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シンポジウム「『国民の70年談話』―日本国憲法の視座から」(8/13)のご紹介

 今晩(2015年8月1日)配信した「メルマガ金原No.2169」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
シンポジウム「『国民の70年談話』―日本国憲法の視座から」(8/13)のご紹介

 日本に3万6000人以上いる弁護士の中で、ブログを書いている者など別に珍しくもありませんが、そのブログを毎日更新している者となると、そうそういるとは思えません。しかし、絶無でないということも間違いなく、現に、東京弁護士会のベテラン、澤藤統一郎(さわふじ・とういちろう)弁護士が、「改憲への危機感から」、「憲法日記」というブログを毎日連載しておられます。
 
 僭越ながら、私のこのブログも一応「毎日更新」を続けていますが、時間がない時は、行事案内、TV番組案内、映画案内、動画紹介、ブログ紹介など、要するに、他人が作ったコンテンツを借用に及び、自分自身は極力省力化をはかることもたびたびで、とても澤藤先生の足下にも及びません。
 
 実は、今日ご紹介しようという企画は、その澤藤統一郎弁護士から複数のMLに、「ぜひとも拡散をお願いいたします。」という要請があったものであり、「澤藤先生からの依頼なら是非協力しなければ」という気持ちからであることはもとよりながら、「今夜は紀州おどりに『九条連』を結成して出場したりしていたため、ブログに何を書くか全然考えていなかったのでちょうど良かった。」という思いがあることも事実です。「ブログ毎日更新」というのは、かくもスリリングな綱渡りでもあるのです。
 
 さて、その企画というのは、来る8月13日に日弁連弁護士会館)講堂クレオで開かれる「『国民の70年談話』―日本国憲法の視座から 過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして」です。
 チラシの文字情報を以下に転記します。
 
チラシから引用開始)
「国民の70年談話」―日本国憲法の視座から
過去と向き合い未来を語る・安全保障関連法案の廃案をめざして
 
日時■2015年8月13日(木)午前11時~午後2時
会場■弁護士会館 2階講堂「クレオ」ABC
東京メトロ丸ノ内線、日比谷線、千代田線「霞ヶ関駅」B1-b出口より直通
東京メトロ有楽町線桜田門駅」5番出口より徒歩8分
■参加費無料 (カンパは歓迎)
 
 戦後70周年を迎える今年の夏、憲法の理念を乱暴に蹂躙しようとする政権と、あくまで憲法を擁護し、その理念実現を求める国民との対立が緊迫し深刻化しています。
 この事態において、政権の側の「戦後70年談話」が発表されようとしていますが、私たちは、安倍政権の談話に対峙する「国民の70年談話」が必要だと考えます。
 そのような場としてふさわしいシンポジウムを企画しました。憲法が前提とした歴史認識を正確に踏まえるとともに、戦後日本再出発時の憲法に込められた理念を再確認して、平和・民主主義・人権・教育・生活・憲法運動等々の諸分野での「戦後」をトータルに検証のうえ、「国民の70年談話」を採択しようというものです。
 ときあたかも、平和憲法をめぐるせめぎ合いの象徴的事件として安全保障関連法案阻止運動が昂揚しています。併せて、この法案の問題点を歴史的に確認する集会ともしたいと思います。
 ぜひ、多くの皆さまのご参加をお願いいたします。
 
■戦後70年日本が戦争をせず、平和であり続けることが出来たことの意義
  高 橋 哲 哉 (東京大学教授)
■戦後改革における民主主義の理念と現状
  堀 尾 輝 久 (元日本教育学会・教育法学会会長)
■人間らしい暮らしと働き方のできる持続可能な社会の実現に向けて
  暉 峻 淑 子 (埼玉大学名誉教授)
日本国憲法を内実化するための闘い──砂川・長沼訴訟の経験から
  新 井 章 (弁護士)
■安全保障関連法案は憲法違反である 
  杉 原 泰 雄 (一橋大学名誉教授) 
◆「国民の70年談話」の発表と参加者による採択
 
主 催■「国民の70年談話」代表・新井章  
      代表・新井 章  事務局長・加藤文也
連絡先■東京中央法律事務所(電話03-3353-1911
(引用終わり)
 
 この企画のコンセプトを、澤藤弁護士は「憲法日記」(7月28日)で次のように説明されています。
 
「『国民の70年談話』ー日本国憲法の視座から」のコンセプト
(引用開始)
 コンセプトは、あくまで安倍政権と対峙する国民の側からの、戦後70年という来し方の総括であり、今後の展望である。各人それぞれの個性ある総括ではなく、「国民」の総括であり展望。国民とは、主権者であると同時に被治者である人々の総体。権力者との対概念にほかならない。
 国民の戦後70年の総括が安倍政権と同様となるはずはなく、今後の展望も安倍政権とは異なるものとなる。その国民の総意を、憲法の立場に立脚するものとして確認したい。もっともオーソドックスな憲法の解釈と、その憲法が踏まえた歴史認識を前提とするのが「国民の70年談話」の基本となる。それが、「日本国憲法の視座から」と副題をつけた意味である。
 政権の側の「談話」の内容は、安倍首相独特の個性から、歴史認識の記述がきわめて独善的で不十分になることが予想されている。自ら選定した有識者懇談会の意見をさえ聞こうとしていないと報道されている。私たちは、憲法の視座から、公表された安倍談話と対峙させた内容の「国民の談話」を作成して、安倍政権のあり方を根底から批判するものとしたいと思う。
 おそらく、彼我の最大の対決点は平和主義のとらえ方となるだろう。憲法9条が指し示す「武力によらない平和」か、安倍政権が打ち出している「積極的平和主義」すなわち武力による抑止力に期待する平和か。この思想の対立を浮かびあがらせることが課題となると思われる。また、この点の理解は、歴史認識の違いから導き出されると考えられる。侵略戦争や植民地支配についての加害者としての真摯な反省を表明するか否かも鋭く対立するところとなるだろう。
 期間はきわめて切迫しているが、可能な限り原案を広く世に問うて、多くの人の意見に耳を傾けて成案としたい。この過程にも、ぜひご参加いただきたい。
(引用終わり)
 
 また、今日(8月1日)、某MLに届いた澤藤弁護士のメールには、「プログラムの全体を、11時~13時20分とし、その内約1時間を若者や女性、若手弁護士等の未来を語る発言時間にしようと相談しています。」とありました。
 以上が企画の概要のご紹介です。

 「憲法日記」にも書かれているように、「各人それぞれの個性ある総括ではなく、「国民」の総括であり展望。国民とは、主権者であると同時に被治者である人々の総体。」というコンセプトがキーですね。
 単に1人1人の国民が「戦後70年に思う」という感慨を述べ合い、その公約数的な言辞を繋ぎ合わせるようなものは想定されていないということでしょう。
 何しろ、70年談話を出そうという安倍晋三氏も1人の国民に違いありませんから(今回は閣議決定もしないようですし)。
 
 「可能な限り原案を広く世に問うて、多くの人の意見に耳を傾けて成案としたい。」というのが(時間的にも技術的にも難しいので)どの程度実現するか分かりませんが、出来れば私も「国民の70年談話」原案を読んで意見を述べてみたいですね。