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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

放送大学「日本美術史('14)」単位認定試験にかかわる見過ごせない大学の措置について

 今晩(2015年10月22日)配信した「メルマガ金原No.2251」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
放送大学「日本美術史('14)」単位認定試験にかかわる見過ごせない大学の措置について

 一昨日(10月20日)、毎日新聞WEB版に「放送大学:政権批判の問題文削除 単位認定試験「不適切」」という記事が掲載されたことを知ってすぐに一読し、個人的な事情もあって、かなりの衝撃を受けました。すぐにメルマガ(ブログ)で取り上げようかとも思ったのですが、毎日新聞の報道だけでいきなり書く訳にはいかない、それなりに調べるべきことがある、ということで今日になりました。
 20日から21日にかけて、他の複数のメディアもこの問題を報じましたが、私の目に付いた範囲では、毎日が最も早かくかつ詳細であったように思いますので、以下には、毎日新聞が報じた内容に沿って
事案のあらましをまず紹介します。
 
 
 放送大学教養学部)は年2学期制をとっており、放送授業の場合、1回45分間の講義(TV科目とラジオ科目があり、いずれもBSデジタルで放送。学生であれば、大半の講義はインターネットのオンデマンド配信で視聴可能)を15回受講した後、通常、1学期の場合は7月終わり頃、2学期の場合は1月終わり頃に、約1週間にわたって単位認定試験が行われ、学生は受講登録している科目を受験することになります(試験会場は各学生が所属する学習センター)。
 そして、今年7月26日に実施された「日本美術史(’14)」の試験問題をめぐって「問題」が生じました(これを「問題」ととらえるかどうか意見が別れるのですが)。
 以下、毎日新聞の記事を引用します。
 
(引用開始)
 この問題は、客員教授の佐藤康宏・東京大教授(60)=美術史=が、7月26日に670人が受けた「日本美術史」の1学期単位認定試験に出題した。画家が戦前・戦中に弾圧されたり、逆に戦争に協力し
たりした歴史を解説した文章から、画家名の誤りを見つける問題だった。
 問題視されたのは問題文の導入部5行。「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的というが、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった」「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判
する力を奪う有効な手段だった」などとあった。
 放送大は単位認定試験の過去問題と解答を学生ら関係者だけがアクセスできるサイトに公開している。佐藤氏によると、7月28日に大学の事務担当者から「学生から疑義があった」として、学内サイト公開
前に問題の削除や修正を求められた。
 担当者から来たメールに添付された「学生からの疑義」には「現在審議が続いている事案に対して、こ
のようなことをするのは問題」「思想誘導と取られかねない愚かな行為」などと書かれていた。
 大学側は、試験に対する質問を受け付ける学内のオンラインシステムに試験当日、1人の学生から苦情が寄せられたとしている。問題は事前に複数の専任教員による校正を受けたが、特に指摘はなかったとい
う。
 佐藤氏が大学側の求めを拒むと、該当部分の削除を通告する文書が8月上旬、宮本みち子副学長名で届いた。削除理由として「現政権への批判が書かれているが、設問とは関係なく、試験問題として不適切」「現在審議が続いているテーマに自説を述べることは、単位認定試験のあり方として認められない」と記
されていた。
(引用終わり)
 
 私自身、現役の放送大学教養学部に在籍する学生なので、やや回りくどいという印象を持たれるかもしれませんが、以上の記事をより正確に理解していただくための説明を何点か付け加えておきたいと思います。
 
放送大学の科目は、先にも述べたとおり、45分講義×15回で構成されているのですが、これを主任講師1人だけで担当する科目と、何人かの講師が分担する科目とがあり、「日本美術史(’14)」は、佐藤康宏客員教授東京大学教授)が15回全部を1人で担当される講義(TV科目)でした。なお、(’14)というのは、2014年度に開講された科目であることを示しており、通常、4年から6年の期
間、同一内容の講義(番組)が開講(放送)されます。ちなみに、佐藤教授は、これに先立つ「日本美術史(’08)」でも主任講師を務めておられました。
 主任講師が1人で全講義を担当される場合、当然、単位認定試験の問題も主任講師自身が作成することになり、複数講師が分担する科目よりも、主任講師の見解がより直接に反映しやすくなるという傾向はあるかもしれません(その辺は講師にもよるのでしょうが)。
 
放送大学教養学部)の単位認定試験の時間は50分間、形式は択一式、記述式、併用式の3種類があり、平成27年度第1学期「日本美術史(’14)」は択一式(12問)でした。私は「日本美術史(’14)」を受講していませんが、学生であれば誰でも登録の上アクセスできる「キャンパス ネットワーク ホームページ」に、「単位認定試験問題・解答等」が資料として掲載されることになっており、読むことができます。
 
〇1人の学生による苦情が寄せられた「学内のオンラインシステム」というのは、私は利用したことはありませんが、上記「キャンパス ネットワーク ホームページ」を通じて、担当課に直接メールを送れるようになっているようです。
 
 ここで、佐藤教授が出題した試験問題の内、せめて問題となった設問は全文を皆さんにも読んでいただきたいところですが、学生等の学内関係者だけが閲覧可能なサイトに掲載されているということもあり、全文転載は差し控えます。
 ただし、本稿の文脈に沿って必要と考えた箇所を部分的に引用することにより、佐藤康宏教授がどのような意図でこの出題をされたのかを理解していただければと思います。
 
 7月26日に実施された問題は全12問に択一式で答えるというものでしたが、問題となった設問は最後の第12問でした。設問は「問12 次の文章の下線部①~⑤のうちには、別の人名に替えないと正しい内容にならないものがある。誤っているものを一つ選べ。」というものですが、以下に続くはずの「次の文章」の冒頭が枠に囲まれた中に括弧付きで、(この部分は、公開にあたり放送大学の責任で削除しました。)とあるのが異様です(少なくとも私は初めて見ました)。これが、毎日新聞の記事にあった「導入部5行」であり、佐藤教授が削除を拒否したにもかかわらず、「放送大学の責任で削除」したという部分です。
 その冒頭部分(の一部かもしれませんが)を毎日新聞から引用するとともに、それにすぐに続く箇所を
少し読んでみましょう。
 
毎日新聞から再現)
 現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。平和と自国民を守るのが目的という
が、ほとんどの戦争はそういう口実で起きる。1931年の満州事変に始まる戦争もそうだった。
 表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった。

(以下、放送大学学内サイトで公表された問題文)
 村山知義とともにマヴォの主要なメンバーであった①柳瀬正夢は,後にプロレタリア美術運動の中心的な活動家となり、多数のポスターや書物の装丁といったグラフィック・アート,そして政治や社会を風刺
する漫画で活躍を見せた。しかし、1930年代初めには治安維持法違反で逮捕・起訴された。(以下略)
 
 以下、官憲に拷問を受けて虐殺された作家・小林多喜二をモチーフにした油絵を描いた津田青楓や陸軍の特派員として南方に派遣され、イギリスの植民地であった香港を日本軍が総攻撃する様子を描いた日本画家(この画家名が「別の人名に替えないと正しい内容にならないもの」でした)などについての論述が続きますが、ここでは、著名な画家・藤田嗣治とアメリカ在住であった国吉康雄について述べた部分を引用したいと思います。
 
(引用開始)
 振り返れば,戦時中の日本人は,国家に強制されて,というよりも,むしろ自ら進んで戦時体制の維持に協力していたかのように見える。権力は,そのような雰囲気を形成するための政策を次々と実行し,国民総動員に成功したのである。③藤田嗣治が積極的に戦争画を手掛け,アメリカ軍の攻撃で日本軍が全滅した戦いを描き出す大作を複数制作したのも,根底には画家として国家に尽くそうという気持ちがあったためだろう。死体の積み重なる光景はきわめて凄惨で,フランスで学んだ西洋絵画の群像構成は,悲劇的
な主題に対して見る者の感情を高揚させるように,巧みに活用されている。
(略)
 アメリカにいた⑤国吉康雄は,頭と足先を切り取られた木馬が空に飛び上がる姿勢で立つ,世界の混乱と喪失感そのものを表象するかのような油彩画を制作した。荒涼たる風景は,欠落と違和感から成るこのイメージに翳りを加える。木馬は、理性的な判断を失い断末魔の状態にある軍国日本を象徴するのだと指摘される。当時の彼のほかの作品同様,戦時下の憂鬱な心情を表現した秀作であり,そういう心情は日本の松本竣介も共有するものだった。しかし、どれほど魅力的な作品であろうと、画家にこうした絵画を描かせる時代を二度ともたらしてはならない。
(引用終わり) 
 
(余談ながら、7年にわたって、放送大学の様々な単位認定試験を受けてきた私の感想を言わせてもらえば、佐藤教授が作成された試験問題は非常によく練られており、誰でも簡単に高得点が得られるものではないと思います。)
 
 いかがでしょうか。新聞報道を読んだだけの方は、どうして「日本美術史」の単位認定試験に、「現在の政権は、日本が再び戦争をするための体制を整えつつある。」とか、「表現の自由を抑圧し情報をコントロールすることは、国民から批判する力を奪う有効な手段だった。」という導入部が必要なのか、理解が難しかったかもしれませんが、ここまで読んできて、その導入部が、とってつけたものでもなければ、「設問とは関係なく、試験問題として不適切」でもないという意見(私はそう思います)に同意していただけるでしょうか?
 もちろん、そのような導入部を設けない、あるいはもう少しぼかした表現にするという、ある種の「大人の智恵」もあっただろうとは思いますが、佐藤康宏教授は、この冒頭部分が必要だと判断し、事前の(試験問題の)校正を担当した「複数の専任教員」も、その冒頭部分が必要かどうかは、主任講師が判断すべきことだと考えて問題にしなかったのでしょう。
 
 ここまで書いてくれば、私が「現政権への批判が書かれているが、設問とは関係なく、試験問題として不適切」「現在審議が続いているテーマに自説を述べることは、単位認定試験のあり方として認められない」という放送大学執行部(副学長名での通知ということですから、そういうことなのでしょう)の見解に全然賛同できないと思っていることは、どなたにでもご理解いただけるでしょう。
 そもそも、「日本美術史」という科目を1人の主任講師に委ねながら、大学(の学長や副学長)が「単
位認定試験のあり方として認められない」として、学内サイトに掲載すべき試験問題の一部を「放送大学の責任で削除」することなど許されないでしょう。
 学長の管理権限がそのような問題にまで及ぶとすれば、研究者・教員の学問の自由など、放送大学には無いも同然です。
 
 それに、今回の放送大学による措置が、一体どちらの方向を向いて行われたのかが問題です。
 放送大学が向いているのが、総務省か、文部科学省か、首相官邸か、はたまたネトウヨ(による大学攻撃への懸念)かは知りませんが、「1人の学生」からの苦情がきっかけとはいえ、これが「学生のため」
の措置などでないことは言うまでもないでしょう。
 第一、私自身がそうですが、一般大学とは異なり、放送大学に在籍する学生の社会的バックボーンは多種多様であり、年齢層も、10代から60代以上まで実に幅広い構成となっています。若年在学生である10代の比率はわずか4%であり、これに20代(13%)を加えても17%にしかならず、30代以上の学生が8割以上を占めています。
 そうであればこそ、私は、主任講師の見解を金科玉条のごとく受け入れる必要などなく、自らが主体的に探求・判断することこそ求められているのだということを理解できる学生が多いということが(日本で
一番多いかどうかはともかく)放送大学の最も誇るべき長所であると信じてきました(中には今回苦情のメールを送った「1人の学生」のような人も、8万人以上の学生の中にはいるでしょうが)。
 今回の放送大学による「削除」は、そのような放送大学学生に対する侮辱であると私は受け止めています。
 大学当局には、速やかに「削除」措置を撤回し、佐藤教授の了解を得た上で、本来の問題文を完全な形で掲載することを強く求めます。 
 
 なお、毎日新聞の取材に対し、放送大学を代表してコメントしたのは来生新(きすぎ・しん)副学長で
した。その内容は「学問や表現の自由には十分配慮しなければいけないが、放送大学は一般の大学と違い放送法を順守する義務がある。試験問題も放送授業と一体のものと考えており、今回は放送法に照らし公平さを欠くと判断して削除した」という、とても法学者とは思えないコメントであり、来生教授の講義を受講したことのある私としては、まことに残念と言うしかありません。
 試験問題と放送授業が仮に一体であると認めたところで、試験問題の内容がどうして放送法違反になるのか訳が分かりません。まあ、短く要約された新聞のコメントをあれこれ批判しても仕方がありません
が。
 
 ところで、この文章の冒頭で、私は「個人的な事情もあって、かなりの衝撃を受けました。」と書きましたが、この辺でその事情を説明しておきます。
 近年、私は毎学期、放送授業2科目、面接授業1科目を受講することにしていますが(これ以上は時間的に無理)、いずれ受講するかもしれない興味のある科目も録画・録音しており、時間のある時に視聴しています。
 そして、まさに佐藤康宏教授による「日本美術史(’14)」(全15回録画済み)を見始めていたところに(第5回まで見たところで)今回のニュースに接し、「衝撃を受けた」わけです。
 毎日新聞の伝えるところでは、「佐藤氏は納得せず、昨年度から2019年度まで6年間の契約だった
客員教授を今年度限りで辞めると大学側に伝えた。」ということで、他紙の報道によると、大学もこれを受け入れたということなので、本年度第2学期をもって(わずか2年で)「日本美術史(’14)」は閉講となります。
 来年度には是非正式に受講したいと考えていた私の希望はあえなく潰えました。まことに残念です。
 
 毎日新聞が伝えるところでは、佐藤教授は、「学生に美術史を自分のこととしてリアルに考えてほしかったので、この文を入れた」「大学は面倒を恐れて先回りした。そういう自主規制が一番怖い」と語ったそうです。
 そこで、私は昨晩、録画してあった「日本美術史(’14)」の最終第15回「モダニズムの諸相――
大正・昭和期(戦中まで)」を視聴しました。
 そして、その最終講義の終わりの部分で、佐藤康宏教授が以下のように学生・視聴者に語りかけていましたので、文字起こししてご紹介したいと思います。
 単位認定試験の設問12や毎日新聞へのコメントにも一貫する佐藤教授の考えを少しでもお伝えできればと思います。
 
佐藤康宏客員教授東京大学教授)
「日本美術の美しさを語る。その素晴らしさが世界の中で傑出していることを宣伝する。そういう形で美
術史家もまた、当時は戦争に協力したと言えます。これは私たちにとってのいましめです。
 日本美術史について、常に認識を更新していくこと。最新の認識を世界に通用するように伝えていくこ
と。それは、日本美術史に興味を持つ者の義務でしょうが、日本という国の利益だけを考えてやると、そ
の行為は危ういものになるということです。
 戦後の美術は、戦争のイメージを反芻するところから出発し、ますます多様な展開を見せます。20世
紀後半の出来事についてまで、ここで話が及ばないのは残念ですけども、印刷教材に掲げた参考文献の中には、戦後の美術にも言及するものもありますので、まずそれらを手がかりに、探索していただけたらと
思います。
 皆さん一人一人が、何かしら自分にとって、のっぴきならない問題、自らが織り糸を紡いでみたいと思
う何かを、日本美術史をきっかけに見出してもらえればと、そんな風に最初の回に望みました。何か見つ
かったのならいいのですけれども。
 私の美術史はこれでおしまいです。あとは、皆さんの探求に期待しております。」
 
 
(付記・これから「日本美術史(’14)」を「受講」したいと考えた人のために)
 今さら新規に受講申込みはできませんし、毎週月曜日の午後1時から、BSデジタル231チャンネル
で放送されているTV放送授業(関東では地上波デジタル12チャンネルでも放送)は、全15回のうち既に第3回までの放送が終わっています。
 しかし、「日本美術史(’14)」全15回を、BSデジタル放送が視聴できる環境にある方なら、誰でも全編視聴・録画できるチャンスがあと1度だけあります。
 放送大学では、各学期(今なら10月開始の第2学期)の初めから15週にわたる放送授業の本放送が終わった後、「集中放送授業期間」と称して、(全講義ではありませんが)多くの科目を全15回集中放送します。
 そして、予告されている番組表によれば、「日本美術史(’14)」は、以下の日程で全15回が放送されます。
2016年2月5日(金)~10日(水) 16時45分~18時15分
2016年2月11日(木) 16時45分~17時30分  
  
 よもや、このような「事件」があったからといって、放送予定を変更し、別の放送授業に差し替えるような姑息なことはするまいと(そこまで放送大学執行部は愚かではないと)信じたいと思います。
 是非、多くの方が、この集中講義を(私的に)「受講」されますように。
 その「受講」の参考にしていただくために、科目案内の一部をご紹介します。
 
授業科目案内 教養学部 
専門科目 人間と文化コース 日本美術史(’14)

(抜粋引用開始)
授業の目標
 過去の日本美術というのは、いまの私たちにとってはどうかすると西洋美術よりもなじみのない、しか
し新鮮な魅力に富んだ対象だといえる。その魅力を発見し、ただ美しさを讃嘆するだけでなく、それが抱
える問題を冷静に理解してもらうことを目標にする。造形について、形や色に着目するところから始めて歴史的に考えていく――そういうおもしろさを知ってもらいたい。
シラバス(全15回の内、最後の第15回分のみ引用)
15 モダニズムの諸相――大正・昭和期(戦中まで)
 ヨーロッパの芸術運動がただちに伝わるようになった時代に、それらに同調し、あるいは反発して、注
目すべき造形が作られた。代表的な作例を論じ、版画・写真・ポスターといった大衆向けのメディアの発
達、そして十五年戦争と美術との関わりについて説く。
(引用終わり)
 
 なお、放送授業のテキスト(印刷教材)は市販もされています(少し高いですが)。
 
『日本美術史 改訂版 』(放送大学教材) 佐藤康宏
 
 
 
 
 また、放送大学オープンコースウエアで、第1回「形の生命――縄文時代弥生時代」だけですが、見本視聴できるようになっています。科目名から「日本美術史(’14)」を探し、テーマの部分をクリックしてください。視聴用の別ウインドウが開きます。
 

(忘れないために)
 「自由と平和のための京大有志の会」による「あしたのための声明書」(2015年9月19日)を、「忘れないために」しばらくメルマガ(ブログ)の末尾に掲載することにしました。
 
(引用開始)
  あしたのための声明書
 
わたしたちは、忘れない。
人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。
 
わたしたちは、忘れない。
マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
居眠りに耽る議員たちの弛緩を。
 
わたしたちは、忘れない。
声を上げた若者たちの美しさを。
街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。
 
わたしたちは、忘れない。
戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。
 
きょうは、はじまりの日。
憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。
 
わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
 
     自由と平和のための京大有志の会
(引用終わり)