作業だと思います。
 
 対日平和条約(1951年9月8日署名/1952年4月28日発効)が発効した時、現実に日本に存在したのは警察予備隊海上警備隊でしたが、これを日本軍に改組するのに憲法上の障害が何もなかったとすれば、すぐさま軍隊に移行したことでしょう。
 当時、朝鮮戦争は既に膠着状態に入り、休戦が模索されている時期でしたし、そもそも単独講和であったため、すぐに日本が国連に加盟できる状況ではなく、日本軍が国連軍の一員として最前線で戦うということはなかったかもしれません。
 しかし、日本が軍を保有することについて憲法上の制約がないということであれば、当然、日米安保条約(旧条約1951年/新条約1960年)の内容も現在と同じものではあり得なかったでしょう。
 そして、ベトナム戦争湾岸戦争アフガニスタン戦争、イラク戦争と、米国が主導権を握って遂行した数々の戦争に、日本軍がいずれも出兵することなく、自国の兵士を戦死させずに済んだと想像することなど到底できない、ということについては大方の同意が得られるのではないでしょうか。
 ちなみに、ベトナム戦争に参戦した韓国軍は約5000人、オーストラリア軍は約450人の戦死者を出し、イギリス軍は、アフガニスタン戦争で約450人、イラク戦争で約180人の戦死者を出し、いずれもそれをはるかに上回る戦傷者を生み出しています。
 
 「9条」(とりわけその2項)の無い憲法を持つ日本が独立を回復したとして、米軍が本国に引き揚げて日本に駐留せず、日本が自前の軍隊を持つ自主独立の国になり得るような政治的・国際的条件が、1951年当時の我が国に存在したのか?ということが、かねて私が「自主憲法制定論者」や「押しつけ憲法論者」の主張に接するたびに感じる最も根本的な疑問なのです。
 彼らは、もしかすると日本が米国との戦争に完膚なきまでに敗れたという現実(法的には米国、英国、中国、ソ連からの降伏勧告を受諾)を直視するだけの勇気の持ち合わせがないのではないか?あわよくば敗戦など無かったことにしたいのではないか?と思うことがあります。そうとでも考えなければ、国会議員や閣僚というような責任ある立場の者が、堂々と靖国神社に集団で参拝することなど、本来出来るはずはないのですから。
※参照「なぜ総理大臣が靖国神社に参拝してはいけないのか?(基礎的な問題)」(2014年1月1日)
 
 仮に1951年当時の日本国憲法に「9条」がなかったとしても、独立回復後、ただちに国軍を再建していたとしても、やはり米軍は日本に駐留を続けただろうし、日米両国間の関係は、現実の歴史がたどってきた姿とそう大きく変わったものにはならなかっただろうというのが私の意見なのです。
 つまり、ベトナム戦争で、アフガニスタン戦争で、イラク戦争で、多くの日本の若者が「アメリカの尖兵」として闘い、傷つき、死んでいったに違いないと思います。そして、日本の兵士たちが、多くのベトナム人やアフガニスタン人やイラク人を殺傷していたことでしょう。この想像に私は確信を持っています。
 皆さんはどう考えますか?
 
 そして、連合軍の占領下にあって、いずれ日本が独立を回復したあかつきに、日本の若者が「アメリカの尖兵」となって血を流す姿を想定しながら、結果としてそれを回避するための「孤独な闘い」をした総理大臣がいるということは、まだ学会の通説というところまでは行っておらず、単なる仮説ではありますが、多くの日本人が知っておくべき仮説だと思います。
 ここまで書けばお分かりと思いますが、いわゆる幣原喜重郎憲法9条発案説のことです。
 これまでも、何度かこの説を取り上げたことがあります。
 
 
 従って、この説の詳細は上記の文章に譲りますが、1945年10月9日から1946年5月24日まで内閣総理大臣の地位にあった幣原喜重郎(しではら・きじゅうろう)は、日本国憲法制定史を考える上での最重要人物の1人です。とりわけ、注目されるのが、以下の約3週間の動きです。
 
1946年1月24日
 幣原喜重郎が肺炎治療のためにGHQがペニシリンを融通してくれたことへのお礼を述べるためにダグラス・マッカーサー連合軍最高司令官を訪ね、通訳を交えず約3時間会談する。
同年2月1日
 毎日新聞が、内閣に設けられた憲法問題調査委員会(松本委員会)の改憲試案の1つをスクープ掲載した。
同年2月3日
 マッカーサーは、ホイットニーGHQ民政局長に憲法改正の必須要件(マッカーサー三原則)を示した。
同年2月4日
 民政局内に作業班が設置され、GHQ草案(マッカーサー草案)の起草作業が開始された。
同年2月13日 
 外務大臣官邸において、ホイットニーから松本国務大臣吉田茂外務大臣らに対し、さきに提出された日本政府の憲法改正要綱を拒否することが伝えられるとともに、GHQ草案が手交された。
 
 幣原喜重郎は、内閣総理大臣として、他の閣僚とともに、GHQ草案の提示に衝撃を受けたことになっていますが、実は、1月24日の会談において、その後「マッカーサー三原則」と呼ばれるようになる新憲法の基本原則について協議していたのではないのか、というのが、憲法9条・幣原発案説、もしくは憲法9条・幣原・マッカーサー合作説というものです。
 なお、「マッカーサー三原則」というのは、現行憲法の第1章(象徴天皇制)、第2章(戦争の放棄、戦力の不保持)、第3章(国民の権利及び義務/マッカーサーノートでは封建制の廃止がうたわれている)に結実していますので、「9条」だけということではありません。
 それで、この説の根拠は何か?ということなのですが、1月24日の会談に陪席者がいなかった以上、当事者であるマッカーサーと幣原の証言をまずは聴くべきところ、マッカーサーの回顧録にはかなり明瞭に幣原からの提案であったと書かれており、幣原の著書、談話においても、マッカーサーの証言に沿う内容が認められ、さらに以下にご紹介するような、平野三郎衆議院議員(晩年衆議院議長を務めていた幣原の秘書官だった)による聞き書き(平野ノート「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」)などもあります。
 もっとも、平野ノートについては、聴き取りをしてすぐにまとめたというものではなく、幣原の死後10年以上経ってから、内閣に設置された憲法調査会会長の求めに応じて提出されたという経緯から、平野氏による推測や創作が紛れ込んではいないか?という吟味が必要でしょう(私にそういう能力はありませんが)。
 ただし、1946年1月当時、敗戦国日本の総理大臣であった幣原にとって、天皇制及び昭和天皇個人をいかにすれば守れるか、ということが最大の政策課題であったことは疑いを容れないでしょう。そして、老練な元外交官であった幣原にとって、内閣の憲法問題調査委員会(松本委員会)で取りまとめられようとしている改憲案では、到底連合国の了解は得られそうもなく、最悪の場合、昭和天皇戦争犯罪人として訴追される事態もないとは言い切れないということが見通せたのだろうと思います。ここから幣原の、閣僚にも一切秘密を漏らせない「内閣総理大臣の孤独な闘い」が始まったと、憲法9条(正確に言えば象徴天皇制と戦争・軍備放棄をセットにした案)幣原発案説を支持する者は考えるのです。
 事実上、天皇から大権を剥奪し、軍備も撤廃するという、ある意味驚天動地の案を幣原が閣内で提起しても、到底実現するとは思えず、閣論不一致で内閣が瓦解に至るに違いないと考えた幣原は、日本の為政者がいざという時には常に発想する「外圧利用策」に打って出ることとし、マッカーサーのもとを訪ねたのです・・・という風に推論が続いていきます。
 これ以上、推論を書き連ねる必要もないでしょうから、以下には、平野ノートの一部を引用するにとどめます。
 実は、現在、国会で審議されている戦争法案を考える上で、幣原喜重郎による「内閣総理大臣の孤独な闘い」を想起すべきだと考えたのには理由があります。
 基本的に幣原発案説の立場に立つとすれば、幣原首相は、軍備を放棄することによって(憲法に「9条」を書き込むことによって)、天皇制を守ることができただけではなく、日本の若者が「アメリカの尖兵」としてあたら命を落とすことも防いだのであり、このことに多くの国民の注意を喚起したいと思ったからです。
 以下に、平野ノートから、幣原首相が、「9条」のような条項が無ければ、早晩、日本の若者が「アメリカの尖兵」とならざるを得ないという将来を見通していたことを裏付ける部分を引用します。
 
(「みんなの知識 ちょっと便利帳」より)
「幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について」 平野三郎
(抜粋引用開始)
問(平野) よく分りました。そうしますと憲法は先生の独自の御判断で出来たものですか。一般に信じられているところは、マッカーサー元帥の命令の結果ということになっています。尤も草案は勧告という形で日本に提示された訳ですが、あの勧告に従わなければ天皇の身体も保証できないという恫喝があったのですから事実上命令に外ならなかったと思いますが。
 
答(幣原) そのことは此処だけの話にして置いて貰わねばならないが、実はあの年(昭和二十年)の暮から正月にかけ僕は風邪をひいて寝込んだ。僕が決心をしたのはその時である。それに僕には天皇制を維持するという重大な使命があった。元来、第九条のようなことを日本側から言いだすようなことは出来るものではない。まして天皇の問題に至っては尚更である。この二つに密接にからみ合っていた。実に重大な段階にあった。
 幸いマッカーサー天皇制を存続する気持を持っていた。本国からもその線の命令があり、アメリカの肚は決っていた。ところがアメリカにとって厄介な問題が起った。それは濠州やニュージーランドなどが、天皇の問題に関してはソ連に同調する気配を示したことである。これらの国々は日本を極度に恐れていた。日本が再軍備をしたら大変である。戦争中の日本軍の行動は余りに彼らの心胆を寒からしめたから無理もないことであった。殊に彼らに与えていた印象は、天皇と戦争の不可分とも言うべき関係であった。日本人は天皇のためなら平気で死んで行く。恐るべきは「皇軍」である。という訳で、これらの国々はソ
連への同調によって、対日理事会の票決ではアメリカは孤立化する恐れがあった。
 この情勢の中で、天皇の人間化と戦争放棄を同時に提案することを僕は考えた訳である。
 豪州その他の国々は日本の再軍備を恐れるのであって、天皇制そのものを問題にしている訳ではない。故に戦争が放棄された上で、単に名目的に天皇が存続するだけなら、戦争の権化としての天皇は消滅するから、彼らの対象とする天皇制は廃止されたと同然である。もともとアメリカ側である濠州その他の諸国
は、この案ならばアメリカと歩調を揃え、逆にソ連を孤立させることが出来る。
 この構想は天皇制を存続すると共に第九条を実現する言わば一石二鳥の名案である。尤も天皇制存続と言ってもシムボルということになった訳だが、僕はもともと天皇はそうあるべきものと思っていた。元来天皇は権力の座になかったのであり、又なかったからこそ続いてきたのだ。もし天皇が権力を持ったら、何かの失政があった場合、当然責任問題が起って倒れる。世襲制度である以上、常に偉人ばかりとは限らない。日の丸は日本の象徴であるが、天皇は日の丸の旗を護持する神主のようなものであって、むしろそれが天皇本来の昔に還ったものであり、その方が天皇のためにも日本のためにもよいと僕は思う。
 この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった。
 そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心したのだが、これは実に重大なことであって、一歩誤れば首相自らが国体と祖国の命運を売り渡す国賊行為の汚名を覚悟しなければならぬ。松本君[12]にさえも打明けることの出来ないことである。したがって誰にも気づかれないようにマッカーサーに会わねばならぬ。幸い僕の風邪は肺炎ということで元帥からペニシリンというアメリカの新薬を貰いそれによって全快した。そのお礼ということで僕が元帥を訪問したのである。それは昭和二十一年の一月二十四日である。その日、僕は元帥と二人切りで長い時間話し込んだ。すべてはそこで決まった訳だ。
 
 元帥は簡単に承知されたのですか。
 
 マッカーサーは非常に困った立場にいたが、僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚ろいていたようであった。僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、その意味のことを初めに言ったが、賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。
 元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの戦略に対する将来の考慮と、共産主義者に対する影響の二点
であった。それについて僕は言った。
 日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。次の戦争は想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。世界が亡びればアメリカも亡びる。問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世
界の運命を切り拓くか。
 好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ないであろう。同時にそのような戦争放棄国の出現も亦ほとんど空想に近いが、幸か不幸か、日本は今その役割を果たし得る位置にある。歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えたのである。貴下さえ賛成するなら、現段階に於ける日本の戦争放棄は、対外的にも対内的にも承認される可能性がある。歴史のこの偶然を今こそ利用する秋である。そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、したがってアメリカをも救う
唯一つの道ではないか。
 また日本の戦争放棄共産主義者に有利な口実を与えるという危険は実際あり得る。しかしより大きな危険から遠ざかる方が大切であろう。世界はここ当分資本主義と共産主義の宿敵の対決を続けるだろうが、イデオロギーは絶対的に不動のものではない。それを不動のものと考えることが世界を混乱させるのである。未来を約束するものは、絶えず新しい思想に向って創造発展して行く道だけである。共産主義者は今のところはまだマルクスとレーニンの主義を絶対的真理であるかの如く考えているが、そのような論理や予言はやがて歴史の彼方に埋没して終うだろう。現にアメリカの資本主義が共産主義者の理論的攻撃にもかかわらずいささかの動揺も示さないのは、資本主義がそうした理論に先行して自らを創造発展せしめたからである。それと同様に共産主義イデオロギーも何れ全く変貌して終うだろう。何れにせよ、ほんとうの敵はロシアでも共産主義でもない。このことはやがてロシア人も気づくだろう。彼らの敵もアメリ
カでもなく資本主義でもないのである。世界の共通の敵は戦争それ自体である。
(引用終わり)
 
 「内閣総理大臣の孤独な闘い」自体は1つの仮説です。しかし、日本国憲法9条が法規範として「守るべきもの」であった時代に、その9条が日本の若者(とは限らないかもしれませんが)の命を救ってきたことは厳然たる歴史的事実です。
 それが気に入らない、もっと日本人は血を流すべきであったと考える人たちもいるでしょうが(今の政権にもたくさんいるかもしれません)、少なくとも、多くの良識ある日本人はそのような考えに与しないでしょう。
 今まさに、憲法を無視して、日本の若者を「アメリカの尖兵」として差し出そうとする法案が審議されています。
 そして、幣原喜重郎マッカーサーを1人で訪ねた時から69年余りにして、初めて米国連邦議会上下両院合同会議で演説する機会を与えらた総理大臣は、国民にその内容を説明しておらず、国会に提出もしていない法案について、米国の国会議員に対して、以下のように約束しました。
「日本はいま、安保法制の充実に取り組んでいます。実現のあかつき、日本は、危機の程度に応じ、切れ目のない対応が、はるかによくできるようになります。この法整備によって、自衛隊と米軍の協力関係は強化され、日米同盟は、より一層堅固になります。それは地域の平和のため、確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後、初めての大改革です。この夏までに、成就させます。」
 別に、マッカーサーと通訳なしで重要な会談が出来た幣原喜重郎と語学力を比較して現首相を嘲笑しようというのではありません。
 何を自らに課された最も重要な使命と自覚するか(これが間違っていたらそもそも話にならないけれど)、それを実現するための「孤独な闘い」を厭わぬ覚悟と能力を備えた者だけが、一国のリーダー(内閣総理大臣)にふさわしいということを考える上で、この2人の内閣総理大臣は比べ甲斐があるということです。