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「原発メーカー訴訟」に遅ればせながら注目したい

 今晩(2015年8月30日)配信した「メルマガ金原No.2198」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
原発メーカー訴訟」に遅ればせながら注目したい
 
 今日(2015年8月30日)は、「戦争させない、9条壊すな!総がかり行動実行委員会」が呼びかけた「戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動」が全国各地で実施された歴史的な1日であり、私自身も、午前中は和歌山市役所前からJR和歌山駅前までデモ行進し(主催:和歌山県平和フォーラム、戦争をさせない和歌山委員会)、午後4時からは私の自宅近くで行われた街頭宣伝パレード(主催:戦争はいやや河西の会)に参加し、1日に2度もデモ行進するという生まれて初めての経験をしました。
 従って、そのことを書いても良いのですが、2つのデモに参加していささか疲労が重なり、「国会10万人行動」や「全国100万人行動」についての(おそらく)膨大な情報を集める余力がなく、また、他に情報発信する人はいくらでもいるだろうということで、この件についてはまたの機会に譲ることにしました。
 
 今日、取り上げたいと思ったのは、一昨日(8月28日)、東京地方裁判所で開かれたある訴訟の第1回口頭弁論についてです。
 それは、「原発メーカー訴訟」です。
 東京新聞の報道を引用します。
 
(抜粋引用開始)
 東京電力福島第一原発の事故で、被災者を含む国内外の約三千八百人が、同原発の原子炉を製造した米ゼネラル・エレクトリック(GE)と東芝日立製作所の三社に損害賠償を求めた訴訟の第一回口頭弁論が二十八日、東京地裁であり、原告側は「東電だけでなくメーカーも事故の責任を負うべきだ」と主張。メーカー側は争う姿勢を示した。
 原子力損害賠償法は原発事故で電力会社などの「原子力事業者」以外は賠償責任を負わないと定めている。原告側は、この法律は「製造者の責任を問う権利を妨げており、違憲で無効」と主張。「三社には原発の構造上の欠陥を知りながら放置した過失がある」と指摘。メーカー側は「三社が責任を負わなくても被害は賠償される。違憲ではない」と主張した。
 原告の一人で福島県郡山市の森園和重さん(53)は意見陳述で「低線量被ばくを強要され続け、放射能に汚染された土地に戻れずに自殺する人も後を絶たない」と被災地の窮状を強調。「原子炉の欠陥が指摘されながらメーカーは責任を追及されていない。利益のみを追求し責任を逃れる理不尽極まりない現状を、許さないでください」と訴えた。
 原告は福島県の三十四人を含む国内の約千四百人と韓国や台湾などの約二千四百人。メーカーの賠償責任を認めさせることが訴訟の最大の目的のため、請求額は一人当たり百円とした。
◆原告に元設計者も
 「メーカーの責任は決定的に大きい」。閉廷後、原告らは東京・霞が関の司法記者クラブで記者会見した。原告の一人で元東芝の原子炉格納容器設計者だった後藤政志氏(66)は、賠償責任を否定するメーカー三社の責任の大きさを厳しい口調で訴えた。
 後藤氏自身は、福島第一原発には関わっていないが、「(放射性物質の拡散につながった)水素爆発がなぜ起きたか。一番分かっているのはメーカー。責任がないとは口が裂けても言えないはずだ」と声を絞り出した。
(略)
(引用終わり)
 
 「原発メーカー訴訟」というものが提起されているらしいということは、私自身、正直言って「聞いたことがあるような気がする」という程度でした。
 その理由は、東京新聞の記事でも触れられている以下のような法律の規定にありました。
 
原子力損害の賠償に関する法律(昭和三十六年六月十七日法律第百四十七号)
  
第二章 原子力損害賠償責任
(無過失責任、責任の集中等)
第三条
 原子炉の運転等の際、当該原子炉の運転等により原子力損害を与えたときは、当該原子炉の運転等に係る原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。ただし、その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によつて生じたものであるときは、この限りでない。
2 前項の場合において、その損害が原子力事業者間の核燃料物質等の運搬により生じたものであるときは、当該原子力事業者間に書面による特約がない限り、当該核燃料物質等の発送人である原子力事業者がその損害を賠償する責めに任ずる。
第四条 前条の場合においては、同条の規定により損害を賠償する責めに任ずべき原子力事業者以外の者は、その損害を賠償する責めに任じない。
2 前条第一項の場合において、第七条の二第二項に規定する損害賠償措置を講じて本邦の水域に外国原子力船を立ち入らせる原子力事業者が損害を賠償する責めに任ずべき額は、同項に規定する額までとする。
3 原子炉の運転等により生じた原子力損害については、商法(明治三十二年法律第四十八号)第七百九十八条第一項 、船舶の所有者等の責任の制限に関する法律(昭和五十年法律第九十四号)及び製造物責任法(平成六年法律第八十五号)の規定は、適用しない。
(被害者に重大な過失がある場合における損害賠償の額の算定)
第四条の二 第三条の場合において、被害者に重大な過失があつたときは、裁判所は、これを考慮して、損害賠償の額を定めることができる。
(求償権)
第五条 第三条の場合において、他にその損害の発生の原因について責めに任ずべき自然人があるとき(当該損害が当該自然人の故意により生じたものである場合に限る。)は、同条の規定により損害を賠償した原子力事業者は、その者に対して求償権を有する。
2 前項の規定は、求償権に関し書面による特約をすることを妨げない。
 
 以上のとおり、原子力損害賠償責任については、原賠法によって、原子力事業者に責任を集中し、それ以外の者は「その損害を賠償する責めに任じない」とされており(第4条1項)、さらにご丁寧なことに、メーカーについては、「製造物責任法(平成六年法律第八十五号)の規定は、適用しない。」(第4条3項)ということまで(念のために)規定されています。
 初めてこの規定の存在を知った時、私は、「それはないだろう!」と思ったものの、この規定を無効と主張するためには憲法論を持ち出すしかなく、原子力損害賠償についての責任集中制度をいかにすれば違憲無効とできるのか、具体的な理論構成が思いつかず、いつとはなしに関心が薄れてしまっていました。
 そして、GE、東芝、日立を被告として訴訟が提起されたということを知ったのは、提訴(2014年1月)からかなり経ってからでしたが、どういう構成で原賠法の違憲無効を主張しているのか、詳しく検討してみようという意欲は、その当時はわきませんでした。
 
 そして、提訴から1年半以上が経過した一昨日、上記東京新聞の報道で第1回口頭弁論が開かれたということを知り、これは関心を持ってフォローすべき裁判なのではないか、という直感が働き、とりあえずそのための資料を集めておこうと思い立ったという次第です。
 従って、これはまことに遅ればせながらの私自身の学習のための準備作業なので、もしも、私と同じように関心を持ってくださった方がおられれば、少しは役に立つかもしれないというものです。
 
 まず、基本資料は、以下の公式サイトに集められています。
 
 
 ただ、以下のようなサイトもあるのですが、これは代理人がつかない本人訴訟を選択した原告によるサイトということなのだろうか?(よく分からない)
 
 
 学習の基本となるのは、まずは「訴状」の理論構成です。
 
 
 
 
 
 なにしろ、162頁もある訴状にいきなり挑戦するのは大変なので、とりあえずは、原告団・弁護団公式サイトに掲載された「訴状の法的構成」を読んでおきましょう。

(引用開始)
責任集中制度
 原発が事故を起こした場合の責任主体としては、国、原発メーカー、そして電力会社が考えられる。これは、連帯債務であり、被害者はこの三者のいずれにも損害賠償請求ができる。
 ところが、原発事故に関しては、原子力損害賠償法(原賠法)という法律があって、そこには、電力会社が過失の有無にかかわらず責任を負うこと(3条1項)及び電力会社以外の免責(4条1項)、PL法の排除(同項3項)が規定されている。これらは、1条に掲げられる「原子力事業の健全な発達」という目的を具体化した条文であり、実は世界中に広く行き渡っている「責任集中制度」という仕組みである。そして、これこそが、世界の原発体制を強固に保護する仕組みなのである。
 なぜなら、被害者は電力会社に対してのみ損害賠償請求をすることができるが、その賠償額が電力会社の保険契約等による損害賠償措置額1200億円を超える場合、国が援助をすることとされている(16条1項)。しかし、電力会社及び国から支払われる賠償金は、言うまでもなく国民が負担する電気料金及び税金がその原資である。つまり、国民による負担が、電力会社や政府を通して、被害者に支払われるだけであり、原発メーカーは、ここにはまったく関与することなく、安心して自らの経済活動に専念することができるのである。
 まさに「原子力事業の健全な発達」という目的達成のための見事な仕組みというほかない。我々が電力会社のみを責任追及の対象とすることは、まさに原発体制が予定するところであり、その枠組みの中でいくら大騒ぎしたところで、彼等は何らの痛痒も感じないのである。
 しかし、現実の被害の規模や深刻さ、これから100年以上続くであろう問題解決への道のり、そして、これらに対する賠償の状況、東京電力や国の不誠実な対応等についていちいち言及するまでもなく、原発メーカーが非難の対象とされることさえなく、海外への輸出による利益拡大を図ろうとしている現状に、一切の正義が存在しないことは明らかであろう。この極めて不合理な状況を生み出している原因が責任集中制度にある以上、これに挑むべく原発メーカー訴訟を提起することは、社会の要請である。
原発メーカー訴訟の法理論
 本訴訟においては、責任集中制度が違憲であることを前提に、PL法及び民法709条に基づく損害賠償請求をする。 原告は世界中の人々であり、請求額は精神的慰謝料1人100円という一部請求。争点はあくまでも原発メーカーの責任の有無である。
 責任集中制度によって侵害される人権は、まず、不法行為によって損害が発生しているのに賠償請求をできないことから、憲法29条1項が保障する財産権である。次に、あらゆる製造者は、製造物の欠陥から生じる事故による損害を賠償する責任を負うにも関わらず、最も危険な製造物である原発についてのみ免責されるのは不合理な差別であるといえることから、14条の平等原則違反がある。さらに、訴訟を提起しても免責規定を理由に、製造物の欠陥ないし製造者の過失についての実質的審理がなされないとすれば、32条の裁判を受ける権利が侵害されているといえる。
 しかし、これらの人権侵害のみを主張しても、問題の本質は表現されない。そこで我々は、13条の幸福追求権及び25条の健康で文化的な最低限度の生活を保障される権利から導かれる「原子力の恐怖から免れて生きる権利」=「ノー・ニュークス権」の侵害を主張することとした。いかなる場合でも製造者としての責任を免れるとすれば、原発メーカーは安全性よりも経済性を優先するインセンティブを与えられていることになる。何より、被害者の保護よりも原子力事業の発達に重きを置く責任集中制度は、ノー・ニュークス権を侵害しているといえる。
 さらに、違憲主張とは別に、原賠法5条に基づく請求も考えられる。同条は、電力会社は故意の第三者に対して求償できるという規定であり、民法423条によって、この求償権を代位して請求するのである。この請求は、まさに原賠法に基づく請求であるため、直接的に原発メーカーの故意について審理を求めることになる。この場合の故意とは、敢えて事故を起こしたということではなく、事故が起こる可能性を認識しながら、それを認容する心理状態をいう。1970年代から欠陥が指摘されていたマークⅠ型の格納容器を製造したメーカーが、事故の発生を認識していなかったと言えるであろうか。
 以上が、本訴訟における大まかな法理論である。
 裁判所に対し、良心に従った公正な審理を求める強いメッセージを伝えるために、是非多くの方々の支援と協力をお願いしたい。

(引用終わり)
 
 実は、私が遅ればせながら「原発メーカー訴訟」をフォローすべきと考えたのは、3.11直後に私が強く念じたこと(「初心」と言ってもよい)を思い出したからでもあります。
 それは、「東京電力は絶対に破綻させなければならない」ということでした。
 たしかに、原賠法第16条は以下のように定めています。
 
(国の措置)
第十六条
 政府は、原子力損害が生じた場合において、原子力事業者(外国原子力船に係る原子力事業者を除く。)が第三条の規定により損害を賠償する責めに任ずべき額が賠償措置額をこえ、かつ、この法律の目的を達成するため必要があると認めるときは、原子力事業者に対し、原子力事業者が損害を賠償するために必要な援助を行なうものとする。
2 前項の援助は、国会の議決により政府に属させられた権限の範囲内において行なうものとする。

 
 私は、この規定を知った時(恥ずかしながら、3.11直後に初めて読みました)、被害者救済のために国の措置が必要となるという限度では妥当性があると言えても、自らの責任で事故を起こした原子力事業者を救済する、すなわちどれだけ大きな事故を起こしても賠償のための費用は国が援助すると解釈しては絶対にならないと思いました。
 東電を救済し、誰の責任も追及しないということでは、究極のモラルハザードとなると思ったからです。
 ところが、実際に行われた措置はご存知のとおりであり、東京電力が破綻処理される見通しなど全くありません。

 もちろん、同じ原賠法が障害になるといっても、東電を破綻させるべきということと、メーカーの責任を追及すべきということでは、その法的構成の難易度が相当に違うと言わざるを得ませんが、根は一つのものではないかと気がついたという訳です。
 
 三輪祐児さんのYouTubeチャンネルに、8月28日の第1回口頭弁論前の地裁前アピールと弁論終了後の記者会見、それと報告集会の動画がアップされていますので、時間をやりくりをして是非視聴したいと思います。
 
20150828【第1回口頭弁論・記者会見】原発メーカー訴訟
 

20150828 UPLAN【報告集会】原発メーカー訴訟第1回口頭弁論
 

 それから、原発メーカー訴訟原告団・弁護団が開いた学習会の講師として、憲法学者の木村草太氏(首都大学東京准教授)が招かれ、講演された動画もアップされていました。原発メーカー訴訟は、まずは憲法訴訟にならざるを得ませんので、木村氏が原賠法の責任集中制と憲法について、どのような意見を述べられたか、非常に興味があります(まだ視聴する時間が持てていない)。
 
20150714 UPLAN 木村草太氏「原発メーカー訴訟の憲法論」