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加藤周一さんの若者へのメッセージを新たな気持ちで読む

 今晩(2016年1月3日)配信した「メルマガ金原No.2324」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
加藤周一さんの若者へのメッセージを新たな気持ちで読む

 2008年12月5日に89歳で亡くなった九条の会の呼びかけ人の1人である加藤周一さんは、晩年、様々な講演やインタビューなどを通じ、憲法、戦争、平和、民主主義などについて、多くのメッセージを精力的に発信されました。
 ただし、同じく九条の会の呼びかけ人であった井上ひさしさん(2010年4月9日逝去)の場合もそうなのですが、注目を浴びる講演の模様が、早ければその日のうちにインターネットの動画サイトで視聴できるという時代の到来を目前にして亡くなられたため、遺された動画は非常に少ないのです。
 晩年の加藤さんを追ったドキュメンタリー映画『しかしそれだけではない。加藤周一幽霊と語る』(2009年)を除けば、あとでご紹介する2006年12月8日に東京大学駒場キャンパスで行われた講演「老人と学生の未来-戦争か平和か」がある位でしょうか。
 
 短かった年末年始休暇(あまり休んだような気がしませんが)も今日で終わるというこの日に、7年前に亡くなられた加藤周一さんのインタビュー(の文字起こし)を読み、講演動画を視聴しました。
 晩年の加藤さんには、ご自身が畏敬の念を込めて「知の巨人」と言われ続けたことなど全然知らない若い人たちにこそ、伝えたいことがあったに違いないと、これらのインタビュー(の文字起こし)を読み、講演動画を視聴しながらあらためて感じました。
 1人でも2人でも、このささやかなブログを通じて、加藤さんのメッセージを受け止めてくれる若い人がいればいいのですが。
 
 まず最初にご紹介するのは、“Peace Philosophy Centre”(ピース・フィロソフィー・センター)サイトに(年末29日に)掲載された「今こそ生きる、戦後60年の加藤周一から後の世代へのメッセージ A message from late Shuichi Kato, 2005」です。
 その解説文によれば、「日本の敗戦70年が終わろうとしています。10年前聞いて感銘を受けた「知の巨人」加藤周一氏(2008年12月5日没)の、「戦後60年」2005年8月に放送されたラジオインタビューの書き起こしを紹介したいと思います。この日の加藤氏のメッセージは10年後の今、日本が戦争の教訓を忘れ、米国に追従し、再び隣国を憎み、戦争への道を進みつつあるからこそ、そのような潮流を市民の力で止めるために聞くべきものであると思ったからです」とあります。
 特に心にとどめ、多くの(特に若い人たちに)知って欲しいと思った箇所を部分的に引用しますが、(それほど長いものでもありませんので)是非リンク先で全文を読んでください。
 なお、オリジナル音源がどの放送局のものか、放送日はいつか、インタビュアーが誰か、文字起こしは誰がいつ行ったのかなどは記載されていませんので、ご了承ください。
 
Peace Philosophy Centre 2015年12月29日
今こそ生きる、戦後60年の加藤周一から後の世代へのメッセージ A message from late Shuichi Kato, 2005
(抜粋引用開始)
「戦争はかっこよくない。全然ね。ただ問題は、戦争は突然起こるんじゃなくて1931年の満州国に始まりまして、1937には盧溝橋事件から上海事変になってそこから南京。戦線が全中国本土に拡大するという形になるわけです。南京に入城したときには南京陥落の旗行列ができました。東京にいたわけですから、それも私の戦争経験の一つです。爆撃だけじゃなくて旗行列も見たんですよ。私とその旗行列の人たちとの唯一の違いはね、私は1937年12月の南京陥落のときに東京が焼け野原になるのは時間の問題だと思っていたことです。ところがその旗行列の人は祝ってるんですから、だからもちろんそうは思ってなかったですよ。1941年12月8日、日本軍がパールハーバーを攻撃したときも旗行列です。それはアメリカの軍艦をたくさん撃沈したから。私は、今はアメリカの軍艦を撃沈してもアメリカを攻撃すれば東京が、日本が滅びるのは時間の問題だと思っていました。それがただ一つの、でも重要な違いだったんですね。今の若い人たちによく聞かれるんですがね、「どういう風に事を進めますか」と。やっぱりね、「旗行列するな」って。今日戦争に勝っても、その結果がどうなるかっていうことをもう少し冷静に見破る能力を養うべきだと思いますね。そして見破れば旗行列はしない。そう言いますね」
「(「加藤さんは精力的に高校生などと対話をしてらっしゃいますが、高校生たちからくる質問はどういうものが多いですか?」という質問に対して)
 間接的にも直接的にも言われますが、「我々には責任がない」というやつですね。私の答えは「その通り」。「君には責任がない」と。十五年戦争の責任はないし、南京虐殺を認めても今の大学生、高校生にその責任はないということは認めるわけですね。しかし責任がないっていうのは関係がないっていうわけじゃない。責任がないっていってもそれは直接的な責任がないっていうわけであって。たとえば中国における非常にたくさんの人の人命の破壊とか、そういう現象がなぜ起こったかと言うと非常に複雑な要因があるんですよ。しかしその要因の一部は無くなった、変わった、だから今はない。だからあなた方には確かに関係がないかもしれない。でも一部は今でもある。それは関係がある。それは識別しなきゃならない。どういう理由は今でも生きていてどういう理由は無くなっているかを区別しなきゃならない。もしも今でもある理由があればそれと戦わなきゃならない。それは義務でね、もし戦わなければ前の戦争の責任が続いてるっていうことになる。だから直接戦場での戦争行為に責任がないけれども、戦争というは武器を持って戦場に行く人だけでは決してできない。その人たちを支えるイデオロギー、価値観が背後にあるから、それに支えられてるからできるんです。故郷を守るとか、祖国は神の国だからとかいろいろありますね。
 でそれを検討するには第一にまず歴史だ。歴史を学べ。歴史は過去のことだから私たちには関係がないというのは粗雑な考え方で、関係あるかないかを調べるのが歴史学だ。たとえばなんだけど、南京虐殺の背景のひとつはね、人種差別かもしれない。そうしたらあなたたちの問題は今その人種差別は生きてるか生きてないかの問題だ。もし生きてるのに黙ってそこに座ってるのであれば関係のないことで座ってるんじゃなくて、関係大ありなことに対して黙ってる。つまり消極的に支持してることになるので結果的に全責任がそこにかかってくることになる。そんなに簡単に逃れられない。「関係ありません」じゃない。関係があるから、どんな関係があるかをはっきりさせなきゃならない。それには勉強する必要がある。」
(引用終わり)
 
 もう1つご紹介するのは、上記インタビューの1年4か月後(2006年12月)に東大駒場キャンパスで行われた講演「老人と学生の未来-戦争か平和か」の動画です。映像ドキュメントによる非常に貴重な動画ですが、YouTubeへの投稿が1本10分に制限されていた時代にアップされたからでしょうが、非常に細切れです。一応連続再生できる設定になっていますから、1本目から順次見ていくのに不自由がないと言えばないのですが。
 なお、前後編2本(講演と質疑応答)に別れたWMVファイルで視聴することもできます。
 それでは、YouTubeにアップされた動画をご紹介します。
 
加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 1(4分20秒)

加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 2(9分01秒)

加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 3(8分55秒)

加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 4(9分04秒)

加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 5(8分05秒)

※5/7の次がいきなり7/7になりますが、もともとあった6/7が削除されたのかどうかはよく分かりません。
加藤周一氏講演会 老人と学生の未来-戦争か平和か 7(8分04秒)


加藤周一氏講演会 質疑応答 老人と学生の未来-戦争か平和か 1(9分45秒)

加藤周一氏講演会 質疑応答 老人と学生の未来-戦争か平和か 2(6分13秒)

加藤周一氏講演会 質疑応答 老人と学生の未来-戦争か平和か 3(4分19秒)

加藤周一氏講演会 質疑応答 老人と学生の未来-戦争か平和か 4(6分47秒)

※ここでも5/6がない理由は不明です。
加藤周一氏講演会 質疑応答 老人と学生の未来-戦争か平和か 6(8分49秒)
 

 この講演の内容は、整理された上で、加藤さんの死後、岩波現代文庫『私にとっての20世紀―付 最後のメッセージ』(2009年2月刊)に「第五章 老人と学生の未来」として収録されています。

 
 社会的圧力から比較的自由な定年後の老人と学生との同盟(結託)を構想した加藤周一さんが、2015年のSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)の活動を見たら何と評されたか、是非伺ってみたいものだと思いました。

 最後に、岩波現代文庫収録の講演録から、現在の若者にこそ読んでもらいたいと思った部分を引用します。
 
(抜粋引用開始)
「防衛問題あるいは安全保障問題に関して言えば、今申し上げたように、日本のすべてが戦争に向かって進んでいる。国内では戦争に対応できるような法律が、段々に積み重ねられています。反対の方角に新しい法律が通った例はないです。これがひじょうに大事なところですが、どういう方角に世の中の変化が動いているかということです。全体の流れと逆の方向の変化が入っているか。入っていないですよ、殆どね。必ずしも、一時に計画されたわけではないでしょうが、ある方角へ向かっている。方角が非常にはっきりしている。外国に戦争があって、その戦争の中に日本が参加できるような方角へ法律を変えている。逆に戦争がしにくくなるように法律を変えた例はない、ということです。
 それから、戦争とはちょっと離れるのですが、いま言った国旗や国歌の話、過去の戦争の解釈の問題などは、日本政府が直接に戦争に参加するのに便利かという問題からはちょっと離れていますね。しかし、もし戦争に参加すれば、すべての戦争はそれを正当化すること、もう一つは何か大衆を戦いの方へ駆り立てる一種の組織的な働きかけ、あるいは宣伝を通じての働きかけが必ずあります。思想的な正当化の努力を伴わない、あるいは感情的な扇動を伴わない戦争というのはないですよ。それはギリシャの昔から、あるいは春秋戦国の時代から、戦争の正当化と感情的に大衆を扇動することを伴わない戦争というのはないですね。戦争をする以上は、大衆をそれに向かって感情的に準備しなければならない。同時に知的というか思想的に説得しなければならない。さっき申し上げた最近の一連の変化、靖国参拝にしても、国旗の話にしても、教科書の問題にしても、みんなそのためにいくらか役立つ。だからばらばらではない。流れが三つあって、一定の方角をだどっている訳です。」
(265~266頁)
「それは、団体の圧力、社会学的に言えば、団体の圧力ですよ。それが人生の中で、子供の時は、親とか先生の圧力が非常に強い。やっぱり、ちょっと、そして、仲間同士は一生懸命いじめをして、まあ生き延びれば大人になるんですね。大学に来て、四年間、日本では、日本人の人生では、四年間、基本的人権の筆頭であるところの自由が最大に高まる。四年過ぎると、それは非常に下がって、そして、六〇歳以降、また、定年退職以後に、復活してもういっぺん自由になる。二度自由の山があるのですよ。だから、老人と学生の同盟は、どうですかって私が言うのは、二つの自由な精神の共同・協力は、強力になりうるだろうというわけです。ありがとうございました。」
(278~279頁)
 
(参考図書~ちくま学芸文庫から)





 「加藤周一著作集」(平凡社・全24巻)や「加藤周一自選集」(岩波書店・全10巻)にはとても手が出せない人(私もそうですが)には、「加藤周一セレクション」(平凡社ライブラリー・全5巻)とならび、上記のような、ちくま学芸文庫版がお奨めです。