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放送予告9/3『関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか』(ETV特集)~歴史修正主義に惑わされないために

 今晩(2016年8月25日)配信した「メルマガ金原No.2549」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
放送予告9/3『関東大震災朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか』(ETV特集)~歴史修正主義に惑わされないために

 2011年3月28日の創刊以来続けてきた「メルマガ毎日配信」の記録は、今年6月22日公示、7月10日投開票の第24回参議院議員通常選挙期間中、野党統一候補であるゆら登信さんを応援する(つまり「選挙運動」となる)記事を書くため、途絶えることを余儀なくされました。3年前の参院選から、インターネット選挙運動は自由になったものの、電子メールによる選挙運動は一定の場合を除いて禁止されているため、選挙期間中に選挙運動にあたる記事を書く時は、メルマガはお休みし、ブログだけ更新するということにしたためです。
 
 そして、7月11日以降、メルマガを「毎日配信」し、直ちにそれをブログに転載して「毎日更新」する従来のペースに戻ったのですが、いささか戻りきらないことがあります。それは、端的に言って、自分の意見を前面に押し出したメルマガ(ブログ)を書こうという意欲の減退です。
 選挙が終わってからというもの、行事案内、番組放送予告、動画紹介、本の紹介などが従来にもまして目立つようになったとお感じの方もおられるでしょう。その他、追悼文も2本書きましたけど。
 選挙が終わってから既に1ヶ月半が経過しましたが、直後に書いた「投票日当日の自民党などによる新聞広告は憲法改正国民投票運動の前触れか?」(2016年7月11日)は別として、それなりに時間をかけて書いたものはあっても、自分の意見を強く打ち出した記事はほとんど書いていませんからね。
 
 もちろん、私がメルマガ(ブログ)で取り上げた報道番組、講演会、本、動画などは、「取り上げて皆さんに紹介する価値がある」という「私の意見」に基づいて選択しているのですから、間接的には意見の発表をしているようなものですけど。
 はたして、単なる「応援演説疲れ」によるペースの乱れが収まりきっていないだけか、それとも意識の変化によるものか、我ながら判断に迷うところです。

 実際、「天皇生前退位問題」など、資料集めのための記事は2本書きましたが、以前であれば絶対に書いたであろう「自分の意見」は、いまだに書けておらず、いつ書けるという見通しも立ちません。
 ・・・というような、愚痴ともボヤキともつかない述懐はこれ位にしておきます。
 
 今日も来週末に放送されるドキュメンタリー番組のご紹介です。
 
NHK Eテレ 
本放送 2016年9月3日(土)午後11時00分~午前0時00分
再放送 2016年9月10日(土)午前0時00分~1時00分(金曜深夜)
ETV特集『関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか』
(番組案内から引用開始)
1923年の関東大震災。混乱のなか流言が広がり、多くの朝鮮人が殺害された。悲劇はなぜ起きたのか。中央防災会議は2009年に国の機関として初めて事件を分析、報告書にまとめた。それによると軍や警察、新聞も一時は流言の伝達に関与していた。また裁判記録の研究が進み、自警団などが殺害に至った経緯も明らかになってきた。番組では、司法省の一次資料や民間の聞き取り調査などをもとに事件の社会的背景を探っていく。
(引用終わり)
 
 上でも引用されている中央防災会議の報告書は、インターネットでも公開されています。
 
内閣府 防災情報のページ
災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成20年3月
1923 関東大震災【第2編】

(抜粋引用開始)
はじめに
 1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災は、首都圏に死者10万人、住居焼失者200万人を超える日本の地震災害史上最大の被害をもたらした。地震によって発生した火災が被害を拡大し、広い範囲での交通機関、上水道、電力、通信、橋梁など社会資本の機能喪失が人々の生活を脅かし、流言による殺傷事件も生じるなど、今なお関東大震災以外に参照すべき事例がない事象も多く、災害教訓として重要である。本編では、震災発生直後の人々の対応を扱う。
第1章 消防と医療
第2章 国の対応
第3章 地域の対応
第4章 混乱による被害の拡大
 関東大震災時には横浜などで略奪事件が生じたほか、朝鮮人が武装蜂起し、あるいは放火するといった流言を背景に、住民の自警団や軍隊、警察の一部による殺傷事件が生じた。流言は地震前の新聞報道をはじめとする住民の予備知識や断片的に得られる情報を背景に、流言現象に一般的に見られる「意味づけの暴走」として生じた。3日までは軍隊や警察も流言に巻き込まれ、また増幅した。
 
第1節 流言蜚語と都市
 第2節 殺傷事件の発生
 コラム6 「天災日記」に見る流言蜚語と戒厳令
 コラム7 「河井清方日記」に見る余震と流言
 コラム8 殺傷事件の検証
第5章 関東大震災の応急対応における教訓
(引用終わり)
 
 このような調査結果や多くの証拠に目もくれず、「朝鮮人虐殺などなかった」と主張する歴史修正主義者はいるもので、特にネットの世界では大きな顔をして跋扈していると言っても過言ではありません。
 とりあえず、そのようなトンデモ主張に対する反論を整理したサイトを1つだけご紹介しておきます。
 
 
 なお、上記サイトでもリンクされていますが、2003年8月、日弁連関東大震災に関わる人権救済申立事件について、国に「勧告」を行う前提となった「関東大震災人権救済申立事件調査報告書」を読むことができます。ただし、日弁連サイトではなく、調査に関わった一弁護士のサイトに掲載されたもののようです(梓澤和幸弁護士だと思いますが)。特に、自警団による虐殺については、
 本庄事件判決(浦和地方裁判所1923年11月26日判決)
 神保原事件判決(浦和地方裁判所1923年11月26日判決)
 寄居事件判決(浦和地方裁判所1923年11月26日判決)
 熊谷事件判決(浦和地方裁判所1923年11月26日判決)
 片柳事件判決(浦和地方裁判所1923年11月26日判決)
 藤岡事件判決(前橋地方裁判所1923年11月14日判決)
などの裁判記録が資料として駆使されたようで、判決文の「罪トナルヘキ事実」の一部が報告書に引用されています。一例をあげれば、
「当時極度に昂奮せる群衆は同署(注:本庄警察署)構内に殺到し来りて約三千人に達し同夜中(注:9月4日夜)より翌五日午前中に亘り右鮮人に対して暴行を加え騒擾中
一、被告Aは同日四日同署構内に於て殺意の下に仕込杖(証拠略)を使用し他の群衆と相協力して犯意継続の上鮮人三名を殺害し
一、被告Bは同日殺意の下に同署構内にて鮮人を殺して了えと絶叫し長槍(証拠略)を使用し他の群衆と協力して犯意を継続の上鮮人四五名を殺害し
一、被告Cは同月五目同所に於て殺意の下に金熊手を使用し他の群衆と相協力して鮮人一名を殺害し
一、被告Dは同月四日同演武場に於て殺意の下に木刀を使用し他の群衆と相協力して犯意を継続の上鮮人三名を殺害し尚同署事務所に居りたる鮮人一名を引出し群衆中に放出して殺害せしめ (以下略)」(本庄事件)
などという事実が生々しく描写されています。しかも、これは証拠に基づいて裁判所が認定した事実です。
 
 このような歴史に背を向けた「未来志向」などあり得ないということを、多くの日本人の共通認識にしなければと切に思います。