wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述

 今晩(2016年9月6日)配信した「メルマガ金原No.2561」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
 
 去る9月2日(金)午後2時から、東京地方裁判所で最も広い103号法廷において、安保法制違憲・国家賠償請求事件(原告457名)の第1回口頭弁論が開かれたことは、既に本メルマガ(ブログ)でお伝えしたとおりです(東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)/2016年9月3日)。
 そして、上記記事を書いた時点ではまだ「安保法制違憲訴訟の会」ホームページに掲載されていなかった、
 〇被告(国)「答弁書」
 〇訴訟代理人・原告陳述集(報告会資料)
が、その後アップされました。

 そこで、今日は、裁判後の報告集会で資料として配付された原告訴訟代理人(5名)・原告本人(5名)の各陳述のうち、訴訟代理人5名の陳述をご紹介しようと思います。
 陳述自体には、特にタイトルが付されている訳ではありませんが、まことに僭越ながら、私が勝手に拙いタイトルを考えてみると、以下のようになりました。
 
寺井一弘弁護士
 「この訴訟の意義~裁判所に訴える」
角田由紀子弁護士
 「原告らが受けた具体的な被害について」
福田 護弁護士
 「憲法9条に風穴を開け立憲主義・民主主義を蹂躙した安保法制法」
伊藤 真弁護士
 「安保法制法の制定は国会の立法行為に国家賠償請求が認められる例外的な場合にあたる」
中鋪美香弁護士
 「被爆地・長崎から~被爆者が願う「恒久の平和」を踏みにじる安保法制」
 
入廷前の寺井一弘弁護士 とりわけ、弁護団長とは名乗っておられませんが、寺井一弘弁護士(「安保法制違憲訴訟の会」共同代表)のこの訴訟にかけた決意を一読し、私自身、身の引き締まる思いがしました。寺井先生は、日本弁護士連合会事務総長、日本司法支援センター(法テラス)理事長などを歴任された方であり、本来、功成り名遂げた長老格の弁護士として、悠々自適の生活を送ることも可能であったはずですが、「今回の明らかな憲法違反である安保法制の強行は私の母と同じような生き方をしてこられた多くの方々と私自身の人生を根底から否定するものであると痛感して、残された人生を平和憲法と民主主義を踏みにじる蛮行に抵抗するための仕事に全てを捧げようと決意して代理人を引き受けることに」されたのでした。
 そして、「おそらくこうした思いは本日裁判所に出頭されている方々を含めて多くの原告や代理人が共通にされていると思います。」という言葉は、既に全国の安保法制違憲訴訟に立ち上がった原告や代理人の気持ちを代弁するだけではなく、あとに続くはずの多くの原告(となり得る者)や代理人(となり得る弁護士)に対する叱咤激励であると受け止めました。
 是非多くの方に熟読玩味していただきたいと思います。
 
※上に掲載した写真は、「安保法制違憲訴訟の会」公式Facebookに掲載された写真を借用したものです(9月2日、東京地裁前にて、入廷前の寺井一弘弁護士)。
 
 なお、第1回口頭弁論終結後の記者会見と報告会の動画(UPLAN)も再掲しておきます。
 
20160902 UPLAN【裁判所前広報・記者会見・報告集会】安保法制違憲・国家賠償請求訴訟第1回口頭弁論(2時間24分)

冒頭~ 裁判前の東京地裁前での集会
40分~ 記者会見
1時間10分~ 報告集会
司会 杉浦ひとみ弁護士
1時間10分~ 寺井一弘弁護士 あいさつ
1時間24分~ 黒岩哲彦弁護士 第1回口頭弁論の裁判の様子
1時間35分~ 伊藤真弁護士 裁判の法的な展開について
1時間43分~ 原告・堀尾輝久さん
1時間48分~ 原告・菱山南帆子さん
1時間51分~ 原告・辻仁美さん
1時間56分~ 原告・河合節子さん
2時間00分~ 原告・新倉裕史さん
2時間04分~ 福田護弁護士 訴訟の今後の展開  
2時間13分~ 質疑応答
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 寺 井  一 弘
 
 私は、「安保法制を違憲とする国家賠償請求訴訟」の代理人の一人である弁護士の寺井一弘であります。本件訴訟の第一回期日である本日に私ども代理人と原告の方々に意見陳述の機会を与えていただいた裁判所に心から感謝して敬意を表したいと思っております。  

 私からはまず、本件訴訟にかける私自身の思いとなにゆえに多くの市民と弁護士がこの裁判を提訴したか、それについて率直な考えを述べさせていただきたいと思います。ご承知の通り、安倍政権は昨年9月19日にわが国の歴史上に大きな汚点を残す採決の強行により集団的自衛権の行使を容認する安保法制を国会で成立させ、3月29日にこれを施行いたしました。そして安倍首相は憲法改正に着手することを明言し、7月の参議院選挙では与党を中心とした改憲勢力が3分の2を占めるという結果となりましたが、今日の事態はわが国の平和憲法と民主主義を守り抜いていくにあたって、きわめて深刻であると言わなければなりません。
 私は昨年9月19日の夜、集団的自衛権行使容認の閣議決定の具体化としての安保法制の採決が強行された時、国会周辺に集まった多くの市民の方々とともにわが国の平和憲法が危機に瀕していること、70年間以上にわたって「一人も殺されない、一人も殺さない」という崇高な国柄が一夜にして崩壊していくのではないかということを強く実感させられました。憲法9条がなし崩し的に「改正」させられていくことへの恐怖と国民主権と民主主義が最大の危機に陥っていることを憂える市民の方々、老人、女性、労働者、若者たち
の表情の一つ一つは今も私の脳裏に焼きついております。そして、私はその場で戦前、戦中、戦後の時代を苦労だけを背負って生き抜いた亡き母のことを想い出しておりました。
 
 私ごとでまことに恐縮ですが、私の生い立ちと母のことについて若干お話しすることをお許しいただきたいと思います。私の生き方の原点につながり、今回の違憲訴訟の代理人になったことに深く関わっているからです。 
 私は日本の傀儡国家であった中国満州の「満州鉄道」の鉄道員だった父と旅館の女中をしていた母との間に生まれ、3歳の時にその満州で終戦を迎えました。8月9日のソ連軍の参戦により、満州にいた日本人の生命の危険はきわめて厳しくなり、私の父も私を生かすため中国人に預ける行動に出たようです。しかし、私の母は父の反対を押し切り、残留孤児になる寸前の私を抱きしめて故郷の長崎に命がけで連れ帰ってくれました。
 引揚者として原爆の被災地である長崎に戻った私ども家族の生活は、筆舌に尽くせないほど貧しく、母は農家で使う縄や筵をなうため朝から晩まで寝る時間を削って働いていました。最後は結核になって病いに伏せてしまいましたが、母はいつも私に「こうして生きて日本に帰ってこれたのだからお前は戦争を憎み平和を守る国づくりのため全力を尽くしなさい」と教え続けてくれました。
 その母も今やこの世を去ってしまいましたが、若し9月19日の参加者の中に母がいたならば、涙を流しながら私の手を握りしめて悲しい表情をしていたのは間違いないだろうと考えていました。
 私はこうした母の教えを受けて弁護士となり、これまで憲法と人権を守るためささやかな活動をしてきましたが、今回の明らかな憲法違反である安保法制の強行は私の母と同じような生き方をしてこられた多くの方々と私自身の人生を根底から否定するものであると痛感して、残された人生を平和憲法と民主主義を踏みにじる蛮行に抵抗するための仕事に全てを捧げようと決意して代理人を引き受けることにいたしました。おそらくこうした
思いは本日裁判所に出頭されている方々を含めて多くの原告や代理人が共通にされていると思います。
 
 ところで私どもは、昨年9月に「安保法制違憲訴訟の会」を結成してこれまで全国の憲法問題に強い関心を持つ弁護士仲間と平和を愛する市民の皆様に対して、共に違憲訴訟の戦いに立ち上がるよう呼びかけて参りました。その結果、本日までに全国すべての各地から1000名近くの弁護士が訴訟の代理人に就任し、訴訟の原告となられた方は現在までに全国で2700名となっております。この勢いは今後もさらに広がっていき、全国的に怒涛のような流れになっていくことは間違いありません。
 そして私どもは本年4月26日に「国賠訴訟」と「差止訴訟」を東京地方裁判所に提訴しましたが、東京地裁以外においては、4月に原発事故発生地での福島地裁いわき支部、そして高知、大阪、長崎、岡山、埼玉、長野、女性グループからの提訴が相次ぎ、今後、札幌、仙台、横浜、群馬、名古屋、京都、広島、山口、愛媛、福岡、熊本、宮崎、鹿児島などでも提訴が準備されています。それとともに東京、大阪などでは第二次、第三次の提訴がなされますので、その動きは時を追って急速に全国に拡大されていくものと考えています。
 私どもは圧倒的多くの憲法学者最高裁長官や内閣法制局長官を歴任された有識者の方々が安保法制を憲法違反と断じている中で、行政権と立法権がこれらに背を向け、国会での十分な審議を尽くすことなく安保法制法の制定を強行したことは、憲法の基本原理である恒久平和主義に基づく憲法秩序を根底から覆すものだと考えております。このような危機に当たって、司法権こそが憲法81条の違憲審査権に基づき、損なわれた憲法秩序を回復し、法の支配を貫徹する役割を有しており、またその機能を発揮することが今ほど強く求められているときはないものと確信しています。私どもは、裁判所が憲法の平和主義原理に基づく法秩序の回復と基本的人権保障の機能を遺憾なく発揮されることを切に望むものです。
 
 最後に、現政権はこの安保法制問題について国民が「忘却」することをひたすら期待しているようですが、私どもは、こうした策動に屈することなく、これからのわが国の未来のために平和憲法を死守することを絶対に諦めてはならないと考えて今回安保法制の違憲訴訟を提起いたしました。
 裁判所におかれては多くの市民の方々の心からの願いと真摯に向かい合われることを切望して、私からの意見陳述とさせていただきます。
                                        以上
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 角 田  由 紀 子
 
1 安保法制法の制定は、多くの市民・国民に具体的に大きな苦痛を与えたことについて
 多くの市民・国民は、現行憲法のもとで少なくとも戦争とは無縁に平和に生きることを保証されてきました。戦後71年、この国は戦争によって国民が人を殺したり、殺されたりすることはただの1度も経験することがありませんでした。これは、国際的に見れば極めて異例なことです。言うまでもなく、それを可能にしてきたのは、憲法9条の存在です。しかし、安保法制法の制定は、一挙にそれを覆したのです。多くの市民・国民が安保法制法の制定に反対して国会前に集まり、あるいは様々な場所で声を上げ続けたのは、憲法9条を葬りさるかのような法律の制定を認められなかったからです。国民が国内外で命の危険にさらされること、場合によっては戦争行為に加担させられるであろうことには、どうしても納得できないからです。
 
2 市民・国民が受けた具体的な被害について
 本件の原告らには様々な人が含まれています。年代も経験もさまざまです。実際に第2次世界大戦を経験した人々も含まれています。それらの人たちにとっては、安保法制が現にもたらしている苦痛は言葉にできないものがあります。それらの人々が実際に経験した地獄を、71 年後に再び目の当たりにさせられるものだからです。確かに戦争の姿は、第2次世界大戦のそれと現代のそれとは同じではないでしょう。しかし、人を殺すことが戦争の究極の目的であることは、今も同じです。本件原告である戦争体験者の語る恐怖や苦痛は、戦争によって被害を受けた者としてのそれです。今回の安保法制法の制定によって、これらの原告が感じる苦痛は、自分たちの過去の筆舌に尽くしがたい悲惨な体験に基づいたものです。今回の法制定は、過去のものであった苦痛を現実のものとして原告らに再体験をせまっています。空襲被害や原爆被害は、どのように表現しても語り尽くせないものであり、その心身の苦痛は、今も癒えることがありません。そのような原告たちにとっては、トラウマ体験を再来させる行為が今回の法制定です。被害は将来起きるかもしれないものではなく、現に起きているのです。
 次に注目しなければならないのは、現に戦争と隣合わせで暮らすことを余儀なくされている原告たちです。アメリカ軍や自衛隊の基地周辺で暮らしている人々です。沖縄はもとより、本土にも多くの米軍基地が置かれています。安保法制法制定以前からこれらの基地周辺に住んでいる人たちは、常に危険と恐怖と隣り合わせで生活することをいわば強制されてきております。しかし、安保法制制定によってその恐怖と危険はさらに強いものとなりました。例えば、原子力空母が配備されている横須賀基地では、戦争と原発被害との2 重苦が現実化することを考えざるを得ないのです。日本がアメリカとともに他国間で戦争になった場合、横須賀は真っ先に攻撃対象となることは、火を見るよりも明らかです。安保法制法は、その危険性をより確かなものにしました。
 基地周辺に暮らす人々の恐怖はすでに現実のものになっています。
 航空機関で働く労働者、船舶で働く労働者、鉄道で働く労働者らは、いったん事があれば、自分の意思に反しても、戦争行為に協力することが求められる立場にあります。これらの労働者は、すでに危険と背中合わせの現場にいます。
 安保法制法により、その危険がさらに増すことを実感しております。
 教育に携わる市民・国民は、安保法制法の制定により、自分の信念に反することを教えることを求められています。例えば、憲法について教える者は、今までの自分が正しいと信じてきたことと政府の立場との大きな違いに戸惑い、学生にどう教えればよいのか悩んでいます。教育者が自分の良心に反することを教えることはできません。しかし、安保法制法はそれを求めるのです。教育者がこのように自分の良心を封印することを求められることは、この上ない精神的苦痛です。それがすでに起きているのです。
 その他の市民・国民もそれぞれに苦痛を味わっております。ごく普通の市民・国民にとって安保法制法を持つ国であっても、ここで生きるしか選択肢はありません。そして平和主義を捨てたとみなされる国に属していることが、外国でのテロの対象になることは、本年7月のバングラデシュでのテロ事件が証明しました。1945年以降、この国に生きてきた人々は、戦争とは無縁でいられることが、何よりも嬉しく、誇らしく、生きる支えになっておりました。どんなに貧しくても、平和に安心して生きることができることが最大の喜びでした。多くの市民・国民には、憲法とともに生き、憲法に育てられてきたという確かな実感があります。憲法は、多くの市民・国民の文字通り人間としての骨格を形作ってきたのです。それを、昨年、多くの市民・国民が目にした理不尽な方法で奪われ、戦争に連なる恐怖や不安にさらされることで原告たちは深く傷つけられております。さらに、この痛みは、原告たちにとどまらず、未来に生きる子どもたちをも傷つけるものです。
 原告らは、司法が、この人権の危機において本来の任務を果たすことを切望しております。
                                        以上
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 福  田    護 
 
1 憲法9条は、政府が戦争を起こさない防波堤
 憲法9条は、戦後70年間、この国が「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないやうに」するための、大きな防波堤であった――私はそう考えています。
 憲法9条は、戦争の放棄からさらに進んで、戦力を持たない、交戦権を否認するという世界に比類のない規定をしています。これらの規定をどう理解するかはいろいろな立場がありますが、少なくとも9条は、自衛権を前提として自衛隊を保有するに至っても、他国の戦争に参加して戦争当事国になることはできないと、政府に歯止めをかけてきたのです。それが、自衛権発動の3要件であり、集団的自衛権の行使の禁止という政府の憲法解釈として、現実的な枠組を作ってきました。山口繁元最高裁長官は、この政府解釈を、「単なる解釈ではなく、規範として骨肉化したもの」と表現しました。
 自衛隊の海外派遣の禁止の原則も、自衛隊イラク派遣による支援活動のように危険なきわどい状況もありましたが、それでもその活動を「非戦闘地域」に限定し、武力を行使する他国への武器・弾薬等の提供を禁止し、他国の武力行使と一体化して戦争当事国とならないための枠組を制度的な担保として設定してきました。
 これらの政府の憲法9条解釈は、自衛隊創設以来、内閣法制局を中心に、60年にわたって積み上げられてきました。このようにして憲法9条は、政府と自衛隊の行動を制約し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないように、その防波堤になってきたのです。
 
2 新安保法制法は、憲法9条の堤防に大きな穴を開けた
 新安保法制法は、こうして営々と積み上げてきた政府の憲法解釈の安全弁、制度的保障を、ことごとく突き崩そうとするものです。集団的自衛権の行使の容認はもちろん、後方支援活動も、「現に戦闘行為が行われている場所」以外なら戦争中の他国に弾薬の提供までもできるようにするなど、自衛隊が他国の武力の行使と一体となってしまい、敵国の攻撃にさらされかねない極めて危険なものに変貌しました。
 それを超えたら違憲だという一線を、新安保法制法は明らかに踏み超えました。憲法9条の堤防は、大きな穴を開けられてしまいました。
 国際情勢の水位が上がれば、堤防は決壊を免れません。南スーダンのPKOも心配です。そこにはもはや停戦合意などない状態なのに、自衛隊は、PKO5原則に基づいて撤退するどころか、新法に基づく新たな任務としての駆け付け警護や、その任務を遂行するための強力な武器使用まで準備されている状況にあります。戦後70年を超えて初めて、武力紛争による死者が出かねません。
 新安保法制法は、地理的な限定を取り払って、自衛隊が世界中に、随時派遣され、米軍等の戦争に参加し、あるいは戦争を支援できる体制を作り、日本が戦争当事国となったりテロ攻撃にさらされたりする機会と危険を大きく拡大したのです。
 
3 新安保法制法の制定過程での立憲主義・民主主義の蹂躙
 新安保法制法の制定過程は、憲法9条の内容を変えただけではありません。安倍内閣は、集団的自衛権の禁止を堅持してきた内閣法制局の長官を更迭して容認論者に入れ替える異例の人事を強行しました。閣議決定と法律の制定という方法で解釈改憲をするいわば下克上により、憲法の根本理念である立憲主義を蹂躙しました。
 国会に法案を提出する前に、同様の内容をアメリカと約束する新ガイドラインを先行して締結し、安倍首相はアメリカの上下両院合同議会で「夏までには法案を成就させる」と表明しました。
 国会軽視も甚だしいものですが、その国会審議では、ホルムズ海峡の機雷掃海の必要性などの立法事実がないことが露呈してきたにもかかわらず、採決が強行されました。速記も残らない大混乱の中での参議院特別委員会の採決に象徴されるように、言論の府における代表制民主主義が蹂躙されました。
 内閣が暴走し、政府のご意見番としての内閣法制局の権威が失墜し、国会は機能不全に陥って民意を代表しない状況のもとで、新安保法制法が施行されました。その適用による国民・市民の権利の侵害に対し、司法による積極的な憲法解釈が、この国のためにどうしても必要であると考えます。
                                        以上
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 伊  藤    真 
 
1 最高裁昭和60年判決と平成17年判決
 本件訴訟においては,原告は、国会の新安保法制法の制定行為が国家賠償法上の公権力の行使として違法であることを主張している。この点に関し、いわゆる在宅投票制度訴訟の上告審判決(最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁。以下,「昭和60年判決」という。)において,「国会議員の立法行為は、立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき、容易に想定し難いような例外的な場合でない限り、国家賠償法一条一項の規定の適用上、違法の評価を受けない」とされた。
 しかし、その後,最高裁は,いわゆる在外邦人選挙権制限違憲訴訟上告審判決(最高裁判所大法廷平成17年9月14日民集59巻7号2087頁。以下,「平成17年判決」という。)において,上記昭和60年判決を維持しつつも,国会議員の立法行為が国家賠償法1条1項の適用において違法となるとして,原告に対する国家賠償を認容している。
 そこでは、「立法の内容が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合」にも例外的に,国会議員の立法行為は,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けるものとされた。
 この2つの判決の関係について、再婚禁止期間に関する最高裁大法廷平成27年12月16日判決の判例評釈を執筆された加本牧最高裁判所調査官は,「昭和60年判決は、違法になる場合をその例示のような事案以外につき一切否定したものとは解されないし、平成17年判決も、立法行為等の違法性が認められる場合が『例外的な場合』であるとする点で同旨」と述べている(「最高裁大法廷 時の判例」ジュリスト1490号94頁)。
 
2 ハンセン病訴訟熊本地裁判決の考慮要素について
 事例判断という点で、参考になるものが、いわゆるハンセン病訴訟熊本地裁判決(熊本地裁平成13年5月11日判決)である。そこでは、少数者の人権保障を脅かしかねない危険性、新法の隔離規定が存続することによる人権被害の重大性とこれに対する司法的救済の必要性等が検討されている。
 結局、「立法の内容が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合」(平成17年判決)には、例外的に立法行為の違法性が肯定され、その判断にあたっては、少数者の人権保障を脅かしかねないか、人権被害が重大か、司法的救済の必要が高いかなどの考慮要素を検討するべきなのである。
 
3 本件は国家賠償が認められるべき例外的な場合である
 本件の新安保法制法の立法行為は,明白な違憲立法の制定行為であり,「立法の内容が国民に憲法上保障されている権利を違法に侵害するものであることが明白な場合」にあたる。すなわち、新安保法制法の制定行為は,歴代の日本政府の見解が違憲であるとしてきた集団的自衛権の行使や非戦闘地域以外における後方支援を認めるものであり,戦争被害者、原爆被害者、基地周辺住民等として特に、平和的生存権、人格権の重大な侵害を受けている少数者の人権被害を招いている立法行為である。また、内閣法制局による事前の憲法統制がこれまでのように機能しなかったのであるから、司法的な救済の必要性は極めて高いといえる。多くの憲法学者、元内閣法制局長官、元最高裁長官までもが違憲と指摘する法律を採決の強行により制定してしまうことは、これまで前例がなく「極めて特殊で例外的な場合」にあたる。
 以上から、本件新安保法制法の国会議員による制定行為は、国家賠償法1条1項の適用上、優に違法と評価されるべきものである。
 
4 最後に
 この後の原告らによる意見陳述から明らかなように、原告らは一様に、今回の新安保法制による憲法破壊、憲法9条の平和主義の毀損によって、大きな精神的苦痛を被っている。この原告らの損害の重大性、人権侵害の重大性を判断するためには、どれほど無謀な憲法破壊が行われたのか、憲法9条がどのように破壊されたのかを明らかにする必要がある。つまり、新安保法制の違憲性を判断しなければ、原告らの被害の重大性も、立法行為の違法性も判断することができないのである。
 裁判所には今回の新安保法制の立法内容の違憲性に真正面から向き合って、原告の救済を図る責務があると考える。そしてその判断を通じて、この国の憲法秩序を回復する重大な職責があると考える。
 この裁判では、多岐にわたる論点を争うことになるが、憲法秩序を破壊する政治部門に対して司法がどうあるべきか、その姿勢と司法の存在意義が問われていることは間違いない。裁判を多くの国民が注視している中、国民の司法への期待と信頼を裏切ってはならないこと、そして憲法価値を実現する職責が裁判所にあることを、この裁判の冒頭に申し添えておきたい。
                                        以上
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 中 鋪  美 香
 
 私は,本件訴訟の代理人の一人である弁護士です。また,現在,長崎で提起されている新安保法制違憲国賠訴訟の弁護団の一人でもあります。
 本訴訟の原告には,被爆者の方々がいらっしゃいます。また,長崎で提起した訴訟の原告は,その多くが被爆者です。
 これまで,被爆地長崎において被爆関連訴訟に携わり,原爆を体験した者たちの,戦争に対する思いを知る者として,この機会に意見を述べさせて頂きます。
 
 今から71年前の1945年8月9日,長崎へ投下された原子爆弾は,その強烈な熱線と爆風,強い放射線により,7万人もの命を一瞬で奪い去りました。
 熱線や爆風,初期の強い放射線を免れ,火の海を彷徨い,なんとか生き延びた者たちも,原子爆弾特有の残留放射能の影響により,その後,次々と命を奪われていきました。
 放射線は,人の細胞の遺伝子レベルにまで作用し,戦争が終わった後も,被爆者に,がんや白血病等,様々な病気をもたらしました。さらに,放射線の遺伝的な影響により,被爆者だけにとどまらず,その子や孫までもが,健康不安に脅かされています。原子爆弾放射線は,71年経った今でも,被爆者たちを苦しめ続けているのです。
 
 この原子爆弾による非人道的な被害について,政府は,昭和32年の原爆医療法制定以来、法令の改正を重ねながら、被爆者援護施策を実施してきました。
 現在,「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」,いわゆる「被爆者援護法」により,被爆者に対する医療や福祉等の援護が実施されています。
 
 その被爆者援護法の前文には,次のような言葉が宣明されています。
 「昭和二十年八月、広島市及び長崎市に投下された原子爆弾という比類のない破壊兵器は、幾多の尊い生命を一瞬にして奪ったのみならず、たとい一命をとりとめた被爆者にも、生涯いやすことのできない傷跡と後遺症を残し、不安の中での生活をもたらした。…
…我らは、再びこのような惨禍が繰り返されることがないようにとの固い決意の下、世界唯一の原子爆弾の被爆国として、核兵器の究極的廃絶と世界の恒久平和の確立を全世界に訴え続けてきた。
 ここに、被爆後五十年のときを迎えるに当たり、我らは、核兵器の究極的廃絶に向けての決意を新たにし、原子爆弾の惨禍が繰り返されることのないよう、恒久の平和を念願するとともに,国の責任において,…被爆者に対する…総合的な援護対策を講じ,あわせて,国として原子爆弾による死没者の尊い犠牲を銘記するため,この法律を制定する。」
 
 しかし,この崇高な決意とは裏腹に,政府は,再び戦争を可能にするような安保法制を推し進めています。
 政府の進める安保法制は,他国の戦争に巻き込まれるリスクや不安を伴うものであり,憲法および被爆者援護法がその前文で謳う,「恒久の平和」とは相容れないものです。
 
 長崎・広島で原爆を体験した被爆者たちは,原爆投下によって地獄のような光景を目の当たりにし,その後も,放射線の影響による健康被害や健康不安を抱え,戦後71年経った今でも,なお癒えぬ心身の苦痛とともに生活しています。
 今回,新安保法制法が制定されたことによって,被爆者たちは,かつての地獄を思い出し,再び原爆被害に遭うのではないか,子供や孫までもが自分と同じ目に遭うのではないかと,強い不安や恐怖を感じています。
 さらに,被爆者たちは,悲惨な戦争を体験したことで,憲法が定める平和主義を何よりも尊重し,その平和主義の実現を心から望んでいます。そのため,政府・与党が,自分たちの意に反し,憲法の掲げる平和主義に反する新安保法制法を強行的に制定したことにより,耐えがたい苦痛を感じています。
 新安保法制法の制定は,こうした,被爆者たちの人格権,平和的生存権憲法決定権といった人権を侵害する行為なのです。
 
 長崎原爆の被爆者をはじめ,全国で新安保法制違憲国賠訴訟の原告となっている者たちは,裁判所に対し,平和主義実現への一縷の望みを託しています。裁判所が,憲法に保障された人権を守る最後の砦となることを願って,私の意見陳述とさせていただきます。
                                        以上
 

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2016年9月3日
東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)
※この記事の末尾に、それまで私のブログで安保法制違憲訴訟を取り上げた記事にリンクしておりますので、ご参照願います。