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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

「日章旗」「君が代」強制と国立大学~17年前の国会審議と馳浩文部科学大臣に対する憲法研究者の抗議声明

 今晩(2016年3月15日)配信した「メルマガ金原No.2396」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
日章旗」「君が代」強制と国立大学~17年前の国会審議と馳浩文部科学大臣に対する憲法研究者の抗議声明

国旗及び国歌に関する法律(平成十一年八月十三日法律第百二十七号)
(国旗)
第一条 国旗は、日章旗とする。
2 日章旗の制式は、別記第一のとおりとする。
(国歌)
第二条 国歌は、君が代とする。
2 君が代の歌詞及び楽曲は、別記第二のとおりとする。
   附 則
(施行期日)
1 この法律は、公布の日から施行する。
(商船規則の廃止)
2 商船規則(明治三年太政官布告第五十七号)は、廃止する。
日章旗の制式の特例)
3 日章旗の制式については、当分の間、別記第一の規定にかかわらず、寸法の割合について縦を横の十
分の七とし、かつ、日章の中心の位置について旗の中心から旗竿側に横の長さの百分の一偏した位置とす
ることができる。
別記第一(第一条関係)
日章旗の制式
一 寸法の割合及び日章の位置
   縦 横の三分の二
   日章 直径 縦の五分の三
       中心 旗の中心
二 彩色
   地 白色
   日章 紅色
別記第二(第二条関係)
君が代の歌詞及び楽曲
一 歌詞
   君が代は 千代に八千代に さざれ石の いわおとなりて こけのむすまで
二 楽曲 (省略)
 
 多くの反対論を押し切り、1999年(平成11年)8月、小渕恵三内閣の下で「国旗及び国家に関する法律」が成立し(民主党党議拘束を外したため、賛否はほぼ半々でしたね)、小渕首相の国会審議中の答弁「国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が生ずることにはならないと考えております。」(志位和夫日本共産党書記局長の質問に答えて)にもかかわらず、学校現場に様々な強制と混乱をもたらし、現にもたらし続けていることはご存知のとおりです。
 
 ここで、やや長くなりますが、志位和夫日本共産党書記局長(当時)と小渕恵三首相とのやりとりを、衆議院会議録で振り返っておくことも無意味ではないでしょう。
 1999年(平成11年)6月29日、衆議院本会議でのことです。
 
衆議院会議録 第145回国会 本会議 
平成11年6月29日(火曜日)

(抜粋引用開始)
志位和夫 私は、日本共産党を代表し、日の丸・君が代を国旗・国歌とする法案について、小渕総理
に質問します。
 まず第一にただしたいのは、総理が、この問題についての国民的討論について、どう考えているかとい
うことです。
(略)
 第二は、日の丸・君が代が、日本国憲法を土台とした今の日本の国旗・国歌としてふさわしいかという
問題です。
(略)
 第三は、日の丸・君が代を国民一人一人に強制すること、特に教育現場に強制することについて、どう
考えるのかということです。
 政府が今回の法制化に踏み出した直接の契機は、広島の県立高校の校長先生が自殺するという痛ましい事件でした。総理は、この悲劇がどうして生まれたと考えていますか。卒業式、入学式に一律に国旗掲揚、国歌斉唱を義務づけるという形で、日の丸・君が代を教育現場に強制してきたことがその重要な原因であったことを認めますか。こうした悲劇を二度と起こさないためには、教育現場への強制は一切やめるこ
とが唯一の解決方法ではありませんか。
 総理は、今回の法制化について、学習指導要領だけではなくて、法制化によって掲揚、斉唱をきちんとすることが望ましいと述べています。結局今回の法制化は、教育現場への強制を一層強めることを目的としたものですか。そうだとすれば、問題が解決するどころか、悲劇が繰り返され、矛盾は一層広がるだけ
ではありませんか。
 一九八九年の学習指導要領の改訂で、入学式や卒業式などで国旗掲揚、国歌斉唱の指導をするものとするとされてから、教育現場への強制は一層激しくなりました。文部省と教育委員会は、校長に職務命令と処分を盾に強制する。校長から同じ強制が教職員に行われる。教職員が歌っているかどうかをビデオで調
査した学校もあります。君が代を歌わない子供を校長室に呼んで叱責した学校もあります。
 こうした合意なしの強制を毎年繰り返すことによって、校長は教育者としての面目を失い、教員は子供たちの信頼を失う。それが、個人の尊厳を重んじ、個性豊かな文化の創造を目指す場であるべき教育現場
をどんなに荒廃させているか、はかり知れないものがあります。
 総理に伺いますが、サミット七カ国で、このように学校の入学式、卒業式で国旗掲揚、国歌斉唱を義務づけている国が日本以外にありますか。今我が国の教育現場で横行していることは、およそ前近代的な軍
国主義時代の野蛮な統制の遺物ではありませんか。
 憲法十九条は、思想及び良心の自由を保障しています。国家が国民の内心、物の考え方を制限したり介入したりすることはできないというのが近代国家の共通の基本原則です。アメリカでは、一九四三年に、ある州がその州の法律で国旗への敬礼を子供たちに義務づけたことに対して、連邦最高裁が、国民の良心の自由を侵すものだとする厳しい判決を下し、この精神は今日でも守られています。入学式、卒業式で日の丸掲揚、君が代斉唱を義務づけるということは、憲法で保障された教職員の良心の自由、子供たちの良
心の自由を侵害するものではありませんか。
 総理は、今回の法律について、国民に対して国旗の掲揚、国歌の斉唱を義務づけるものではないとしています。しかし、国民に義務づけることができないものが、どうして教育の場、教職員と子供には義務づけることができるのですか。総理が国民に対して義務づけるものでないとしたことは、そうした義務づけが憲法十九条の内心の自由に抵触するおそれがあるからと考えているからではないのですか。そうである
ならば、教職員や子供にもそういう義務づけはできないのではありませんか。
 それを教育の名で合理化することはできません。どのような形であれ、思想、良心の自由など人間の内面の自由に介入できないことは、近代公教育の原理であり、教育基本法の原則ではありませんか。日本共産党は、法律に根拠がない現状ではもちろん、我が党が主張するように国民的討論と合意を経て法制化が行われたとしても、国旗・国歌は、国が公的な場で公式に用いるというところに限られるべきであって、
国民一人一人にも教育の場にも強制すべきものではないと考えます。総理の見解を問うものであります。
 私は、日の丸・君が代法案について、三つの角度からその問題点を究明してまいりました。今ここで、起こりつつある国民的討論を断ち切って、この法案を強行するならば、日本の歴史に大きな汚点を残し、日本の社会に深刻なひずみをもたらすことになるでしょう。教育現場で起こっている矛盾についても、何
も解決しないどころか、一層のあつれきと悲劇を生むことになるでしょう。
 日本共産党は、この法案を廃案にすることを強く求めるものであります。国民的討論を十分に保障し、国民的合意によって日本にふさわしい国旗・国歌を決めていくことこそ、政治の責務であることを重ねて
強調し、質問を終わります。(拍手)
内閣総理大臣小渕恵三君) 志位和夫議員にお答え申し上げます。
 まず、国民的討論に関してのお尋ねがございました。
(略)
 日の丸・君が代の抵抗感についてお尋ねがありました。
(略)
 校長自殺の原因及び教育現場での国旗掲揚、国歌斉唱を強制するのはやめるべきではないかとのお尋ね
でありますが、広島県世羅高校の石川校長がみずから命を絶たれたことはまことに痛ましいことと考えております。その原因を断定することは困難ではありますが、国旗・国歌の問題をめぐり教職員間で種々
の議論があり、孤立感を抱いておられたと承知をいたしております。
 子供たちが、将来、国際社会において尊敬され信頼される日本人として成長するためには、日本国民としての基本的マナーとして、我が国の国旗・国歌はもとより、諸外国の国旗・国歌に対する正しい認識と、それらを尊重する態度を育てることが極めて重要であります。国旗・国歌についてこのような観点に立
って指導を行っているものであり、ぜひ関係者においてはこの趣旨を理解してほしいと考えております。
 国旗及び国歌の法制化と学校における国旗及び国歌の指導との関係について、お尋ねがありました。
 学校における国旗と国歌の指導は、児童生徒が国旗と国歌の意義を理解し、それを尊重する態度を育てるとともに、すべての国の国旗と国歌に対してひとしく敬意を表する態度を育てるために行っているもの
であり、今回の法制化に伴い、その方針に変更が生ずるものでないと考えております。
 次に、サミット七カ国の国旗・国歌の取り扱いについてのお尋ねがありましたが、政府で行いました調
査によりますれば、入学式や卒業式自体を持たないなどという国もあり、その扱いはさまざまであり、アメリカ合衆国では、連邦法により、国旗は授業日にはすべての学校の校舎等に掲揚されなければならないと規定いたしておると承知をいたしております。国旗・国歌に対する正しい認識とそれらを尊重する態度を育てる上で、入学式等にこれらを指導することは妥当なものと考えております。
 良心の自由についてお尋ねがありましたが、憲法で保障された良心の自由は、一般に、内心について国家はそれを制限したり禁止したりすることは許されないという意味であると理解をいたしております。学校におきまして、学習指導要領に基づき、国旗・国歌について児童生徒を指導すべき責務を負っており、学校におけるこのような国旗・国歌の指導は、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけることを目的として行われておるものでありまして、子供たちの良心の自由を制約しようというものでないと考
えております。
 教育現場での教職員や子供への国旗の掲揚等の義務づけについてお尋ねがありましたが、国旗・国歌等、学校が指導すべき内容については、従来から、学校教育法に基づく学習指導要領によって定めることとされております。学習指導要領では、各教科、道徳、特別活動それぞれにわたり、子供たちが身につけるべき内容が定められておりますが、国旗・国歌について子供たちが正しい認識を持ち、尊重する態度を育
てることをねらいとして指導することといたしておるものであります。
 国旗掲揚等の義務づけを行わなかったことに関するお尋ねでありますが、今回の国旗及び国歌の法制化の趣旨は、日の丸・君が代が長年の慣行により、それぞれ国の国旗と国歌として定着していることを踏まえ、二十一世紀を迎えることを一つの契機として、成文法にその根拠を明確に規定することであります。したがって、このような法制化の趣旨にかんがみ、法律案は国旗と国歌を規定する簡明なものといたした
次第でございます。
 教職員や子供たちにも国旗の掲揚等を義務づけはできないのではないかとのお尋ねでありますが、国旗・国歌等、学校教育において指導すべき内容は学習指導要領において定めることとされており、各学校は
これに基づいて児童生徒を指導すべき責務を負うものであります。
 教育基本法の原則についてでありますが、教育基本法は、日本国憲法の精神にのっとり、教育の目的を明示したものであり、学校教育における国旗・国歌に関する指導は、教育基本法の精神を受けて定められている学習指導要領に基づき、国民として必要な基礎的、基本的な内容を身につけるため行われるもので
あり、これは児童生徒の思想、良心を制約しようとするものではありません。
 国旗及び国歌の強制についてお尋ねがありましたが、政府といたしましては、国旗・国歌の法制化に当たり、国旗の掲揚に関し義務づけなどを行うことは考えておりません。したがって、現行の運用に変更が
生ずることにはならないと考えております。
 なお、学校における国旗及び国歌の指導については、教育指導上の観点から行っていることは、既に答
弁いたしたところでございます。
 以上、御答弁を申し上げました。(拍手)
(引用終わり)
 
 この質疑を読んでみて、皆さんは何を思われたでしょうか。
 志位和夫氏の質問は大きく三点に別れており、その内の第二「日の丸・君が代は、今の日本の国旗・国歌にはふさわしくない」という主張について異論のある人でも、第三(これは全文引用しました)につい
て異論はない、という人が多いのではないでしょうか(そうであって欲しいと心から願いますが)。
 これに対する小渕首相の答弁が、結局のところ腑に落ちない最大の要因は、「教職員や子どもは国民で
はないのか?」という疑問に何ら納得のいく答えが用意されていないことにあるのだと思います。
 要するに、「なぜ、日本国憲法よりも学校教育法や学習指導要領の方が優位にあるのか?」という問いには答えようがないということでしょう。

※ 余談ですが、思わず「なぜ、日本国憲法よりも日米地位協定や日米ガイドラインの方が優位にあるのか?」という問いを思い出してしまいました。 
 
 さて、この学校現場への日の丸・君が代の強制という憲法違反の実例に、あろうことか大学まで仲間入りさせられようとしていることが世上を騒がしていることはご存知のことと思います。
 このままでは、「大学教員や学生・院生は国民ではないのか?」という問いを立てざるを得なくなって
しまいます。
 そのような危機感を抱いた多くの憲法研究者が、去る3月7日、「国立大学の卒業式等での国旗掲揚・国歌斉唱に関する文部科学大臣の発言の撤回を求める憲法研究者声明」を文部科学大臣
に提出するとともにその内容を公表しました。
 以下に全文を引用します。
 
(引用開始)
     国立大学の入学式・卒業式等での国旗掲揚・国歌斉唱に関する
        文部科学大臣の発言の撤回を求める憲法研究者声明
 
 私たち憲法研究者の有志は、馳浩文部科学大臣が、卒業式などで国歌斉唱をしない方針を示した岐阜大学の学長の判断を「恥ずかしい」と批判したことに抗議し、当該発言の撤回を求めます。
 
 馳浩文部科学大臣は、2016年2月21日の金沢市での記者会見で、卒業式などで国歌斉唱をしない方針を示した岐阜大学学長に対し、「国立大として運営費交付金が投入されている中であえてそういう表現をすることは、私の感覚からするとちょっと恥ずかしい」と述べたと報道され、続いて23日にも文部科学省での定例記者会見で「日本人として、特に国立大学としてちょっと恥ずかしい」との批判を繰り返しました。私たちは、日本の大学に所属する憲法研究者として、文部科学大臣によるこのような発言は、以下のような理由で学問の自由と大学の自治を保障した憲法23条の趣旨に反すると指摘せざるをえません。
 この問題は、昨年2015 年6 月16 日、下村博文文部科学大臣が、全国86 の国立大学の学長に対し、卒業式や入学式での国旗掲揚と国歌斉唱を求めたことに始まりました。下村氏は、あくまでも「お願い」であり、受け入れるかどうかは各国立大学の判断だと述べました。しかし、国立大学の財政が、文部科学省の裁量に基づく資金配分に大きく委ねられている以上、「お願い」とは言っても、その事実上の影響力は極めて大きなものです。将来的な資金配分での不利益の可能性を恐れて、各国立大学の学長が、大臣の意向を過度に忖度し、「お願い」を受け入れざるをえないと判断してしまうかもしれない状況が作り出されました。したがって、下村氏の「お願い」自体、大学の自治の観点からは大きな問題点を含むものでした

 馳大臣は、下村氏の「お願い」を受け入れず、国歌の斉唱を行わないと決めた岐阜大学を名指しで批判しました。馳大臣の批判は、下村氏の要請が決して「お願い」にとどまるものではなかったことを証明するものです。もし、本当に「お願い」であったならば、馳大臣は、岐阜大学の学長の判断に関して、「残念だ」とは言えたとしても、「恥ずかしい」などと批判を投げかけることはできないはずです。各国立大学がその「お願い」を受け入れない判断をすることがますます難しい状況になっています。かように、安倍内閣による国旗掲揚・国歌斉唱の要請は、事実上の強制力を有するものであると評価せざるをえません。こうした事実上の強制力を伴うものであることが明らかになった以上は、この要請は、国立大学の自律的な判断を否定しようとするものであり、憲法23 条の大学の自治の趣旨に反するものと言わざるをえませ
ん。
 憲法23 条が保障する学問の自由が大学の自治を要請するのは、真理を追究する学問研究が、政治権力から独立して自律的に行われることが、結果として、より善き社会を作っていくことに貢献するからです。逆に言えば、戦前の滝川事件、天皇機関説事件を引くまでもなく、政治権力が大学の自治的決定や研究者の学問内容に干渉しようとするとき、その社会は誤った道を進んでいる危険があるのです。だからこそ、
この問題には敏感に反応しなければならないと私たちは考えます。
 憲法学の通説的見解は、戦前の経験を踏まえ、政治権力は学問内容や大学の自治的決定に絶対に介入してはならないと考えています。その理由は、一旦、政治権力の介入を受け入れてしまえば、それを限定す
るのは非常に難しくなるからです。
 なお、馳大臣は、「恥ずかしい」という理由に関して、国立大学には国費が投入されているからという
ことを挙げていますが、この理由は成り立たないものです。なぜなら、そもそも国費を投入されていることを理由に、大学は、研究および教育の内容・方法に関する国のお願いを受け入れなければならないのであれば、それは大学の自治がまったく保障されないのと同じだからです。学問研究・高等教育機関であることを理由に国費が投入されている以上は、それに関する国民への責任の果たし方は、大学自身が決めることができなくてはいけません。仮に文部科学大臣の「お願い」を過度に忖度して、大学が、学問的・教育的な専門的判断を歪めるようなことをするならば、それこそが学問研究・高等教育機関としての国民に対する責任の放棄です。国旗・国歌だけは例外だ、という見解があるかもしれませんが、卒業式等での教育内容・方法の問題である以上は、そこでの国旗・国歌の取り扱い方も大学の自治の例外ではありません
 大学がこの要求を受け入れるならば、その他の要求にも従わざるをえません。萎縮した研究者は、権力
に都合の悪い研究はしなくなるかもしれません。それが、日本社会にとって本当によいことでしょうか。
 以上のように、国立大学の入学式・卒業式で国旗を掲揚し、国歌を斉唱するかどうかを決定する権限は、各国立大学にあります。大学が決定したことを、文部科学大臣は受け入れなければなりません。馳大臣による批判は、憲法23条の趣旨に違反することは明らかです。私たちは、馳大臣に対し、発言の撤回を求めます。
 
                                  2016年3月7日
 
国立大学の入学式・卒業式等での国旗掲揚・国歌斉唱に関する文部科学大臣の発言の撤回を求める憲法研究者有志(50音順)
 
愛敬浩二(名古屋大学)、青井未帆(学習院大学)、麻生多聞(鳴門教育大学)、足立英郎(大阪電気通信大学)、飯島滋明(名古屋学院大学)、飯野賢一(愛知学院大学)、石川裕一郎(聖学院大学)、石埼 学(龍谷大学)、稲 正樹(国際基督教大学)、井端正幸(沖縄国際大学)、今関源成(早稲田大学)、植野妙実子(中央大学)、植松健一(立命館大学)、植村勝慶(國學院大學)、内野正幸(中央大学)、浦田一郎(明治大学)、浦田賢治(早稲田大学名誉教授)、榎澤幸広(名古屋学院大学)、江原勝行(岩手大学)、大河内美紀(名古屋大学)、大野友也(鹿児島大学)、岡田健一郎(高知大学)、奥野恒久(龍谷大学)、小栗 実(鹿児島大学)、小沢隆一(東京慈恵会医科大学)、片山 等(国士館大学)、金澤 孝(早稲田大学)、上脇博之(神戸学院大学)、河合正雄(弘前大学)、河上暁弘(広島市立大学)、川畑博昭(愛知県立大学)、北川善英(横浜国立大学名誉教授)、木下智史(関西大学)、君島東彦(立命館大学)、清田雄治(愛知教育大学)、倉田原志(立命館大学)、倉持孝司(南山大学)、小竹 聡(拓殖大学)、小林 武(沖縄大学)、小松 浩(立命館大学)、近藤 真(岐阜大学)、斉藤小百合(恵泉女学園大学)、阪口正二郎(一橋大学)、笹沼弘志(静岡大学)、志田陽子(武蔵野美術大学)、清水雅彦(日本体育大学)、清末愛砂(室蘭工業大学)、菅原 真(南山大学)、高橋利安(広島修道大学)、高橋 洋(愛知学院大学)、竹内俊子(広島修道大学)、竹森正孝(元岐阜大学理事・副学長)、多田一路(立命館大学)、只野雅人(一橋大学)、塚田哲之(神戸学院大学)、長岡 徹(関西学院大学)、中川 律(埼玉大学)、中里見博徳島大学)、中島茂樹(立命館大学)、中島 徹(早稲田大学)、長峯信彦(愛知大学)、永山茂樹(東海大学)、成澤孝人(信州大学)、成嶋 隆(獨協大学)、西原博史(早稲田大学)、丹羽 徹(龍谷大学)、根森 健(新潟大学埼玉大学名誉教授)、濵口晶子(龍谷大学)、福嶋敏明(神戸学院大学)、藤井正希(群馬大学)、船木正文(大東文化大学)、前原清隆(日本福祉大学)、松原幸恵(山口大学)、水島朝穂早稲田大学)、三宅裕一郎(三重短期大学)、三輪 隆(埼玉大学名誉教授)、村田尚紀(関西大学)、本 秀紀(名古屋大学)、元山 健(龍谷大学名誉教授)、森 英樹(名古屋大学名誉教授)、柳井健一(関西学院大学)、山内敏弘(一橋大学名誉教授)、横田 力(都留文科大学)、若尾典子(佛教大学)、脇田吉隆(神戸学院大学)、和田 進(神戸大学名誉教授)、渡辺 治(一橋大学名誉教授)、渡邊 弘(活水女子大学)、渡辺洋(神戸学院大学
以上89名(声明の文科省提出後の賛同者1名を含む)
 
連絡先 成澤孝人(信州大学
(引用終わり)
 
 そして、昨日(3月14日)、上記賛同者の内の7名の研究者が記者会見を開きました。成澤孝人信州大学教授の説明によれば、記者会見時点での賛同者は96名となっているそうです。
 UPLAN(三輪祐児さん)撮影の動画をご紹介します。
 
20160314 UPLAN【記者会見】国立大学の入学式・卒業式等での国旗掲揚・国歌斉唱に関する文部科学大臣の発言の撤回を求める憲法研究者声明(1時間01分)

冒頭~ 司会・石川裕一郎氏(聖学院大学教授)
1分~ 成澤孝人氏(信州大学教授)
8分~ 中川律氏(埼玉大学准教授)
14分~ 笹沼弘志氏(静岡大学教授)
19分~ 志田陽子氏(武蔵野美術大学教授)
25分~ 藤井正希氏(群馬大学准教授)
28分~ 清水雅彦氏(日本体育大学教授)
31分~ 石川裕一郎氏(聖学院大学教授)
34分~ 質疑応答
 
 私が放送大学の現役学生であることは、過去このメルマガ(ブログ)で何度も書いてきましたが、昨年、「日本美術史('14)」の試験問題を学内ホームページに掲載するにあたり、大学執行部が、主任講師に無断で問題文の一部を削除したことを批判した文章(放送大学長「単位認定試験問題に関する件について」を批判的に読む/2015年10月24日)の中で、こういうことを書いていました。
「誰も好きこのんで放送大学を批判する文章など書きたくはありません。学位記授与式に日の丸が掲出され、君が代を演奏して参加者に起立を求めるなど、どう考えても大学の卒業式にふさわしいとは思えませ
んが、どうせ自分は出席するつもりもないので、あえて批判することもしていませんでした。」
 そう、放送大学は、文部科学大臣から「お願い」されるまでもなく、学位記授与式には日章旗を掲出し、君が代を演奏しているのです。おそらく、文部科学大臣にも来賓としての招待状を出しているのではな
いですかね。副大臣大臣政務官が代理出席するようですが。
 
 放送大学学位記授与式のような光景が、全国至る所の国立大学、さらには公立大学や私立大学にも広がっていく未来図を想像してみ
ましょう。怖気をふるいませんか?
 私の地元の和歌山大学は大丈夫か?と思い、平成27年度入学式学長式辞のページに掲げられた写真で
確認してみました。
 少なくとも、舞台正面に日章旗は掲出されておらず、ほっとしました。
 卒業式は大丈夫だろうか?
 

(付録)
『ひかりのわ』 作詞・作曲:嶋田奈津子 演奏:なつおmeets南風
 
※2015年9月23日@ララロカレ(田辺市)