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安保法案の成立に反対する同志社大学教職員有志の声明~“魔女狩り”になってはいけないがこの動きは支持する

 今晩(2015年7月15日)配信した「メルマガ金原No.2152」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
安保法案の成立に反対する同志社大学教職員有志の声明~“魔女狩り”になってはいけないがこの動きは支持する

 予定通りというべきなのでしょう、今日(7月15日)、衆議院安保法制特別委員会(衆議院は「平和
安全特別委員会」と略称)で、以下の法案(形式上は2つです)が採決(可決)されました。これを「強行採決」と称するかどうかはほとんど“気分次第”と言いたくなるほど「想定通り」の進行でした。NHKが中継しなかったのも予定通りだったのでしょうか(国会の外でこそ「想定外」の事態を進行させる必要があります)。
 
 
 ところで、今頃、「想定外」もしくは「想定以上」の事態にややうろたえているかもしれない人がいます。今日の「強行採決」をお膳立てした7月13日の中央公聴会で、与党推薦の公述人として、上記2法案に賛意を表した村田晃嗣同志社大学法学部教授(同大学学長)です。
 昨日のメルマガ(ブログ)「7月13日の意見表明をどう聴いたか~村田晃嗣同志社大学学長vs国民安保法制懇」の中で、私は、(村田学長の公述を視聴して)「皆さんは(特に同志社大学の学生、卒業生の皆さんは)、どういう感想を持たれるでしょうか。」と書きましたが、知り合いの女性から、「本当にがっかりです。卒業生としては恥ずかしい。(注:自分が同志社の卒業生だと)母校をさらすのが恥ずかしい、そんな思いです。」というFacebookへのコメントが書き込まれ、同じ思いの同志社卒業生も少なくないのだろうと思いました。
 
 しかし、「恥ずかしい」思いをしているのは卒業生だけではありませんでした。今日(15日)に至り、以下のような声明がインターネット上で公表されました。
 
安保法案の成立に反対する同志社大学教職員有志の声明
(引用開始)
 2015年7月13日に開かれた衆議院平和安全法制特別委員会の中央公聴会において、同志社大学現学長・村田晃嗣教授は与党推薦の公述人として出席し、現在審議されている集団的自衛権の容認を含む安保法案に対し、国際政治学者として肯定的立場からの発言をおこないました。わたしたちは同志社大学
教職員として、村田教授のこの発言を看過できません。
 現在審議中の安保法案は、自国が直接攻撃されなくとも「自衛」の名のもとに、「同盟国」とともに武
力を行使することを、限定的であれ、容認しようというものです。これは現行憲法の枠組を明白に踏み越えた法案であり、これが成立するかどうかは国際社会における今後の日本のあり方を大きく左右するような分かれ目となっています。そうした状況において、村田教授は、憲法違反かどうかの判断を差し置いて、「国際情勢」の変化という観点から、法案に対して明確な賛意を議会の場で表明したのです。村田教授は、問題を憲法学者と安全保障の専門家との見解の相違として整理していますが、国際情勢に対応しなければならないからといって憲法違反の法律を制定したとすれば、立憲主義の原則をないがしろにすることになります。それに村田教授の公述は、中国を仮想敵国とした日米同盟の強化を積極評価する立場からこの法案に賛成するという、学術的というよりはむしろきわめて政治的な観点からの演説でした。
 これが「国際政治学者としての個人の見解」であると前置きしてからの発言であるとはいえ、本件をマスメディアは、同志社大学学長による安保法案への支持表明として報じました。実際、憲法学者の多くが反対するなかで、賛成の旗幟を鮮明にした学者を学長とする大学として、本学の名前が日本社会のなかで広く知られることになりました。わたしたちは、今回の学長の発言が、良心教育を基軸とした同志社大学のイメージを大きく損なう結果をもたらしたと考えています。
 わたしたち平和を希求する同志社大学教職員有志は、現行憲法に違反する安保法案の成立に反対します。また、その法案に対し、本学の学長職にある教授が公的な場で支持を表明したことについて、心から恥ずかしく思います。同志社大学が教育理念の一つの柱に掲げてきた国際主義と、今回の村田教授の個人的見解とが一致するものではないことを、ここに表明するものです。
(引用終わり)
 
 今日の23時00分時点での賛同者は57名となっています。
 ただし、まだ同志社大学の全学部、全研究科(大学院)の教職員に呼びかける時間がなかったのか、
同者の所属に相当な偏りがあります。
 第一、「法学部」が1人もいない!
 明日以降、上記声明に対する賛同者がどう増えるのか(あるいは増えないのか)に是非注目したいと思います。同志社とは何の関係もない私が関心を持つのは、衆議院特別委員会での「強行採決」以降の世論
の動向を測るための、局地的ではあるものの、非常に有益な指標の1つになり得ると考えるからです。
 村田晃嗣学長が、「こんなはずではなかった」と、公述人となったことを心底後悔するかどうかは、今
後の同志社大学教職員の意識にかかっています。
 
 ところで、私が今日の記事の副題を「“魔女狩り”になってはいけないがこの動きは支持する」としたのはこういうことです。
 “戦争法案”の評価について、国民世論と国会内世論との間に甚だしい乖離があることは言うまでもありません。このような状況の下で、国民が「強行採決」に対して激しい怒りを抱き、それをアピールする
ことは当然のことです。その怒りを法案成立阻止のための力にいかに転嫁するかが正に問われています。
 けれども、だからと言って、“戦争法案”に賛成する者を、徹底的に糾弾するのが正しい態度とは思えません。仮に説得の見込みがない相手であっても、その人が自らの考えを持つこと自体、それを発表すること自体を封じるような態度は厳に慎むべきです。そうでなければ、我々も、「文化芸術懇話会」に集っ自民党議員と同じレベルに自らを貶める結果となってしまいます。
 しかしながら、今回の「安保法案の成立に反対する同志社大学教職員有志の声明」は、そのような態度とは一線を画すものであり、支持すべき動きであると思います。
 この声明は、同志社大学の教職員が、自らが所属する大学を代表する立場にある者に対し、道理や建学の理念を拠り所として批判し、同志社の名誉を回復しようとするものであって、村田学長の学説そのもの
を封じようとするようなものではないからです。
 この声明に賛同した方々も、村田氏が学長ではない単なる法学部教授に過ぎなければ、腹立たしくは思いつつも、このような声明を出そうとは考えなかったでしょう。それは、安保関連法案を合憲とする(憲
法学界では)著しく特異な説を唱えている百地章教授に対し、日本大学教職員有志が批判する声明を出していない(多分いないでしょう)のと同じことです。

 「強行採決」が行われた今日以降、いよいよ厳しさを増す状況を意識するあまり、私たち自身が守るべき「矩(のり)」を踏み越えないように自戒しつつ、暴走する権力者とは徹底的に対峙する覚悟が必要で
しょう。
 「安保法案の成立に反対する同志社大学教職員有志の声明」への賛同者が同志社全体に圧倒的に広がることを祈っています。