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西谷修氏講演「戦争とは何だろうか 2016年夏に考える」を視聴する(「さぁ、安倍政治を終らせよう」8.19.院内集会)

 今晩(2016年8月20日)配信した「メルマガ金原No.2544」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
西谷修氏講演「戦争とは何だろうか 2016年夏に考える」を視聴する(「さぁ、安倍政治を終らせよう」8.19.院内集会)

 昨日(8月19日)お送りした「トークイベント「いつのまにか、戦争?―話題の新書、3著者が語る」を聴いて3冊とも読みたくなる」の続編です。
 8月17日に神田神保町東京堂ホールでトークした3人の著者の内、西谷修さん(立教大学特任教授)が、戦争をさせない1000人委員会と立憲フォーラムの招きにより、「さぁ、安倍政治を終らせよう」8.19院内集会に講師として招かれ、「戦争とは何だろうか 2016年夏に考える」と題して講演されました。
 
 UPLANから動画がアップされていますのでご紹介します。西谷修さんの講演は6分~1時間00分の54分間です。
 
20160819 UPLAN 西谷修「戦争とは何だろうか2016年夏に考える」(1時間07分)
 

 時期が時期ですから、西谷さんが先月、ちくまプリマ-新書から出された『戦争とは何だろうか』(私は未読ですが)の内容に沿ったお話であったようです。
 ということで、昨日紹介したばかりですが、この近著の内容を、あらためて出版社のホームページからご紹介しておきます。
 
『戦争とは何だろうか』(筑摩書房)
(引用開始)
この本の内容
軍事力で平和は守られるのか?敵は誰なのか?宗教戦争からテロリストとの戦争まで、戦争の歴史を辿る。日本の戦後が終わり、世界が戦争状態に入ろうとしている今、改めて戦争とは何なのかを考える。
この本の目次
第1章 戦争って何?
第2章 国家間秩序
第3章 国民と国民の戦争
第4章 世界大戦への道
第5章 世界戦争とその顛末
第6章 冷戦後の世界から9.11に至るまで
著者について
西谷 修 ニシタニ オサム
1950年愛知県生まれ。東京大学法学部、東京都立大学大学院、パリ第8大学などで学ぶ。フランス思想、とくにバタイユブランショレヴィナスルジャンドルらを研究。明治学院大学教授、東京外国語大学大学院教授等を経て現在立教大学大学院特任教授。著書に『不死のワンダーランド』(増補新版、青土社)、『戦争論』(講談社学術文庫)、『世界史の臨界』(岩波書店)、『理性の探求』(同)など、訳書にブランショ『明かしえぬ共同体』(ちくま学芸文庫)、レヴィナス『実存から実存者へ』(同)、バタイユ『非‐知』(平凡社ライブラリー)などがある。
(引用終わり)
 
 出版社(筑摩書房)が、この本の「はじめに」の部分を「ためし読み」できるようにしています。その冒頭の部分をご紹介しましょう。
 
ちくまプリマー新書 ためし読み
戦争とは何だろうか? 西谷 修

(抜粋引用開始)
はじめに
戦争の輪郭
 戦争について考える、というのがここでのテーマですが、後に述べるような理由から、今では「戦争」や「平和」という言葉の輪郭がほとんど崩れてしまっています。そこで、まずは戦争というのがどういうことなのかを輪郭づけることから始めましょう。実際に「戦争」という言葉はどう使われているでしょう?あるいは、戦争という言葉でひとは何をイメージしているのでしょう。
 空襲とか、銃撃戦とか、陣取りゲームとか、召集の赤紙とか、いろいろあるでしょう。でも、それは基本的には国と国とが軍隊を動員して戦い合うということですね。要するに、私たちがふつう「戦争」という言葉で思い浮かべるのは、国家間戦争だということです。とはいっても、戦争がいつも国家間戦争だったわけではありません。むしろ、それはいわゆる近代の世界にできた武力抗争の枠組みです。それはどういうもので、いつ頃にできて、どのように展開されて、今はどうなっているかということについては、順次見てゆきましょう。
 ともかく、戦争では、国と国との間に武力衝突が起こって、そのために国民同士が敵味方に別れて戦うことになります。それが通常のかたちですが、グローバル化以降、状況が変わってきています。グローバルな大きな権力(超大国ですが)が軸になって、それがグローバル秩序を守る、あるいは、グローバルな「文明」秩序を押し付けるというかたちで、国家の軍事力が行使されるようになりました。それは国家同士の戦争ではありません。国家が犯罪者とみなした武装集団を相手に戦うもので、これが「テロとの戦争」と呼ばれ、「非対称的」だと特徴づけられています。これは、今までの国家間戦争とは全く違っていて、世界の秩序を変質させるようなものです。
 そこで戦争はどんなふうになったかというと、文字通り軍事力による人間の純然たる殺戮、殲滅行為になりました。「テロリスト」と呼ばれる敵は、敵としての資格もないし、人間として向き合う必要もない、極悪非道で抹消すべき対象でしかないとされます。何か事件が起きたとき、それを「テロ」と決めつけると、もはや問答無用で理由などは問われません。「テロ」は許しがたい、そんなことをする凶暴な輩は、人間の風上にも置けないから、どんな手段を用いてもやっつける。そのために国家が武力を行使するのは「正義の執行だ」というのです。そうして国家がいわば私人を相手に「戦争」をするようになりました。この種の戦争では、「何人殺したか」ということが「戦果」として発表されますが、その意味では戦争は剝き出しの殺戮になったのです。その雛形はすでにイスラエル国家とパレスチナ人との抗争にありました。じつは植民地独立をめぐる戦争も同じ構造をもっていましたが、詳しい説明は後でするとして、現在起こっている戦争というのは大体そういうかたちです。だから、わたしたちがこれから直面するのも、主としてそういう戦争なのです。

核兵器という限界(略)
日本の「戦後」が終わる?(略)
(引用終わり)
 
 どうでしょう。西谷さんの講演を聴き、「はじめに」の冒頭を読んだだけでも、是非この新刊を購入したいと思いませんか?
 

(付録)
『これがボクらの道なのか』『時代は変わる』『遠い世界に』『花をください』『Hard Times Come Again No More』『血まみれの鳩』(「第3回東日本大震災復興支援チャリティコンサート&物産展古都の風にのせてin Zest 御池」より)(30分)
演奏:長野たかし&森川あやこ
 
※来る2016年8月28日(日)午後3時30分~、和歌山市ぶらくり丁の「レモネード・カフェ」に長野たかしさん、森川あやこさんが登場されます(ちょうさんとベースパーティvol.4)。私も行くつもりです。是非ご来場ください。多分、ニューCD『希求』もサイン入りで購入できると思いますよ。