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福島菊次郎さんが遺したもの~「闘え」「菊」(『証言と遺言』より)

 今晩(2015年10月19日)配信した「メルマガ金原No.2248」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
福島菊次郎さんが遺したもの~「闘え」「菊」(『証言と遺言』より)

 去る9月24日、フォトジャーナリストの福島菊次郎さんが94歳で亡くなられました。
 福島さんの逝去を伝えるマスメディアの訃報の中で、短いながら最もよくまとまっていると思われる毎日新聞の記事を引用しておきます。
 
毎日新聞 2015年09月25日 15時00分(最終更新 09月25日 17時53分)
訃報:福島菊次郎さん94歳=反骨の報道写真家

(引用開始)
 広島の被爆者や公害、原発事故などを通して「戦後日本」「権力」を問い続けた反骨の報道写真家、福島菊次郎(ふくしま・きくじろう)さんが24日、脳梗塞(こうそく)のため死去した。94歳だった。
本人の遺志で葬儀は行わない。
 山口県下松(くだまつ)市生まれ。戦時中は広島の部隊にいたが、原爆投下時は宮崎にいたため被爆を免れた。復員後、郷里の下松で時計店を営みながら写真撮影を独学し広島に通い、激痛に苦しむ被爆者の姿などを撮った写真集「ピカドン ある原爆被災者の記録」を1960年に発表し、日本写真批評家協会
賞特別賞を受賞した。
 61年に上京し、プロの写真家となり学生運動三里塚闘争、公害などを題材にした写真を総合雑誌に発表。82年、郷里近くの無人島へ移住。88年、がんで胃の3分の2を摘出しながら、昭和が終わった89年から「戦争責任展」「写真で見る日本の戦後展」を全国各地で開催。執筆活動も始め、2003年
から「写らなかった戦後」シリーズを出版した。
 90歳となった11年、東日本大震災と福島第1原発事故を機に「広島と同じ過ちが繰り返される」と
の思いにかられ、福島などで被災農民らを撮影した。
(引用終わり)
 
 振り返ってみると、私は福島さんの写真展に足を運ぶ機会もなく、手元にある福島さんの写真集も、2013年3月に(株)デイズジャパンから刊行された『証言と遺言』1冊だけです。
証言と遺言
福島菊次郎
デイズジャパン
2013-03

 それでも、福島さんは、どうにも気になる存在であり、私のメルマガ(ブログ)でも、以下のような記事を書いたことがありました。
 
2013年1月19日(同年1月30日にブログに転載)
報道写真家・福島菊次郎さん91歳
 
 
 後者の中で、私はこう書いていました。
 
「私の手元にある福島さんの写真集は、2013年にデイズジャパンから刊行された『証言と遺言』だけですが、まことに持ち重りのする1冊であり、単純に「感動した」とか「衝撃を受けた」ということでは済まされないものがあり、いまだに、その全体をどう受け止めれば良いのかというとまどいの中にいるというのが正直な気持ちです。」
 
 そのとまどいの思いに決着がつかぬうちに、福島さんは鬼籍に入られてしまいました。
 
 亡くなられてから1箇月近く、その追悼特集が目に付くようになってきましたので、いくつかをご紹介します。
 
 まず、2012年に公開されたドキュメンタリー映画『ニッポンの嘘~報道写真家 福島菊次郎 90歳~』(長谷川三郎監督)が、いくつかの映画館で追悼上映されます。スケジュールについては、映画公式サイトの中の「公開劇場一覧」でご確認ください。
 
 
 さらに、同作品が、CS放送局のチャンネルNECOで追悼放映されます。
 
 
 上記リリースによると、
  2015年11月11日(水)7:30~
  2015年11月23日(月)21:00~
の2回放映されるということです。
 スカパー!やケーブルテレビなどでチャンネルNECOを視聴できる方に是非お勧めです。
 
 また、山口県立山口図書館公式サイトに、福島さんの著書(写真集)で同図書館が所蔵するものをまとめて告知しているページがあるのを見つけました。出来ればデイズジャパンから出た『証言と遺言』も蔵書に加えて欲しいですね。
 
 生前の福島さんとゆかりのあった方々による追悼文も、徐々に読めるようになってきました。
 インターネット環境では、福島さんが亡くなった翌日、フォトジャーナリストの山本宗補さんがご自身のサイトに以下の文章を掲載されました。
  
「山本宗補の雑記帳」 2015年9月25日
追悼:反骨の報道写真家・福島菊次郎さんが亡くなった。私たちにいま問われているものは何か?

 
 そして、今日(10月19日)届いたフォトジャーナリズ月刊誌「DAYS JAPAN」11月号において、予想通り、福島菊次郎さんの追悼特集が組まれていました。福島さんが撮影した写真10枚と福島さん自身が書かれたキャプションが掲載されるとともに、以下の4人の方々が追悼文を執筆されていました。それぞれ、特に感銘を受けた部分を少しだけ引用したいと思いますが、是非「DAYS JAPAN」11月号を手にとって全文をお読みいただきたいと思います。
DAYS JAPAN 2015年 11 月号 [雑誌]
デイズジャパン
2015-10-20


那須圭子氏(フォトジャーナリスト)
「しかし長年の気がかりだったネガの落ち着き先が決まり、緊張の糸が切れたのだろうか、7月末に部屋
で倒れているところを発見され、入院した。刺身が食べたいと言うのでこっそり差し入れると、ベッドの
上のテーブルの下に隠して食べながら言った。
『戦争なんて始まらないって、みんな頭のどこかで思ってるだろ。だけど、もう始まるよ』。安保関連法
が成立する5日前のことだ。
 私には福島さんからいただいた言葉がある。『なっさん、僕の遺言だと思って聞いて。独りになることを怖れないで。集団の中にいると大切なものが見えなくなる』。いま、私はその言葉をかみしめている。」
 
一ノ瀬清美氏(福島菊次郎写真パネル保存会代表・編集者)
「福島さんの最期に立ち会えた者としての報告をしたい。ご本人の予想に反して孤独死ではなく、最愛の娘・紀子さんに見守られる中、あっけないほど静かな幕引きだった。(略)柳井での生活の伴侶・愛犬ロ
クは慣れ親しんだ周防大島で、その家の2歳年下の雄犬ロクと一緒に元気に暮らしている。(略)
 手作りの写真パネルは全て多摩市にある大学で保管してもらっている。保存会も立ち上げた。安倍政権の暴走の下、限りなく戦争に近づいているこの国で、福島さんの魂のこもった写真展を全国に広げてゆきたい。私のライフワークは『福島菊次郎』だ。」
 
長谷川三郎氏(映画『ニッポンの嘘 報道写真家 福島菊次郎 90 歳』監督)
「『(取材に)中立的なものはない』とか、『問題自体が法を犯した時には、カメラマンも法を犯しても構わない』という言葉。これは言い換えれば、権力が嘘をついた時には、カメラマンは法を犯してでもそれを撮影して告発しなければならないということだと思うけど、そういうふうに僕は、人間を撮るという
ことの重みを菊次郎さんに教えてもらったと感じている。(略)
 上映会などの後に福島さんと何度かトークイベントをしたけれど、菊次郎さんは今の世の中が戦争に向かっていくんじゃないかと、この国の行く末をすごく心配していた。だから警鐘を鳴らすという意味で自分が体験してきたことを話してきたんだと思う。『今が戦前なんだ』と言い、最後までこの国を心配していた。」
 
広河隆一氏(フォトジャーナリスト、「DAYS JAPAN」発行人)
祝島の近くで、私は福島さんから『折り入って頼みがある』と言われた。ただならぬ何かを感じ、私は
居住まいを正した。彼の依頼は次のようなものだった。
 いよいよ憲法改憲される事態になったら、自分は焼身自殺という形で抗議するつもりだ。それを撮影
して欲しい・・・・・。
 私は心の底ではそのような事態にならないよう願いながら、『はい』というほかなかった。最後にはたとえ自殺ほう助と言われ、逮捕されようと、これは自殺ではなく闘いだ、と自分に言い聞かせ、カメラが
没収され、すべてが闇に付されてしまう前に、いかにしてデータを速やかに発信するか考えた。(略)
 権力が福島さんの最後の抵抗の意志を知っていたとは思えないが、『解釈改憲』などという姑息な手を使ってきた。その時点ですでに福島さんは、かなり憔悴してベッドから動けない状態だったと聞く。しかし想像にすぎないが、国会前に人々が押し寄せる状況を耳にして、それこそ望ましい闘いの姿であると思
われていたと信じている。
 闘いを次世代に委ねた形で、福島さんは息を引き取られた。福島さんの写真集『証言と遺言』の最後のページには、彼の書による朱の刻印が押されている。そこには『闘え』と書かれている」
 
 広河さんの追悼文を読み終えた後、『証言と遺言』の最終ページ(奥書の次の本当に最後のページです)を開けてみました。
 
 「闘え」「菊」
 
という3文字の朱色の刻印が目に飛び込んできました。
 
(参考動画)
DAYS JAPAN 9周年記念イベント(2013年3月9日 文京シビックホール
 
※51分~1時間13分がゲスト・福島菊次郎さんのスピーチです。
 

(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)
  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会