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国分寺まつり出店拒否事件に対する東京弁護士会の「人権救済申立事件について(要望)」(8/17)を読む

 今晩(2016年8月29日)配信した「メルマガ金原No.2553」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
国分寺まつり出店拒否事件に対する東京弁護士会の「人権救済申立事件について(要望)」(8/17)を読む

 日本には、全部で52の弁護士会があります(全国組織の日本弁護士連合会は除く)。47でないのは、北海道に地方裁判所が4つある(札幌、函館、旭川、釧路)ことに対応して弁護士会も4つあり、歴史的経緯から東京に3会(東京、第一東京、第二東京)あるからです。
 そして、全ての弁護士会及び日弁連には人権擁護委員会が設置され、人権救済の申立てを受け付けており、調査の結果、人権侵害の事実を認定した場合には、要望、勧告、警告等の措置を執ることになります。
 人権擁護委員会による措置は、法的な強制力は持ちませんが、司法の一翼を担う弁護士会の法的な判断として一定の影響力を持ち得ます。
 
 今日は、東京弁護士会に対して人権救済が申し立てられていた、いわゆる「国分寺まつり出店拒否事件」について、同会が本年8月17日付で執行した「国分寺市」及び「第33回国分寺まつり実行委員会」宛の各「要望」についてご紹介しようと思います。
 私自身、まだ2通の要望書にざっと目を通しただけであり、詳細な検討をするだけの余裕は持てていま
せん。
 従って、今日のところは、皆さんに「国分寺まつり出店拒否事件」の存在を知っていただくこと、これに対する東京弁護士会人権擁護委員会)による「人権侵害にあたる」との判断に出来れば目を通し、問題の所在に思いを巡らしていただきたいとお願いするにとどめたいと思います。
 とはいうものの、末尾に若干の感想は書かせていただこうと思いますが。
 
 まず、本件をめぐる東京弁護士会への人権救済申立て、及び今回の同弁護士会による措置(要望)とその後の状況を伝えた報道を引用します。
 
東京新聞 2015年12月25日 朝刊
国分寺まつり出店拒否 3団体が救済申し立て 「護憲、反原発に差別的扱い」

(抜粋引用開始)
 東京都国分寺市で毎秋、開かれている「国分寺まつり」への出店を拒否された市民団体「国分寺九条の会」など三団体が二十四日、「特定の思想信条に基づき差別的取り扱いを受け、市民参加の機会を奪われ
た」などとして、東京弁護士会に人権救済を申し立てた。(萩原誠
 二〇一三年まで毎年、参加が認められていた三団体は「内容が政治的意味合いを持つ」と一四、一五年
と二年連続で拒否されており、来年以降は認めるよう求めている。
 申し立てたのは、九条の会と、原発関連の勉強会などを開催している「Bye-Bye原発国分寺
会」と「ちょっと待って原発の会」で、いずれも国分寺市民でつくる団体。「公共の場のまつりへの出店拒否は、憲法で定めた表現の自由や平等権の侵害に当たる」などと主張している。
 まつりは市が事務局で、市民らでつくる実行委の主催。九条の会は〇八年から出店し、憲法九条に関するパネル展示やシール投票などを実施。「Bye-Bye」は一一年、「ちょっと待って」は一二年から
参加し、東京電力福島第一原発事故関連のパネル展示などをしてきた。
 一四年、まつり出店者の募集要項に「政治的・宗教的な意味合いのある出店」は参加を断る旨の条件が
加えられた。実行委は同年以降、この要項を根拠に、三団体の参加を拒否している。
(略)
 まつり実行委事務局の市文化と人権課の宮本学課長は「実行委の役員会が、市民の親睦の場に、賛否があるものが参加するのは好ましくないと決定した」とした上で、申し立てについては「内容を確認してい
ないのでコメントできない」と話した。
(引用終わり)
 
※参考動画 国分寺まつり人権救済申立て」記者会見 20151224(55分29秒)
 

朝日新聞デジタル 2016年8月26日01時29分
まつり参加拒否、弁護士会が撤回求める 東京・国分寺

(引用開始)
 東京都国分寺市内で開催される「国分寺まつり」への参加を市民団体に認めなかったのは、表現の自由の侵害に当たるとして、東京弁護士会は25日までに同市とまつりの実行委員会に対し、参加を拒否しな
いよう要望書を出した。団体は25日、記者会見を開き、今年のまつりには参加させるよう求めた。
 参加を拒否されたのは「国分寺9条の会」「ちょっと待って原発の会」「Bye―Bye原発国分寺
の会」の3団体。
 例年11月に開催される国分寺まつりに参加し、憲法9条原発事故を考えるパネル展示などを行っていた。だが2014年と昨年の2回にわたり、内容が「政治的な意味合いを持つ」などとして市内の団体などでつくる実行委に参加を拒否された。このため昨年12月、東京弁護士会に人権救済を申し立ててい
た。
 弁護士会人権擁護委員会での調査を経て、参加が認められないのは「表現の自由の行使が妨げられたことになる」と指摘。「政治的な意味合い」という理由に「合理性はない」とした。市に対しては、実行
委に補助金を出していることなどから「適切な関与をすることが要請される」と求めた。
 3団体の代理人、梓澤和幸弁護士は「市民が広く社会に主張を伝えるための機会について、市は表現の
自由を実現すべき公的責任がある」としている。
 国分寺市の宮本学・文化と人権課長は「要望書は受け取っているが、今の段階でコメントはできない」
としている。
(引用終わり)
 
毎日新聞 2016年8月26日 地方版〔都内版〕
国分寺まつり 「今年こそ参加を」 護憲など3団体「政治的」と拒否され

(抜粋引用開始)
(略)
 3団体は昨年末、人権救済の申し立てを行い、東京弁護士会が今月18日、まつりへの参加を認めるよ
う求める文書を実行委と市側に送付した。これに対し、今年も参加を認めない旨の実行委員長名の通知が
23日に3団体に届いた。
 記者会見した「国分寺9条の会」代表の増島高敬さん(76)は「まつりは公共の空間であり、表現の
自由は保障されるべきだ。ぜひ参加させてほしい」と話している。一方、まつり実行委事務局の同市文化と人権課は「実行委の役員会で決まったことであり、現段階では今年も参加を拒否する方針」としている
(引用終わり)
 
NPJ通信 2016年8月25日
国分寺まつり出店拒否事件~表現の自由を侵害したと東京弁護士会が認定~
寄稿:大城 聡(弁護士)

(抜粋引用開始)
(略)
今年11月開催の国分寺まつりへの出店等について
 「国分寺9条の会」、「ちょっと待って原発の会」、「Bye-Bye原発/国分寺の会」の3団体は、8月23日、
今年11月開催の第33回国分寺まつりに関して出店拒否の通知を受け取りました。国分寺市に問い合わせたところ、出店拒否を決定した実行委員会は、東京弁護士会の調査結果(要望)を受け取る前の8月17日に開催
されたとのことです。
 この状況を受けて、出店を拒否された「国分寺9条の会」、「ちょっと待って原発の会」、「Bye-Bye原
発/国分寺の会」の3団体は、8月25日に記者会見を開き、国分寺市及び実行委員会に対し、東京弁護士会からの要望に基づき、再考の上、第33回国分寺まつりにおける3団体の出店を認めるべきことを強く求めています。
 東京弁護士会からの要望を真摯に受入れ、市民が自由に参加できる本来の国分寺まつりに戻すかどうか
国分寺市と実行委員会の判断に注目したいと思います。
(引用終わり)
 
 さて、本件人権救済申立事件について、東京弁護士会では2件の事件番号を付して受理しています。「東弁28人第198号」が国分寺まつりの主催団体である実行委員会を被申立人とするもの、「東弁28人第199号」が国分寺市を被申立人とするものであり、今回、いずれについても「要望」という措置がなされました。
 東京弁護士会のホームページに、両事件についての「人権救済申立事件について(要望)」が、固有名詞を匿名化した上で掲載されています。
 その内の結論部分にあたる「要望の趣旨」、及びその結論を導いた「要望の理由」の中核部分である「人権侵害性」を判断した部分を、やや長文となりますが、引用したいと思います。
 
【東弁28人第198号 被申立人 第33回国分寺まつり実行委員会】
(抜粋引用開始)
第一 要望の趣旨
 第31回及び第32回国分寺まつりにおいて、「国分寺9条の会」が出店の申込みを、「ちょっと待って原
発の会」及び「Bye-Bye 原発国分寺の会」がイベント参加の申込みを行ったことに対し、各回の国分寺まつり実行委員会が、「政治的な意味合いを持つ」との理由で出店、イベント参加を認めなかったことは、これらの団体に所属する申立人らの表現の自由を侵害するものでした。
 よって、貴実行委員会に対して、今後は、申込みがあった者につき、「政治的な意味合いを持つ」との
理由で、出店やイベント参加を拒むことのないよう、要望致します。
 
第二 要望の理由
二 人権侵害性
1 第31回及び第32回の本件祭り実行委員会

(一)両実行委員会の性格
 第31回及び第32回の本件祭り実行委員会(以下「両実行委員会」という。)は、市の市長の説明によれ
ば市民によって構成される組織であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
 他方、両実行委員会は、それぞれの本件祭りの開催のために、市からそれぞれ金466万円の交付を受けている。また、実行委員会の事務局は市の庁舎内に設置され、事務局の事務は市職員が担っている。また、
本件祭りは、都の管理する公園を市が同市の費用で借り上げて実施するものである。
 これらの事情、即ち、公共団体からの多額の財政的援助の存在、市庁舎の市職員が事務局事務を担ってくれるという特権的待遇、公共施設(公園)を独占的に無償使用して実施する祭りであるという事情をふまえると、両実行委員会の性質は、単なる市民の組織ということはできず、極めて公共性の強い組織であるということができ、その公共性の結果として、市とともに市民の人権を侵害してはならないという規律
を受けるものというべきである。
(二)申立人らの人権
(1)申立人らは、「国分寺9条の会」、「ちょっと待って原発の会」または「Bye-Bye 原発国分寺の会」
という名称でグループを作り、第31回及び第32回の本件祭りに参加しようとした者である。
(2)「国分寺9条の会」は、2004(平成16)年に大江健三郎らが発した「日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、『改憲』のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。」との「九条の会アピール」に賛同することを会員の唯一の条件として人びとが集まった団体であり、同会に属する者は、駅前での宣伝活動や毎月のニュースの発行などをしてきたものであって、
会の存在とその活動をより多くの市民に認知してもらうために本件祭りに参加してきた。
 かような動機によって本件祭りに参加することは、日本国憲法を守るという自身の見解を広める活動で
あり、かかる活動は表現の自由として憲法21条によって保障されている。
(3)「ちょっと待って原発の会」は、1986(昭和61)年4月のチェルノブイリ原発事故の後に設立された市
民グループであり、原子力発電の危険性を多くの市民に伝えること等を目的に勉強会や集会を開き、活動をしてきた。
 同会に属する者は、日頃の学習の結果を多くの市民に伝えて意見交換をするために本件祭りに参加して
きた。
 かような動機による本件祭りへの参加は、原子力発電は危険であるとの自身の見解を広め、また意見交
換をするという活動であり、かかる活動も表現の自由として憲法21条によって保障されている。
(4)「Bye-Bye 原発国分寺の会」は、福島第一原発の事故後の2011(平成23)年6月に結成した市民団体であり、原子力発電をなくして自然エネルギーによる電力供給の実現を目指し、定例会で情報交換をした
り、脱原発を呼びかけるチラシを作成し駅前で配布したりする等の活動を行なっている。
 同会に属する者は、自身の集めた情報をパネルにまとめて展示し、市民に広く伝え、交流するために本
件祭りに参加してきた。
 かような動機による本件祭りへの参加は、原子力発電をなくし自然エネルギーによる電力供給を実現しようという自身の見解を広める活動であり、かかる活動も表現の自由として憲法21条によって保障されて
いる。
(三)出店等が認められなかったことの人権侵害性
(1)申立人らは、第31回及び第32回の本件祭りへの出店等の申込みを行ったが、それぞれの実行委員会は、
これを認めなかった。
 申立人らが本件祭りにおいて活動することが、申立人らの表現の自由として保障されることは(二)で述べた通りであり、よって、本件祭りに出店等ができなくなったことは、申立人らの表現の自由の行使が妨
げられたことになる。
 かように表現の自由の行使が妨げられたことが申立人らに対する人権侵害といえるかにつき、以下検討
する。
(2)表現の自由は、思想及び情報の自由な伝達並びに交流を促進するものであるところ、これらの伝達及び交流は民主的な社会を維持発展させるために不可欠であり、よって、何らかの理由により表現の自由に対
して制約が課されることがあったとしてもその制約は必要最小限のものでなければならない。
 本件は、公園という公共施設における表現行為が問題となっており、かような事案の場合、規制の必要最小限性をどう考えるかについては、集会の自由に関して公共施設の利用拒否の合憲性が問題となった最
3小判1995(平成7)年3月7日(民集49巻3号687頁)の判示が参考になる。同判決は「集会の用に供される公共施設の管理者は、当該公共施設の種類に応じ、また、その規模、構造、設備等を勘案し、公共施設としての使命を十分達成せしめるよう適正にその管理権を行使すべきであって、これらの点からみて利用を不相当とする事由が認められないにもかかわらずその利用を拒否し得るのは、利用の希望が競合する場合のほかは、施設をその集会のために利用させることによって、他の基本的人権が侵害され、公共の福祉が損なわれる危険がある場合に限られる」としている。
 かかる判旨をふまえれば、申立人らの出店等を拒みうるのは、他の者の基本的人権が侵害される危険が
ある場合に限られるというべきである。
(3)一3の認定のとおり、両実行委員会が申立人らの出店等を認めなかった理由は、「政治的な意味合いを
持つ」との一事である。
 しかし、いうまでもなく、出店等が「政治的な意味合いを持つ」からといって他の基本的人権を侵害す
ることにはならないのであり、よって、両実行委員会が出店等を認めない理由にはなんら合理性はない。
(4)なお念のため、現実に、申立人らの出店等により他の者の基本的人権を侵害する危険があるかを検討す
る。
 「国分寺9条の会」を通してその会員が本件祭りで行なおうとしたことは、(二)(2)のとおり、会の存在
およびその活動をより多くの市民に認知してもらうことである。
 また、「ちょっと待って原発の会」を通してその会員が本件祭りで行なおうとしたことは、(二)(3)の
とおり、日頃の自身の学習の結果を多くの市民に伝えて意見交換をするためである。
 そして、「Bye-Bye 原発国分寺の会」を通してその会員が本件祭りで行なおうとしたことは、(二)
(4)のとおり、自身の集めた情報をパネルにまとめて展示し、市民に広く伝え、交流するためである。
 これらからは、何ら他の者の基本的人権を侵害する危険性は看取されない。
 また、申立人らのこれまでの出店等において何らかの問題が発生したことは証拠上全く認められず、ま
た、申立人らの出店等を問題とした市議会総務委員会の議論においても、申立人らがこれまでの出店等において他の者の基本的人権を侵害するような行動をしたとは全く述べられていない。
 これらの事情をふまえると、申立人らの出店等により他の基本的人権を侵害する危険があるとは到底言
えない。
(5)そうであるとすると、両実行委員会は、何ら合理的理由なく申立人らの第31回及び第32回の本件祭りへの出店等を拒んだのであり、両実行委員会のこれらの行為は、申立人らの表現の自由を侵害したものとい
わざるを得ない。
(引用終わり)
 
【東弁28人第199号 被申立人 国分寺市】
(抜粋引用開始)
第一 要望の趣旨
 第31回及び第32回国分寺まつりにおいて、「国分寺9条の会」が出店の申込みを、「ちょっと待って原
発の会」及び「Bye-Bye 原発国分寺の会」がイベント参加の申込みを行ったことに対し、各回の国分寺まつり実行委員会が、「政治的な意味合いを持つ」との理由で出店、イベント参加を認めなかったことにつき、貴市が、これを黙認するだけでなく、漫然と市報に出店の広告を掲載して、両実行委員会の判断を助長したことは、これらの団体に所属する申立人らの表現の自由を侵害するものでした。
 そこで、貴市におかれては、今後は、国分寺まつり実行委員会に対し、「政治的な意味合いを持つ」との理由で、出店、イベント参加を拒むことのないよう適切に働きかけをするとともに、「政治的な意味合
いを持つ」との理由で出店、イベント参加が拒まれることがないことを、広く市民に広報されたく、要望致します。
 
第二 要望の理由
二 人権侵害性
1 第31回及び第32回の本件祭り実行委員会の性格
 第31回及び第32回の本件祭り実行委員会(以下「両実行委員会」という。)は、市民によって構成され
る組織であることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。
 他方、両実行委員会は、それぞれの本件祭りの開催のために、市からそれぞれ金466万円の交付を受けている。また、実行委員会の事務局は市の庁舎内に設置され、事務局の事務は市職員が担っている。また、
本件祭りは、都の管理する公園を市が同市の費用で借り上げて実施するものである。
 これらの事情、即ち、公共団体からの多額の財政的援助の存在、市庁舎の市職員が事務局事務を担ってくれるという特権的待遇、公共施設(公園)を独占的に無償使用して実施する祭りであるという事情をふまえると、両実行委員会の性質は、単なる市民の組織ということはできず、極めて公共性の強い組織であるということができ、その公共性の結果として、市とともに市民の人権を侵害してはならないという規律
を受けるものというべきである。
2 市の人権侵害性の有無
(1)市は、両実行委員会にそれぞれ466万円の補助金を交付し、また、実行委員会の事務局を庁舎内に設置
し、事務局の事務を市職員に担わせている。
 また、本件祭りは、都の管理する公園を相手方市が同市の費用で借り上げて実施しているものである。
 かように市は、自身の強い関与によって本件祭りを実現させているのであり、かかる関与によって前述
1の如く実行委員会が公共性を帯びているのであるから、本件祭りの運営につき、挙げて実行委員会に任せて全く関知しないということは相当ではなく、実行委員会がその公共的役割を全うするよう関与することが市には求められるというべきである。
 とりわけ、本件祭りの空間は、市が主体的に関与をして市民の集まる場を作り出したものであり、一種のパブリック・フォーラムとして表現の自由の保障が強く及ぶ空間だというべきであるから、実行委員会
が市民の表現の自由を侵害することのないよう、市には適切な関与をすることが要請されるのである。
(2)かかる観点からいうと、第31回及び第32回の本件祭りにおいて、申立人らが出店等の申込みをしたのに対し、「政治的な意味合いを持つ」との理由で、これを認めなかった両実行委員会の行為については、申立人らの表現の自由を侵害するものであることが明らかなのであるから、そのパブリック・フォーラムを
実現した市としては、出店等を認めるよう両実行委員会に働きかけるべきであったといえる。
 更に言えば、そもそも市報に掲載された出店等の勧誘を行う広告に、「参加不可」の事由として、「政
治的な…意味合いのある出店である(こと)」を挙げていること自体、何ら合理的な理由なく出店等を制限するものであって、文面上表現の自由を侵害するものというべきであるから、かかる広告の文言(仮にそのような要綱があるのであればその要綱自体)を再考するよう実行委員会に働きかけるべきであったといえる。
(3)以上の次第であり、市は、両実行委員会が申立人らの第31回及び第32回本件祭りへの出店等を認めなかったことにつき、何の対応もせずに黙認し、それどころか、漫然と市報に広告の掲載をさせて両実行委員
会の判断を助長したものといえ、申立人らの人権を侵害したというべきである。
(引用終わり)
 
 各「要望書」のうち、引用しなかった「第二 要望の理由」「一 認定した事実」も、是非リンク先でお読みいただきたいと思います。この認定事実を踏まえた上で、人権侵害にあたるかどうかの判断が導かれたのですから。
 
 その「認定した事実」のうち、私の読み落としかもしれないのですが、このような事実も記載しておいて欲しかったということがあります。幸い、私の知りたかった事実は、東京新聞が記事の中で触れていました。
「(国分寺九条の会は〇八年から出店し、憲法九条に関するパネル展示やシール投票などを実施。「Bye-Bye(原発国分寺の会)」は一一年、「ちょっと待って(原発の会)」は一二年から参加し、
東京電力福島第一原発事故関連のパネル展示などをしてきた。」
 東京弁護士会人権擁護委員会)が、3団体が拒否されるようになる前年(2013年)の第30回国
分寺まつりに出店が認められていたことには触れながら、それ以前の参加実績にあえて触れなかったのは、もしかしたら意図的であったかもしれない(長年の参加実績が無かったとしても人権侵害になるのだという論理を貫くため)と思いつつ、やはり私としては、認定事実に含めて欲しかったですね。
 
 それから、引用した人権侵害性の判断について読むにあたり、法律家ならざる人にとって少し分かりにくいのは、以下の部分かもしれません。
 
これらの事情、即ち、公共団体からの多額の財政的援助の存在、市庁舎の市職員が事務局事務を担ってくれるという特権的待遇、公共施設(公園)を独占的に無償使用して実施する祭りであるという事情をふまえると、両実行委員会の性質は、単なる市民の組織ということはできず、極めて公共性の強い組織であるということができ、その公共性の結果として、市とともに市民の人権を侵害してはならないという規律を受けるものというべきである。(下線は金原による)」(198号事件より)
 
 国分寺まつりのように、実行委員会形式をとりながら、実質的には地方公共団体が事務局を取り仕切っているところは、全国いたるところにありますが(我々が「九条連」を結成して長年出場を続けている和歌山市紀州おどりがまさにそうです)、そのような組織が「その公共性の結果として、市とともに市民の人権を侵害してはならないという規律を受ける」という部分は、実は「人権」とか「人権侵害」ということを考える上で、非常に基礎的かつ前提的な認識を明示した部分なのです。
 これは、近時ようやく国民の間に理解が広がりつつある「立憲主義」とも密接に関連することですが、「人権を侵害してはならない」という規範の名宛人は、何よりも国(及び地方公共団体等の公的組織)であるということです。もちろん、私人間における人権侵害が無いと言っている訳ではありませんが、まず第一義的に人権侵害が問題となるのは、国等の公的組織との関係においてなのです。
 
 そして、私としては、国分寺まつり実行委員会の公的性格を丁寧に認定した上で、東京弁護士会人権擁護委員会が、実行委員会による3団体に対する出店拒否を人権侵害と認定したその結論自体に異論はないのですが、はたしてその論理が、他の同種事案にも適用可能な普遍性を持つのかどうか、これから時間をかけて吟味しなければと思っています。
 私が、何故特にこの「国分寺まつり人権救済申立事件」について関心を持つのかについては、以下の私のブログから、末尾の部分を引用することで説明に代えたいと思います。
 
2016年7月23日
今年も「九条連」が紀州おどり(第48回 2016年8月6日)に参加します
(抜粋引用開始)
 様々な企画が生み出されても、始めたころの熱気がそのまま維持・発展していくケースは多くありません。大抵は、年を経るにつれて勢いを失い、やがて消滅に至るのが普通ですから、「九条連」とて例外で
はないと考えれば、いまさらじたばたしても始まらないのかもしれません。ただ私としては、「九条連」にここまで付き合った以上、最後まで見届ける責任があるだろうと思っています。
 ・・・というかなり悲観的な感想は、昨年の参加状況を踏まえてのものですが、ここに来て、「これが最後の九条連かもしれない」別の要因が浮上しつつあるようなのです。
 今のところ、この点に詳しく触れるだけの情報を私個人は持ち合わせていませんので、これ以上書く訳
にはいきませんが、2014年の憲法記念日に開催される憲法集会(講師:内田樹氏)の後援を求められた神戸市が、「憲法に関しては、『護憲』『改憲』それぞれ政治的な主張があり、憲法に関する集会そのものが、政治的中立性を損なう可能性がある」として後援不承諾としたこと、同年6月、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」という俳句が俳句教室会員の互選によって公民館報に載せる句に選ばれながら、公民館(さいたま市)が独断で掲載を中止したこと(この事件はその後、さいたま市を被告とする訴訟に発展)などが、決して対岸の火事などではないのだということを私たちは自覚する必要があります。
 現に、先の参院選の最中、「選挙に行こうよ」と街頭でアピールしていた女性たちに対し、和歌山県
が「集団示威行為であり、県条例に違反する」と警告したではありませんか(「選挙に行こう」と呼びかけることは集団示威運動か?~市民連合わかやま有志弁護士から和歌山県警に対する申入書(2016年7月1日)/2016年7月4日)。
 私たちは、「世界に誇る平和憲法9条を守り、再び戦争の惨禍が起こることのないよう活動」すること
や、「平和な日本を築き上げてきた憲法9条に感謝しながら、力いっぱい踊」ることが出来て当たり前だと思ってきましたよね。
 そのような「当たり前」が「当たり前」でなくなりつつある世界に私たちは現に生きているのだということを認識した上で、一人一人が今年の「九条連」に参加するかどうを決めて欲しいと切に願っています。
(引用終わり)
 
 最後に付言すると、今年の8月6日に開催された第48回紀州おどりに、市民有志による「九条連」(憲法9条を守る和歌山弁護士の会と9条ネットわかやまによる共同呼びかけ)は、2005年以来11回目の出場を無事果たしました(2014年は荒天により中止)。参加者数も、危機バネが働いたからか、前年のほぼ倍の約80人が参加してくれました。
 弁護士9条の会が弁護士会に人権救済を申し立てる全国初の事例とならぬよう、今後とも、和歌山市国分寺市のような愚かな判断をせぬよう願っています。
 これが、私が「国分寺まつり人権救済申立事件」に注目する大きな理由の1つです。
 

(付録)
『めぐり逢い』 演奏:長野たかし&森川あやこ