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日本とブルンジで起きている権力者による憲法無視のクーデター

 今晩(2015年7月21日)配信した「メルマガ金原No.2158」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
日本とブルンジで起きている権力者による憲法無視のクーデター

 私が紙媒体の新聞に接するのは、事務所に配達される朝日新聞とわかやま新報を昼休みの食後に読む時くらいのもので、時間も限られており、重要な記事を見逃すことも少なくないのですが、今日(7月21日)読んだ朝日新聞朝刊(大阪本社13版)の以下の記事には、正直目が釘付けになり、思わず私が登
録しているMLやFacebookにこの記事を紹介する投稿をしてしまいました。
 私が読んだ版では6面の国際欄に掲載されていた記事で、見出しが
  ブルンジ 大統領選 高まる緊張
  現職3選出馬 市民「憲法違反だ」
とあり、もちろん見出しにある「憲法違反だ」という部分に惹かれて記事を読む気になったもので
す。
 この記事は朝日新聞デジタルでも配信されていますが、読むためには会員登録が必要です(無料会員でも1日に3本まで閲覧できます)。
 

 会員登録しなくても読める記事の冒頭部分には、「アフリカ中部のブルンジで、21日の大統領選を前
に緊張が高まっている。同国の憲法は大統領の3選を禁じているが、現職のヌクルンジザ大統領は3期目を目指して立候補。野党や市民が「憲法違反だ」と選挙をボイコットする姿勢を示すなか、政府は市民やメディアを弾圧して選挙を乗り切ろうとしている。」とあります。
 ブルンジという国のことを詳しく知っている日本人はほとんどいないかもしれませんので(正直私もその1人です)、外務省サイトで同国の概要を調べてみました。
 
外務省 国・地域 アフリカ ブルンジ共和国 基礎データ
(引用開始)
5.内政
(1)1962年のベルギーからの独立後,多数派フツ(全人口比約9割)と少数派ツチ(全人口比約1割)の間
で抗争が繰り返されてきた。独立後1993年まではツチが政権を維持していたが,1993年6月の大統領選挙でフツ系のンダダイエが勝利し,同国初のフツ系大統領が誕生すると,両部族間の対立が激化,同年10月,ツチ主導の軍部によりンダダイエ大統領が暗殺された。さらに,1994年4月,同年1月に国民議会により選出されたンタリャミラ大統領(フツ)が搭乗していた航空機がルワンダで撃墜され,同乗していたハビャ
リマナ・ルワンダ大統領とともに殺害される事件が発生し,情勢の混乱が続いた。
(2)1996年7月,ブヨヤ元大統領(ツチ)のクーデターによりブヨヤ政権が誕生し,1998年6月には一部の当事者の間で暫定的な停戦合意が成立,和平プロセスが開始された。2000年8月には,マンデラ前南ア大統領等の仲介努力により,フツ系反政府武装勢力を除く交渉当事者の間でアルーシャ和平合意が成立し,2001年11月に3年間の暫定政権が発足した。暫定政権は,前期と後期に分かれ,前期の大統領には2001年11月に,ブヨヤ(ツチ)が,後期の大統領には前期で副大統領を務めたンダイゼイエ(フツ)が,2003年4月
にそれぞれ就任した。
(3)こうした和平プロセスが進むなか,フツ系反政府武装勢力はアルーシャ合意に署名せず,戦闘を継続していたが,2003年11月,暫定政府は,最大のフツ系武装勢力である民主防衛国民会議・民主防衛戦線(CNDD-FDD)との停戦合意を締結し,同合意を受け,ンクルンジザCNDD-FDD代表が,良き統治大臣として
入閣した。
(4)2005年6-8月,暫定政権は一連の選挙プロセス(地方議会選挙,下院議会選挙,上院議会選挙,大統領選挙)を国際社会の支援を得つつ成功裡に実施し,政党となった旧反政府勢力のCNDD-FDDが勝利を収め
,ンクルンジザ良き統治大臣が大統領に選出された。
(5)2006年9月,唯一武力闘争を継続していたフツ系反政府勢力FNLルワサ派との包括的停戦合意が成立。その後合意実施が停滞していたが,2009年に入り,FNLの政党化承認及びブルンジ国軍・警察への統合等を
経て和平プロセスが完了した。
(引用終わり)
 
 フツとツチの対立というと、直ちに思い出されるのは「ルワンダ大虐殺」(1994年)ですが、ブルンジはそのルワンダの南隣にある国です。
 1993年以来内戦状態となり、それを収拾するための和平プロセスの仕上げとしての新憲法が制定されたのが2005年。この間の経緯を、我が国外務省のホームページから抜粋して引用してみましょう。
 
1993年06月 複数政党制下で初の大統領選挙(ンダダイエ大統領選出)
1993年10月 ンダダイエ大統領暗殺
1994年01月 国民議会は新大統領としてンタリャミラを選出
1994年04月 ンタリャミラ大統領事故死
1994年10月 ンティバントゥンガニャ大統領選出
1996年07月 軍部クーデターによりブヨヤ元大統領が大統領代行に就任
1998年     ブヨヤ暫定大統領就任
2000年08月 アルーシャ和平合意
2001年11月 暫定政府の成立(ブヨヤ前期大統領就任)
2003年05月 ンダイゼイエ後期大統領就任
2003年11月 暫定政府と反政府勢力民主防衛戦線(FDD)間の和平合意署名
2005年02月 新憲法国民投票により採択
2005年07月 上下院選挙実施
2005年08月 大統領選挙実施,ンクルンジザ大統領就任
2006年09月 国民解放勢力(FNL)ルワサ派との包括的停戦合意
2010年06月 大統領選挙,ンクルンジザ大統領再選
 
 以上のとおり、任期5年の大統領職を2期務めたヌクルンジザ(外務省は「ンクルンジザ」と表記)氏が、憲法上2期までと規定されているにもかかわらず、今年実施される大統領選挙に3選を目指して立候補することになり、同国が混乱状態に陥っているのですが、憲法の明文で3選が禁止されているにもかかわらず、なぜ立候補ができるというのか、詳しいことは分かりません。この点について、今朝の朝日新聞は、同大統領は、「1期目は議会に選出されたため、民選大統領としてはもう1期可能だ」と主張していると伝えています。
 私はブルンジ共和国憲法(の日本語訳/そんなものがあるのかどうかも知りませんが)を読んだこともなく、ブルンジ政治史を学んだこともないので(そんな講座を設けている大学もないでしょうね)、その
主張の当否、あるいはそれがどの程度「とんでもない」ものなのか、判断がつきかねます。
 しかし、「4月以降、市民が反発し、警官隊との衝突などでこれまでに100人以上が死亡、約15万
人が混乱を避けて国外に逃れた。」(朝日新聞)他、5月中旬には軍部の一部によるクーデターも(失敗に終わりましたが)起こっています。
 この軍事クーデターについては、外信を読んだ記憶がかすかにありました。
 
CNNニュース 2015年5月16日
ブルンジのクーデター失敗、軍幹部らを逮捕

(抜粋引用開始)
 軍幹部がクーデターを宣言し混乱が続いていたアフリカ中部ブルンジで15日、当局がクーデターに関
与した軍幹部らを逮捕した。同国のヌクルンジザ大統領は同日、テレビ演説を行い、平和の回復を宣言した。
 当局は大統領が外遊先のタンザニアから帰国した直後に、クーデターに関与したとみられる陸軍大将らを逮捕した。政府報道官によれば、反逆罪で軍法会議にかけられるという。
(略)
 ブルンジでは、ヌクルンジザ大統領が3期目を目指して大統領選に出馬する意向を示したことを受け、
憲法違反だとしてこれに反発するデモが激化。衝突を恐れて隣国のコンゴ(旧ザイール)やタンザニアルワンダに10万5000人が避難している。
 ブルンジルワンダと同じく多数派のフツ人と少数派のツチ人で構成され、かつては民族間の対立による内戦で30万人が死亡した。現時点では政治的な対立の様相を呈しているものの、政府が政権維持のために民族対立をあおるのではないかと警戒する声も出ている。
(引用終わり)
 
 このクーデター収拾の後も混乱は続いており、朝日新聞の伝えるところでは、「ヌクルンジザ氏の3選出馬を批判した第2副大統領や国会議長、憲法裁判所の裁判官、選挙管理委員会の副委員長などが国外逃亡している。」ということです。
 
 以上のような国民や軍の大統領への反発が、単に「憲法違反」だけを理由として発生した訳では当然ないでしょうが、その重要なきっかけであったことは間違いなさそうです。
 ブルンジ共和国の新憲法は、制定されて10年にして、権力を掌握している大統領自身による勝手な解釈によってその規範性が無視され、3選が強行されようとしているという状況のようです。
 このような事態を、石川健治東京大学法学部教授(憲法学)であれば、「法秩序の連続性が切断された」(されつつある)法学的意味でのクーデターと評されるのではないでしょうかね。
 その意味で、現在私たちの国で起きている事象は、マスメディアに対する弾圧も含めて、何も日本に特有のことなどではなく、世界的に見れ
ば、少しも目新しいものではないことが分かります。
 ただし、OECD加盟国であり、サミット構成国でもある日本において、世界最貧国の1つと言われる
ブルンジと基本的に同じ事態が進行しているということを認めたくない人が我が国には多いだろうと思いますが、事実は率直に認めなければ。
 私が今日の朝日新聞の記事に注目したのは以上のような理由によります。
 ただ、願わくは、ブルンジにおいてこれ以上流血の事態が拡大しないことを祈るばかりです。