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新聞、放送、受け手の質が問われている~井上ひさしさんの1986年の講演を聞く

 今晩(2015年10月1日)配信した「メルマガ金原No.2230」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
新聞、放送、受け手の質が問われている~井上ひさしさんの1986年の講演を聞く

 「九条の会」の呼びかけ人の1人であり、日本を代表する劇作家・小説家であった井上ひさしさん(1934年生、2010年没)が亡くなられてから既に5年以上が経過しました。9人おられた同会呼びかけ人は、井上さんと前後して、小田実さん(2007年没)、加藤周一さん(2008年没)、三木睦子さん(2012年没)、奥平康弘さん(2015年没)、鶴見俊輔さん(2015年没)が相次いで亡くなられ、現在、実質的に「九条の会」の運動に取り組んでおられる呼びかけ人は、大江健三郎さんと澤地久枝さんだけとなってしまったのは、まことに寂しいことです。
 
 2004年6月10日に発表された「九条の会」アピールの中で、私が再読するたびに最も感銘を受けるのは、末尾直前に置かれた次の一文です。
 
「九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。」
 
 井上ひさしさんをはじめとする物故された「九条の会」呼びかけ人の皆さんは、私たちに対し、このメッセージをこそ遺されたのではないかと思います。
 
 さて、井上ひさしさんのことを思い出したのは、たまたま調べたいことがあって日本記者クラブ「音声アーカイブ」の目次を眺めていたところ、1986年5月に行われた井上ひさしさんの講演とその会見詳録(文字起こし)があることに気がつき、その詳録にざっと目を通したところ、これは今でも多くの人に読んでもらうべき講演だと思いましたので、ご紹介することにしたものです。
 日本記者クラブ総会での「新聞文書・放送ことば・日本語」と題した記念講演で、仙台第一高等学校在学中は新聞部の所属し(1年先輩の菅原文太さんが新聞部で実権をふるっていたエピソードも披露されています)、その後も新聞へのあこがれと興味を終生持ち続けた井上さんならではの意見が語られていますが、とりわけ私が注目した部分を引用したいと思います。
 
 
 
(抜粋引用開始)
 新聞批判の1つに、新聞は戦争中、ウソばっかりを書いていたじゃないか。軍部とか大本営とか、そういうところの発表をう呑みにして、ウソばかり書いていたというのが、ある人びとの新聞批判で、いまも相当それが強いと思います。
 いま、当時のことを連載で長々と書いている小説が1つありまして、そのために、昭和11 年頃から昭和 25 年頃までの新聞を全部集めて、特に戦争中の新聞は一生懸命読んでいますけれども、
目をちょっと光らせますと、決してそうではないんです。
 一面は、これを書かないと新聞発行停止みたいなことになるので、とにかく建前だけを書いているので、全然ダメです。でも、二面をひっくり返しますと、朝日新聞で言いますと、「鉄箒」、鉄の箒で何を掃くのかよく知りませんけど、禅宗のほうから出た言葉だと思いますが、いまの「声」欄です。そこに出てくる投書を選ぶ記者の感覚はきちっとしていて、正しいことをちゃんと伝
えております。
 昭和 20 年の4月、5月頃の朝日でも、読売でも何でもいいんですが、ジィーッと見ていますと、ドイツが負けて、かなり日本も追い込まれていて、こういう状態に多分なるだろうと、その時にわれわれはど
うしたらいいか、というのを実にうまく書いています。
 ですから、多分、戦争中、新聞はウソばかり書いていた、と言っている方々は、見出ししか読んでおりません。記事をきちっと読みますと、そこに、記者としてやはり言っておかなければいけない、そういうことはちゃんと入っています。
 これは、ちょうちん持ちというふうに簡単に言ってしまえば、それでおしまいなんでしょうけれども、軍部と組んで特攻隊の出撃のルポを特派員が書くわけですが、これなども、普通の頭で普通にきちっと読みますと、特攻隊、人間爆弾という、そういうバカな武器を使って、この戦争をこのまま続けていいのか、というのがきちっと書かれています。あした特攻隊員として飛び立つ若い飛行士たちが、その前の晩に何をしているのかを克明につづった、朝日のルポルタージュなどを読みますと、みんな半分気違いになっているというのがよく分かります。あした死ぬわけですから、おかしくならないほうがおかしいんですけれども、1つのことにとらわれて、ある人は鉛筆を 50本も一晩中寝ないで削ってしまうみたいなことは、「絶対ヘンだな」と思わせるようにちゃんと書いてありま
す。
 ぼくも前に、新聞は戦争中ウソばっかり書いていたみたいなことを、人の尻馬に乗って言っていた時期がちょっとありましたけれども、必要があって克明にもう一度読み直しますと、決してそうではないということがよく分かりました。やはり、当時の記者たちの真実を伝えよう、という筆の動きが、きちっと真実を伝えてくれているわけですね。ぼくは、小さかったせいで、そういう深いところまでよく分かりませんでしたけれども、決して新聞はウソをついていたわけではない。
 ただ、大きな記事ほど眉つばをつけろ、というのがぼくの主義です。三面記事のトップとか、第一面にバーンと出てくるのは、記者の方もきっと肩入れしてお書きになるでしょうし、はやりの題材でもあるのでしょうから、文章が非常に浮いています。
(引用終わり)
 
 「当時のことを連載で長々と書いている小説が1つありまして」というのは、(自信はありませんが)『東京セブンローズ』のことでしょうか?


 会見詳録に目を通してこのくだりに差し掛かった時、一気にペースが落ちて読み飛ばせなくなりました。私自身、ささやかなブログを書き、FacebookなどのSNSにも少しだけ手を染めていますので、「戦争中、新聞はウソばかり書いていた、と言っている方々は、見出ししか読んでおりません。」という井上さんの言葉が実に耳に痛いと思いました。
 正直、私は事務所で定期購読している全国紙1紙、地方紙1紙ですら、ほとんど「見出ししか読んで」いないと言われても仕方がない状態であるにもかかわらず、偉そうに新聞批判、メディア批判をしたことなど数知れず、であることは認めざるを得ません。
 批判すべき記事を批判することに躊躇する必要はないとは思いますが、一事を万事としてそのメディアを全否定したり、安易に「マスゴミ」などという言葉を使ったりするのは、到底賢明な態度とは言えません。・・・というような自戒の念を呼び起こしてくれる貴重な発言だと思いますのでご紹介しました。
 
 最後に、講演の締めの部分をご紹介しておきます。これもよく考えれば相当に辛辣な言葉です。
 
(抜粋引用開始)
 日本の場合、正直言って、読者、視聴者の質はあまりよくないと思います。これだけみんな学校に行って識字率がほとんど 100%で、これだけみんな勉強しているのに、何でこんなに質が悪いのか、というぐらい受け手の質が悪いと思います。それに送り手が合わせてはダメだと思います。ぼくらも、しっかり向上しようと……、向上という言葉は、いま全然はやりませんし、前向きもはやっていないし、どう言ったらいいか分かりませんけれど、ましな人間になろうと努力しますので、そういう読者や視聴者がいるということを信じて、新聞記事やテレビ番組をつくっていただきたいと思います。悪い受け手にこびないでいきたいと、ぼくも思いますし、皆さんも絶対こびないでいただきたいと思います。これ以
上こびると、日本の文化は世界最劣等になると思いますね。
 これは、ぼくの勝手な偏見で、全然客観性はありませんので、あまり信用しないでいただきたいと思います。
 記念講演という“記念”というのにおびえまして、ずーっとあがりっ放しで、すみませんでした。どうも、ご静聴ありがとうございます。(拍手)
(引用終わり)
 
(参考動画)
 講演会の模様が動画サイトにノーカットでアップされるのが少しも珍しくない時代となってしまったため、以前からずっとそうだったと誤解する人も出てきそうですが、実は、YouTubeに投稿できる動画の長さがわずか10分に制限されていたのは、そんなに以前ということでもなかったはずです。ですから、井上ひさしさんの講演動画でまとまったものがあまり見つからないのは、そういう時代の変わり目の直前である2010年4月に亡くなられたからだと思います。
 それでも、「九条の会を記録する」ことを目的に掲げた「映像ドキュメント.com」が、2008年6月に井上さんが岐阜で講演された模様を動画に収録してくれていました。今となっては貴重な映像です。
 YouTubeでは10分のダイジェスト版だけがアップされ、全編はウインドウズ・メディア・プレイヤーでの視聴となります。
ダイジェスト動画
 
 
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2015年5月11日
樋口陽一さんと2人の同窓の友人(井上ひさしさん&菅原文太さん)
 
 

(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)
  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり) 
 

(付録)
『She said NO!』 作詞・作曲・演奏:よしだよしこ