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憲法学者の矜恃~佐藤幸治氏、樋口陽一氏、石川健治氏(6/6「立憲デモクラシーの会」シンポジウムにて)

 今晩(2015年6月8日)配信した「メルマガ金原No.2115」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
憲法学者の矜恃~佐藤幸治氏、樋口陽一氏、石川健治氏(6/6「立憲デモクラシーの会」シンポジウムにて)

 6月4日(木)開催の衆議院憲法審査会において、3人の参考人(長谷部泰男早稲田大学教授、小林節慶應義塾大学名誉教授、笹田栄司早稲田大学教授)全員が集団的自衛権行使を容認する安保法制を違憲と断じた翌々日の6月6日(土)、東京大学本郷キャンパス法文1号館25番教室において、立憲デモクラシーの会主催によるシンポジウムが開かれました。シンポの概要及び登壇者の方々は以下のとおりでした。
 
シンポジウム「立憲主義の危機」
日時 2015年6月6日(土)午後6時~8時30分
会場 東京大学(本郷)法文1号館 25番教室
開会の辞 山口二郎氏(共同代表・法政大学教授)
基調講演 佐藤幸治氏(日本学士院会員・京都大学名誉教授)
 「世界史の中の日本国憲法立憲主義の史的展開をふまえて」
パネルディスカッション「憲法は何をまもるのか」
 佐藤幸治
 樋口陽一氏(共同代表・日本学士院会員・東京大学名誉教授)
 石川健治氏(東京大学教授)
 司会 杉田敦氏(法政大学教授)
 
 佐藤幸治氏を憲法学の泰斗と称しても、異論を唱える人はまずいないでしょう。司法試験受験の際に憲法の基本書は佐藤幸治先生の教科書(青林書院)だったという人も多いのではないかと思います(最近の合格者は別として)。
 司法制度改革審議会委員長としての佐藤先生の業績(法科大学院裁判員裁判制度等の創設)についての評価は、人によってまあ色々あるでしょうが。
 
 それはさておき、6月4日の憲法審査会を機に、憲法研究者の見解に俄然注目が集まるというめったにない(?)このようなタイミングでのシンポの開催となったのはもとより偶然でしょうが、後に振り返った時、歴史の必然であったと評価されるかもしれません。
 
 このシンポを報じた毎日新聞東京新聞の記事にリンクしておきます(朝日新聞は見当たらなかったけれど、その代わり、7日の朝日・朝刊では4日の憲法審査会での参考人による違憲との見解表明を大きく取り上げていましたね)。
 
毎日新聞 2015年06月07日 東京朝刊
安保法制:政権に不信感 憲法学者、批判続々 「立憲主義の危機」シンポに1400人

(抜粋引用開始)
 安全保障関連法案の衆院審議が続く中、京都大名誉教授で憲法学者佐藤幸治氏が6日、東京都内で講演し、「憲法の個別的事柄に修正すべきことがあるのは否定しないが、根幹を変えてしまう発想は英米独にはない。日本ではいつまでぐだぐだ(根幹を揺るがすようなことを)言うのか、腹立たしくなる」と述べ、憲法を巡る現状へのいらだちをあらわにした。法案を巡っては4日の衆院憲法審査会で、自民党推薦の参考人長谷部恭男氏を含む憲法学者3人全員が憲法9条違反だと批判。自民は当初佐藤氏に参考人
要請したが断られ、長谷部氏を選んでいた。
 佐藤氏は「(憲法という)土台がどう変わるか分からないところで、政治と司法が立派な建物を築くこ
とはできない」とも語り、憲法の解釈変更で安保法制の整備を進める安倍政権への不信感をにじませた。
(略)
 会場の東京・本郷の東京大学構内では、開始前に700人収容の会場から人があふれ、急きょインターネット中継を利用して300人収容の別会場が用意された。だが、そこも満員で立ち見が出る盛況ぶりで、最終的に約1400人が詰めかけた。開始20分前に着き、別会場へ誘導された埼玉県入間市日本語教師の男性(66)は、「安保法制の進め方は民主主義とは違うと感じていた。それが確かめられ、すっ
きりした」と満足そうに話した。
(略)
(引用終わり)
 
東京新聞 2015年6月7日 朝刊
「憲法の限界超える」と批判 安保法案で学者ら集会

(抜粋引用開始)
(略)
 パネルディスカッションでは、石川健治東大教授(憲法学)が法案について「憲法九条の論理的限界を
超えている。憲法の枠内で法律ができて、その法律の枠内で行政が行われるはずが、あべこべになってい
る」と指摘した。
 共同代表の樋口陽一東大名誉教授(憲法学)は「国民に真っ向から議論を挑まずに通してしまおうとす
ることや、国会提出前に米国の議会で成立を約束した点が、国民主権と国家主権に反する」と述べた。
 佐藤幸治京大名誉教授(憲法学)は講演で「日本国憲法はグローバルスタンダードの憲法になっており、第二次世界大戦の大悲劇を受けて捉え直された立憲主義を良く具現化している」と解説。「憲法改正は否定しないが、根幹を安易に揺るがしてはならない。土台がいつ、どのように変わるか分からないところ
で政治や司法を行えば、立派な建物が築けるはずはない」と述べた。
(略)
(引用終わり)
 
 このシンポジウムを収録した動画をアップしているサイトはないかと探しているのですが、今のところ、IWJしか見つけられていません。
 ところで、そのIWJは、「※公共性に鑑み、一定期間動画を全編公開致します。」という有りがたい配慮を示してくれており、今なら無償で全編視聴できます。音声も映像も非常にクリアです。IWJに感謝しながら、関心のある方は是非急いで視聴してください。
 
 冒頭~ 山口二郎氏 開会の辞
 11分~ 佐藤幸治氏 基調講演
 1時間33分~ パネルディスカッション
 
 佐藤幸治氏の基調講演は、「世界史の中の日本国憲法立憲主義の史的展開をふまえて」という演題に忠実なものでしたが、用意された講演用原稿のかなりの部分を時間の都合ではしょられたようです。
 しかし、最後のまとめの部分では、それまでの淡々とした講演(というか講義のような)から一転し、「言わずにいられない」という気迫が伝わってきました。
 毎日新聞記者が感銘を受けて記事にしたその部分を含め、講演の最後の部分(IWJ動画の1時間26分~)を一部文字起こししておきます。
 なお、本当の最後の部分(これは文字起こししていません)で、佐藤先生は憲法97条を朗読されました。「私にとって非常に重要な条文」と語られながら。
 この稿でも、最後に日本国憲法97条を引用することにします。
 
佐藤幸治氏 占領軍の押しつけだと言われるけれども、むしろ我々政府国民がですね、どうして我々はかくも容易に軍国主義全体主義にからめとられてしまったのかを深く考え、かつ当時の国際情勢を的確につかんでいれば、自分たちの手で、日本国憲法に近いものを作ったに違いない、というように私は思うところであります。
(ここで時間の都合により、残りの時間でどの部分を話そうかと思案されている様子)
 不文、成文の違いはありますけれども、イギリスやアメリカの憲法は実に長きにわたって妥当し続けてきましたし、日本国憲法より数年遅れて制定されたドイツ憲法も、先ほど申し上げたようなところであります。で、もちろんこれらの国々は、個別的事項について、改正、修正を施してきておりますけれども、日本国憲法の場合も、個別的修正、改正すべきところがあるということを否定するものでは決してありません。けれども、ここで申し上げたいのは次のことです。(どっかで1年ちょっと前に述べたことであり
ます。)
 私は、憲法の個別的ことがらについて、修正を加えていく必要があることを否定しない。しかし、憲法の本体、根幹を安易に揺るがすようなことはしないという賢慮は必要であると強く思う。土台がいつ、どのように変わるか分からないようなところで、政治と司法が本来の役割を果たし、立派な建物を築いてい
けるはずはないからである。
 本当に心から私はそう思います。個別的ないじるところがあったらいじったらいいんです。けれども、根幹を全部変えてしまうとか、そういう発想というのは、今日お話してきたように、イギリスでも無い、アメリカでも無い、ドイツでも無い。いつまで日本がそんなことを、いつまでもぐだぐだ言い続けるんですか。私はそれを思うと、本当に腹立たしくなります。これがあって、土台がしっかりしているからこそ
、いろんなことをやれるんです。
(略)
 冷戦の終結と同時に、世界の様相は大きく変わりました。野放図な経済的なグローバリゼイションが進行する一方、ナショナリズムの強まりという現象が顕著になってまいります。また、しばらく前から、地球の環境破壊や資源枯渇に関連して、持続可能な成長ということが説かれてきました。最近あまり言われなくなった感がありますけど、加速度的な成長には限界があるということが否定できないところかと思います。そうしたいろんなことが重なって、不確実性が増え、世界が不安定化を強めてきているように思われるのであります。こうした状況の中に、国々で、大胆な政策とか、強力な指導力というものの顕示、これが受ける傾向にあることは否定できないように思われます。新たな文明論も提唱されていますけども、根底的に一番大事なことは、人間の、我々の自制力、セルフコントロール、自制力だと思います。一事の思いにかられて、情動的に動くということでなくて、何が大事かということを絶えず考えながら、自制力というものを確保する、これをいかにして確保するか。この自制力を養うためには、特に日本について言えばですね、人類の歴史と日本の近代史を重ね合わせながら、その歴史に深く学ぶことだというように思うのであります。
 
日本国憲法
   
第十章 最高法規
第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果で
あつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。