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「自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ「「戦場における自衛官の法的地位」を考える」(2016/4/22)

 今晩(2016年5月24日)配信した「メルマガ金原No.2466」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ「「戦場における自衛官の法的地位」を考える」(2016/4/22)

 昨日(5月23日)に引き続き、「自衛隊を活かす会(自衛隊を活かす:21世紀の憲法と防衛を考える会)から学ぶシリーズ」(?)をお届けします。
 今日は、去る2016年4月22日(金)に衆議院第2議員会館(多目的会議室)で開かれたシンポジウム「「戦場における自衛官の法的地位」を考える」の動画とテキストのご紹介です。
 まず、登壇されたのは以下の方々でした。
 
問題提起 
 伊勢崎 賢治氏(東京外国語大学教授、自衛隊を活かす会呼びかけ人)
報告   
 岩本 誠吾氏(京都産業大学教授)
コメント 
 冨澤 暉氏(元陸上自衛隊幕僚長)
討論参加
 柳澤 協二氏(元内閣官房副長官補、自衛会を活かす会代表呼びかけ人)
 加藤 朗氏(桜美林大学教授・自衛隊を活かす会呼びかけ人)
 
 シンポを告知する文書には以下のように書かれていました。
「新安保法制が施行され、4月からいよいよ発動が可能になる。南スーダンPKOへの駆けつけ警護任務付与をはじめ、自衛官が殺し、殺される場面が現実のものとなろうとしている。しかし、その際、自衛官はどういう根拠にもとづき、どこで、どのように裁かれることになるのか。あるいは裁かれないのか。ドイツでは民間人を殺傷した兵士が一般裁判所で裁かれている。この問題が不明確なまま自衛官を戦場に送っていいのか。」
 
 いつもなら、各登壇者の発言の内、特に印象に残った部分を抜粋引用しているのですが、伊勢﨑賢治氏による問題提起にしても、岩本誠吾氏による報告にしても、「戦場における自衛官の法的地位」というまことに重大かつ喫緊の課題についてのまとまった発言であり、その一部を抜き出すことに意味があるとも思えないので、「是非リンク先で全文をお読みください」と申し上げるにとどめます。
 ただし、私がかねてから、「どう理解すればいいのだろうか?」と悩んできた論点と関わる部分についてのみ、引用しておこうと思います。それは、「日本による個別的自衛権の行使と交戦権」という問題です。
 
動画 「戦場における自衛官の法的地位」を考える|自衛隊を活かす会(2時間40分)
 
 
伊勢﨑 賢治氏(東京外国語大学教授、自衛隊を活かす会呼びかけ人)
 集団的自衛権、個別的自衛権そして集団安全保障が、武力の行使の口実として規定しているのが国連憲章ですが、これが一旦行使されると、それらは交戦権の世界になります。交戦権というのは、国際法のもう1つの体系、いわゆる慣習法の世界です。つまり戦時国際法、国際人道法と言われている戦争のルールです。これが支配する世界です。個別的自衛権集団的自衛権も、一旦行使されれば交戦として、国際法に統制されます。
(略)
 日本は交戦できるかというと、それはできません。憲法に「国の交戦権は、これを認めない」と書いてあるからですね。ですから、日本人が憲法9条下でも許されると思っている個別的自衛権というのは、実は国際法でいう個別的自衛権ではありません。日本が出来るのは、「交戦しない自衛権」です。これは日本でしか通用しません。なぜかというと、「交戦」でない「武力の行使」は、国際上ありえないからです。
 「交戦しない自衛権」というのは、歴代の国会答弁でも示されていますが、これは防衛省のホームページに書いてあります。現9条下でも敵が領海内に現れたら、それに対して必要最小限の防戦をするという権利は認められているという考え方です。
交戦権 憲法第9条第2項では、「国の交戦権は、これを認めない。」と規定していますが、ここでいう交戦権とは、戦いを交える権利という意味ではなく、交戦国が国際法上有する種々の権利の総称であって、相手国兵力の殺傷と破壊、相手国の領土の占領などの権能を含むものです。一方、自衛権の行使にあたっては、わが国を防衛するため必要最小限度の実力を行使することは当然のこととして認められており、たとえば、わが国が自衛権の行使として相手国兵力の殺傷と破壊を行う場合、外見上は同じ殺傷と破壊であっても、それは交戦権の行使とは別の観念のものです。ただし、相手国の領土の占領などは、自衛のための必要最小限度を超えるものと考えられるので、認められません。 ※防衛省・自衛隊ホームページより」
 
でも、それで敵が諦めてくれなかったらどうなるかということは、想定していないのです。敵が諦めてくれなかったら戦闘が継続することですから、世の中ではそれを交戦と言うのです。ていうか、最初の反撃も、国際法が交戦として統制するのです。
 戦後、ジュネーブ諸条約をはじめ国際人道法を日本は全面的に批准していますので、捕獲した敵の戦闘員を虐待したり、パラシュートで降りてくるのを下から撃ったりしないでしょうから、「交戦を統制する国際法は批准しているのに、その打撃力の行使を交戦と見なさない」矛盾は、これが日本の領海内に限定する話なら、あまり問題にならず、ゴマかしながらでもコトが済みそうです。でも、自衛隊が海外に出かけていく場合、つまり自衛隊自身が「戦闘員」と見なされる現場、つまり戦場では、問題が顕在化します。
 
岩本 誠吾氏(京都産業大学教授)
 ここで議論が錯綜しているのは、先ほど、辻元議員の質問に対する岸田外務大臣の答弁が紹介されましたが、ジュネーブ条約の第3条約(捕虜条約)を適用出来るのかどうかという議論と、武器使用と武力行使の議論は全く別の議論なのですが、岸田外務大臣の答弁は武器使用と武力行使の議論のことを言っています。これは重なっているように見えるのですが、この2つは全く別の議論です。
 武力紛争に関する国際法では、①「入口論」、武力行使や武力攻撃について、それが自衛にあたるのか、それとも侵略にあたるのかという入口論で議論するものと、②「内容論」、具体的な戦闘行為の中に入った時に、文民殺傷はダメだとか、捕虜虐待はダメだとかという個々の戦闘行為の規制問題、いわゆる交戦行為の議論とは次元が違うわけです。
 辻元議員の「戦闘行為に入った時に捕虜待遇が受けられますか?」という質問に対して、岸田外務大臣の答弁は「武力行使に当たらない、武器使用だ」という水と油の議論で、そこでは誤解があったと思います。
 日本の立場としては、武器使用か武力行使かは別にして、相手が戦闘行為を行ってきた場合には戦闘状態に入ってしまうわけです。自分が嫌だと言っても相手から撃ってきたらそこでもう戦闘状態になります。その場合には、「内容論」で、いわゆる交戦法規が適用されると考えるのが普通ではないかということです。兵站が武力行使に該当するか否かの次元と、軍隊構成員の捕獲時の捕虜か否かの次元は、別次元なのです。敵対行為の発生により、被攻撃国の意図に関わらず、自動的に武力紛争当事国となるということです。日本はいくら武力紛争当事国にならないと言っても、相手から仕掛けてきたら、反撃しないでずっと待っているのか?殲滅されるのを待っているのだったら武力紛争にはならないですが、通常は反撃しますよね。そうすると、それで武力紛争の当事国になるということです。
 そういう意味では敵国戦闘員を捕獲した場合にどうなるか。日本の立場は、武力紛争ではなく武器使用であるから、たまたま相手の戦闘員を捕まえた場合には、武器使用であれば刑法で処罰するということです。刑法の殺人未遂や殺人罪で処罰するということになります。国際人道法は不思議なもので、生命を保証するなど非常に待遇がいいわけです。一方、刑法は死刑まであります。そうすると、戦闘行為においては刑法で処罰された方が厳しい場合があります。
 例えば日本の自衛官を5人殺傷したとして、武器使用として相手を捕まえた場合、殺人罪で起訴ということになると死刑になりますよね。そういう意味では戦時国際法ジュネーブ諸条約第3条約の捕虜条約に違反になるわけです。相手は戦闘行為だと思って捕まったら、捕虜待遇をしてくれないということになります。敵対戦闘員を捕獲した場合に捕虜待遇を付与しなければ、国際法違反(戦争犯罪)になるということですね。
 そこで、日本の法律では捕虜取扱法(武力攻撃事態における捕虜等の取扱いに関する法律)を有事法制議論の時に作ったのですが、その時は武力攻撃事態のみでした。今回は存立危機事態が入っています。例えば、周辺事態を拡大した重要影響事態にしても、国際平和支援法の法律でも、たまたまそれがきっかけとなって戦闘行為になった場合には、相手を捕まえた場合、やはり捕虜の取り扱いをしないと国際法違反になるというのは明らかなわけです。そういう意味では、その辺を注意しなければならないということです。
 もし、自衛官が捕獲された場合には、後方支援活動が武力行使と一体となるから「武力行使をしていない」と言って、武力紛争事態を認めないことで自らの捕虜待遇を否定するというのは、ちょっと考えられないですね。相手国の国内法で刑罰の可能性がありますから。自分の生命が保証される捕虜待遇を否定して、自分の生命が否定される刑法で処罰してくれというようなことを言うわけですよね。通常は嘘でもいいから「捕虜だ」と言うように教えるのが捕虜教育なのです。ですから、少し違和感があります。有利な捕虜待遇(生命保証)を否定し、不利な刑罰(死刑あり)を招来する可能性があるということは、自衛官の保護の自己否定になるのではないかと思います。自衛官が捕獲された場合は、あくまで相手国に捕虜待遇を要求する国際法上の権利があるにも関わらず、国内法上、捕虜になれないように解釈するのは、少しおかしいのではないかということです。
(略)
 今までは、国際法と国内法が法的に矛盾することは顕在化しなかった。なぜかというと、そういった場面を避けてきたからです。これからは海外活動が増加して法の衝突が顕在化する蓋然性が高い。日本が海外活動を継続するのであれば、日本の法体系を国際基準に修正すべきだろうと思います。
 自衛官は戦闘員としての権利を持っている訳です。自衛官自衛隊国際法上の権利を制限して、捕虜待遇を受けることを否定し、自ら軍事作戦を否定する、不利にすることや、相手がドンと来ているのにこちらは警察比例の原則で対応するというような軍事合理性に反することはやはり回避すべきではないかと思います。
 
柳澤 協二氏(元内閣官房副長官補、自衛会を活かす会代表呼びかけ人)
 それから、国内法と国際法とで色々と違う、伊勢﨑さんのおっしゃっていた交戦権がないというのは、政府の説明では、交戦権というのは、戦う権利という意味ではありません。つまり、我が国が一定の武力攻撃を受けた場合に、それに対して反撃する武力の行使は可能であって、その時は当然、相手をやっつけるような交戦をすることは出来るわけです。
 政府の理解する憲法9条第2項の交戦権というのは、交戦国として通常持っている権利、敵の国土の一部に占領行政を敷くとか、そういう権利はないと理解してきているわけです。或いは第三国の船を臨検、拿捕するような、そういう交戦権はないということをずっと言ってきたわけですが、いずれにしても日本が武力攻撃を受けた時の対応だけを考える限り、外国に行くわけではないので、国際基準との矛盾はなかったわけです。
(略)
 国内法は日本独自の憲法解釈でもって色々糊塗してきました。それは、海外で戦争しない限り、それはそれで済んでいた。問題は何が問われているかというと、そういう自衛隊であることを、国民がそれを自衛隊に望むのですか?ということが問われるわけですね。
 望んでいる以上は、主権者として、憲法だって変えなければいけないわけです。その代り、結果に責任を持たなければならない。望んでいないのであれば、こういう法律を作っちゃいけないということなんです。そこは主権者の問題だということです。
 そして、自衛隊が海外に行った時に、この法律を使ってどういうことになるのかということを共有していくという、そのために私達もそういう目的でこのようなシンポジウムを続けているわけですが、今、そういう新たなフェーズに来ています。議論がもっと具体的なイメージを持って深まっていく段階に来ているんだということ。そして政府はそれをやろうとしないんですが、だからこそ我々はそういう議論をしっかり掘り起こしていかなければいけないと思っている次第です。
 
 
(弁護士・金原徹雄のブログから)
2015年4月15日
「自衛隊を活かす会」5/18「提言」発表記念シンポジウム&6/20関西企画のお知らせ
※この記事の末尾に、これ以前に私がメルマガ(ブログ)で取り上げた「自衛隊を活かす会」関連のほぼ全記事にリンクしています。
2015年5月19日
「自衛隊を活かす会」による「提言・変貌する安全保障環境における「専守防衛」と自衛隊の役割」(5/18)
2015年6月21日
「自衛隊を活かす会」三題~6/20関西企画、6/19柳澤協二氏講演(神戸)、5/18提言発表記念シンポ
2015年9月8日
「自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ「新安保法制にはまだまだ議論すべき点が残っている」
2016年1月1日
「自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ「南シナ海―警戒監視のための自衛隊派遣をどう見るか」①動画編(付・札幌企画(1/30)のご案内)
2016年2月14日
「自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ「南シナ海―警戒監視のための自衛隊派遣をどう見るか」②テキスト編(付・札幌シンポ(1/30)の動画紹介)
2016年3月3日
「自衛隊を活かす会」シンポジウムから学ぶ「南スーダン─。駆けつけ警護で自衛隊はどう変わるのか」(1/30@札幌)
2016年5月23日
「自衛隊を活かす会」協力シンポから学ぶ「憲法9条のもとで自衛隊の在り方を考える」(2/28仙台)