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いよいよ高まる安倍談話への「期待」~21世紀構想懇談会「報告書」を読んで

 今晩(2015年8月6日)配信した「メルマガ金原No.2174」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
いよいよ高まる安倍談話への「期待」~21世紀構想懇談会「報告書」を読んで

 70回目の広島原爆投下の今日(8月6日)、広島市平和記念公園で開催された広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参列した後帰京した安倍晋三首相は、首相の私的諮問機関である「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会(21世紀構想懇談会)」から報告書を受け取りました。
 共同通信の配信記事を引用します。
 
共同通信 2015/08/06 17:06
侵略と植民地支配明記 首相70年談話へ報告書

(引用開始)
 安倍晋三首相の戦後70年談話に関する私的諮問機関「21世紀構想懇談会」の西室泰三座長(日本郵政社長)は6日、官邸で首相に報告書を手渡した。先の大戦をめぐる日本の行為を「侵略」「植民地支配」と明記する一方、戦後50年の村山富市首相談話が記述した「おわび」を盛り込む必要性には触れなかった。米国の国力の相対的低下を受け、安全保障分野における世界規模での日本の負担増を主張した。首
相は報告書を踏まえ、14日にも談話を発表する。
 報告書は全38ページ。中韓との和解は「完全に達成されたと言えない」と指摘。和解に向け中韓に「
寛容な心」を促した。
(引用終わり)
 
 時間の都合で子細な検討は未了ですが、とりあえず今日の時点で目に付いた部分を引用しておきます。
 上記記事に「先の大戦をめぐる日本の行為を「侵略」「植民地支配」と明記する一方」とあるのは以下の部分です。前後の文脈を知っていただくために、少し長めに引用します。
 
20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会
報告書(平成27年8月6日)

(引用開始)
1 20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私たちが20世紀の経験から汲むべき教訓は何か。
(1)20世紀の世界と日本の歩み
イ 大恐慌から第二次世界大戦
 1929年にアメリカで勃発した大恐慌は世界と日本を大きく変えた。アメリカからの資金の流入に依
存していたドイツ経済は崩壊し、ナチス共産党が台頭した。
 アメリカが高関税政策をとったことは、日本の対米輸出に大打撃を与えた。英仏もブロック経済に進ん
でいった。日本の中の対英米協調派の影響力は低下していった。日本の中では力で膨張するしかないと考える勢力が力を増した。特に陸軍中堅層は、中国ナショナリズム満州権益への挑戦と、ソ連の軍事強国としての復活を懸念していた。彼らが力によって満州権益を確保するべく、満州事変を起こしたとき、政党政治や国際協調主義者の中に、これを抑える力は残っていなかった。
 そのころ、既にイタリアではムッソリーニの独裁が始まっており、ソ連ではスターリンの独裁も確立されていた。ドイツではナチス議席を伸ばした。もはやリベラル・デモクラシーの時代ではないという観念が広まった。
 国内では全体主義的な強力な政治体制を構築し、世界では、英米のような「持てる国」に対して植民地
再分配を要求するという路線が、次第に受け入れられるようになった。
 こうして日本は、満州事変以後、大陸への侵略を拡大し、第一次大戦後の民族自決、戦争違法化、民主化、経済的発展主義という流れから逸脱して、世界の大勢を見失い、無謀な戦争でアジアを中心とする諸国に多くの被害を与えた。特に中国では広範な地域で多数の犠牲者を出すことになった。また、軍部は兵士を最小限度の補給も武器もなしに戦場に送り出したうえ、捕虜にとられることを許さず、死に至らしめたことも少なくなかった。広島・長崎・東京大空襲ばかりではなく、日本全国の多数の都市が焼夷弾による空襲で焼け野原と化した。特に、沖縄は、全住民の3分の1が死亡するという凄惨な戦場となった。植
民地についても、民族自決の大勢に逆行し、特に1930年代後半から、植民地支配が過酷化した。
 1930年代以後の日本の政府、軍の指導者の責任は誠に重いと言わざるを得ない。
 なお、日本の1930年代から1945年にかけての戦争の結果、多くのアジアの国々が独立した。多くの意思決定は、自存自衛の名の下に行われた(もちろん、その自存自衛の内容、方向は間違っていた。)のであって、アジア解放のために、決断をしたことはほとんどない。アジア解放のために戦った人は勿
論いたし、結果としてアジアにおける植民地の独立は進んだが、国策として日本がアジア解放のために戦ったと主張することは正確ではない。
注 複数の委員より、「侵略」と言う言葉を使用することに異議がある旨表明があった。理由は、1)国際法上「侵略」の定義が定まっていないこと、2)歴史的に考察しても、満州事変以後を「侵略」と断定する事に異論があること、3)他国が同様の行為を実施していた中、日本の行為だけを「侵略」と断定することに抵抗があるからである。
(引用終わり)
 
 以前、この懇談会の議事概要を1、2度読んだ時にも感じたことですが、要するに、この私的諮問機関は、安倍首相に対する「ご進講」をよってたかってやっているのだと考えれば、すんなりと腑に落ちます。
 実際、「報告書」の「はじめに」にはこう書かれています。
 
(引用開始)
 本懇談会は、平成27年2月25日に開催された第1回会合にて、安倍総理より、懇談会で議論する論
点として、以下の5点の提示を受けた。
1 20世紀の世界と日本の歩みをどう考えるか。私たちが20世紀の経験から汲むべき教訓は何か。
2 日本は、戦後70年間、20世紀の教訓をふまえて、どのような道を歩んできたのか。特に、戦後日
本の平和主義、経済発展、国際貢献をどのように評価するか。
3 日本は、戦後70年、米国、豪州、欧州の国々と、また、特に中国、韓国をはじめとするアジアの国々等と、どのような和解の道を歩んできたか。
4 20世紀の教訓をふまえて、21世紀のアジアと世界のビジョンをどう描くか。日本はどのような貢献をするべきか。
5 戦後70周年に当たって我が国が取るべき具体的施策はどのようなものか。
 懇談会では、総理から提示があった各論点につき、7回にわたり会合を実施してきた。今般、これら会
合における議論を、総理から提示があった論点に沿って本報告書としてとりまとめた。本報告書が戦後70年を機に出される談話の参考となることを期待するものである。
(引用終わり)
 
 何しろ「ご進講」ですから、受講生のお気に召さない内容であれば「無視」すれば良いだけのことです。この懇談会の報告書を取りまとめるためにどれだけの国費が使われたのか知りませんが、上記1~5の論点など、基礎的なことは政治家として当然わきまえていなければならない問題ですし、より掘り下げた知識が得たければ、適切な見識を有する人に個人的に教えを乞えば良いだけなのですから、このような懇談会の存在意義などどこにもありません。
 
 ところで、共同通信が「先の大戦をめぐる日本の行為を「侵略」「植民地支配」と明記」と書いた部分を読んでの私の感想は、「明記には違いないが、所詮はご進講だけに、当事者意識が全く感じられない」というものでした。
 この点は、諮問事項3の「中国、韓国をはじめとするアジアの国々等と、どのような和解の道を歩んで
きたか。」についての報告でよりあからさまになります。
 まず、中国との和解についてです。
 
(引用開始)
4 日本は戦後70年、中国、韓国をはじめとするアジアの国々とどのような和解の道を歩んできたか。
(1) 中国との和解の70年
ア 終戦から国交正常化まで (略)
イ 国交正常化から現在まで (略)
ウ 中国との和解の70年への評価
 第二次大戦後70年の日中関係を振り返ると、お互いに和解に向けた姿勢を示したが、双方の思惑が十
分には合致しなかった70年であると言える。
 大戦直後の1950年代、60年代、蒋介石が「以徳報怨」の精神を示し、毛沢東も「軍民二元論」の考えを明確化した時代は、ちょうど日本においても先の大戦への戦争責任論や反省についての議論が盛り上がりを見せていた。しかし、当時日本は中華人民共和国とは国交がなく、中華民国との間でも人的交流は限られていたため、双方の人々が交わる形で和解が進展したというわけではなかった。逆に言えば、中国で言論の一定の自由化がなされ、台湾で民主化が達成されたころは、日本では反省や責任論が以前よりも後退した後であり、その時期に民間の関係が広がった。1980年代に鄧小平が日本を経済の師とし、
日中関係が経済を中心に急速に親密化した時代は和解が進む絶好の機会であったが、鄧小平は同時に、歴史を強調する決断をし、和解の著しい進展は見られなかった。
 また、天安門事件発生後、日本が中国の国際的孤立を防ぐために動き、更に戦後50年の村山談話を発表したが、こうした日本側の姿勢は、冷戦後に共産党の正当性を強化する手段として中国側が愛国主義
育を強化した江沢民の時代に重なってしまった。
 時代の趨勢等により、不幸にもうまく合致してこなかった日中の和解への取り組みであるが、双方がこ
れまで成し遂げてきた努力は無駄になったわけではない。戦後50年を機に村山政権が実行した平和友好交流計画は、二国間の人的交流を拡大した。同計画において立ち上げられたアジア歴史資料センターは、今でも歴史への理解を深めようとする両国の研究者により広く使われている。また、2006年から2010年にかけては、日中間で歴史共同研究も行われた。
 そして、中国は、「軍民二元論」を戦後維持しており、2007年に温家宝首相が国会演説で述べたように、村山談話や小泉談話など、日本による先の大戦への反省と謝罪を評価する立場を明確にしている。
 2006年に安倍首相が胡錦濤主席との間で確認した戦略的互恵関係は、両国間の人的交流の促進を謳っている。そして習近平主席はこの理念を受け継ぎ、推進すると明言している。今後中国との間では、過去への反省をふまえあらゆるレベルにおいて交流をこれまで以上に活発化させ、これまで掛け違いになっていたボタンをかけ直し、和解を進めていく作業が必要となる。
(引用終わり)
 
 どうでしょうか。これがテレビのコメンテーターの発言なら、「よく調べているし、まずまず極端過ぎるというほどででもなく、いいんじゃないの?」といったところでしょうか。
 ただし、それは日本・中国以外の第三国のTVコメンテーターであればという条件は付きますが。
 それが、韓国との和解の話になると、相当印象が変わってきます。
 
(引用開始)
(2) 韓国との和解の70年
ア 終戦から国交正常化まで (略)
イ 国交正常化から現在まで (略)
ウ 韓国との和解の70年への評価
 第二次大戦後の70年を振り返れば、韓国の対日観において理性が日本との現実的な協力関係を後押し
し、心情が日本に対する否定的な歴史認識を高めることにより二国間関係前進の妨げとなってきたことがわかる。未だ成し遂げられていない韓国との和解を実現するために我々は何をしなければいけないかとい
う問いへの答えは、韓国が持つ理性と心情両方の側面に日本が働きかけることであると言える。
 理性への働きかけにおいては、日本と韓国にとって、なぜ良好な日韓関係が必要であるかを再確認する必要がある。朴槿惠政権が中国に依存し、日本への評価を下げたことにより、同政権が日本と理性的に付き合うことに意義を見出していない現状を見てもこのことは明らかであろう。このためには、自由、民主主義、市場経済といった価値観を共有する隣国という側面だけではなく、二国間の経済関係やアジア地域における安全保障分野における日韓協力がいかに地域そして世界の繁栄と安定に重要かといった具体的事例を持って、お互いの重要性につき韓国との対話を重ねていく必要がある。朴槿惠大統領の日本に対する
強硬姿勢は最近になり変化の兆しを見せており、経済界における日韓間の対話は依然として活発であるところ、政府間の対話も増やす余地はあると言える。
 心情への働きかけについては、日本は、特に1990年代において河野談話村山談話アジア女性基金等を通じて努力してきたことは事実である。そしてこれら日本側の取組が行われた際に、韓国側もこれに一定の評価をしていたことも事実である。こうした経緯があるにもかかわらず、今になっても韓国内で歴史に関して否定的な対日観が強く残り、かつ政府がこうした国内の声を対日政策に反映させている。かかる経緯を振り返れば、いかに日本側が努力し、その時の韓国政府がこれを評価しても、将来の韓国政府が日本側の過去の取組を否定するという歴史が繰り返されるのではないかという指摘が出るのも当然であ
る。
 しかし、だからと言って、韓国内に依然として存在する日本への反発に何ら対処しないということにな
れば、二国間関係は前進しない。1998年の日韓パートナーシップ宣言において、植民地により韓国国民にもたらした苦痛と損害への痛切な反省の気持ちを述べた小渕首相に対し、金大中大統領は、小渕首相の歴史認識の表明を真摯に受けとめ、これを評価し、両国が過去の不幸な歴史を乗り越えて和解と善隣友好協力に基づいた未来志向的な関係を発展させるためにお互い努力することが時代の要請であると述べた。にもかかわらず、その後も、韓国政府が歴史認識問題において「ゴールポスト」を動かしてきた経緯にかんがみれば、永続する和解を成し遂げるための手段について、韓国政府も一緒になって考えてもらう必要がある。二国間で真の和解のために韓国の国民感情にいかに対応するかということを日韓両国がともに検討し、一緒になって和解の方策を考え、責任を共有することが必要である。
(引用終わり)
 
 この部分に至ってついに「地金が出た」のでしょうか。「永続する和解を成し遂げるための手段について、韓国政府も一緒になって考えてもらう必要がある」と言いながら、それまでに書いていることといえば、和解できないのは韓国のせいだ、ということばかりです。第一、「二国間で真の和解のために韓国の国民感情にいかに対応するか」を検討する必要があると書きながら、日本の「国民感情」が日韓和解の妨げになっている側面には一切触れておらず、評論家、コメンテーターのコメントとしても落第です。
 そもそも、日韓和解が進まない原因を、韓国の「理性(の不足)」と「心情」の2点に集約するという「傲慢さ」がどうすれば出てくるのか理解できません。この発想は、少し上品にした「在特会」と言っても過言ではありません。
 上記論述にいかに説得力がないかは、「かかる経緯を振り返れば、いかに日本側が努力し、その時の韓国政府がこれを評価しても、将来の韓国政府が日本側の過去の取組を否定するという歴史が繰り返されるのではないかという指摘が出るのも当然である。」とある部分の「日本」と「韓国」を入れ替えても、完全に文意の通じる文章になることからも明らかです。
 極めつけは、「韓国政府が歴史認識問題において「ゴールポスト」を動かしてきた経緯にかんがみれば、永続する和解を成し遂げるための手段について、韓国政府も一緒になって考えてもらう必要がある」という部分です。起案者は、「気の利いた表現を思いついた」と大いに自慢なのかもしれませんが、この「報告書」で韓国に喧嘩を売って、日本にどういう利益があると考えているのか?懇談会メンバーの知的レベルを疑わざるを得ません。
 
 ということで、全38ページの「報告書」のさわりを読んだだけですが、「ご進講」だとしてもレベルが低過ぎます。
 しかし、この「報告書」を読んで、8月14日にも発表されるという「安倍談話」に対する期待がいよいよふくらんできたこともまた事実です。こうなれば、「侵略」も(ついでに「植民地支配」も)、(注)に書かれていた少数説(安倍首相の真意がこちらであることは誰でも知っています)を採用し、安倍首相にとって「悔いのない」談話を発表してもらいたいものです。
 そして、その「安倍談話」を最後の花道として、安倍首相には、総理大臣の座を去って(「石もて追われるが如く」でしょうが)いただきたいと心から願います。