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放送予告4/24「らいは不治にあらず~ハンセン病 隔離に抗(あらが)った医師の記録」(ETV特集)

 今晩(2016年4月20日)配信した「メルマガ金原No.2432」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
放送予告4/24「らいは不治にあらず~ハンセン病 隔離に抗(あらが)った医師の記録」(ETV特集

 今日は、今週末に放送されるETV特集に注目しました。ハンセン病問題について詳しく調べたことの
ある人にとっては、「いまさら」でしょうが、不明にして、私はその人物の存在を知りませんでした。
 愛知県海部郡甚目寺村(現・あま市)の圓周寺という真宗大谷派寺院の住職の息子として生まれた小笠原登氏(京都帝国大学医学部医科助教授。退官後は、豊橋病院、国立療養所奄美和光園で患者の治療にあたる)が、「ハンセン病の発病は体質を重視すべきことや不治ではないことを主張し、当時行われていた患者の強制隔離・断種に反対した」(Wikipediaより)ことなどは、少しネット検索しただけでも非常に多くの研究成果が公開されていることが分かりました(巻末「参考サイト1」参照)。
 まず、番組案内を紹介します。
 
NHK・Eテレ「ETV特集」
本放送 2016年4月23日(土)午後11時00分~午前0時00分
再放送 2016年4月30日(土)午前0時00分~午前1時00分(金曜深夜)
「らいは不治にあらず~ハンセン病 隔離に抗(あらが)った医師の記録」

(番組案内から引用開始)
ハンセン病患者の隔離を定めた「らい予防法」の廃止から20年がたつ。多くの患者を苦しめた「絶対隔離」という誤った政策。その闇を検証する上で重要な資料が最近見つかった。元京大医学部助教授・小笠原登の日記や書簡である。小笠原は「らい菌は伝染性が弱く治療も可能」との信念から国の隔離政策に異を唱え独自の治療実践を行っていた。なぜ小笠原の説は主流にならなかったのか。発見された文書や関係者
の証言を基に検証する。
(引用終わり)
 
 番組案内から推測するに、「小笠原登の日記や書簡」というのは、生家である圓周寺に保管されてきた文書ではないかと思われ、そうすると、4回にわたって所属大学の紀要に「圓周寺所蔵「小笠原登関係文書」の分析」を発表し、先月『孤高のハンセン病医師―小笠原登「日記」を読む』(六花出版)という著書を刊行した藤野豊敬和学園大学教授による研究成果に依拠して制作された番組である可能性が高いのかなと思います。
 藤野教授の小笠原登氏研究についての評価は分かりませんが、「ETV特集」取材班が取り上げた日記・書簡からうかがわれる1人のハンセン病研究者・治療者の考え方、身の処し方が、私たちの生き方の参考になることを願い、視聴しようと思います。
 
(参考サイト1 小笠原登氏について)
◎愛知学院大学文学部 紀要 第37号
 「小笠原登-特にハンセン病に関する博士の先見性について-」 小笠原眞

◎敬和学園大学 研究紀要 第21号(2012年2月)
 「第15回日本癩学会総会における小笠原登―圓周寺所蔵「小笠原登関係文書」の分析(1)」 藤野 豊

◎敬和学園大学 研究紀要 第22号(2013年2月)
 「小笠原登とハンセン病患者 1941年―1942年―圓周寺所蔵「小笠原登関係文書」の分析(2)―」 藤野
 豊

◎敬和学園大学 研究紀要 第23号(2014年2月)
 「小笠原登とハンセン病患者 1943年―1944年―圓周寺所蔵「小笠原登関係文書」の分析(3)―」 藤野
 豊 

◎敬和学園大学 研究紀要 第24号(2015年2月)
 「小笠原登のハンセン病絶対隔離政策とのたたかい~圓周寺所蔵「小笠原登関係文書」の分析(4・小括
)」 藤野 豊

◎朝日新聞デジタル 2016年03月09日
 「〈寄稿〉小笠原登の日記を読む」 敬和学園大学教授・藤野豊

(抜粋引用開始)
 小笠原登の軌跡をたどると、そこに見えてくるのは、国策に左右されず、自らの医学的知見に基づいた医療を実践した医師の姿である。小笠原は、戦時下も戦後も一貫して学問の自由、研究の自由の大切さを身を以(もっ)て示したのである。国益のためなら人権を犠牲にしてもやむを得ないと政治が暴走しつつ
ある今こそ、小笠原登の業績から多くを学びたい。
(引用終わり)
◎愛知県人権ファンクション委員会・甚目寺町人権教育調査研究委員会(挿絵:立松泰博)
 「ハンセン病と小笠原登博士」

 
(参考サイト2 熊本地裁判決について)
◎鹿児島大学法学論集 36(2), 1-53, 2002-09-30
 「ハンセン病訴訟熊本地裁判決について」 采女博文

◎信州大学経済学論集 第54号(2006)
 「ハンセン病国家賠償訴訟熊本地裁判決」 青井未帆

※2001年(平成13年)5月11日、熊本地裁が言い渡した画期的な判決については様々な評釈がなされましたが、ネットで容易に読めるものを2つご紹介しておきます。