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『東電テレビ会議 49時間の記録』(OurPlanet-TV)9月11日(金)11:00まで無料配信~必見です!

 今晩(2015年9月3日)配信した「メルマガ金原No.2202」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
東電テレビ会議 49時間の記録』(OurPlanet-TV)9月11日(金)11:00まで無料配信~必見です!

 東京電力が、福島第一原子力発電所事故当時の、本店と福島第一原発、福島第ニ原発柏崎刈羽原発及びオフサイトセンターの間を結んで行っていたテレビ会議の模様を一部公開したことはご存知の方もおられると思います。
 今でも、同社のホームページから公開された動画を視聴することができます。
 
 
 私もかつて視聴にチャレンジしようと思ったこともあったのですが、そのあまりの細切れぶりに、意欲が削がれて視聴を諦めてしまいました。
 
 ところが、この公開されたテレビ会議の動画を素材として、前編107分、後編99分に編集したドキュメンタリー映画を制作してくれたのがOurPlanet-TVでした。
 
『東電テレビ会議 49時間の記録』
 
【予告編】東電テレビ会議~49時間の記録
 

 もともとは、ポレポレ東中野を会場(兼共催)としてOurPlanet-TVが主催した「福島映像祭2013」上映のために作られ、その後、自主上映が呼びかけられている作品です。
 今年の3月には、初のネット配信として、ニコニコ生放送で放映されましたが、このたび、おそらくは、9月12日から始まる「福島映像祭2015」(~9月18日)に連動した企画だと思うのですが、9月1日(火)午前11時から9月11日(金)午前11時までの期間限定で、全編が無料配信されることになりました。
 
【前編】「東電テレビ会議 49時間の記録」

(公式サイト・イントロダクションから引用開始)
3月12日深夜22時59分から13日までの約25時間を1時間47分に編集。前日の3月12日は午後3時36分に1号機が水素爆発し、原発周辺地域の放射線量は既に大幅に上がっていた。10キロ圏内の住民へ出されていた避難指示が、午後6時半すぎ20キロに拡大。録画はこの日の22時59分、東電の武黒フェローが官邸から東電
店の戻り、民主党政権に対する苦言を述べる場面からはじまる。
≪この日の動き≫
13日は、3号機の注水がうまくいかず、水源の確保に追われる一日となる。また、ガソリン、エンジン、車
両、果ては現金など、あらゆる物資が不足し、その調達に苦しむ姿がわかる。 
02:42 3号機の高圧注水系(HCPI)停止
03:52 吉田所長が3号機のHCPI が停止と原子炉圧力の気づき報告
04:24 福島第一原発でガソリンが欠乏。そのほか、物資調達に追われる。
05:58 3号機が原子炉冷却機能を喪失し、緊急事態を通報
06:50 保安班が線量の上昇で注意喚起
08:08 重要免震棟で放射線量が毎時70μSv に上昇
08:26 1号の機燃料プールの温度上昇を報告。氷を入れる方向で調整
09:30 3号機のベントをしたと報告
11:56 4号機の核燃料プールが78度に上昇と報告
13:11 3号機の海水注入を開始
14:07 3号機の水素爆発回避策の本格検討がはじまる。

(引用終わり)
 
【後編】 「東電テレビ会議 49時間の記録」

(公式サイト・イントロダクションから引用開始)
後編は3月14日の24時間を1時間39分に編集。東京では、計画停電が予定されていた14日。この日は、3号機が水素爆発し、更に2号機が危機的な状況に陥る。ベントには、水を通してベントするウエットベントと水を通さないドライベントがあるが、2号機では、大量の放射性物質を放出する恐れのあるドライベントをせざるをえない状況に追い込まれて行く。夕方を超えると東電本店の動きが激しくなり、作業員の撤退問題
が浮上する。
≪この日の動き≫
05:36 3号機の圧力が再上昇
06:25 3号機の燃料棒の全露出が判明
06:42 吉田所長が、福島第一原発作業員を一時退避
11:01 3号機原子炉建屋が爆発
13:30 2号機の圧力上昇。SR 弁が勝手に数回開く。
14:03 被ばく線量の上限が100mSv から250mSv に引き上げられたことが伝わる。
16:14 2号機への注水方法を巡り、班目委員長が介入。東電側の案と対立する。
16:34 班目委員長の案に従って2号機原子炉の減圧操作を作業するが、うまくいかず。
18:01 2号機減圧開始するが、水位は回復せず。
18:28 消防車の燃料切れが発覚
19:00~ 2号機の危機的状況へ
20:00~ サイトからの全員避難が議論され出す
21:37 第一原発正門で毎時3.13mSv のガンマ線測定
23:33 ドライベント実施へ
(引用終わり)
 
 この映画の成り立ちを知るためには、公式サイト・イントロダクションに掲載された以下の解説を読むべきでしょう。
 
東電テレビ会議映像」とは
(引用開始)
 「東電テレビ会議映像」とは、福島第一原子力発電所の事故当時、東京電力本店の2階にある非常災害対策室と福島第一、第ニ、柏崎刈羽原発非常災害対策室、オフサイトセンターの間を結んだテレビ会議
様子をそのまま録画した映像を指す。
 東京電力によると、映像の録画をはじめたのは3月11日の午後6時27分から。そのうち、設定ミスやハードディスク容量の問題などで、音声が記録されている映像があるのは、3月12日22時59分から5月15日0時6分までと、その後、約1日空けて16日3時18分以降から4月6日までの約650時間分だ。
 OurPlanetTV では、このうち、3月12日から15日までの49時間の映像のうち、一般公開されている約10時間分を編集して前編1時間47分、後編1時間39分、計3時間26分にまとめた。
 音声つきの初期のテレビ会議映像は、前述のとおり限定的で、地震発生直後の初動や1号機爆発が起きた3月12日、撤退問題が浮上し菅総理東電に乗り込んだ15日の深夜から明け方、プラントから衝撃音が聞こえ、高濃度の放射能が広がった15日の昼間の様子は存在しないと主張する。また、「社員のプライバシー」を守るとの名の下、画像人はモザイクが入り、音声分の固有名詞にはピー音が入る。しかも現在、東京電力は、マスメディアに対しては、上記の映像を全て公開しているものの、一般市民に対しては、
更に限定的な細切れの映像をインターネット上に公開しているのみである。
 従って、一般公開された素材のみを利用した本映像「東電テレビ会議 49 時間の記録」は、肝心な部分が欠けた限定的な内容と言わざるを得ない。しかし、そうであっても、この映像は事故の検証には欠かせない「一次資料」である。実際、政府事故調や国会事故調など、公的な事故調査においても重要な役割を
果たした。
 なお、東電テレビ会議映像はその存在が明らかになって以降も、容易に公開にされなかった。事故から1年半を経て、朝日新聞のキャンペーン報道や東電株主代表訴訟原告団らの保全の申立てなどを経て、ようやく公開された。朝日新聞の同キャンペーン報道は、2013年度の石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム賞
奨励賞(公共奉仕部門)の奨励賞を受賞している。
(引用終わり)
 
 これに付け加えるとすれば、「使用した映像は、既にインターネット上には公開されているものだ。しかし、その映像は細切れな上、誰が発言しているかが分からないという問題があった。作品では、なるべく状況がわかるように、基本的な情報を挿入した。2011年3月12日から15日までの3日間、福島第一原発何が起きていたのか。あの時間、あの原点に立ち戻る体験を共有したい。」(公式サイト・トップページ)ということでしょう。
 
 前後編を全部視聴しようとすれば3時間26分を要しますので、9月11日(金)午前11時までにそれだけの時間を作るのは無理、という人も多いでしょう。私もまだつまみ食い的にあちこち視聴しただけですが、出来れば時系列を追って一気に視聴できればそれに超したことはありません。けれども、1日に30分ずつであっても、何とか1人でも多くの人に全編視聴して欲しいと思います。
 東京電力による情報開示が不十分な中においても、私たちが、どうしても知らなければならない情報を知り
得る形にして提供してくれた貴重な映画です。
 ある意味、人類の宝(負の遺産を伝えるものではありますが)と言っても良い貴重な動画です。視聴で
きる環境にある人は、見るべき義務があるとさえ思います。
 
 公式サイトに掲載されたコメントの内、下村健一さんの作品評を引用しておきます。
 
(引用開始)
下村健一慶應義塾大学特別招聘教授/関西大学特任教授/元内閣官房審議官)
 原発事故直後の東電社内映像?そんなの、もう今までニュースで散々見たから知ってるよ。そう思い込
んでいる人は、少なくないだろう。それが単なる「思い込み」に過ぎないこと、自分はあの社内映像を「
知ってるつもり」になっていただけだったことを、この映画は思い知らせてくれる。断片的に報道されてきた1つ1つのシーンを、大スクリーンで一挙に4時間まとめて見る。この足し算効果は、凄まじい。1+1が、3にも5にも膨れ上がって、迫って来る。ナレーション無し、ただ淡々と時系列で繋いでいるだけにも関わらず(いや、そうであるからこそ)、凄まじい臨場感。
 制作者の主張は一切登場しないから、これは“反原発映画”ではない。《危機に直面した時、日本の組織はどのような状態に陥ってしまうのか》を冷徹に学ばされる、無色透明な“教育映画”だ。全国の電力会社員や原発関係者は勿論のこと、「次の想定外事態には、きっと誰かがうまく対処してくれる」と相変わらず根拠なき依存に安住しようとしている全国民に、必見の問題作。
(引用終わり)
 
報道ドキュメント「東電テレビ会議 49時間の記録」(2013年/SD/3:2/日本/206分)
製作 特定非営利活動法人OurPlanet-TV
編集 平野隆章(OurPlanet-TV)
宣伝 高木祥衣(OurPlanet-TV)
映像提供 東京電力株式会社
編集協力 木村英昭(朝日新聞
制作統括 白石 草(OurPlanet-TV)
福島第一原子力発電所
吉田昌郎(よしだ・まさお)
東京工業大学工学部卒、同大学院原子核工学専攻修了。1979 年入社。原子力保修課、福島第二原発の発電部長、本店の原子力設備管理部長を経て、2010 年6 月から福島第一原発所長。

■オフサイトセンター→本店
武藤栄(むとう・さかえ)
東京大学工学部原子力工学科卒。カリフォルニア大学バークレー校工学部修士課程修了。1974年入社。福島第一原発の技術部長や本店の原子燃料サイクル部長を歴任。2010 年から原子力・立地本部長を兼任する副社長。

■本店→オフサイトセンター
小森明生(こもり・あきお)
東京大学工学部卒、同大学院機械工学専攻修了。1978 年入社。福島第一原発の所長を経て、原子力・立地本部の副本部長を兼任する常務取締役。原子力緊急時対策本部では当初、本部長である清水社長の代行を務めた。

東京電力本店
勝俣恒久(かつまた・つねひさ)
東京大学経済学部卒業。1963 年入社。企画部長を経て、2002 年10 月に社長就任。08 年、代表権を保持したまま、会長に就任。

清水正孝(しみず・まさたか)
慶應義塾大学経済学部卒業。1968 年入社。資材計画課長や資材部長を経て、2008 年社長就任。電気事業連合会会長、日本経団連副会長。原子力緊急時対策本部の本部長を務めた。

高橋明男(たかはし・あきお)
福島第二原発柏崎刈羽原発の所長を歴任。2010 年からフェロー(執行役員待遇)

首相官邸東電本店
武黒一郎(たけぐろ・いちろう)
東京大学工学部卒。1969 年入社。柏崎刈羽原発所長や原子力・立地本部長、副社長を経て、2010年からフェロー(副社長待遇)。事故時に官邸と東電との連絡役を務めた。