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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

放送予告6/26『汚名~放射線を浴びたX年後4~(仮)』(NNNドキュメント)

映画 政治
 今晩(2016年6月11日)配信した「メルマガ金原No.2484」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
放送予告6/26『汚名~放射線を浴びたX年後4~(仮)』(NNNドキュメント)

 今日(6月11日)、私は相当に忙しい1日を過ごしました。
 和歌山市役所北側無料駐車場に空きスペースを見つけて駐車し、まず向かった先は、和歌山市教育会館(和歌山県職員組合和歌山市支部)の1階駐車場で、そこを作業場として借り受け、2台のサウンドカ
ーをデコレーションしている現場を訪ねたのです。
 今日は、午後3時から“GO VOTE サウンドウォークデモ”と題した和歌山で2回目のサウンドデモが行われることになっており、和歌山大学の越野章史先生、WAASAやワカケン、それに泉州サウンドデモの皆さんの手際の良い作業をしばらく見学した後、私は次の目的地、和歌山市あいあいセンター6階を目指しました。核戦争防止和歌山県医師の会主催の映画上映会&講演会に参加するためです(事前に紹介した私のブログ
「予告6/11映画『放射線を浴びたX年後』2部作一挙上映と伊東英朗監督講演会へのお誘い(核戦争防止和歌山県医師の会)」/2016年4月26日)。

 あいあいセンターのスケジュールは以下のように発表されていました。
 ①「放射線を浴びたX年後(2012年)」上映 午後1時~2時30分
 ②「放射線を浴びたX年後2(2015年)」上映 午後2時45分~4時15分
 ③伊東英朗監督講演会 午後4時20分~5時20分
 
 これに対し、“GO VOTE サウンドウォークデモ”のスタートは午後3時。集合場所の和歌山市役所前まで、あいあいセンターからはごく近い、ということを踏まえ、私が立てた作戦は、上記②の「放射線を浴びたX年後2」の鑑賞を断念し、この間の時間を利用してデモに参加し、再び伊東監督の講演を聴くため和歌山市あいあいセンターにとって返すというものでした。
 ①「放射線を浴びたX年後(2012年)」鑑賞
 ②“GO VOTE サウンドウォークデモ”参加(和歌山市役所前→南海和歌山市駅前)
 ③伊東英朗監督講演会 参加
 
 そしてこの作戦がうまくいったかと言うと、デモを途中離脱することなく、ゴールまで参加した上で、和歌山市あいあいセンターに再び到着したのは午後4時15分、監督の講演が始まる5分前という、何とも絶妙のタイミング!とういことで、とにかく作戦は無事遂行されました。
 
 なお、“GO VOTE サウンドウォークデモ”については、Facebookに写真アルバムを連投してご紹介していますので、そちらをご参照ください。
 
 
 さて、ここで映画『放射線を浴びたX年後』二部作鑑賞と伊東英朗監督講演の感想を書ければ良いのですが、いかんせん、最新作『放射線を浴びたX年後2(2015年)』を見逃しているため、どうも書きにくいのですよね。
 講演会終了後、ロビーで監督によるサイン会が行われたので、私は、映画2部作のパンフレットを購入してサインしていただいたのですが、その際、「デモ参加のために第2作を見逃したのですが、近くテレビ放映の予定はありませんか?」と監督にお尋ねしたところ、伊東監督から、「今、編集の最終段階にあるシリーズ最新作が、6月26日にNNNドキュメント枠で1時間番組として放送されるので、それを視
てください」ということでした。
 そこで、今日は、その番組案内をご紹介することとしました。
 
日本テレビ系列(関西では読売テレビ)
2016年6月26日(日)24時55分(27日(月)0時55分)
NNNドキュメント『汚名~放射線を浴びたX年後4~(仮)』

(番組紹介から引用開始)
これは、遠い時代・遠い場所の話ではない。知られることのない、X年後の物語である。
放射線を浴びたX年後」シリーズ第4弾は「父の死の真相」を追い求める1人の女性をクローズアップし
た。漁師だった父が早死にしたのは?酒の飲みすぎだとばかり思っていた。しかし、映画「X年後」を観て、考え方は一変した。「父の死と核実験は因果関係があるかもしれない」女性は、真実を確かめるため
、遺族や乗組員を訪ね歩いた。そこで見た現実とは?
再放送
7月3日(日)11:00~ BS日テレ
7月3日(日)5:00~/24:00~ CS「日テレNEWS24
(引用終わり)
 
 上記の番組案内に「「父の死の真相」を追い求める1人の女性」というのは、まさに映画『放射線を浴びたX年後2』の主人公、川口美砂さんのことですね。
 テレビでは、今度の放送が4本目となるようですが、主には、映画第2作の素材の内、川口美砂さん登場シーンがフューチャーされているのかもしれません。
 
 以下に、以前書いた私のブログでご紹介した予告編(これは第1作・第2作の両方)、及び第2作のストーリー、制作者のことばなどを、映画公式サイトから再度引用しておきます。
 私自身、サウンドデモ参加のために映画『放射線を浴びたX年後2』を見逃していますので、是非、テ
レビ版の「4」を録画して視聴したいと思います。
 このシリーズを全然観たことのない方にも、絶対にお奨めです。
 
映画「~放射線を浴びた~X年後」 予告編
 

映画「放射線を浴びたX年後2」予告編(90秒ver.)

 
【ストーリー】
(引用開始)
 東京で広告代理店を経営する川口美砂さん、59歳。故郷である高知県室戸市で、映画『放射線を浴びたX年後』を観たことがきっかけで、元漁師だった父の早すぎる死に疑問を抱き始める。当時「酒の飲みすぎで早死にした」と言われた父。本当にそうなのだろうか?高知県室戸市出身の漫画家、和気一作さん(本名:大黒正仁。代表作「女帝」など)もまた、映画との出会いがきっかけとなって父の死に疑問を抱く
。愛する父への強い思いが、二人を動かし始める。
 一方、取材チームは放射線防護学の専門家と共に、1950年代当時、雨水の中に高い放射性物質が測定された沖縄、京都、山形を訪れ、独自に土壌調査をおこなう。民家の床板を外し、半世紀ぶりに現れた土。
遠く離れた太平洋でおこなわれた核実験の影響は、今も日本列島に影響を及ぼしているのだろうか?
 元漁師たちの証言、破られた船員手帳、厚労省への情報開示請求―。日本列島を揺るがした巨大被ばく
事件から半世紀を経た今、決して消え去ることのない「被ばく」の傷跡が、徐々に明らかになる。
(引用終わり)
 
【制作者のことば 監督 伊東英朗】
(引用開始)
 取材を始めた12年前からずっと感じてきたが、室戸の海は見るたびに表情が違う。色も音も波の大きさも。ああ、瀬戸内海に面した地元愛媛とは違うなあ、と感じる。何しろ大らかで豪快だ。「おんちゃんたち」は、その海と隣り合わせに生きてきた。話は語れど、苦しいことや辛いことを饒舌に語ることはない。命に関わることも、人を助けたことも、体の異変も――。川口美砂さんのお父さんも、そんなマグロ漁師の一人だった。
 
 川口さんとは、2013年に室戸で元漁労長の山田勝利さんが上映した『放射線を浴びたX年後』を見て僕たちに連絡をくれたのがきっかけだった。都内のカフェで初めて会った川口さんは、お父さんは36歳で亡くなったと語った。愛媛に戻り調べたところ、お父さんが乗っていた船は、放射能で汚染した魚を廃棄していた。その後、高知県室戸市に年末年始で里帰りしていた川口さんと2015年正月、再会。早速、生存者の聞き取りが始まった。その後、10月までに、川口さんは70人近い生存者や遺族から聞き取った。その一部始終に立ち会い、カメラに収録することができた。
 
 広島、長崎の原爆投下からわずか10ヶ月後、マグロの漁場で始められた核実験。繰り返される核実験で漁場は激しく汚染。第五福竜丸の被ばく発覚後、放射能検査が行われ、延べ992隻もの被ばく船が見つかったにもかかわらず、政府は「すでに測定の必要がない」とし、その年の12月、わずか10か月で検査を打ち切った。『直ちに健康に影響がでない』ため、人々は少しずつ事件を忘れていった。10年後には東京オリンピックが開催され、日本は、さらに上を向いて歩み始めた。いつしか、事件は完全に忘れられ、「第五福竜丸」と「髪の毛がぬける」という言葉だけが脳裏に刻まれた。
 
 そして第五福竜丸の事件から57年後の2011年3月。福島で原発事故が起こり、放射能検査が始まった。そして12月、安全宣言がされた。事故からもうすぐ5年。放射能の影響があいまいなままだ。「いつまでも、悲しいことを考え続けるのはやめよう。前向きに生きようじゃないか」という声が聞こえてくる。奇しくも事故から9年後となる2020年、東京オリンピックパラリンピックが開催される。ビキニ事件では、半世紀後、事件の記憶はほぼ消えていた。いま、新たなX年後に向けてカウントダウンが始まっている。半世紀後、日本人は、何を覚えているのだろうか。そしてその時、人体に何が起こっているのだろうか。
 
 いま、新たなX年後に向けてカウントダウンが始まっている。
 しかし半世紀前の事件では、放射線を浴びたX年後、何が起こったのか・起こっているのか、まだわかっていない。仮定の話をしても意味のないことかもしれないが、僕はいつも、もし、核実験中、政府が検査を続けていれば・・・と考える。1954年、わずか数ヶ月で放射能検査を打ち切った後も、100回以上の核実験がマグロの漁場で続けられた。マグロ船や捕鯨船は、変わらず操業を続け、貨物船は行き来する。誰がどう考えても、海上での従事者の健康、ほとんどの日本人の口に入る食品(魚)の安全を考えると、検査をやめることは非常に不自然だ。核実験が再開されれば「同じような被ばくがある」と考えるのが当然だろう。また放射能の雨についても、観測されていた放射線の数値が、天気予報のように日常的に知らさ
れるべきではなかったか。雨や晴れや曇りの情報以上に重要な情報ではなかったかと思う。
「そんな情報は不安を煽るだけだ」という人もいるだろう。しかし、不安だからといって「目を背けて忘
れていれば、何も起こらない」わけではない。目を背けていても現実は確実に刻まれていく。煙を追いや
るのではなく、火を消さなければなんの解決にもならない。

 私たちに今必要なことは、特別なことではない。ごく常識的に普通にやるべきことをやることだろう。
すなわち、人体に危害が及ぶ危険な物質はばら撒かない。もしばら撒かれれば、危険だと知らせ、身体を診察し、状況を記録し、来るべき時に備える。深く反省し、二度と危険な物質をばら撒かないよう最も確実な方法を実行する。
 
 36歳で亡くなった川口さんの父親や、45歳で亡くなった和気(大黒)さんの父親が受けた被ばくを医学的に裏付けることは難しい。しかし人体に重大な危害を加える危険な物質が蔓延する中で操業を続けたことは、船員手帳と厚生省の文書をつき合わせば事実であることは分かる。
 この事件に限らず、被ばく事件においては、被害者が『被ばくしていること』を証明しなければならない。なんという矛盾だろう。本来ならば、加害側に立つ者が、激しく放射能汚染した漁場で働き、早く亡くなった乗組員の死が、100パーセント放射能によるものではないことを医学的に証明し、被害者や遺族に伝えるべきだろう。想像を絶する量の放射線を生み出し、アメリカ本土や日本列島が放射能汚染していることを、少なくとも1952年には把握しながら実験を続けた責任は重い。
 
 2004年に前作『放射線を浴びたX年後』のための取材を開始してから12年。これまで多くの方々に支えられて、ここまで来ることができた。これまで自分が倒れるまで一生追い続けていくものだ、と覚悟を決め、取材を続けてきた。『放射線を浴びたX年後2』が完成した今、ますますその思いは強くなっている。僕の旅はまだ終わっていない。これからも被災者と共にありたい。
 
 何があっても諦めないぞ!
(引用終わり)
 
(参考書籍)
放射線を浴びたX年後』 伊東英朗著 講談社(2014年11月刊)

 
(参考インタビュー)
週刊通販生活 今週の読み物
 映画『放射線を浴びたX年後』監督・伊東英朗さんインタビュー

 
『放射線を浴びたX年後 2』監督・伊東英朗さんインタビュー
封印された「被ばく」の記憶を解く~映画「X年後2」(OurPlanet-TV)(16分)
 
 
「放射線を浴びたX年後2」パンフレット