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真宗大谷派「不戦決議」(1995年)と「非戦決議2015」を読む

 今晩(2016年3月19日)配信した「メルマガ金原No.2400」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
真宗大谷派「不戦決議」(1995年)と「非戦決議2015」を読む

 本日(3月19日)午後2時から、和歌山県勤労福祉会館4階大ホールにおいて、和歌山弁護士会が主催するシンポジウム「憲法についてあらためて考えよう~安全保障法制の施行にあたって~」が開催されました。チラシには、会場が(250名収容)であることをわざわざ記載しており、それに近い線の参加者を期待していたのかもしれませんが、用意した資料の残部などから、約150人の参加というのが確実な数字だろうと思います。
 主催者を代表する立場にはありませんが、弁護士会の一会員として、参加してくださった皆さまにお礼申し上げます。
 
 本日の構成は、以下のとおりでした。
 
第1部 基調報告
「安保法成立の経過と問題点 これまでの反対運動とこれからの取り組み」
芝野友樹 弁護士(和歌山弁護士会憲法委員会委員)
Ⅰ 安全保障法制改定法案に対する意見書(2015年6月18日・日弁連
Ⅱ 日本国憲法
 1 憲法;すべての政府の権力を拘束する法
 2 恒久平和主義
 3 立憲主義
 4 国民主権原理
Ⅲ 安全保障法制改定法とその問題点
 1 安保法制改定法とは
 2 法律の内容とその問題点
Ⅳ 安保法成立の経過と弁護士会の意見
Ⅴ これからの取り組み
第2部 リレートーク
(1)WAVEs(橋本大地さんとパンダさん)
(2)和田寿彦さん(戦争法に反対する田辺・西牟婁退職教職員の会)
(3)神﨑貞代さん(朝鮮半島からの引き揚げ体験者)
(4)松本千鶴子さん(堺市で空襲を体験・あかつき川柳会)
(5)杉浦敏雄さん(僧侶・真宗大谷派「光秀寺」住職)
(6)本多朱里さん(弁護士・ワカケン)
(7)馬場潔子さん(安保関連法に反対するママの会@わかやま)
 
CIMG5383(芝野) 最初の芝野弁護士が担当した基調報告は、詰め込み過ぎて少し分かりにくかったという感想を持たれる方がいたかもしれませんが、それは、今日のシンポが弁護士会が主催するものであるため、昨年6月に日本弁護士連合会が公表した「安全保障法制改定法案に対する意見書」というPDFファイル29ページに及ぶ意見書に沿った内容になったことによるものであって(だと推測します)、決して報告者の能力不足によるものではありません。
 これに限りませんが、日弁連が公表する「意見書」は、とかく四方八方に気を配り、あれもこれも取り込み過ぎて、かえって印象が散漫になりがちであり、昨年6月のこの意見書もその弊を免れていないというのが私の率直な感想です(もちろん、書いてあること自体は間違っていませんけどね)。
 
 基調報告に引き続くリレートークでは、戦争体験とそれに基づく反省を踏まえて発言された3人をはじめとして(2~4)、登壇された方々のお話に、参加者の皆さんが大きな共感をもって耳を傾けておられることが、会場の片隅にいた私にもひしひしと伝わってきました。
 
 ところで、5番目に登壇された「光秀寺」(こうしゅうじ/和歌山市紺屋町)の杉浦敏雄住職のお話によると、真宗大谷派(東本願寺)末寺和歌山県下でわずか17箇寺しかなく、「マイナーな宗派」であるとのことでした。
CIMG5390(杉浦住職) しかしながら、和歌山では圧倒的に多くの末寺を抱える浄土真宗本願寺派西本願寺)に比べ、平和問題についても原発問題についても、宗派としての見解を明確に打ち出す姿勢では、「東」が「西」を圧倒していることは、私のこのメルマガ(ブログ)でも度々ご紹介してきたところです。
 そして、そのよって来る要因が、門首側と内局側との対立を経て、1981年に日本国憲法を手本として制定された真宗大谷派「宗憲」にあるのだろうということもご紹介しています(真宗大谷派(東本願寺)「宗憲」と宗務総長による「憲法解釈変更」批判/2014年5月31日)。
 
 今日の弁護士会のシンポ(リレートーク)に登壇した杉浦敏雄住職が紹介された、真宗大谷派による1995年の「不戦決議」と2015年の「非戦決議」を、ここにあらためてご紹介しようと思います。
 ただし、1995年「不戦決議」そのものは、本山ホームページには未搭載のようです。
 また、2015年「非戦決議」において、冒頭、1995年「不戦決議」の本文が全文引用されていて重複となりますが、あえてそのまま引用しています。
 
真宗大谷派 不戦決議
(引用開始)
 
私たちは過去において、大日本帝国の名の下に、世界の人々、とりわけアジア諸国の人たちに、言語に絶する惨禍をもたらし、佛法の名を借りて、将来ある青年たちを死地に赴かしめ、言いしれぬ苦難を強いたことを、深く懺悔するものであります。
 この懺悔の思念を旨として、私たちは、人間のいのちを軽んじ、他を抹殺して愧じることのない、すべての戦闘行為を否定し、さらに賜った信心の智慧をもって、宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意して、ここに「不戦の誓い」を表明するものであります。
 さらに私たちは、かつて安穏なる世を願い、四海同朋への慈しみを説いたために、非国民とされ、宗門からさえ見捨てられた人々に対し、心からなる許しを乞うとともに、今日世界各地において不戦平和への願いに促されて、その実現に身を捧げておられるあらゆる心ある人々に、深甚の敬意を表するものであります。
 私たちは、民族・言語・文化・宗教の相違を越えて、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設にむけて、すべての人々と歩みをともにすることを誓うものであります。
 右、決議いたします。
         1995年6月13日
          真宗大谷派 宗議会議員一同
          1995年6月15日
          真宗大谷派 参議会議員一同
(引用終わり)
 
真宗大谷派 非戦決議2015
(引用開始)
 
私たちは過去において、大日本帝国の名の下に、世界の人々、とりわけアジア諸国の人たちに、言語に絶する惨禍をもたらし、佛法の名を借りて、将来ある青年たちを死地に赴かしめ、言いしれぬ苦難を強いたことを、深く懺悔するものであります。
 この懺悔の思念を旨として、私たちは、人間のいのちを軽んじ、他を抹殺して愧じることのない、すべての戦闘行為を否定し、さらに賜った信心の智慧をもって、宗門が犯した罪責を検証し、これらの惨事を未然に防止する努力を惜しまないことを決意して、ここに「不戦の誓い」を表明するものであります。
 さらに私たちは、かつて安穏なる世を願い、四海同朋への慈しみを説いたために、非国民とされ、宗門からさえ見捨てられた人々に対し、心からなる許しを乞うとともに、今日世界各地において不戦平和への願いに促されて、その実現に身を捧げておられるあらゆる心ある人々に、深甚の敬意を表するものであります。
 私たちは、民族・言語・文化・宗教の相違を越えて、戦争を許さない、豊かで平和な国際社会の建設にむけて、すべての人々と歩みをともにすることを誓うものであります。
                          『不戦決議』(1995年)
 戦後50年を経た1995年6月、真宗大谷派は、人類の願いを「不戦の誓い」として表現しました。
 私たちは、この決議の重みを再確認し、あらためて平和の意味を問いたいと思います。
 決議より20年、戦争の悲惨さと愚かさに対する人々の感覚は風化してきています。その風化は、現在も、基地問題で苦しむ沖縄の人たちの心に向き合おうとせず、戦争に向かう状況を生み出そうとしています。
 私たち人間の生きざまを憐れんで「国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ」と誓い、法蔵菩薩は、浄土を建立されました。
 永い人類の歴史は、人が人を殺し、傷つけ合う悲しみの連続でありました。如来の願心は、自我愛を正当化して「賜ったいのち」を奪い合うことを悲しみ、私たちに「共に生きよ」と呼びかけておられます。
 この呼びかけに応じ、「殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」という仏陀の言葉を如来の悲願と受け取り、あらためてここに「非戦の誓い」を表明いたします。
 そして、世界の人々と積極的な対話を通じて「真の平和」を希求してまいります。
 上記決議いたします。
         2015年6月9日
          真宗大谷派 宗議会議員一同                 
         2015年6月10日
          真宗大谷派 参議会議員一同
(引用終わり)
 
 真宗大谷派の国会にあたる「宗会」は、「僧侶たる議員」で組織する「宗議会」と、「門徒たる議員」で組織する「参議会」の2院で構成されています(同派「宗憲」23条)。
 
 以上の「不戦決議」「非戦決議」は、先の戦争に協力した教団自らの行為を懺悔した上での「不戦(非戦)の誓い」であればこそ価値があるのだと思います。
 私たちが立ち向かうべき相手は、「懺悔」どころか、反省も謝罪もする気のない勢力であることを肝に銘じ、自己の立脚点をあやまたず打ち立てることが大切であるということを、私は7人が登壇されたリレートークを通して聴きながら考えていました。 
 

(付録)
『世界』 作詞・作曲:ヒポポ田 演奏:ヒポポフォークゲリラ