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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

安倍内閣は「憲法99条は内閣総理大臣が憲法改正を主張することを禁止する趣旨のものではない」と断定した

憲法 政治
 今晩(2017年2月18日)配信した「メルマガ金原No.2727」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
安倍内閣は「憲法99条は内閣総理大臣憲法改正を主張することを禁止する趣旨のものではない」と断定した

 私が憲法問題についての学習会講師を頼まれるようになったのは、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の2代目事務局長となった2006年1月以降のことですから、もう10年以上が経っていますが、その中で、「立憲主義」をどう説明したものかということについては試行錯誤の連続でした。
 その10年間の紆余曲折の末にたどりついた現在の説明の見本を、(長くなりますが)末尾に掲載しておきます。これは、2016年6月15日(水)、「憲法をまもりくらしに活かす田辺・西牟婁会議」主催の学習会用に書いたレジュメからの抜粋です(自民党「日本国憲法改正草案」批判レジュメ~2016年参院選直前ヴァージョン)。
 そこに書きましたように、日本国憲法「第10章 最高法規」を構成する第97条~第99条は、緊密な論理的つながりをもって、我が国が「立憲主義」の原理に立つことを宣明した諸規定であり、公務員の憲法尊重擁護義務を定めた第99条は、単なる訓示規定にとどまるようなものではなく、日本国憲法の骨格をなす重要条文の1つなのです。
 
日本国憲法(昭和二十一年十一月三日憲法)
第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 
 その「国務大臣」全体を首長として統括する内閣総理大臣が、国会における施政方針演説で、「憲法施行七十年の節目に当たり、私たちの子や孫、未来を生きる世代のため、次なる七十年に向かって、日本をどのような国にしていくのか。その案を国民に提示するため、憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか。」(2017年1月20日・第193回国会・衆議院本会議における安倍晋三内閣総理大臣の施政方針演説より)と国会議員に呼びかけることは、三権分立立憲主義、何より日本国憲法第99条によって課された憲法尊重擁護義務に違反するのではないのか?ということは当然いだかれる疑問です。
 
 そして、今国会で、この点を直截に質す質問主意書を提出した議員がいるということを、マガジン9に南部義典さんが連載している「立憲政治の道しるべ 第112回 憲法改正論議の呼びかけは、憲法違反ではない」異例の政府答弁書を読む」を読んで知りました。
 
 その議員とは、逢坂誠二衆議院議員民進党・無所属クラブ)です。
 逢坂議員の質問主意書(2回行われています)と、それに対する内閣の答弁書を以下に全文ご紹介しようと思いますが、まずその前に、南部義典さんが、安倍首相による改憲呼びかけ演説をどう評価しているかをご紹介しておきましょう。私も全く同感です。
 
(抜粋引用開始)
 内閣総理大臣は、国会の慣例によって毎年1月に召集される通常国会の冒頭、その1年の取り組み方針を政策項目ごとに述べます。これを施政方針演説といいます。施政方針演説は、召集の日に行われること
が多く、衆議院参議院それぞれの本会議場で、同一の演説内容で行われます。
 安倍総理はこれまで6回、施政方針演説を行っています。過去の演説を改めて検証してみると、2013年を
除く計5回、憲法改正に関して言及しています。
 2013年、「言及なし」が一度だけあります。この年は、7月に参議院議員選挙が控えていたため、いわゆる「安倍(的保守)色」を封印して、安全運転の政権運営を以て、選挙の勝利を導こうとした思惑があったと言われています(⇒選挙の結果、自由民主党は31議席増となり、歴史的大勝を収めました)。しかし
、翌2014年以降になると態度が一変し、その後一貫して、憲法改正論議を堂々と呼びかけているのです。
 何より着目すべきは、ことし(2017年)の発言です。「憲法審査会」という衆議院参議院の常設機関を直接、名指ししているからです。内閣総理大臣憲法上、行政権を司る内閣の首長であることは間違いありませんが(66条1項)、立法権を司る国会、つまり衆議院参議院の運営等に関して、内閣、内閣総理大臣には何の権限も認めていません(権力分立の原則)。「憲法審査会」をどのように運営していくかは
専ら、各議院の裁量に属する事項です。
 憲法改正に対する安倍総理の執着心は、すべての議員が知るところであり、特段珍しくもないというのが率直な受け止めかも知れません。しかし、憲法改正論議の呼びかけは、年々自制が利かなくなり、露骨さを増してきています。今や、一人の政治家としての意見の表明を超えた「悪しき容喙(ようかい)=口
出し」であり、国会の権限を侵害する(憲法違反)に至っているというのが私の認識です。
(引用終わり)
 
 それでは、以下に、逢坂誠二衆議院議員民進党・無所属クラブ)による質問主意書とそれに対する内閣答弁書を引用します。
 
平成二十九年一月二十三日提出 質問第一六号
内閣総理大臣が国会に対して憲法改正の議論を促すことのできる根拠に関する質問主意書
提出者 逢坂誠二

(引用開始)
 安倍総理は、平成二十九年一月二十日の第百九十三回国会の施政方針演説の中で、「憲法施行七十年の節目に当たり、私たちの子や孫、未来を生きる世代のため、次なる七十年に向かって、日本をどのような国にしていくのか。その案を国民に提示するため、憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」(「本発言」という。)と述べ、憲法改正に関する国会議論を促すような発言を行っているが、この発言に限らない一般論として、内閣総理大臣憲法及び国会の関係に関して疑義があるので、以下質問す
る。
一 内閣総理大臣が、国会に対してどのような根拠によって憲法改正に関する議論を促す権限を有してい
るのか。根拠法とともに、その権限を持つ理由について具体的に示されたい。
二 内閣総理大臣は、行政府の長であり、何らかの国会の議論のあり方を促すのは、三権分立の観点から
適切ではないと思われるが、政府はどのような見解を持っているのか。具体的に示されたい。
三 本発言は、内閣総理大臣としての安倍晋三氏の立場で行われたのか。あるいは、平成二十八年十月五日の参議院予算委員会でいうところの「自民党の総裁の立場としては、既にこの憲法改正草案が、これは谷垣総裁当時に自民党で議論を重ねた末取りまとめられたわけでございますが、自民党に対しましては総裁として、この草案の下にまとまってしっかりと憲法審査会において議論してもらいたいということは話をしております」と表明しているところの、自民党総裁である安倍晋三氏の立場で行われたのか。政府の
見解を示されたい。
四 安倍総理は、平成二十八年十月五日の参議院予算委員会で、「憲法審査会はなぜつくられたかということでございますが、まさに憲法を審議する場において、これはつくられたわけでございます。私は、ここに立っておりますのは、行政府の長として、今回政府として提出をした補正予算、そして、あるいはまたこの補正予算に関わる法案等々についてここで答弁をする義務を果たしていくわけでございまして、憲法につきましてはまさに国会において議論をしていく、衆議院参議院で発議をする、責任と誇りを持って発議をされる」と答弁しているが、行政府の長である内閣総理大臣が本発言で「憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と促すことは、「衆議院参議院で発議をする、責任と誇り」を傷つ
け、「行政府の長として」「答弁をする義務を果たすこと」に反しないか。政府の見解を示されたい。
五 憲法は、国家権力の監視と抑制を行う規範であり、改正発議は議会がその自由意思で「責任と誇りをもって発議」するべきものであり、行政府の長である内閣総理大臣が議論を促すべきものではない。憲法は国家権力の濫用を縛るものであり、縛られる対象である行政府の長が自らその内閣総理大臣としての施政方針演説の中で規範の改変を促すことは、明らかに則を越え、三権分立に反するものであると考えるが
、政府の見解を示されたい。
 右質問する。
(引用終わり)
 
平成二十九年一月三十一日受領 答弁第一六号
内閣衆質一九三第一六号 平成二十九年一月三十一日
内閣総理大臣 安倍晋三
衆議院議員逢坂誠二君提出内閣総理大臣が国会に対して憲法改正の議論を促すことのできる根拠に関する
質問に対する答弁書

(引用開始)
一及び二について
 御指摘の「憲法改正に関する議論を促す権限」及び「何らかの国会の議論のあり方を促す」の意味する
ところが必ずしも明らかではないが、内閣総理大臣は、憲法第六十三条の規定に基づき議院に出席することができ、また、国会法(昭和二十二年法律第七十九号)第七十条の規定に基づき、内閣総理大臣が議院の会議又は委員会において発言しようとするときは、議長又は委員長に通告した上で行うものとされてい
る。
 議院の会議又は委員会において、憲法第六十七条の規定に基づき国会議員の中から指名された内閣総理大臣が、憲法に関する事柄を含め、政治上の見解、行政上の事項等について説明を行い、国会に対して議論を呼び掛けることは禁じられているものではなく、三権分立の趣旨に反するものではないと考えている

三から五までについて
 御指摘の「内閣総理大臣が本発言で「憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と促すことは、「衆議院参議院で発議をする、責任と誇り」を傷つけ、「行政府の長として」「答弁する義務を果たすこと」に反しないか」及び「規範の改変を促す」の意味するところが必ずしも明らかではないが、御指摘の施政方針演説は安倍内閣総理大臣が行ったものであり、一及び二についてでお答えしたとおり、議院の会議又は委員会において、憲法第六十七条の規定に基づき国会議員の中から指名された内閣総理大臣が、憲法に関する事柄を含め、政治上の見解、行政上の事項等について説明を行い、国会に対して議論を呼び掛けることは禁じられているものではなく、三権分立の趣旨に反するものではないと考えている

(引用終わり)
 
 質問されたことにまともに答えずにはぐらかすというのは安倍晋三首相の得意の答弁パターンですが、この質問主意書に対する答弁も全く同断です。
 この点については、南部義典さんがマガジン9に書かれた批判を引用しておきましょう。
 
(抜粋引用開始)
 国会議員の中から指名された内閣総理大臣が(憲法67条1項)、衆議院参議院の要求に応じて委員会等に出席し、答弁している限りでの話であるから(同63条)、憲法上問題はない。これが、答弁書に示され
た、内閣の言い分です。
 しかし、逢坂議員の質問とは、論点がズレてしまっていて、きわめて不明瞭です。そもそも、63条、67条1項は、権力分立に関する総括的な規定ではありません。それぞれ、国務大臣等の議院出席・答弁義務、内閣総理大臣の指名議決の件を定めているにすぎず、国会と内閣の関係性を解くための一般法理を導くことはできないのです。どう寝転んでも、63条、67条1項の解釈から、内閣総理大臣衆議院参議院の委員
会、本会議で憲法改正論議の呼びかけを行うことの「合憲性」は引き出せません。
 仮に、この「論理」を用いるならば、「各地の高等裁判所は、一票の較差問題に関して、違憲無効判決を下すべきではない」「沖縄県辺野古の埋め立て承認を取り消した件につき、処分を撤回するよう、裁判所は毅然と判断すべきである」といった意見を、裁判所に対して呼びかけることも憲法上問題ないとい
うことになってしまうでしょう。
(引用開始)

 南部さんが「仮に」以降で書かれたことは、本来であれば、実際に起こるはずのない事例ですが、「安倍政権ならやりかねない」と思いませんか?
 この答弁に納得できない逢坂誠二議員は、再度の質問主意書を提出しました。
 
平成二十九年二月一日提出 質問第四三号
内閣総理大臣が国会に対して憲法改正の議論を促すことのできる根拠に関する再質問主意書
提出者 逢坂誠二

(引用開始)
 先般提出した「内閣総理大臣が国会に対して憲法改正の議論を促すことのできる根拠に関する質問主意書」(質問第一六号)に対する答弁書(内閣衆質一九三第一六号。以下「答弁書」という。)の内容に疑
義があるので、以下質問する。
一 平成二十九年一月二十日の第百九十三回国会の施政方針演説における安倍総理の発言は、答弁書でいう「国会に対して議論を呼び掛ける」のではなく、さらに踏み込んだ「憲法審査会で具体的な議論を深めようではありませんか」と行政府の長である内閣総理大臣立法府に対して憲法改正に関する議論を促す
ものであると受け止めているが、この点、政府はどのような認識を持っているのか。見解を示されたい。
二 答弁書でいう「国会に対して議論を呼び掛けることは禁じられているものではなく、三権分立の趣旨に反するものではないと考えている」ということの意味は、安倍総理の当該発言には何ら政治的な拘束力はなく、「政治上の見解」の「説明を行」ったに過ぎず、一定の効果を持つ政治意思の表明ではなかった
と理解して良いか。
三 二に関連して、安倍総理の当該発言は「国会議員の中から指名された内閣総理大臣」の発言であること、「三権分立の趣旨に反するものではない」ことが答弁書で明示されており、一定の政治上の効果を国
会に与えることを意図しているものではないのか。見解を示されたい。
四 日本国憲法第九十九条「天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」との規定によって、総理大臣には日本国憲法を遵守し尊重する義務がある
と認識しているが、政府の見解を明らかにされたい。
五 総理大臣が憲法改正を主張するのは、日本国憲法第九十九条の規定に反すると思われるが、政府の見
解を示されたい。
六 総理大臣が国会に対して、単に憲法に関する議論を促すのではなく、憲法の改正についての議論を促
すことは、日本国憲法第九十九条の義務に反すると思われるが、政府の見解を示されたい。
 右質問する。
(引用終わり)
 
(引用開始)
一について
 御指摘の「さらに踏み込んだ」の意味するところが必ずしも明らかではないが、御指摘の発言は、先の
答弁書(平成二十九年一月三十一日内閣衆質一九三第一六号。以下「前回答弁書」という。)一及び二に
ついてでお答えしたとおり、国会に対して議論を呼び掛けたものと認識している。
二及び三について
 お尋ねの趣旨が必ずしも明らかではないため、お答えすることは困難である。いずれにしても政府としては、前回答弁書一及び二についてでお答えしたとおり、議院の会議又は委員会において、憲法第六十七条の規定に基づき国会議員の中から指名された内閣総理大臣が、憲法に関する事柄を含め、政治上の見解、行政上の事項等について説明を行い、国会に対して議論を呼び掛けることは禁じられているものではな
いと認識している。
四から六までについて
 政府としては、憲法第九十九条は、日本国憲法が最高法規であることに鑑み、国務大臣その他の公務員は、憲法の規定を遵守するとともに、その完全な実施に努力しなければならない趣旨を定めたものであって、憲法の定める改正手続による憲法改正について検討し、あるいは主張することを禁止する趣旨のもの
ではないと考えている。
(引用終わり)
 
 この再度の質問趣旨書に対する内閣答弁で最も重要な部分は、質問と照らし合わせて考えると、「憲法第九十九条は、(内閣総理大臣が)憲法の定める改正手続による憲法改正について検討し、あるいは主張することを禁止する趣旨のものではない」と言い切ったことにあると言うべきでしょう。
 この答弁書の作成には、当然内閣法制局が関与しているはずですが、集団的自衛権行使を容認して以降、「毒を食らわば皿までも」という投げやりな心境なのでしょうかね。
 2015年9月15日の中央公聴会で濱田邦夫元最高裁判事が「今は亡き内閣法制局」と発言した時には、「そこまで言わなくても」と思ったものでしたが、今となってはまことに的確な評言であったと感じ入るばかりです。
 
(参考レジュメ)
2016年6月15日(水) 西牟婁教育会館にて
憲法をまもりくらしに活かす田辺・西牟婁会議
「自民党改憲案を斬る~いま主権者がなすべきこと~」用レジュメ
から
(抜粋引用開始)
5 憲法は誰が守るべきものか(立憲主義とは何か)
 問題続出の自民党改憲案の中でも、とりわけ重大な肝となる条文は、樋口陽一先生、小林節先生が語られているとおり、現行13条「すべて国民は、個人として尊重される。」が「全て国民は、人として尊重される。」に変更され、「個人」が消滅していることでしょう。
 この点については後ほど触れられればと思いますが、以下には、2012年4月27日に自民党改憲案が発表された後、私自身が自民党ホームページに掲載された改憲案をざっと通読した時に最も衝撃を受けた条文「102条1項 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」を中心に、やや詳細に自民党改憲案の反立憲主義ぶりをご紹介しようと思います。
 
 さて、この改憲案を最初の前文から読み始めた人は、「なんて義務規定が多いんだ」と思われるでしょう。ざっと目に付く規定を抜き出してみます。
 
3条2項 日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
9条の3 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確
保しなければならない。
12条後文 国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常
に公益及び公の秩序に反してはならない。
19条の2 何人も、個人に関する情報を不当に取得し、保有し、又は利用してはならない。
21条2項 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びに
それを目的として結社をすることは、認められない。
24条1項後文 家族は、互いに助け合わなければならない。
25条の2 国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようにその保全に努めなければならない。
28条2項前文 公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項
に規定する権利の全部又は一部を制限することができる。
92条2項 住民は、その属する地方自治体の役務の提供を等しく受ける権利を有し、その負担を公平に
分担する義務を負う。
99条3項 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。この場合においても、第十四条、第十八条、第十九条、第二十一条そ
の他の基本的人権に関する規定は、最大限に尊重されなければならない。
102条1項 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
 
 この一々にコメントを付すことも可能ですが、それをやり出すときりがありません。ただ、12条後文は、まず日本語になっていません。改憲派は、現行憲法が翻訳憲法であって日本語としておかしいと批判しますが、十分意味は伝わります。これに対し、自民党改憲案の12条後文はそもそも文法的に成り立ちません。
 
 それはそれとして、私は、この自民党改憲案を、発表されてから遅くとも6日以内には読んでいます。なぜはっきりそう言えるかと言うと、2012年5月3日に配信した「メルマガ金原」で「憲法記念日に考える(立憲主義ということ)」という記事を書いているからです。
  ブログに転載した前編
  ブログに転載した後編
 それは、改憲案102条1項「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。」を読んだ衝撃によって一気に書き上げたものでした。
 私が言わんとしたのはこういうことです。やや長くなりますが、この部分が今日のお話のポイントなので、我慢してお付き合いください。
 
 現行の日本国憲法は、97条から99条までの3箇条で「第10章 最高法規」という章を設けています。引用してみます。
 
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。
第98条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するそ
の他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
第99条 天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
 
 「第1章 天皇」「第2章 戦争の放棄」「第3章 国民の権利及び義務」「第4章 国会」「第5章 内閣」「第6章 司法」「第7章 財政」「第8章 地方自治」「第9章 改正」までは、どういうことが規定されているのか、章の標題だけからでも、ある程度は推測がつくと思いますが、「最高法規」という第10章の標題を読んだだけで何らかのイメージがわく人がどれほどいるでしょうか?実際に3箇条の条文を読んでみたらどうでしょう?
 「どうやら憲法が一番偉い規定であって、他の法律などは憲法に違反すると効力がないということを定めたのかな」位のことは(98条にそう書いてあるのですから)誰でも分かると思いますが、最高法規性を定めた98条と、その前後の97条、99条との関係、何故この3箇条で一つの章をわざわざ設けているのか、ということは少し説明を加える必要があります。
 実は、今日のお話は、この第10章の意義とこれをなきものにしようとしている自民党改憲案の対比を説明すれば、ほぼそれで尽きると言ってもよい位なのです(というか、他にも重要な論点はあるのですが、多分お話している時間がありません)。
 私自身、日本国憲法の条文を初めて通読したのは、大学の1回生として教養課程の「憲法」を受講した時だったから相当昔のことですが、その時は、「第10章 最高法規」の本当の意義は全然分かっていませんでした。
 学生時代の私が何より疑問に思ったのは97条でした。基本的人権の重要性を強調するのであれば、「第3章 国民の権利及び義務」の最初の方に置けば良いし、実際、第3章には既に以下のような条文が置かれています。

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権
、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
 
 大学に入ったばかりの私には97条の存在意義が理解できず、「11条や12条と無駄に重複しているのではないか」などと考えていたものです。97条や99条の重要性を理解するまで、相当時間がかかったように記憶しています。
 ここで、97条及び99条の意義を理解するためのこれ以上ない「反面教師」として、自民党改憲案「第11章 最高法規」を読んでおきましょう。
 
現行の第97条 → 全文削除
憲法の最高法規性等)
第101条 この憲法は、国の最高法規であって、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関する
その他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。
憲法尊重擁護義務)
第102条 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。
 
 どこをどう変えようとしているのかを確認しましょう。
 97条はどうなったか?「全面削除」です。これについて、自民党「Q&A(増補版)」は、「我が党の憲法改正草案では、基本的人権の本質について定める現行憲法 97条を削除しましたが、これは、現行憲法 11 条と内容的に重複していると考えたために削除したものであり、「人権が生まれながらにして当然に有するものである」ことを否定したものではありません。」としています。
 けれども、そらなら何故11条ではなく97条の方を削除したのかについては一言も触れられていません。
 現行98条は、ほぼそのまま101条となっていますが、現行99条の憲法尊重擁護義務はどうなったか?
 まず、現行規定にはなかった「国民」の憲法尊重義務なるものが102条1項として規定されています。
 102条2項には、現行の99条からあえて「天皇又は摂政」を削除した上で、公務員の憲法擁護義務を残しています。
 
 ここで、「立憲主義」とは何かを考えるために、迂遠なようではありますが、日本で最初の近代的「憲法」として制定された「大日本帝国憲法」を振り返っておきたいと思います。
 1888年(明治21年)6月22日(大日本帝国憲法公布の約8か月前)、憲法草案を審議していた枢密院において、議長である伊藤博文が述べた以下の発言は非常に著名なものです。
 
「そもそも、憲法を創設するの精神は、第一君権を制限し、第二臣民の権利を保護するにあり。ゆえに、もし憲法において臣民の権利を列記せず、ただ責任のみを記載せば、憲法を設くるの必要なし」(原文は旧字・カタカナ・句読点なしなので、読みやすくしました)
 
 そして、大日本帝国憲法「第2章 臣民権利義務」の中で、臣民に直接義務を課す規定は、兵役の義務(20条)と納税の義務(21条)を定めた2箇条だけにとどめられていました。
 伊藤博文が正しく指摘しているように、そもそもなぜ憲法を定めるかと言えば、それは国民の権利・自由を保障する(臣民の権利を保護する)ためであって、そのために国家権力に制限を加える(君権を制限し)必要があるからです。つまり、「憲法を守らなければならない」という規範の名宛人は国家であって国民ではない、というのが大原則なのであって、これが「立憲主義」の本質です。
伊藤博文の発言の淵源の1つが、1789年~大日本帝国憲法発布のちょうど100年前~フランス人権宣言(人及び市民の権利の宣言)16条「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法をもつものでない。」(岩波文庫「人権宣言集」の訳による)にあることは言うまでもありません。
 
 ここまで書けば、現行憲法の「第10章 最高法規」において、憲法の形式的最高法規性を明示した98条に先立ち、基本的人権の不可侵性を強調した97条がなぜその直前に置かれねばならなかったかが理解されるでしょう。
 97条は、憲法が最高法規でなければならないその根拠を明示した規定なのです。
 そして、99条の憲法尊重擁護義務に列挙された「天皇又は摂政及び国務大臣国会議員、裁判官その他の公務員」は、正に最高法規である憲法規範の名宛人である国家を実際に運営する主体であるがゆえに、明示的に「憲法尊重擁護義務」が課せられているのです。
 以上のとおり、97条-98条-99条という第10章の3箇条は、非常に論理的なつながりをもって
構成されており、最も根本的な憲法の基本原理である「立憲主義」を明らかにした章なのです。
 
 さて、自民党改憲案です。
 97条が全面削除されることにより、伊藤博文の言う「臣民の権利を保護する」という憲法の最も重要な目的が消えてなくなっています。
 98条の形式的最高法規性はそのまま残っていますが、現行の第10章において、真に重要な規定は97条と99条であり、98条はこれらの条文の存在理由を論理的に明らかにするために必要であったため、97条と99条の間に置かれた規定です。
 考えてもみましょう。憲法が形式的に法律等の規範より上位にあるなどということは、規定があろうが
なかろうが「当たり前」でしょう?
 そしてとどめは99条です。自民党は新102条で、あろうことか国民の憲法尊重義務をまず規定しました。
 実はこの規定に限らず、先に列挙したとおり、自民党改憲案には国民に義務を課す規定が目白押しです。数え方にもよりますが、新たな義務規定が少なくとも10箇所はあります。
 自民党改憲案は、国際標準で言えば「憲法」の名に値しません。
 もちろん、世界には様々な国家があり、それぞれ憲法を持っているのですから、伊藤博文が述べたような意味での「立憲主義」に立脚した憲法ばかりではなく、国民の自由・権利よりも「公益や公の秩序」を重しとする全体主義国家の憲法もあるでしょう(特定のファミリーが三代にわたって強権的に国民を支配している国も近隣にありますしね)。
 しかし、そのような「立憲主義」に立脚しない「憲法」は、「近代的意義の憲法」とは言いません。自
民党は、「立憲主義」を捨て去ることによって、日本を全体主義国家にしようと提唱していると言わざるを得ません。
(引用終わり)