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安保法制違憲訴訟を考える(2)~『今、改めて「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む』を弁護士にこそ推奨したい

 今晩(2015年10月3日)配信した「メルマガ金原No.2232」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
安保法制違憲訴訟を考える(2)~『今、改めて「自衛隊イラク派兵差止訴訟」判決文を読む』を弁護士にこそ推奨したい

(これまでに考えたこと)
2015年9月27日
安保法制違憲訴訟を考える(1)~小林節タスクフォースへの期待と2008年名古屋高裁判決
2015年9月30日
安保法制違憲訴訟を考える(番外編)~法律の公布ということ

 不定期連載(?)「安保法制違憲訴訟を考える」シリーズ、今回は是非多くの方に読んでいただきたい1冊の本をご紹介します。
 9月27日の記事にも書いたように、今後提起されるであろう安保法制違憲訴訟を考えるにあたり、2008年(平成20年)4月17日に名古屋高等裁判所(民事第3部)が言い渡した判決(イラク特措法に基づく航空自衛隊による空輸活動を憲法9条1項に違反するとした上で、平和的生存権の具体的権利性を認めた)を踏まえない訴訟というのはあり得ないでしょう。
 
 実は、2008年の画期的な高裁判決が出た後、弁護団が積極的に全国で報告会を開くことを呼びかけ、それこそ全国どこからでも「呼ばれれば行く」という献身的な活動をされたことをご記憶の方も多いのではないかと思います。
 私の地元和歌山でも、少なくとも以下の3回、その年のうちに学習会(報告会)が開かれています(「九条の会・わかやま」ホームページの中の「県内の取り組み」アーカイブから引用します)。
 
自衛隊イラク派兵は違憲! 画期的な名古屋高裁判決!
自衛隊海外派兵恒久法の提出を阻止しよう!
講演「名古屋高裁判決の歴史的意義」講師 弁護団・加藤悠史弁護士
2008年7月12日(土) 午後1時30分~
日赤会館3階大会議室 (和歌山市吹上)
主催:安保県民会議、憲法9条を守るわかやま県民の会、和歌山県平和委員会
 
4.17自衛隊イラク派兵差止訴訟違憲判決学習会
講師:弁護士 川口創氏(自衛隊イラク派兵差止請求名古屋訴訟弁護団)
2008年7月18日(金)午後6時~
和歌山市 勤労者総合センター6Fホール
主催:9条ネットわかやま、憲法9条を守る和歌山弁護士の会
 
講演会「みんなで学ぼう みんなで活かそう イラク派兵違憲判決」
講師 訴訟弁護団事務局長 川口創弁護士
イラク戦争・占領写真展(同時開催)
2008年7月19日(土)14:00
田辺市龍神村 龍神市民センター(0739-78-0301)
主催:たこやき9条の会、変えたらあかん!憲法9条なかへちの会、輝け9条龍神の会 協賛:田辺・九条の会、輝け9条芳養の会、上富田9条の会、白浜9条の会、左会津川9条の会、ピース9、ほんぐう9条くらぶ、憲法9条を守る田辺西牟婁連絡会
 
 そう、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」として学習会をやろうということになり、弁護団に連絡したところ、事務局長の川口創弁護士が7月19日(土)午後に和歌山県龍神村で講師をされるということを知り、急遽、会場を押さえ、川口さんに和歌山市で前泊してもらって学習会の連チャンをお願いしたのでした。(翌日の「たこやき9条の会」は印象深かったのか、後にご紹介する本の「あとがき」でも紹介されていました)。
 
 そして、この判決の意義を出来るだけ多くの人に知ってもらうため、弁護団事務局長の川口創(かわぐち・はじめ)さんと、原告でこの訴訟に踏み切るかどうか悩んでいた川口さんの「背中を押した」大塚英志(おおつか・えいじ)さんが語り合った『「自衛隊イラク派兵差止訴訟」判決文を読む』が角川書店から刊行されたのが2009年3月のことでした。

 当時、この本が出たということは聞いていたはずですが、申し訳ないことながら読まずに過ごし、いつしか絶版になっていました。
 
 それから6年、名古屋高裁判決が判示した平和的生存権を具体的に適用して救済を求めねばならない事態がついに目前に迫ってきてしまいました。
 この時にあたり、2009年に刊行された上記著書の再刊を角川書店角川グループパブリッシング)に申し入れたものの拒絶されたため、星海社から新装版が刊行されることになりました(販売元:講談社)。それが、今年の5月に刊行された『今、改めて「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む』です。
今、改めて「自衛隊のイラク派兵差止訴訟」判決文を読む (星海社新書)


 この本の成り立ちについて、共著者である大塚英志さんによる新版のための「はじめに」 から引用します。
 
(引用開始)
 本書は2009年、角川書店から刊行された『「自衛隊イラク派兵差止訴訟」判決文を読む』を底本とし、本文は誤植以外の修正はせず、共著者の川口創と大塚英志がそれぞれ新たに「はじめに」と「おわりに」を書き下ろしたものである。
(略)
 本書の成り立ちについては旧版の「まえがき」「あとがき」に詳しいが、概略だけ記しておけば、2004年に川口創が中心となり大塚も原告として参加した、イラクへの自衛隊の派兵差し止めを求める集団訴訟の控訴審判決(2008年)を受けて作られた。判決文全文を収録し、その意味について大塚が川口と行った質問形式の対談によって解説した。
(引用終わり)
 
 私が初めてこの名古屋高裁判決を読んだ時にまず思ったのは、こんなに分かりやすい(読みやすい)高裁判決を読んだのは初めてだ、ということでした。
 これは多くの人が異口同音に述べた感想でしょう。
 その要因の1つとして、「当事者の主張」をまとめた部分は全て別紙に回し(判決文全96ページ中、この別紙が70ページを占めている)、本文(26ページ)をほぼ「当裁判所の判断」に絞った構成の妙にあることは疑いありませんが、それ以上に、判決の判断枠組みとそれを踏まえた具体的な認定の筋道が実に論理的であり(だから分かりやすい)、説示の1つ1つが胸に落ちるからだと思います。
 もちろん、この高裁判決が分かりやすかったもう1つの要因は、あたかも原審(名古屋地裁)判決などなかったかのように(!)、全くその判決内容に触れていないことにあるのですが。
 
 川口さんと大塚さんによる上記著書は、大塚さんの質問に川口弁護士が答えるという形で対論を進めていき、誰にとっても分かりやすく判決の意義を理解してもらえる構成になっています。
 私自身、上に述べたとおり、名古屋高裁の判決自体、異例に「分かりやすい」ものでしたから、少なくとも弁護士なら、判決文そのものを読めばその意義は十分に理解できるはずと思っていましたので、『今、改めて「自衛隊イラク派兵差止訴訟」判決文を読む』の刊行を知っても、これを若手弁護士に推奨することはしていませんでした。
 しかし、今日ようやくこの本を読みあげた上で、以上の考えは誤っていた、と思い直しました。
 もちろん、川口さんが解説する判決の論理展開については、既に判決文を読んでいる弁護士にとっては、既に分かっていることが多いでしょう。
 けれども、2008年7月の学習会で川口さんら弁護団からの報告を聞いた者が(私も聴講していましたが)、本当に判決の意義を理解し、それを活かしきっていたのかということになると、はなはだ忸怩たらざるを得ません。
 大塚さんとの対論の最後の方で川口さんが述べられた以下の指摘(239頁~)を、頭では知ったつもりになっていた弁護士は多いかもしれませんが、判決によって突きつけられた課題にどれだけ応えられたかということが問題です。
 
(引用開始)
 
今回の違憲判決は、すでに戦争をしているという事実を、私たち国民に突きつけたということです。それをきちっと受け止めて、じゃあどうするんだというところから行動を起こさないと、やっぱりいけない。
(略)
 なんとなく違憲判決が出たんだ、よかったね、というぐらいでは、それでは人ごとなんですよね。やっぱり、すでに私たちの責任なんだ、殺している立場に私たちは立っているんだよっていうことを、受け止めなければいけない。
(引用終わり)
 
 その他、弁護団の実務を担った事務局長でなければ語れない機微も(それを語るのが目的の本ではないけれど)、注意をこらせば参考になる点がいくつも見つかると思います。
 ということで、一般市民の方に是非お読みいただきたいのはもちろんですが、とりわけ今後、安保法制違憲訴訟に参加したいと考えている若手(でなくてもいいですが)弁護士にこそ推奨したいと思います。
 
 最後に、新版のための「おわりに」において、今後の違憲訴訟の見通しについて川口創弁護士が語った部分(307頁~)をご紹介するとともに、名古屋高裁判決が平和的生存権について説示した部分を引用します。
 
(引用開始)
 この名古屋高裁が平和的生存権の権利侵害の基準を示したことで、今後、国の憲法違反の行為に対する裁判を起こすことが以前よりは容易になったと言えます。
 しかし、安倍政権が出してくる多数の法案に対して、訴訟を提起して食い止めることができるかという点は簡単ではありません。
 まず、「憲法9条に違反する国の行為があった」と説得する必要がありますが、政府や国会の行為が「憲法9条に違反する国の行為」に当たる、具体的には「戦争準備行為」に当たると説得できるかが課題の一つだと思います。
 憲法9条違反の法案を多数制定した、ということについて、訴訟が起こせるか、についてですが、私自身は、憲法9条を否定し、戦争へと突き進む戦争準備行為そのものだと思います。しかし、日本の裁判所は、法律制定だけでは国民の権利を制限する具体的な国の行為がまだ起こされているわけではないとして、憲法判断を避ける可能性が高く、そこが大きな課題の一つです。
 次に、上記の国の行為によって「個人の生命、自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ、あるいは現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合」と言えるのか、が次の大きな課題です。
 裁判の枠組みとしての「具体的な権利侵害」を待たねば裁判ができないのでは、すでに戦争が起こってしまっており、戦争を食い止めることなどできない。だから、その手前で裁判を起こせるように、名古屋高裁は考えて理論を組み立てたのだと思います。大きな前進であることは間違いありませんが、それでも、「個人の生命、自由が侵害の危険にさらされ」ているとの主張はそう簡単ではありません。
 どう具体的に主張・立証していくかが大きな課題です。
 さらに、違憲判決は、「憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合」も、裁判を起こせる可能性を肯定しました。これは、徴兵制や、有事法制発動の際を想定して基準を作ったものだと考えられます。さらに、現在、民間や大学など、あらゆる分野に対して、政府から軍事面につながる協力の強要が広まっています。
 違憲判決のこの基準を使って、こうした政府の動きに対して異議を唱えていくことも必要になってくると思います。
(略)
 では、正面から裁判所に訴えていくことについてはどうか。
 先ほど述べたように、法案が作られた、という段階では、残念ながら裁判所は門前払いをする可能性は高いと思います。
 ただ、安倍政権のこれまでのスピードからすると、多数の法案を作った後、すみやかに自衛隊を海外に送り出す具体的な行動に移してくる可能性があります。
 法案は多岐にわたるのですから、法案が成立した後には、自衛隊はその法律に基づいて行動することになり、多くの具体的な行動が起こされることが想定できます。自衛隊の活動以外にも、多くの面で、憲法違反の法律に基づいた具体的な行動が起こされていくことになるでしょう。
 その時に違憲行為の差し止めを求めて裁判を起こすことは、もはや避けられない状況ではないかと思います。
(引用終わり)
 
名古屋高等裁判所(民事第3部) 平成18年(ネ)第499号
自衛隊のイラク派兵差止等請求控訴事件 判決

(引用開始)
3 本件差止請求等の根拠とされる平和的生存権について
 憲法前文に「平和のうちに生存する権利」と表現される平和的生存権は,例えば,「戦争と軍備及び戦争準備によって破壊されたり侵害ないし抑制されることなく,恐怖と欠乏を免れて平和のうちに生存し,また,そのように平和な国と世界をつくり出していくことのできる核時代の自然権的本質をもつ基本的人権である。」などと定義され,控訴人らも「戦争や武力行使をしない日本に生存する権利」,「戦争や軍隊によって他者の生命を奪うことに加担させられない権利」,「他国の民衆への軍事的手段による加害行為と関わることなく,自らの平和的確信に基づいて平和のうちに生きる権利」,「信仰に基づいて平和を希求し,すべての人の幸福を追求し,そのために非戦・非暴力・平和主義に立って生きる権利」などと表現を異にして主張するように,極めて多様で幅の広い権利であるということができる。
 このような平和的生存権は,現代において憲法の保障する基本的人権が平和の基盤なしには存立し得ないことからして,全ての基本的人権の基礎にあってその享有を可能ならしめる基底的権利であるということができ,単に憲法の基本的精神や理念を表明したに留まるものではない。法規範性を有するというべき憲法前文が上記のとおり「平和のうちに生存する権利」を明言している上に,憲法9条が国の行為の側から客観的制度として戦争放棄や戦力不保持を規定し,さらに,人格権を規定する憲法13条をはじめ,憲法第3章が個別的な基本的人権を規定していることからすれば,平和的生存権は,憲法上の法的な権利として認められるべきである。そして,この平和的生存権は,局面に応じて自由権的,社会権的又は参政権的な態様をもって表れる複合的な権利ということができ,裁判所に対してその保護・救済を求め法的強制措置の発動を請求し得るという意味における具体的権利性が肯定される場合があるということができる。
 例えば,憲法9条に違反する国の行為,すなわち戦争の遂行,武力の行使等や,戦争の準備行為等によって,個人の生命,自由が侵害され又は侵害の危機にさらされ,あるいは,現実的な戦争等による被害や恐怖にさらされるような場合,また,憲法9条に違反する戦争の遂行等への加担・協力を強制されるような場合には,平和的生存権の主として自由権的な態様の表れとして,裁判所に対し当該違憲行為の差止請求や損害賠償請求等の方法により救済を求めることができる場合があると解することができ,その限りでは平和的生存権に具体的権利性がある。
 なお,「平和」が抽象的概念であることや,平和の到達点及び達成する手段・方法も多岐多様であること等を根拠に,平和的生存権の権利性や,具体的権利性の可能性を否定する見解があるが,憲法上の概念はおよそ抽象的なものであって,解釈によってそれが充填されていくものであること,例えば「自由」や「平等」ですら,その達成手段や方法は多岐多様というべきであることからすれば,ひとり平和的生存権のみ,平和概念の抽象性等のためにその法的権利性や具体的権利性の可能性が否定されなければならない理由はないというべきである。
(引用終わり)
 
(参考サイト)
 

(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)
  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり)