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「自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ「新安保法制にはまだまだ議論すべき点が残っている」

 今晩(2015年9月8日)配信した「メルマガ金原No.2207」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ「新安保法制にはまだまだ議論すべき点が残っている」
 
 今年の6月20日(土)、大阪市福島区民ホールにおいて、「自衛隊を活かす会」(自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会)初の関西企画「新「安保」法制で日本は危なくなる!?」が開かれ、私も参加しましたが、同会は、7月28日(火)にも、シンポジウム「新安保法制にはまだまだ議論すべき点が残っている」を開催するなど、積極的な活動を続けています。

 「自衛隊を活かす会」では、以前とは異なり、まずシンポの動画を公開し、その後、文字起こしを追加
でアップすることになっており、上記7月28日のシンポの文字起こしが公式サイトにアップされましたので、動画と併せてご紹介しようと思います。
 今回のシンポの特徴は、安全保障関連法案の審議が参議院に移った後という段階で、同会シンポに何度か登壇したことのある3人の元自衛隊幹部から、法案についての率直な意見が聞けたということだと思います。
 当日の発言者は以下の方々でした。
 
新安保法制にはまだまだ議論すべき点が残っている
2015年7月28日(火)17:00~
衆議院第2議員会館 多目的ホール
主催/自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会(略称:自衛隊を活かす会)
第1部 各党代表の挨拶
第2部 ゲストの発言
 
冨澤 暉(とみざわ・ひかる)元陸上自衛隊幕僚長
 渡邉 隆(わたなべ・たかし)元陸将
 林 吉永(はやし・よしなが)元空将補
第3部「自衛隊を活かす会」とゲストとの討論
 柳澤 協二(やなぎさわ・きょうじ)元内閣官房副長官補(「会」代表)
 伊勢﨑 賢治(いせざき・けんじ)東京外国語大学教授(「会」呼びかけ人)
 加藤 朗(かとう・あきら)桜美林大学教授(「会」呼びかけ人)
 
動画 新安保法制にはまだまだ議論すべき点が残っている|自衛隊を活かす会
 

 以下には、公式サイトに掲載された3人のゲストの発言の文字起こしにざっと目を通した上で、私が特
に注目した部分を抜粋してご紹介したいと思います。
 
冨澤暉氏(元陸上自衛隊幕僚長)
(抜粋引用開始)
 まず、この新安保法制案に対する現時点での私の総合評価を申し上げます。
 第1に各種事態対処の法的根拠が本来は異なるんだろうと思うんです。にも関わらず、それを曖昧な集
団的自衛権解釈で一括りにしているところが説明を極めて難しくしていると考えています。
 2番目に今言った点で不満は残るんですが、私は全体としてよくぞここまで積極的平和主義を具現化してきたものだと高く評価しています。ここは「自衛隊を活かす会」の皆さんと違うところです。これまでの歴代内閣、麻生内閣以前の内閣に比べると、格段の進歩を見せたと私は思っています。これからの後退
はありえないと思っております。先ほどお話を頂いた先生方や、ここにおられる多くの方はそうは思っていないかもしれませんが、私はこの安保法制を潰して元の木阿弥になることは何の進歩でもない、後退であると考えています。
 3番目は、今後はこれを第一歩として、更に集団安全保障やグレーゾーンにおける武力行使の問題を具
体的に解きほぐして、世界の平和に貢献出来るようにして欲しいと考えています。
(略)
 4番目に憲法問題を更に議論する必要があるということです。政治家は憲法学者と真剣に憲法問題を議論して欲しいと思います。産経新聞(6/30)の「正論」に、私どもの大学の政治学者である櫻田淳氏が論文を書いていますが、こういった論をもっと表に立てて欲しいと思います。櫻田さんは何を言っているかというと、憲法学者はそう言うだろう、しかし私ども政治学者は違うんだと。政治というのは必要なこと
をやるんだと。必要なことをやる時にはそれがいわゆる愚行であるか賢明なことであるかが問題であって、法律にかかわるかかかわらないかというのは問題ではない、と彼ははっきり言っています。私もそう思いますが、これはまた憲法学者の方々の意見を聞かなければいけないわけで、きちんと正面から憲法学者と議論をして頂きたいと思います。
(略)
 改めて、独立と平和、この矛盾するものの均衡については議論すべきだし、これは2月のシンポジウム
「現代によみがえる「専守防衛」はあるか」でも申し上げたんですが、独立と平和の問題について政府と国民との間には大きな誤解があるように思います。
 1960年安保騒動の時、岸首相は日本の自立を求めたのに、その時の国民は――私の同級生ぐらいが多かったのですが――、米国への従属を忌避してデモを行ったんです。これは同じことなんです。岸首相が狙ったことと、国民が狙ったことは同じなんですね。それで岸さんと国民が乖離した。今回も同様の動きが見られる。ここはきちんと再調整をすべきだと思います。政府側も現憲法の国際協調を押し出そうとしているんですから、集団的自衛権、つまり主として日米2国間の問題よりも集団安全保障の問題、多国籍軍だとか有志連合軍の問題を前に出すべきではないかと考えます。
(引用終わり)
 
渡邊隆氏(元陸将・東北本部方面総監・第一次カンボジア派遣施設大隊長)
(抜粋引用開始)
 冨澤先生がご指摘のとおり、今回の安全保障関連法案は、改正をする法案が10法案でこれを一括りに整備法案とし、それから国際平和協力法案というものを新法で1つ、全部で11の法案が審議をされているわけですが、いろいろと問題はありながらも、今まで陽が当たらなかったところに少しずつ陽があたってき
たことは事実です。
 その1つがいわゆるグレーゾーンと言われているものです。これは何度も言うように、集団的自衛権とは全くの別物です。いずれにしてもグレーゾーンについて議論されていること、それが法的に一歩進んだ、ということは評価できるだろうと思います。防衛出動に至らない事態への対処、離島対処や弾道ミサイル対処、我が国防衛と直接は関係ありませんが、国外において自衛隊が活動するPKOなどにおける、いわゆる駆けつけ警護と言われている武器使用についても、1つの決着をみたというのが一歩前進かなと見てお
ります。
 ただ総じて、衆議院の議論では論点に具体性が無かった、全くリアリティが無かったというのが偽らざ
る個人的な感想です。論点がどこなのか、集団的自衛権であったり、集団的自衛権憲法との関わりであったりというのも1つの論点なのでしょうが、論点自体がお互いの議論のやりとりの中で一向に深まらなかったと思っております。
(略)
 リアリティの無さの最大の原因は、個人的な意見ですが、戦後70年、日本人が戦争というものとまとも
に真剣に向き合ってこなかったからではないかと思っています。通常、戦争というものは時とともに段々とその記憶が薄れてきますので、これを次の世代に正しく申し送ること、語り継いでいくことが極めて大事なわけですが、果たして我々はそれを次の世代にしっかりと語り継いで来たのだろうかという気がします。
 おそらく、この中で実際の戦場を経験した人は一人もおられないだろうと思います。そのような方はご高齢で極めて少数になってしまった。私も海外に派遣されましたが、実際の戦場に立ったことはございません。今の陸海空自衛官で、戦場、いわゆる戦争というものに任務を持って参加した者は1人もおりません。そういう意味で考えるならば、政治家も、与党も野党も、学者の先生も官僚も、当然皆さん一般国民も、そして自衛官そのものも本当の意味での戦争を知らない、リアリティがないと結論づけられます。やはり賛成であろうが反対であろうが、一定の正しいリアリティを持って議論をしない限りは議論は進まないのではないかという感じを持っております。
(略)
 専守防衛という従来の我が国の国家戦略、軍事戦略を、今回は存立事態という新3要件で書き換えることとなりそうです。専守防衛で防衛出動が起きるというのは、極めて明瞭な――良いか悪いかではなくて――、法的には極めて厳格で明瞭であります。実際に直接的、間接的に我が国に侵略があると、それを国会が判定し決議を行って武力行使を行うこと、実はこの辺の基準は実際に安全保障に携わっている者にとってみれば、非常にタイムラグがあると言いますか、対応上問題があったことは事実です。従ってグレーゾーンが出来るわけです。防衛出動に至らない事態をどのように国家として担保するか、実はこれがグーゾーンなわけです。ですから、防衛出動の厳格な基準を持っているが故に、その前段階がグレーゾーンになるということで、これを今回、存立事態という概念で規定をしているわけですが、これでもグレーでよく分からない。具体的、客観的な事態の基準が私にとっても全く不明であるというのは、やはりしっか
りと議論が詰まっていないという1つの現われなんだろうと思っています。
(略)
 自衛隊防大の生みの親とも言える吉田茂総理は、昭和32年に大磯の自宅に防大生の一期生を呼ばれて、次のように言われたと言われています。「君達は自衛隊の在職中に決して国民から感謝されたり、歓迎されたりすること無く、自衛隊を終わるかもしれない。批難とか誹謗ばかりの人生かもしれない。ご苦労なことだと思う。しかし、自衛隊が国民から歓迎されチヤホヤされる事態とは、外国から攻撃されて国家存亡の時とか、災害派遣の時とか、国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。言葉を換えれば、君たちが日陰者である時のほうが、国民や日本は幸せなのだ。どうか、耐えてもらいたい」と吉田茂防大生に言ったといいます。自衛官の一部はそう思いながら勤務していることは間違いありません。そのような者に対して国家が一体何をしてくれるかというものを、今回の法案の審議を通じながらいろいろ
と考えております。
(引用終わり)
 
林吉永氏(元空将補・第7航空団指令)
(抜粋引用開始)
 まず冒頭にお話申し上げたいのは、私の一番気がかりなこと、今日の私のプレゼンテーションのバックグラウンドになっていることを申し上げておきたいと思います。それは何かというと、このような国の存亡をかける重大事を、国会の審議だけで終わらせてよいのかということです。国民がどう決断するか、ど
う決心するか、その問題を国民自らが問うておくべきだろうということです。
 その事例は1949年にアメリカ合衆国NATOに加盟、集団的自衛権行使を国民が決心した時の事例に学び
たいと思います。それまでアメリカはモンロー主義孤立主義でした。それをNATOのためにアメリカ国民の血を流すかどうか、2年間、国民的な議論を重ねました。最終的にはヴァンデンバーグ上院外交委員長が中心となった委員会で結論を出すのですが、国民の67%がやろう、という決断をしたわけです。そういう意味において閣議決定で終わる問題ではないと、私は直感的な感じを持っております。そういった、国民
が決断すべきことであるという私の信条を背景に、お話を申し上げたいと思います。
(略)
 ご承知のように、領空における主権の維持に関わる行動は、航空自衛隊の戦闘機が担っております。す
なわち、軍隊が担っています。警察や海上保安庁というバッファーがある領域と違うわけです。ミリタリー対ミリタリーの対峙になっている、すなわち、航空自衛隊は戦争と紙一重のところにいるということで
す。
 日本では空中において武器を装備して飛んでいるのは航空自衛隊スクランブル機だけということにな
ります。そこで、空中において瞬時に武器を使って相手に勝る戦闘を行うためには、常日頃から心得ておかないといけないことでしょうけれども、「瞬時」という問題があるわけです。
 正当性をどのように担保するかということについては、はっきり言ってありません。正当防衛であるとか緊急避難ということは瞬時に判断するのは極めて困難です。相手が撃ってからではこちらが撃墜されています。この辺りに航空における武力行使、武器の使用に関わる極めて危険な状況というものが蓋然性として想定されるということです。
 重ねて申し上げれば、状況証拠が希薄な空中において武力衝突に至った場合、こちらが正当性を主張しても聴く耳を持たない相手であると、国が不利益を被ることが予測されます。私は戦闘航空団の司令を拝命しておりました時にパイロットに言い聞かせておりましたのは、自ら犠牲になる覚悟の忍耐が必要であると。正義を担保するためには先に撃ったらいけないということです。
 パイロットに委任される「ミサイルであるとか、機銃の引き金を引く判断というのは瞬時である」と申
し上げました。武器が優れていれば優れているほど、瞬時の時間が1/10秒、1/100秒にもなっていくわけで
す。先ほど規則や手順ということを申し上げましたが、技術の進歩によってデジタル化された世界において武器を使用することになっています。
 部下の教育訓練では、「赤ランプが点いたら引き金引いてご覧、命中するから」と教えているわけです。これはイラン・イラク戦争の時に、アメリカのミサイル艦の一兵士が赤ランプの点灯と同時にボタンを押して、イランの旅客機を撃墜した事件で皆さんご承知のとおりであります。
 防衛出動下令前においては、特に武器使用には、国家において危惧すべき事態を招くリスクが極めて大きい。国の命運をかけるには正当性の確立に危惧すべき要素が多いということです。航空行動には、先程申し上げましたように軍事、非軍事の区分がなく、即軍事行動に移るわけです。
(略)
 それから前回にも申し上げたのですが、顔が見える正面に進出して対峙、対処する陸上、海上を担当す
る警察、海上保安庁、或いは陸上自衛隊海上自衛隊の作戦行動や、それ以前の事前行動においては、空がどうなっているかということが忘れられています。大切なのは、陸上、海上におけるわが方の行動地域航空優勢はどちらにあるのかということです。その時に空を支配していなければ負けます。イラク戦争でも湾岸戦争でもそのような状況がありました。戦域に行こうというわけですから、航空優勢をどこまで
担保するかということは大きな課題であろうと思います。
 そして、今までの国会における議論では、どちらかといえば、こちらの勝ちいくさの議論しかしていな
いようです。これはアジア太平洋戦争の戦前と同じです。負けいくさ、失敗の議論が何も行われていません。「失敗したらどうなるんですか」という議論はありません。これは負けを言うことで国賊になった何
時かの時期と同じで、そこに戻ってしまうのではないかという危惧さえ感じるわけです。
 2番目に、これは重大なことなのですが、国外において自衛隊が行う兵站活動、後方支援の業務に民間は関係しないのかというと、関係あります。現在でも自衛隊は国内において装備のメンテナンスを防衛産業の助けなしには出来なくなっています。ハンダ付けの、職人気質のメンテナンス時代ではありません。極めて複雑なICT技術など等が組み込まれた装備をメンテナンスしなければいけない。もうセルフメンテナンスは出来なくなっている時代です。そのためには防衛産業から出向して頂くということになります。
 エアパワーは特に顕著な傾向がありますが、外国製装備の多くはライセンス国産しておりますし、国産
でも高度な電子機器は自隊整備が非常に難しいですから、自衛隊が海外に派遣されれば装備も持って行きますから、装備に不具合が生じれば、メンテナンスに防衛産業の方にも来て頂くということになります。
 邦人が日本に帰るのを横目に見ながら防衛産業の方は現場におられるわけです。海賊対処を担うジプチには某会社が行っておりました。渡邉先生は海外にPKOで行っておられましたので、先ほど雑談の中でお尋ねしましたところ、かなりの会社が自衛隊とともに海外に行っているということです。中には、現地、地域に不案内ということであれば、旅行会社まで支援、協力に行っているということです。国外における関連企業技術者の現地派遣であるとか、整備支援について、派遣される社員の方々の安全、処遇はやはり考慮しなければいけないだろうと思います。
 自衛隊の部隊派遣と同じ環境に置かれるわけです。そうしますと彼らの立場はどうなるか。自衛隊員だ
けという認識は捨てて頂かなければなりません。そうしますと国民全体が決心しなければいけないのではないでしょうか。それを申し上げたいのです。安全の保証は自衛隊員と同様に難しい。いわゆるシビリアン、企業の方々の身分や処遇、最悪の事態の補償はどうなるのかということについて、早く検討しなけれ
ばいけない。既に派遣されている実績があるのですから遅いかもしれない状態にあるわけです。
 本来、政治が思慮すべき戦争に関わる国民の安全は、国民総ぐるみで議論を行わなければなりません。
一つは、「集団的自衛権行使を容認するのかしないのか」の前提を設けて総選挙することが考えられます
。もう一つは、今回のように、与党が選挙公約に無かった重大事を持ち出してきた場合の世論調査です。
 ここでは現実的な世論調査について触れておきます。そのためには、新聞社が実施する抽出世論調査で
の賛成や反対、関心の有無が何%に加えて、国民がもっと多く参加した一定の理解に基づく世論調査を実施する必要があります。慶応大学が研究している討論型世論調査というものがあります。このシンポジウムのような議論に参加した後にアンケートをとる方法です。そういったことを広げていく必要があるので
はないかと思っています。
 今日は国会の先生方にお出で頂いているわけですが、辛口で申し上げることになりますけれども、自民
党の勉強会で社会的に不穏当な講演、議論が行われたということで、自民党の奢り、昂ぶりが批判されるという現象が起きました。私はシビリアン・コントロールに不安を覚えました。戦争を抑止するとか、戦争をしないとか、国民の安全を守るということは、シビリアン・コントロールの責任です。その先生方が
、「あいつを辞めさせろとか、新聞無くしちまえとか、それいけドンドン」というような発言を国民に向かって言うわけです。そういう方々にシビリアン・コントロールは任せられないというのが私の信条です
(略)
 最後に、冒頭で申し上げた法律や手順に依存する危険性に満ちた社会現象について、アナログ的感性の
欠落ということを申し上げたいと思います。ICTやコンピューターの発達によって知らない間に、いい言葉で言えばそういった科学技術の世界が私達のパートナーになっているわけです。しかしよく考えてみると、パートナーであるけれども、自ら考えて結論を導く能力、感性に乏しくなっている。人間は知らず知ら
ずの間にICTにコントロールされるようになりつつあるのではないか。
 特に軍事の分野においては色付きのコンピューターディスプレイ上で、アクションの指示ランプが灯ると、ミサイル発射ボタンを押す、レギュレーションに定められた手順を反復訓練していくと、サブコンシャス、無意識にそのボタンを押すようになる、無意識に引き金を引くようになっていくわけです。
 人の勝手な判断、決心で、過ちを犯す蓋然性を局限しているわけでありますが、反面、思い留まるとい
う機会を無くしてしまっている。コンピューターの限界というのは、スーパーコンピューターが現れていますから、おそらく無限に近くなっていると思いますが、やはりアナログの世界の無限性にはかなわないわけです。無限を取り扱えるアナログにおいては、デジタルでふるいにかけて見えなくしてしまう脅威を感知しうる可能性が残っています。台風の中の目標や探知すべきものなどは、コンピューターが自動的にノイズを落としてしまいますから、目標も一緒に、ピックアップしなければならない怪しいものを落としてしまう仕組みになっています。それをアナログがフォローできる、という世界が今や無くなりつつある
わけです。
 私は、体験や感性、人間の五感に依存するアナログというのは、危惧というかたちで安全保障に寄与す
る、その危惧というものをもっと感じなければいけない時代が来ていると認識しています。
(引用終わり)
 
 ここまでの引用部分を読まれた方がどれだけおられるか分かりませんが、3人のゲストの基調発言を引用しながら、林吉永氏の発言だけえこひいきして(?)、他の方の2倍も3倍も引用してしまったことを不思議に思われたでしょうか?それとも、その発言に引き込まれ、長い引用を「長い」とは感じなかったでしょうか?
 航空自衛隊が、陸上自衛隊海上自衛隊と決定的に異なるのはどのような部分であり、それは何に由来するのか(「航空自衛隊は戦争と紙一重のところにいるということです。」)とか、戦地に自衛隊を派遣するということは、自衛官とともに、防衛産業の技術者などの民間人も必然的に戦地に送り込むということなのだということなど、皆さん考えたことありましたか?恥ずかしながら、私はこの林さんの指摘を読
んで蒙を啓かれました。
 この他にも、「こちらの勝ちいくさの議論しかしていないようです。これはアジア太平洋戦争の戦前と同じです」、「戦争に関わる国民の安全は、国民総ぐるみで議論を行わなければなりません」、「(「それいけドンドン」というような発言を国民に向かって言う)そういう方々にシビリアン・コントロールは任せられないというのが私の信条です」、「体験や感性、人間の五感に依存するアナログというのは、危惧というかたちで安全保障に寄与する」などという、まことに含蓄深い発言に接することができます。
 林氏は、1942年生まれで防衛大学校9期生。防大15期生の田母上俊雄元航空幕僚長の6年先輩にあたる方ですが、その見識の違いを見抜く目が当時の防衛庁に無かったのは残念です(林氏は1999年、航空自衛隊幹部候補生学校長を最後に退官)。
 ちなみに、林氏は、現在、国際地政学研究所の理事・事務局長を務めておられます(理事長は柳澤協二氏、副理事長は渡邊隆氏)。
 
 なお、この日のシンポでは、3人のゲストの基調発言に続いて、「自衛隊を活かす会」の柳澤代表と呼びかけ人の伊勢﨑賢治氏、加藤朗氏の発言、さらにゲストによる2巡目のコメントと、どれをとっても非常に刺激的でした。是非、リンク先で全文を読んでいただければと思います。

 最後に、冨澤暉氏から、「柳澤さんの先ほどの話には驚いています」と呆れられた(?)柳澤協二氏の
発言部分をご紹介したいと思います。
 9月16日に参議院安保法制特別委員会での採決、それに引き続く本会議採決が取り沙汰される中、耳を傾けておく価値はあるだろうと思います。
 
(引用開始)
柳澤協二 いろいろなご意見があります。重ねて申し上げておくと、私はとにかくこのままでは呑めない、あまりにもメチャクチャだという思いで、我々「自衛隊を活かす会」の呼びかけ人はそこは一致してい
ると思いますが、ただ、皆さん言われているように、これを止めたって終わらないということです。
 逆に言うと、法律が出来たって終わらないんです。自衛隊を実際にこれからどう使っていくかというのは、この法律の下でも今後議論されることになるんです。今、この法律を止めたって、しからばどうやって国を守るんだという問題が提起されてくるわけなので、引き続きそこのところは大いに議論の場を作っていかなければいけないし、我々自身も勉強していかなければいけないし、そして発信していかなければ
いけないと思います。
 余計かもしれませんが一言申し上げると、法律ができてもこの問題は終わりではないということです。一つの例を言えば、仮に法律ができます。そして自衛隊を派遣しようとすると、国会承認という手続きが必要となります。今言われている60日ルールというのは、法律だから適用されるんです。(金原注:憲法59条2項~4項に基づく衆議院での再議決のこと)国会承認には60日ルールが無い。だから、私は反対
する人にいつも呼びかけているのは、来年の参議院選挙で野党が多数になってねじれ国会にすれば、この法律が出来ても使えなくなるんですよ、ということを申し上げています。
 だから、来年の参議院選挙はものすごく大事です。今、ワーッと盛り上がっても、時間が経ったらいずれ忘れちゃうんです。大事なことはそれを本当に一人ひとりが自分の中に落とし込みながら、火種を持って問題意識を持ち続けて、来年の参議院選挙で結果を出さなければいけないということです。
 幸いにして参議院選挙というのは、参議院で野党が勝ったって野党から総理大臣が選ばれるわけではない。国政を下手くそにやって来た党がありますが、その党に政権を委ねるという選挙ではないということです。驕り高ぶった与党にお灸をすえるという意味の選挙になるわけですから、これは気軽にやれるんで
す。
 福田総理の時に何があったかというと、インド洋の給油に関する法律は、60日ルールを使って再議決して通しました。しかし、ねじれ国会で何が困ったかというと日銀総裁の国会承認人事が参議院の反対で通らない。日銀総裁が半年間決められなかったわけです。そういう使い方があるということで、だからどちらにしても諦めずにやりましょう。そして、そのような意思表示のやり方というのは、小選挙区制の下で、政権交代可能な野党が存在せず、事実上の巨大与党に押し切られる状況にあって、与党をけん制して民主主義を機能させる有力な手段になるのではないかと思います。
 その先には「この国をどうやって守るんだ」という根本的な課題を一緒に考えていきましょう。丸腰でPKOに行く覚悟がなければ反対してはいけないという加藤さんのような言葉では言うつもりはありません。しかし、そういう議論に自分の考えでしっかり入っていくんだ、という覚悟はぜひ持って頂きたいと思います。
(引用終わり)