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安倍談話の後でもう一度「反省」と「謝罪」を考える

 今晩(2015年8月20日)配信した「メルマガ金原No.2188」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
安倍談話の後でもう一度「反省」と「謝罪」を考える

 8月14日に「安倍談話」が発表された今となってはいささか旧聞に属しますし、第一このメルマガ(ブログ)でも一度取り上げたことがあるのですが(日本記者クラブの会見詳録で考える「戦後70年」「安保法制」そして「沖縄」/2015年6月22日)、去る6月9日に日本記者クラブで行われた村山富市元首相と河野洋平衆議院議長による記者会見を、もう一度取り上げてみようと思います。
 そのように考えたのは、会見直後に収録されてアップされていたものの、最近まで視聴できていなかったビデオニュース・ドットコムのニュース・コメンタリー(河野・村山会見にみる 今、日本が世界から問われていること)をたまたま見る機会があり、そこで語られている萱野稔人氏(津田塾大学教授)、宮台真司氏(首都大学東京教授)、神保哲生氏(ビデオニュース・ドットコム)の意見は、河野談話村山談話をめぐる論点を整理するために非常に示唆に富むと考えたことによります。
 ビデオニュース・ドットコムにアップされた日本記者クラブでの村山氏と河野氏の会見動画、及び萱野教授をゲストに招いたニュース・コメンタリーの動画をご紹介します。
 

(動画解説引用開始)
 村山富市元首相と河野洋平衆議院議長は6月9日に行われた日本記者クラブでの講演で、安倍首相が戦後70年を記念して発表する予定の「戦後70年談話」には、過去の植民地支配と侵略に対する反省を明示
した村山談話を継承すべきだという考えを示した。
 村山氏は「安倍首相には、きちんと村山談話を継承すると言ってもらわなければならない。戦後70年
談話の中に、素直にはっきり明記し、国際的な疑問と誤解を解消することが大切だ」と語り、自身が総理在任中の1995年、戦後50周年を記念した「村山談話」を継承するよう求めた。
 河野氏は安倍首相が村山談話を継承すると言っている以上、戦後70年にあえて総理談話を出す必要はないのではないかとの認識を示した上で、70周年記念事業として国立の慰霊の施設を作ることを提言した。「国民誰しもが、わだかまりなく参拝できるような事業を行ったほうがいい」と河野氏は述べた。
 また、村山、河野両氏は現在国会で審議中の集団的自衛権の行使を可能にする新安保法制について、そ
れに反対する意向を明確にしたうえで、「一旦取り下げて、再検討すべき」(河野氏)などと語った。
(引用終わり)
 
ビデオニュース・ドットコム ニュース・コメンタリー(2015年6月)
河野・村山会見にみる 今、日本が世界から問われていること


(動画解説引用開始)
 なぜ戦後70年経っても、日本は謝まり続けなければならないのだろうか。
 村山富市元首相と河野洋平官房長官が6月9日、日本記者クラブで会見し、安倍首相がこの夏に発表を
予定している戦後70年の首相談話について、歴代内閣の歴史認識を引き継ぐよう注文をつけた。
 村山、河野両氏とも、過去の植民地支配と侵略を認めた上で、反省とおわびを表明した村山談話を継承
すべきだと語っている。
 戦後70年談話について安倍首相は歴代内閣の立場は継承するとしながらも、その中に明確な謝罪の言葉を含めるかどうかについては、これまでのところ言葉を濁している。また、戦後70年たっても、いまだに
日本が謝り続けれなければならないことに疑問を持つ人が増えていることも事実だろう。
 確かに、本来であれば謝罪は一回でいいという考え方もある。過ちを犯した場合は謝罪をしなければならないが、その謝罪が受け入れられれば、その後で、何度も謝罪を繰り返す必要はないのではないかとい
う考えにも一理ある。
 しかし、そこには一つ重要な前提がある。それは、その後も謝罪で表明している済まないという気持ち
を、行動で示せているということだ、
 口で謝罪をするだけなら誰でもできる。しかし、過ちを認めて謝罪をした以上、その後は、その反省の上に則った行動を取り続けていなければならない。それができないと、何度でも過去の過ちを蒸し返されることになる。
 日本は謝罪はするが、反省の意思を見せるのが下手なのではないかとゲストの萱野稔人氏は言う。あるいは、謝罪と反省の識別が明確についていないのかもしれない。
 どんなに口で謝罪を繰り返しても、それが真の反省から生じた誠実なものであり、まだその反省が行動
で示されていなければ、被害を受けた相手は納得しない。いきおい、それを政治的に利用する余地まで相手側に与えてしまうことになりかねない。
 河野、村山会見の映像を参照しつつ、安倍首相の戦後70年談話では何が問われているかについて、津田塾大学の萱野稔人氏と、ジャーナリストの神保哲生社会学者の宮台真司が議論した。
(引用終わり)
 
 いわゆる“従軍慰安婦問題”についての萱野稔人(かやの・としひと)氏や宮台真司(みやだい・しんじ)氏の見解に賛成しかねるという人もいるでしょうし、私自身にしても、全面的に賛成できるかと言われれば、首をひねる部分がない訳ではありません。
 しかし、にもかかわらず、私が萱野氏や宮台氏の発言に大きな共感を覚え、やや時期に遅れながらもご紹介したいと思ったのは以下のようなことからです。
 すなわち、河野談話(1993年)が、“従軍慰安婦問題”についての当時の日本の外交上の到達点、つまり一種の「手打ち」(主には韓国との)だったとすれば、最低限そこから後退してはいけない。にもかかわらず、河野談話を否定しようとする動きが度々表面化することによって、「日本は反省していない」という証拠を韓国に提供し続け、外交上のオウンゴールを重ねているのだという意見に完全に同意します。

 私は、この意見を聞いていて身につまされました。つまり、調停でも訴訟上の和解でも、あるいはその
前段階としての示談交渉でもそうなのですが、交渉ごとというのは積み重ねですから、「ここまでは合意できたが、ここから先はなお意見に開きがある」「その意見の開きを埋めるために次はこういう妥協案を提示しよう」とやっている最中に、いったん合意していたはずの到達点をひっくり返されては、信頼関係は大きく損なわれ、交渉になりません。
 ましてや、いったん最終合意に至って調停調書や和解調書まで作成しながら、あとから「あの条項は間違っている」と言い出すなどというのは論外です。
 
 またこの理は、戦後日本の体制が何によって定まったかと言えば(つまり“戦後レジーム”ですね)、軍備と戦争を放棄した日本国憲法を制定し、東京裁判サンフランシスコ講和条約(対日平和条約)を受け入れたことによってであって、戦後日本の正統性のよって来る由縁を認識していれば、公人の靖国神社参拝だけはあり得ない、ということにもつながる訳です。
 
 以上のような視点をもって、神保哲生氏をホストに、萱野稔人氏と宮台真司氏が語り合った鼎談に耳を傾けられれば、きっと得るものがあると思います。
 ただし、3人の皆さんにとっては、あらためて解説を加える必要もない「常識」だと考えられている事柄であっても、聞いていて分かりにくい部分があるかもしれませんので、その場合には、僭越ながら、末尾でご紹介した私の過去のブログをお読みいただければ、少しは理解に資するかもしれません。