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雑感「10月10日に思う」&11/6シンポジウム「今、報道の自由を考える~国民の知る権利の観点から~」(和歌山弁護士会)のご案内

 今晩(2015年10月10日)配信した「メルマガ金原No.2239」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
雑感「10月10日に思う」&11/6シンポジウム「今、報道の自由を考える~国民の知る権利の観点から~」(和歌山弁護士会)のご案内

 10月10日というのは、昭和39年(1964年)のこの日に東京オリンピックの開会式が開かれたということで、やがて「体育の日」という祝日となったものの、現在では10月の第2月曜日が「体育の日」となったため、今年の「10月10日」はただの土曜日です。
 ところで、東京オリンピックといえば、最初に開催が決まった1940年大会は、日中戦争の影響などで日本が開催を返上し、その代替地として、1940年大会の開催を東京と最後まで争ったヘルシンキフィンランド)での開催が決まったのもつかの間、1939年のドイツによるポーランド侵攻で第2次世界大戦が始まり、同年11月にはフィンランド自体も隣国ソ連からの侵略を受け(いわゆる「冬戦争」の勃発)、オリンピックどころではなくなりました。
 結局、1940年のオリンピックは開催中止となり、次の1944年の開催地には一応ロンドン(英国)が選ばれたものの、戦争たけなわでこれまた中止となりました。
 そして、第2次世界大戦終結後の開催地を眺めてみると、一定の傾向を読み取ることができるように思います。
 
第14回 1948年 ロンドン(英国)
第15回 1952年 ヘルシンキフィンランド
第16回 1956年 メルボルン(オーストラリア)
第17回 1960年 ローマ(イタリア)
第18回 1964年 東京(日本)
第19回 1968年 メキシコシティ(メキシコ)
第20回 1972年 ミュンヘン(西ドイツ)
 
 1948年のロンドンは、中止となった1944年大会の「繰り越し」。1952年のヘルシンキと1964年の東京は、同じく中止となった1940年の両都市での大会の「仕切り直し」、1960年のローマと1972年のミュンヘンは、東京、ヘルシンキとともに第2次世界大戦で敗戦国となった国の都市での開催、という具合であり、第2次世界大戦終了後しばらくの間の開催地決定に際しては、大戦からの復興と和解というテーマが、IOC委員の間に一定程度共有されていたのではないかと推測されます。つまり、ミュンヘンあたりまでは、それほど商業主義に毒されていなかったと言えるかもしれません。
 
 ところで、イタリア、日本、ドイツと並べて、フィンランドを第2次世界大戦の敗戦国と書いたことをいぶかしく思う人がいるかもしれませんが、同国は、あの世界大戦における最も同情すべき敗戦国であったと言えるかもしれません。1939年~40年の「冬戦争」でソ連に領土(カレリア等)を強奪されたフィンランドが、対ソ戦を開始したドイツとともにソ連から奪われた領土を奪還しようとした「継続戦争」(1941年~44年)がドイツの敗退によってソ連に単独講和を乞わざるを得なくなり、再び領土の割譲と巨額の賠償金の支払を余儀なくされたという同国の悲劇の歴史を知る人は、日本ではそれほど多くはないかもしれません。そういう私にしたところが、放送大学教養学部)で開講されている「世界の中の日本('15)」(主任講師:高橋和夫教授)を受講して初めて詳しく知ったのですが(現在受講中)。
 
 開催中止となった第12回大会(1940年)、開催された第18回大会(1964年)に次いで、三たび東京で開催されることになった第32回大会(2020年)ですが、その前に日本が戦争や大規模テロの当事国となり、再び返上を迫られる事態に至らぬことを願うばかりです。
 もっとも、別の事情で自主的に返上するというのなら、全く反対する意思はありませんが。
 
 さて、今日のメルマガ(ブログ)は、雑感「10月10日に思う」とあと1つ、和歌山弁護士会主催によるシンポジウムの案内をお届けします。
 一昨日(10月8日)、和歌山弁護士会の全会員に案内文とチラシが配布されましたので、会員として広報に協力しようとするものです。
 
 チラシは、非常に大胆というか潔いというか、余計な文章は一切記載されておらず、ただ単に集会タイトル、演題、出演者、日時、会場、主催者等が書かれているだけですので、以下には、主に会員向け案内文の文字情報を転記します。
 
(引用開始)
 昨年来、政権与党側から放送内容に関して放送局幹部を呼び出したり、あるいは広告主を通じて圧力をかけるべきとの発言があったりするなど、一部報道機関の報道に対して圧力をかけるかのようなことがありました。報道内容が時の権力者によってゆがめられたり、あるいは報道機関側が権力者の顔色をうかがって「自粛」したりすることがあれば、国民に正しい情報が伝わらず、国民が正しい判断をすることができなくなります。また、福島第一原発事故についても、果たして正しい情報が国民の側に伝わっているの
か、と被災者は今も不安な日々を送っています。
 そこで、あらためて、国民の知る権利の観点から、報道の自由の意義とその重要性を考えることが必要であると考え、報道の現場に携わっている記者及び福島からの被災者の方に来ていただき、下記のとおり
、シンポジウムを開催することとなりました。
 皆様のご参加を心よりお待ち申し上げます。
                        
シンポジウム「今、報道の自由を考える~国民の知る権利の観点から~」
開催日時 平成27年11月6日(金)午後6時30分開会(午後6時開場)
開催場所 きのくに志学館(和歌山市西高松1丁目7番38号 和歌山県立図書館2階)
※(金原注)多分、「メディアアートホール」だと思います。
プログラム
【第1部】基調講演「報道現場で今、何が起こっているのか」
 講師 福田 隆氏(毎日新聞社会部記者)
【第2部】パネルディスカッション
 パネリスト
  福田 隆氏
  斉加尚代氏(毎日放送記者・ディレクター)
  宇野朗子氏(福島からの避難者)
主催 和歌山弁護士会
入場無料、予約不要
お問い合わせ先 和歌山弁護士会
和歌山市四番丁5番地・電話073―422―4580)
(引用終わり)
 
 弁護士会の会長と所管委員会(人権擁護委員会)委員長の連名によって会員にシンポを案内する文章にしては丁重過ぎますが、おそらく、一般向けに起案した案内文を、会員向けにそのまま流用したのでしょう。この種の文章を一字一句丁寧に読み込む会員などめったにいないので(私のように必要があって転記する者は別として)、無駄な作業は省略したのでしょう。おかげで、そのままメルマガ(ブログ)に掲載してもおかしくない内容になっているというのは怪我の功名です。
 
 私自身は、和歌山弁護士会人権擁護委員会の委員ではありませんので、上記案内文に記載されたこと以上の特別な情報を持っている訳ではありませんが、主として出演される方々について、若干参考となるかもしれない情報をご紹介しておきます。
 
〇基調講演をされる福田隆さんは、毎日新聞社会部の記者ですが、同紙には「記者の目」という注目すべきコラムというのか何というのか、全国の毎日新聞の記者が特定のテーマについてかなり突っ込んで書いた署名原稿を掲載する名物コーナーがあり、「福田隆」「記者の目」という2つのキーワードでGoogle検索をかければ、大阪社会部記者として書かれた「大躍進 橋下知事の首長政党」(2011年4月)や「「子どもの貧困対策法」大綱づくり」(2014年7月)などの記事を引用したブログを読むことができます。おそらくオーソライズされた転載ではないと思いますので、ここに引用することはしませんが、是非ご自分で検索して一読されることをお勧めします。
 
〇パネルディスカッションに登壇される斉加尚代(さいかひさよ)さんは、ご本人は不本意かもしれませんが、2012年5月、橋下徹大阪市長の記者会見において橋下氏に食い下がり、橋下信者やネトウヨから総攻撃を受けたMBS毎日放送)の記者であったことを思い出してしまう人が多いでしょう(実は私もそうなのですが)。
 といっても、何のことか分からない人は、「斉加尚代」でGoogle動画検索をかければ、問題の記者会見の動画がいっぱいヒットします(別に見なくていいです)。ただ、どんな問題について質問したのかだけでも知りたい人には、比較的冷静にこの記者会見の模様を分析したブログ(大村京佑のサイト・橋下徹市長の論点すり替えイメージ戦略と斉加尚代記者バッシングに動いた大衆)をお薦めしておきます。
 
〇同じくパネルディスカッションに登壇される宇野朗子(うのさえこ)さんは、福島市から京都府に避難され、様々な場で発言されてきた方であり、昨年6月21日には、「子どもたちの未来と被ばくを考える会」の招きにより、和歌山市(ビッグ愛)でもお話をされています。その模様を私のブログ(“原発事故子ども・被災者支援法”施行から2年 東京から 和歌山から)でもお伝えしました。
 以下に、昨年3月8日に、円山公園・円山野外音楽堂(京都市東山区)で開催された「バイバイ原発3.8きょうと」メイン集会での宇野朗子さんのスピーチ(約10分)の動画をご紹介しておきます。

 
〇なぜかチラシには記載されていませんが、パネルディスカッションのコーディネーターは、和歌山弁護士会人権擁護委員会の藤井幹雄委員長が務めるそうです。私のメルマガ(ブログ)の読者には、「憲法条を守る和歌山弁護士の会」の3人の代表世話人の1人であり、かつ「9条ネットわかやま」の2人の世話人代表の1人でもあるということでよく知られているかもしれません。
 最近では、9月23日に上記2団体など全部で9団体が共同して呼びかけた「安保法制(戦争法)廃止を求める9・23和歌山集会」での藤井弁護士のスピーチの内容をご紹介しています(忘れないための第一歩~安保法制(戦争法)廃止を求める9・23和歌山集会)。
 
 皆さまご多用のこととは思いますが、ご都合のつく方には是非お勧めしたい企画です。是非開催情報の周知にご協力の上、ご来場いただきたく、何卒よろしくお願いします。
 

(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)
  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり)

報道の自由シンポ(和歌山弁護士会)