今晩(2016年6月30日)配信した「メルマガ金原No.2498」を転載します。
なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
久しぶりに大阪府泉南市の北出寧啓さんからメールを頂戴しました。北出さんは、メルマガ金原の読者であり、私が書いた行事案内などを読んで、わざわざ泉南市から仲間と一緒に和歌山の企画に足を運んでくださったことが何度もありました。
また、北出さんから泉南市での行事のご案内をいただき、メルマガ(ブログ)でご紹介したこともありました。例えば、以下の企画などです。
2014年11月6日
泉南市での今中哲二さんの講演会をお勧めします(11/16樽井公民館)
泉南市での今中哲二さんの講演会をお勧めします(11/16樽井公民館)
そして今日、北出さんから届いたメールも、今中哲二さんの講演会のお知らせでした。しかもそのメールによると、「今年は、17日を含めて、三回の講演をお願いしています」とありましたので、連続講演会の第1弾という位置付けのようです。
以下に、チラシの文字情報を転記します。
以下に、チラシの文字情報を転記します。
【講師プロフィール】
1950年広島県生まれ。大阪大学工学部、東京工業大学大学院卒。原子力工学専攻。1976年原子炉実験所に入所。チェルノブイリ原発事故後現地調査を行い、以後継続的に被曝の実態調査に取り組む。
東京電力福島第一原発事故後福島県飯舘村に入り、放射能汚染による健康への影響について調査を継続中。
1950年広島県生まれ。大阪大学工学部、東京工業大学大学院卒。原子力工学専攻。1976年原子炉実験所に入所。チェルノブイリ原発事故後現地調査を行い、以後継続的に被曝の実態調査に取り組む。
東京電力福島第一原発事故後福島県飯舘村に入り、放射能汚染による健康への影響について調査を継続中。
【日時】2016年7月17日(日)午後1時30分~(開場午後1時)
【場所】泉南市樽井公民館1階会議室A・B
住所 泉南市樽井6丁目11番16号
【参加費】無料
【主催】葦の会-今ここから-
代表 石神節子
連絡先 072-482-4017(17:00~)
【後援】泉南市
【場所】泉南市樽井公民館1階会議室A・B
住所 泉南市樽井6丁目11番16号
【参加費】無料
【主催】葦の会-今ここから-
代表 石神節子
連絡先 072-482-4017(17:00~)
【後援】泉南市
※近隣の方はできるだけ自転車もしくは公共交通機関等のご利用をお願い致します。
※お車をご利用の際は、出来る限り乗り合わせにてお越しください。
(引用終わり)
※お車をご利用の際は、出来る限り乗り合わせにてお越しください。
(引用終わり)
今年の3月末で京大原子炉実験所を定年退官された今中さんですが、まだ継続中の研究もあるということで、「パートタイムの研究員」(今中さん自身の言葉)として、週に何日かは京大原子炉実験所に行かれているようですが、おそらく時間的にはかなり自由になっておられるのでしょうね。
今年の4月29日、和歌山市において、「原発がこわい女たちの会結成29年のつどい」の講師として今中さんが講演されるという告知記事をメルマガ(ブログ)に書いた際、1月28日に行われた今中さんの退官記念「最終講義」の報文集と発表スライド、それから2月10日に開かれた第112回原子力安全問題ゼミの動画を併せてご紹介していますので、ご参照いただければ幸いです。
ところで、いわゆる熊取6(5)人組こと原子力安全研究グループの研究成果の多くが、同グループのホームページにアップされているのですが、これが京都大学サイトの一部を間借りしているというのか何といういのか、いつまでこのサイトを維持できるのだろうと勝手に心配しているのですが、全員が定年を迎えた今でも、何とか維持されているようです。
今現在、更新してアップされるのは、正直今中さんの研究成果だけですが、皆さまにも定期的に更新情報をチェックされるようにお勧めします。
例えば、岩波書店の雑誌「科学」2016年3月号に掲載された今中さんの「チェルノブイリと福島:事故プロセスと放射能汚染の比較」という論文なども読めます。
その末尾は、こういう文章で締めくくられていました。
例えば、岩波書店の雑誌「科学」2016年3月号に掲載された今中さんの「チェルノブイリと福島:事故プロセスと放射能汚染の比較」という論文なども読めます。
その末尾は、こういう文章で締めくくられていました。
(引用開始)
チェルノブイリ調査ということで私がはじめてソ連を訪問したのは事故から4年後の 1990年8月のことだった。以来,20回以上の現地調査を通じて得た教訓は次の2つである。
・原発で大事故が起きると,まわりの人々が突然に自分の家に住めなくなり,村や町が丸ごと消えてしまう
チェルノブイリ調査ということで私がはじめてソ連を訪問したのは事故から4年後の 1990年8月のことだった。以来,20回以上の現地調査を通じて得た教訓は次の2つである。
・原発で大事故が起きると,まわりの人々が突然に自分の家に住めなくなり,村や町が丸ごと消えてしまう
・原発事故によって人々が蒙る災厄は,放射能汚染や被曝といった私が専門としている物差で測れる範囲をはるかに超えている
2011年3月末にはじめて飯舘村の調査に入って以来この5年間,原子力専門家として私なりに福島原発事故のことにかかわり続けてきた。福島第一原発周辺では,いまだ約 900km2が避難指示区域に指定され,約10万の人々が避難生活を余儀なくされている。本稿で述べたように,放射能放出の量や組成また汚染の規模に違いはあるものの,チェルノブイリと同様のことが福島で起きていると私は実感している。これからも原子力をエネルギー源として利用することとは,チェルノブイリや福島のような事故がまた起きる可能性を抱えこむことだと承知しておくべきである。
(引用終わり)
2011年3月末にはじめて飯舘村の調査に入って以来この5年間,原子力専門家として私なりに福島原発事故のことにかかわり続けてきた。福島第一原発周辺では,いまだ約 900km2が避難指示区域に指定され,約10万の人々が避難生活を余儀なくされている。本稿で述べたように,放射能放出の量や組成また汚染の規模に違いはあるものの,チェルノブイリと同様のことが福島で起きていると私は実感している。これからも原子力をエネルギー源として利用することとは,チェルノブイリや福島のような事故がまた起きる可能性を抱えこむことだと承知しておくべきである。
(引用終わり)