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日本弁護士連合会「日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対する意見書」(2017年2月17日)を読む

 本日(2017年2月25日)配信した「メルマガ金原No.2734」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
日本弁護士連合会「日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対する意見書」(2017年2月17日)を読む

 一昨日(2月23日)、このメルマガ(ブログ)において、去る2017年2月17日付で日本弁護士連合会が取りまとめ、同月23日付で法務大臣外務大臣に提出した「いわゆる共謀罪を創設する法案を国会に上程することに反対する意見書」全文転載してご紹介しました。
 ところで、日本弁護士連合会は、上記意見書と同じ2月17日、もう1つの重要な意見書を取りまとめています(同日付となっているのは、同じ日に開かれた日弁連理事会で承認されたということでしょう)。それが、今日ご紹介する「日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対する意見書」です。
 共謀罪についての意見書は、PDFファイルで11ページでしたが、緊急事態条項についての意見書は、本文だけで22ページ、別紙も含めれば31ページにもなるという大作で、ブログへの全文転載をするかどうか、かなり考え込みました。
 けれども、やはり「別紙も含めて全文転載しよう」と決めたのは、その作業をすることによって、私自身がこの「意見書」を熟読できるから、という理由が大きいですね。おかげで、日弁連の「校正漏れ」を2箇所発見して訂正しましたもの(末尾に注記しておきました)。
 
 この「日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対する意見書」を別紙を含めて通読したところ、これまでの議論の成果を十分に取り入れて体系化するとともに、とりわけ、武力攻撃、内乱(テロ)、大規模災害などに対処するための法体系が既に充分に整備されており、多大の弊害の発生が予想される緊急事態条項を憲法に新設しなければならない立法事実など存在しないということを、非常に丁寧に論証しているという印象を受けました。
 私自身、日弁連の会員ですから、自分が所属する団体の「意見書」を賞賛しても説得力が充分ではないでしょうから、まずは皆さんご自身で、是非この「意見書」をお読みいただきたいと思います。長いことは長いですが、理解が困難な部分はないと思いますので、丁寧に読み進めていただければ、きっと得心していただけるものと思います。
 
 ところで、「いわゆる共謀罪を創設する法案を国会に上程することに反対する意見書」の執行先(提出先)は法務大臣外務大臣でしたが、この「日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対する意見書」の執行先は「各政党代表者」でした。
 この「意見書」の構成は、以下の目次(私が「意見書」から見出しを抜き出して作りました)をご覧いただければわかるとおり、緊急事態条項(国家緊急権)一般を論じた部分もありますが、その主眼が自民党日本国憲法改正草案」「第9章 緊急事態」(第98条、第99条)に対する徹底批判であることは明らかです。
 私は、寡聞にして、日本弁護士連合会が、憲法改正問題に関して、一政党の改憲案に反対する意見書を取りまとめたという例を聞いたことがありません(初めてかもしれません)。もしかすると、これについては、日連会員の間にも色々な意見があるかもしれませんが、私自身は、日弁連執行部及び理事会の決断を支持します。
 「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の改憲推進1000万人賛同署名や全国の地方議会で続々と採択されている改憲推進意見書(例えば和歌山県議会)では、いずれも大規模災害対応のための改憲が主要改憲項目として強調されており、自民党日本国憲法改正草案」における緊急事態条項は、その「見本」としての役割を担っています。昨年の参院選の結果、衆参両院でいわゆる改憲勢力が2/3以上の議席保有することになった情勢下、「行政府の長」であるはずの安倍晋三内閣総理大臣自らが施政方針演説で改憲議論を呼びかけるという緊迫した状況を踏まえれば、国会両院の憲法審査会で具体的に緊急事態条項についての議論が始まる前に、日弁連としての意見書を公表する意義と必要性は大きいと思うからです。
 
 もしかすると、私のメルマガ(ブログ)史上「最長」の記事となるかもしれませんが、非常に重要な内容を含んでいますので、最後まで読み通してくださることを心からお願いします。
 なお、本文中で指摘されている日弁連意見書等及び別紙2~4の各「法制の概要」中の参照条文については、各意見書、報告書、声明や法律、条約などへのリンクを埋め込んでおきましたのでご活用ください。 
 
(目次)
第1 意見の趣旨
第2 意見の理由
 1 はじめに
 2 日本国憲法と緊急事態条項(国家緊急権)
  (1) 立憲主義
  (2) 緊急事態条項(国家緊急権)の濫用の実例
   ① ドイツ
   ② フランス
   ③ 日本
  (3) 日本国憲法が緊急事態条項(国家緊急権)を設けていない理由
 3 緊急事態条項(国家緊急権)の憲法上の創設を検討する際の留意点
  (1) 緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上創設する必要性が認められるか
  (2) 権限濫用防止のための有効な法制度が設けられているか
 4 自民党改正草案-対象となる緊急事態
  (1) はじめに
  (2) 対象となる緊急事態
   ① 「我が国に対する外部からの武力攻撃」
   ② 「内乱等による社会秩序の混乱」
   ③ 「地震等による大規模な自然災害」
  (3) まとめ
  (4) 解散権の制限及び議員の任期等の特例について
  (5) まとめ
 5 自民党改正草案-濫用防止の制度設計
  (1) はじめに
  (2) 緊急事態宣言の発動要件の包括的委任等
  (3) 国会の承認
  (4) 措置の期間
  (5) 法律と同一の効力を有する政令
  (6) 財政上必要な支出その他の処分
  (7) 公的機関の指示に従う義務
  (8) 国会議員の任期について
  (9) 小括
 6 結論
法律の略称
(別紙1)自由民主党憲法改正草案第9章「緊急事態」
(別紙2)安全保障法制の概要
(別紙3)治安法制の概要
(別紙4)災害法制の概要
 
 
                       2017年(平成29年)2月17日
                       日本弁護士連合会
 
第1 意見の趣旨
 緊急事態条項(国家緊急権)は,深刻な人権侵害を伴い,ひとたび行使されれば立憲主義が損なわれ回復が困難となるおそれがあるところ,その一例である自由民主党日本国憲法改正草案第9章が定める緊急事態条項は,戦争,内乱等,大規模自然災害その他の法律で定める緊急事態に対処するため,内閣に法律と同一の効力を有する政令制定権,内閣総理大臣に財政上処分権及び地方自治体の長に対する指示権を与え,何人にも国その他公の機関の指示に従うべき義務を定め,衆議院の解散権を制限し,両議院の任期及び選挙期日に特例を設けること(以下「対処措置」という。)を認めている。
 しかし,戦争・内乱等・大規模自然災害に対処するために対処措置を講じる必要性は認められず,また,同草案の緊急事態条項には事前・事後の国会承認,緊急事態宣言の継続期間や解除に関する定め,基本的人権を最大限尊重すべきことなどが規定されているが,これらによっては内閣及び内閣総理大臣の権限濫用を防ぐことはできない。
 よって,当連合会は,同草案を含め,日本国憲法を改正し,戦争,内乱等,大規模自然災害に対処するため同草案が定めるような対処措置を内容とする緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対する。
 
第2 意見の理由
1 はじめに
 国家緊急権とは,戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など,平時の統治機構をもっては対処できない非常事態(以下「緊急事態」という。)において,国家の存立を維持するために,立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置を採る権限をいう。
 自由民主党自民党)は,2012年(平成24年)4月に,「緊急事態」(第9章)を定めた日本国憲法改正草案(以下「自民党改正草案」という。)を公表した。
 自民党改正草案は,外部からの武力攻撃,内乱等による社会秩序の混乱,地震等による大規模災害その他の法律で定める緊急事態において,特に必要と認めるときは,内閣総理大臣が緊急事態の宣言を発することができ,同宣言が発せられたならば,①内閣が法律と同一の効力を有する政令を制定できること(内閣の緊急命令権限),②内閣総理大臣が財政上必要な支出その他処分を行うことができること(内閣総理大臣の財政処分権限),③内閣総理大臣地方自治体の長に対して必要な指示をすることができること(内閣総理大臣の指示権限),④何人も法律の定めるところにより,当該宣言に係る事態において国民の生命,身体及び財産を守るために行われることに関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならないこと(国民等の服従義務),⑤緊急事態の宣言が発せられた場合においては,法律の定めるところにより衆議院は解散されないものとし,両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる(解散権の制限及び議員の任期等の特例)とされている(別紙1参照)。その内容は,戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など平時の統治機構をもっては対応できない非常事態において,国家の存立を維持するために,立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限(国家緊急権)を認める場合の一例といえる。
 その後,2015年(平成27年)5月7日に開催された衆議院憲法審査会において,自民党は優先的に議論すべき事項として緊急事態条項(国家緊急権)を挙げ,民主党(当時),維新の党(当時),公明党などもこれに言及した。さらに,2016年(平成28年)11月17日及び同月24日の衆議院憲法審査会においても複数の議員から改憲項目の一つとして緊急事態条項(国家緊急権)が挙げられた。
 本意見書は,緊急事態条項(国家緊急権)を憲法改正により創設する動きがあることに対し,緊急事態条項(国家緊急権)が,一時的とはいえ,立憲的な憲法秩序を停止し,人権が侵害される危険があることを踏まえ,立憲主義の理念を堅持し,国民主権基本的人権の尊重,恒久平和主義など日本国憲法の基本原理を尊重することを求める立場(第48回人権擁護大会「立憲主義の堅持と日本国憲法の基本原理の尊重を求める宣言」鳥取宣言〕)から意見を述べるものである。
 
2 日本国憲法と緊急事態条項(国家緊急権)
(1) 立憲主義
 日本国憲法は,最高法規である憲法により国家権力を制限し,人権保障を図るという立憲主義を基本理念としている。
 すなわち,国家権力の濫用から国民の自由や権利を守るために,国民が日本国憲法を確定し(前文),その憲法には,「個人の尊重」と基本的人権の保障(11条,13条,97条)並びに権力分立を定め(41条,65条,76条1項),また「法の支配」の下,憲法の最高法規性(98条1項)を担保するために裁判所に違憲立法審査権を認めた(81条)。さらに日本国憲法は,アジア・太平洋戦争を経て得た戦争は最大の人権侵害であるという教訓のもと,全世界の国民に平和的生存権を認め(前文),武力による威嚇又は武力の行使を禁止し(9条1項),戦力不保持,交戦権否認(9条2項)という徹底した恒久平和主義を採用している。
 このように,日本国憲法の根本にある立憲主義は,「個人の尊重」と「法の支配」を中核とする理念であり,国民主権基本的人権の尊重,恒久平和主義などの基本原理を支えるものである。そしてこの基本理念と基本原理は,人類の叡智が込められたものであり,将来の世代にわたり永続的に受け継がれるべきものである。
(2) 緊急事態条項(国家緊急権)の濫用の実例
 緊急事態条項(国家緊急権)は,立憲的な憲法秩序を停止して行政府に権限を集中し人権保障を停止させるものであるから濫用の危険があるし,現に過去において濫用されてきた。
① ドイツでは,ワイマール憲法48条の大統領非常権限に基づき,14年間に250回以上も緊急命令が発せられ,例外規定の常態化を招いた。
 1933年1月にヒンデンブルグ大統領により首相に任命されたヒトラーは,総選挙(3月5日)までの1か月間に,ナチス突撃隊等を駆使して政敵へのテロ行為を縦横無尽に行った。他方,同条に基づく大統領の緊急命令を根拠に,政敵の選挙集会の強制解散,機関誌の発禁処分,警察官の政敵への武器使用の容認などを行った。また,国会炎上事件を契機に出された大統領の緊急命令(国会炎上命令)を根拠に,多数のナチスの政敵を逮捕した。さらに,3月5日に実施された選挙の結果,ナチス議席過半数を確保できなかったにもかかわらず,国会炎上命令を根拠に共産党社会民主党国会議員を逮捕すること等により国会への登院を阻止し,「民族と国家の困難を除去するための法律」すなわち,「全権委任法(授権法)」を成立させた。
 このように,ドイツでは,政敵へのテロ行為に加えて,大統領非常権限に基づき発せられた緊急命令によりヒトラー独裁政権が樹立され,その後ユダヤ人の大量虐殺等の重大な人権侵害が行われたのである。
② またフランスでは,1961年4月21日深夜に起きた4人のフランスの退役将軍によるアルジェリアにおける反乱に対して,同月23日にド・ゴール大統領が第5共和国憲法16条に基づき緊急権を発動した。その後反乱自体は同月25日から26日にかけて鎮圧されたにもかかわらず,大統領は根本的解決を名目として更に9月30日までの5か月間,緊急権を適用した。その間,強制収容の対象となる危険人物の範囲を拡大し,出版の自由を制限するなどの措置が行なわれた。
 なお,フランスでは,2015年11月に発生したパリ同時多発テロに対し憲法上の緊急権に基づくものではないものの,緊急事態法に基づき「緊急事態宣言」が発令され,その後4回延長され現在に至っている。そこでは,疑わしい人物の自宅軟禁やテロを称賛した宗教施設の閉鎖などが可能と報じられており,その濫用が懸念されている。
③ 日本でも1923年(大正12年)9月1日に起きた関東大震災において,戦時や事変などに軍隊に権限を集中する制度である戒厳令(明治15年太政官布告第36号)中の一部(戒厳令9条及び14条)を緊急勅令大日本帝国憲法8条)に基づき施行するなど適用範囲が拡大される中で多数の中国人や朝鮮人が虐殺された。そこでは軍隊や自警団が朝鮮人等を虐殺し(詳細は2003年(平成15年)8月25日「関東大震災人権救済申立事件調査報告書」参照),「大杉事件」や「亀戸事件」など無政府主義者社会主義者が憲兵や警察により殺害される事件が起きた。
(3) 日本国憲法が緊急事態条項(国家緊急権)を設けていない理由
① このように,緊急事態条項(国家緊急権)は立憲主義を破壊し,人権を侵害する大きな危険性をはらんでおり,歴史上も,緊急事態の名目の下,混乱に乗じて権力者の地位を強化するために濫用されてきた。
 そのため,日本国憲法の制定議会においても,大日本帝国憲法における緊急勅令(8条),緊急財政処分(70条),戒厳(14条),非常大権(31条)などの緊急事態条項(国家緊急権)を日本国憲法にも設けるべきかが問題とされ,審議された。
② 1946年(昭和21年)7月2日及び同月15日の衆議院帝国憲法改正案委員会において,金森徳次郎国務大臣は,大日本帝国憲法改正案(日本国憲法案)に「緊急勅令」「緊急財政処分」「非常大権」などの規定を設けていない理由について問われたのに対し,(ⅰ)民主政治を徹底させて国民の権利を充分擁護するためには,非常事態に政府の一存で行う措置は極力防止しなければならないこと,(ⅱ)非常という言葉を口実に政府の自由判断を大幅に残しておくとどの様な精緻な憲法でも破壊される可能性があること,(ⅲ)特殊の必要があれば臨時国会を召集し,衆議院が解散中であれば参議院の緊急集会を召集して対処できること,(ⅳ)特殊な事態には平常時から法令等の制定によって濫用されない形式で完備しておくことが出来ること,と答弁している。
 緊急事態において一時的とはいえ憲法上権力者に国家緊急権を授権することは,たとえその要件をいかに厳格なものにしたとしても濫用されることは避けられないという認識の下,日本国憲法は,緊急事態においても,行政府への権力の集中と人権保障の停止を本質とする国家緊急権によるのではなく,あくまでも民主政治を徹底することにより対応すべきであるし,それが可能であるとして,緊急事態条項を設けなかったのである。
③ また,日本国憲法は,過去の軍国主義の歴史と先の大戦の惨禍への深い反省に基づいて,前文に平和的生存権を謳い,9条に戦争の放棄と戦力を保持しないという徹底した恒久平和主義を定め,国家権力に縛りをかけた。
 その結果,日本は平時から周辺諸国と平和で友好な関係を構築するための外交を実践することにより有事を理由とする緊急事態の発生を防ぐべきであり,戦時に軍隊に権限を集中することを認める「戒厳」や「非常大権」という緊急事態条項(国家緊急権)を認めないこととしたのである。
日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)がないことについて「法の欠缺」であるとの見解があるが,上記帝国議会での審議の経過等に照らせば,憲法制定当時においては,緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上設けることをむしろ積極的に拒否していたのである。
 
3 緊急事態条項(国家緊急権)の憲法上の創設を検討する際の留意点
(1) 緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上創設する必要性が認められるか
 戦争,内乱,恐慌,大規模自然災害などの緊急事態に対して,国民の生命,身体の安全を守るために予め法制度を整備すべきことは当然である。その場合,憲法制定当時,日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を設けることをあえて認めなかったことに鑑みるならば,まず法律の制定・改正や運用の改善などによる対処が検討されるべきである。そして,法律の制定・改正等では対応できず憲法改正によらなければ支障が生じるという場合に初めて,緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上創設すべき必要性が認められることになる。
 なお,災害やテロについてみると,フランス,ドイツ,イギリス,アメリカ)の4か国のうち憲法上の国家緊急権を定めているのはドイツだけで,他の3か国は法律で対処している。
(2) 権限濫用防止のための有効な法制度が設けられているか
① 緊急事態条項(国家緊急権)により特定の国家機関に権限が集中した場合,当該機関は自らの地位を強化するために,権限を濫用し,立憲主義を破壊し人権を侵害する危険性を常にはらんでいる。そのため,その濫用を防止するために憲法上法制度を設けたとしても,そこには限界がある。
 そのため,緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上創設すべきかを検討するに当たっては,法制度上の限界を踏まえながら,国会による民主的抑制や裁判所による司法的抑制という法制度がその運用において有効に機能し得るのかを厳密かつ慎重に検討すべきである。
 衆議院及び参議院過半数を占める与党が内閣を構成している場合における内閣に対する国会の民主的抑制機能の有効性や,司法作用は基本的に事後的な作用であり迅速な対応が期待できないこと,付随的違憲審査制の下で具体的な事件争訟がなければ司法審査ができないこと,統治行為論等を理由に司法判断を回避する可能性があることなど,現在の司法の運用を前提とした場合に裁判所の司法的抑制機能の有効性が認められるかなども考慮すべきである。
 さらに立憲主義を堅持するためには,国民の民主的抑制が有効に機能し得るのかも考慮すべきである。国民の民主的抑制の究極的なものとして国民の抵抗権がある。ドイツにおいては緊急事態条項(国家緊急権)が憲法上新設される際に,国民の抵抗権規定が付加されたが(基本法20条4項),抵抗権規定が憲法上付加されるか否かにかかわらず,緊急事態条項(国家緊急権)の濫用に対して国民が抵抗できる環境が整っていることが必要で
ある。
 このように,緊急事態条項(国家緊急権)の濫用防止のための法制度については,憲法の規定内容とともに,国会による民主的抑制や裁判所による司法的抑制,国民の民主的な抑制力などを考慮して,厳密かつ慎重に検討されるべきである。
② さらに,国会及び国民の民主的抑制に関連して秘密保護法との関係が問題となる。
 国会や国民において緊急事態条項(国家緊急権)が発動される当否を判断する際,安全保障関連情報が国会や国民に開示されることが必要である。
 ところが,秘密保護法は,当該情報を「特定秘密」として指定することから,国会や国民が緊急事態条項(国家緊急権)の発動の当否を適切に判断することができない。しかも,秘密保護法は,特定秘密の指定解除の要件も不十分であることから,緊急事態条項(国家緊急権)の発動の当否の検証が将来長きにわたり困難となる可能性が高い。このように,秘密保護法は国民の知る権利を侵害し国民主権を形骸化することから,当連合会は秘密保護法に反対を表明してきた。緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上創設すべきかを検討するに当たっては,秘密保護法により国会及び国民の民主的抑制が有効に機能し得ない状況の下では,緊急事態条項(国家緊急権)の濫用防止が期待できないことも考慮されるべきである。
 
4 自民党改正草案-対象となる緊急事態
(1) はじめに
 このような緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上創設することについて検討する際の留意点を踏まえた上で,今日,具体的な条項案として公表されている自民党改正草案について検討する。
 自民党改正草案第9章「緊急事態」には,「緊急事態の宣言」(98条)と「緊急事態の宣言の効果」(99条)の規定が設けられている(別紙1)。そこでは,対象となる緊急事態の類型として,「我が国に対する外部からの武力攻撃」「内乱等による社会秩序の混乱」「地震等による大規模な自然災害」の3つが挙げられている。そこで,まず,この3類型について緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上創設する必要性が認められるのかを検討する。次に,自民党改正草案の制度について,権限濫用防止のため有効な法制度かを検討する。
(2) 対象となる緊急事態
① 「我が国に対する外部からの武力攻撃」
日本国憲法は,立憲主義と徹底した恒久平和主義に基づき,外部からの武力攻撃を防ぐために平時の平和外交により周辺諸国との友好関係を構築し,紛争が生じても平和的手段により解決すべきとしている。
 また,外部からの武力攻撃又はそのおそれが生じた場合への対処については,安全保障会議設置法,自衛隊法,事態対処法,米軍等行動関連措置法,特定公共施設利用法,外国軍用品等海上輸送規制法,捕虜取扱法,国民保護法,国際人道法違反処罰法などから成る法制度が整備されている(概要は別紙2)。
 国家安全保障会議では,安全保障に関する外交・防衛政策や国防の基本方針等が審議されている。武力攻撃事態等に至った場合には,臨時に設置される事態対策本部を中心に,地方公共団体等とも連携をしながら,防衛対処基本方針に基づき対処措置を実施していく。その実施に当たり,内閣総理大臣(事態対策本部長)は,地方公共団体等を総合調整し,地方公共団体を指示し,更には自ら対処措置を実施することができるなど強力な権限が認められている。また,米軍等との連携や国民保護に関する法制度も整備されている。国民保護法では,国民は,国民の保護のための措置の実施に関する協力要請に対しては,必要な協力をするよう努めるものとされている(国民保護法4条 1 項)。また,内閣は,著しく大規模な武力攻撃災害が発生し,国の経済の秩序を維持し及び公共の福祉を確保する必要がある場合において,一定の条件の下,金銭債務の支払猶予等に関して政令を制定することができるとされている(同法130条1項)。
イ ただし,現行の安全保障法制には,武力攻撃予測事態の定義や範囲が曖昧であること,武力攻撃事態等の認定の客観性が十分に担保されていない等の問題点がある(2002年(平成14年)6月21日「「有事法制」3法案についての意見書」,2003年(平成15年)5月14日「有事法制法案の採択に対する会長声明」,2004年(平成16年)3月18日「国民保護法案」についての意見書」等)。
 また,2015年(平成25年)9月19日に採択された平和安全法制整備法により,事態対処法に新たに存立危機事態(事態対処法2条4号)が加わったが,それは集団的自衛権の行使を容認するものであり,恒久平和主義及び立憲主義に違反するものである。
 このように,現行の安全保障法制は憲法原理に抵触するおそれや憲法違反の内容が含まれていることから,それらを憲法に適合するように修正すべきである。その上で,仮に安全保障法制として不十分な点があるのであれば,法律の改正等で対応すべきである。
ウ なお,終戦直後の1946年(昭和21年)7月2日に開催された前記衆議院帝国憲法改正委員会において,日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)に関する規定を設けるべきかが問われた際に,金森国務大臣が「我我過去何十年ノ日本ノ此ノ立憲政治ノ経験ニ徴シマシテ,間髪ヲ待テナイト云フ程ノ急務ハナイ」と答弁している。「過去何十年ノ日本」には当然に先の大戦が含まれているが,その先の大戦下においてすら間髪を待てないというほどの急務はなかったのである。
② 「内乱等による社会秩序の混乱」
ア 「内乱等による社会秩序の混乱」には大規模テロも含まれるが,内乱等に関しては,警察法第6章(「緊急事態の特別措置」),海上保安庁法,自衛隊法,事態対処法第三章(「緊急対処事態その他の緊急事態への対処のための措置」),国民保護法第8章(「緊急対処事態に対処するための措置」),刑法,刑事訴訟法警察官職務執行法出入国管理及び難民認定法(以下「入管法」という。)等の法制度がある。また,今日テロ防止対策に国際社会が取り組む必要性から「航空機内の犯罪に関する条約」(1969年)ほか多くのテロ防止対策に関連する条約が締結されている(概要は別紙3)。
 内乱等による社会秩序の混乱に関しては,警察法に基づき,内閣総理大臣が一時的に警察を統制することで,事態に対処する体制が整備されている。また,警察力だけでは不十分な場合には,自衛隊法に基づく治安出動が認められている。その場合,内閣総理大臣海上保安庁も統制下に置くことができるのであり,警察,海上保安庁自衛隊が一体として事態に対処するための体制が整備されている。日本の社会秩序を混乱させた者に対しては,内乱罪(刑法77条)など刑法その他の刑事法により各種刑罰規定が置かれている。また,日本の社会秩序を混乱させようとする者が外国人である場合には,入管法によりあらかじめ上陸を拒否することが可能である(入管法5条1項11号乃至14号)。
 また,原子力発電所の破壊等,化学剤の大量散布,航空機などによる自爆テロなど,武力攻撃に準ずるテロ等の事態(緊急対処事態。事態対処法22条1項)には,国や地方公共団体等は緊急対処保護措置を的確かつ迅速に実施することに万全を期す責務等を有するとされている(国民保護法172条)。そして,国民は,緊急対処保護措置の実施に関し協力を要請されたときは,必要な協力をするよう努めるものとされている(同法173条1項)。
イ このように,既に警察法自衛隊法,入管法,刑法等により,内乱等の社会秩序の混乱に対処することができる法制度及び体制が整備されている。実際に13人の死亡被害者と数千人の傷害被害者を出した地下鉄サリン事件(1995年(平成7年))においても,破壊活動防止法の適用すら行われず,平時における警察活動で対処することができたのである。また,テロ対策としては,テロの未然防止と万一テロが発生した場合には被害を最小限にくい止め,犯人を制圧・検挙するという事態対処の両面から,上記の法制度の下,1998年(平成10年)に内閣に内閣危機管理監が新設され,2001年(平成13年)には内閣官房長官を本部長とする「国際組織犯罪等・国際テロ対策推進本部」が設置されるなど,内閣官房を中心に政府の緊急事態対処体制が整備されてきており,突発的な事態の態様に応じた対処の基本方針についての閣議決定やマニュアルの策定等の整備が行われてきている。また,警察庁は,2015年(平成27年)2月には「警察庁国際テロ対策推進本部」を設置し,同年6月には「警察庁国際テロ対策強化要綱」を取りまとめ,同要綱に基づき情報収集・分析,水際対策,警戒警備,事態対処,官民連携を推進している(平成28年度警察白書・特集「国際テロ対策」参照)。
ウ ただし,現行の法制度の中には,警察組織の中に外事情報部による諜報活動が国民の思想信条の自由や集会結社の自由,メディアの報道の自由への萎縮効果をもたらすことなど,警察権限の拡大に伴う問題点なども認められる(2004年(平成16年)3月18日「警察法改正案に対する意見書」)。
 それらの問題点については改善を図り,また仮に不十分な点があるのであれば,それは法律の改正等で対応すべきである。
③ 「地震等による大規模な自然災害」
ア 大地震等による大規模な自然災害については,現行の日本国憲法の下で,既に高度に整備された法制度と体制が存在している。具体的な法制度としては,災害対策基本法大規模地震対策特別措置法原子力災害対策特別措置法新型インフルエンザ特別措置法,災害救助法,警察法自衛隊法等がある(概要は別紙4参照)。
 上記の災害対策の法制度においては,宣言や布告等を行い,国会の統制下において,一定範囲で内閣に政令制定権を認め,また,内閣総理大臣に必要な権限を付与するとともに,国民の財産権の制限や労働の義務等を課して一定の範囲で人権を制約している。仮に東日本大震災原発事故が併発したような複合災害時には現在の法制度でも未整備の部分があるとしても,それは法律の改正等で対応が可能である。その場合には,後記アンケート結果に示されているとおり,地方自治体への権限移譲,適切な役割分担という地方分権の視点から各地の実情に応じた整備を行うべきである。
東日本大震災において政府が初動時に迅速に対応出来なかったことを理由に緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上創設すべきとの見解がある。
 しかし,政府が初動時に迅速に対応できなかった原因は,高度に整備された法制度があるにもかかわらず,平時から災害に備えた事前の準備がほとんどなされていなかったことによる。
 すなわち,災害対策基本法は,国の防災基本計画に基づき,指定行政機関等の防災業務計画,都道府県等の地域防災計画を作成すべきことを定めている(同法第三章)。また,指定行政機関の長等は,防災教育の実施に務め,防災訓練の実施義務がある(同法47条の2,48条)。更には原子力事業者にも,原子力事業者防災業務計画の作成義務が課せられている(原子力災害特別措置法7条)。ところが,現実には,「原発事故は起こらない」との前提で,避難のための防災計画の作成を怠り,防災訓練等事前の準備がほとんどなされていなかった。災害対策においてなすべきことは,発生した混乱や被害の原因を検証し,その対策を策定して事前の準備を進めることである。
ウ 緊急事態条項(国家緊急権)は,中央政府に権限を集中させることが災害対策に有効であるとの考えに基づくが,自然災害に直接対応するのは都道府県,市町村などの地方自治体や各種団体である。被災地域の実情に通じているこれら地方公共団体等こそが災害へのきめ細やかな対応を行うことができるのであり,それが被災者等の人権保障につながるのである。
 このことは,当連合会が2015年(平成27年)9月に東日本大震災の被災三県の37市町村に対して実施したアンケート結果にも表れている(24市町村から回答)。
 アンケート項目のうち「災害対策・災害対応について市町村の権限は強化すべきか軽減すべきか」との質問に対しては,「権限を強化すべし」との回答は6自治体(25%)に対し,「現状維持(災害対策基本法により第一義的な災害対策の権限は市町村に委ねられている現在の制度の維持)」は17自治体(71%),「権限軽減」は1自治体(4%)であった。
 「災害対策・災害対応について市町村と国の役割分担はどうすべきか」との質問に対しては,「市町村主導」は19自治体(79%),「場合による」は3自治体(13%),「国主導」は1自治体(4%),「未回答」は1自治体(4%)であった。
 「災害対策・災害対応について憲法は障害になったか」との質問に対しては,「障害にならない」は23自治体(96%),「なった」は1自治体(4%)であった。
 この結果は,中央政府に権限を集中させるのではなく,被災者に一番近い自治体である市町村に主導的な役割を与えることの必要性を示している。また,緊急事態条項(国家緊急権)を持たない現在の日本国憲法が災害対応について障害にならなかったことも表している。
 被災経験のある各地の弁護士会からも「東日本大震災の災害対応について国家緊急権規定が存在すれば適切な対応ができたという事実は全く認められず」(仙台弁護士会),「被災者の救済と被災地の復興のために何より必要なのは,政府に権力を集中されるための法制度を新設することよりも,むしろ,事前の災害・事故対策を十分に行うとともに,既存の法制度を最大限に活用することである」(福島県弁護士会)などの意見が表明されている。
エ このように,大規模な自然災害への対応は,現行の法制度の運用・改善によるべきであり,それが可能である。自然災害を理由に日本国憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を創設する必要性が認められないばかりか,内閣に権限を集中されることはむしろ有害である。
(3) まとめ
① 上記のとおり,自民党改正草案が非常事態として挙げている「我が国に対する外部からの武力攻撃」「内乱等による社会秩序の混乱」「地震等による大規模な自然災害」に関しては,法律に基づく制度が整備されている。
自民党憲法草案は,緊急事態宣言が発せられた場合,内閣の緊急命令権限を認めるべきとするが,災害対策基本法や国民保護法は,各法律の授権に基づいて内閣の政令制定権を認めている(災害対策基本法109条,国民保護法130条)。
 また,同草案は,内閣総理大臣の指示権限を認めるべきとするが,内閣総理大臣の指示権限も含めてすでに法律により内閣総理大臣に一定の権限が集中する仕組みが認められている(事態対処法14条1項,15条1項・2項,警察法72条,73条1項・2項。災害対策基本法28条の6・2項,大規模地震対策特別措置法13条1項,原子力災害対策特別措置法15条3項など)。
 さらに,同草案は,国民等への服従義務を認めるべきであるとするが,国民保護法は,国民の保護のための措置や緊急対処保護措置の実施に関し協力を要請されたときは,必要な協力をするよう努めることや(国民保護法4条1項,173条1項),災害救助法は,大規模自然災害の場合には,被災者の救助等のため,一定の者に対して業務に協力させることができること等を認めている(災害救助法7条ないし10条,災害対策基本法59条1項等。別紙3の6参照)。
 そして,それらの規定では対応できない具体的な事情は認められないし,仮にそのような事情が認められるとしても,まず法律の制定・改正や運用の改善などによる対処が検討されるべきである。その検討を経ることなく,上記3つの緊急事態において,内閣の緊急命令権限,内閣総理大臣の指示権限,国民等の服従義務を憲法上創設することを認める必要性はない。
③ また,自民党改正草案では,内閣総理大臣の財政処分権限を認めるべきであるとするが,一般には緊急事態への対応は予備費が使われ,仮に予備費では不足する場合には補正予算を組むことにより対応することが予定されている。それでは対応できないという具体的な事情は認められないし,仮にそのような事情が認められるならば,まずは予算編成の改善等を検討すべきである。その検討を経ることなく,内閣総理大臣の財政処分権限を憲法上創設することを認める必要性はない。
④ 解散権の制限及び議員の任期等の特例を設けることの必要性については,項を改めて検討する。
(4) 解散権の制限及び議員の任期等の特例について
自民党改正草案99条4項は,「緊急事態の宣言が発せられた場合においては,法律の定めるところにより,その宣言が効力を有する期間,衆議院は解散されないものとし,両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。」として,内閣の衆議院の解散権行使を制限し,参議院及び衆議院の議員の任期延長等を認めている。
② 同条項が「両議院の議員」の任期等の特例を認めていることから,まず,参議院議員の任期について検討する。
 現行憲法において,「参議院議員の任期は,6年とし,3年ごとに議員の半数を改選する。」(日本国憲法46条)とされ,また,「参議院議員通常選挙は,議員の任期が終る日の前30日以内に行う。」とされているから(公職選挙法32条1項),参議院議員が同院の定足数(総議員の3分の1。日本国憲法56条1項)を欠くことはあり得ない。自民党改正草案Q&Aも,この点に関し,「参議院議員通常選挙は,任期満了前に行われるのが原則であり,参議院議員が大量に欠員になることは通常ありえません。」と明記している(Q42の答参照)。
 したがって,自民党改正草案99条4項には「両議院の議員」と明記されているものの,憲法上,参議院議員の期間延長の特例を設ける必要性は認められない。
③ 他方,衆議院議員の任期については,解散又は任期満了により,同院の議員全員がその資格を喪失するため,その前後に緊急事態が発生し,衆議院が組織できない場合が想定できる。
 そこで,以下,解散の場合と任期満了の場合とに分けて検討する。
④ 解散の場合
ア 内閣が解散権を行使しようとしているときに緊急事態が生じた場合,通常,任期満了が迫っている等の事情がないときには,内閣としては通常解散権の行使を差し控えると思われるし,仮に解散権を行使したとしても,その場合は衆議院解散後に緊急事態が発生した場合と同じであり,日本国憲法はそのような場面を想定して,参議院の緊急集会を設けているのであるから(日本国憲法54条2項但書),緊急事態への対応は可能である。したがって,憲法上,内閣の解散権を制限する必要性は認められない。
衆議院の解散後に緊急事態が発生した場合,参議院議員は存在しているし,仮に参議院議員の任期が満了となっても半数の参議院議員は存在していることから(日本国憲法46条),参議院の緊急集会を開催することにより(同法54条2項但書),緊急事態への対応が可能である。したがって,衆議院の解散後に緊急事態が発生した場合を想定して,憲法衆議院議員の任期に特例を設ける必要性は認められない。
 なお,日本国憲法54条1項は,「衆議院が解散されたときは,解散の日から40日以内に,衆議院議員の総選挙を行い,その選挙の日から30日以内に,国会を召集しなければならない。」と定めている。そこで,衆議院解散後総選挙前に緊急事態が発生したために総選挙や国会召集が上記期間内に実施できない場合が生じ得るとして,選挙期日の特例を設けるべきかが問題となる。
 大日本帝国憲法45条は,解散の日から5ヶ月以内に国会を召集することとしていたのに対して,日本国憲法54条1項によれば,解散の日から最長でも70日以内に国会を召集すべしとした。それは,国会が長い間存在しないことが,国民主権の原理からみて望ましくないことから,大日本帝国憲法に比べて国会召集の期間を短縮したのである。したがって,上記期間制限は厳格に解するべきであり,期間制限の特例を設けることは国民主権の原理の観点から弊害がある。しかも,自民党改正草案Q&Aは,「緊急事態下でも総選挙の施行が必要であれば,通常の方法ではできなくとも,期間を短縮するなど何らかの方法で実施すること」により上記期間内の選挙は可能であると回答している(Q42回答)。
これらのことからすれば,緊急事態であることを理由に,同条項の期間制限に特例を設けるべきではなく,あくまでも同条項の期間制限に適合するように公職選挙法の繰延選挙の規定に期間短縮等の簡易に選挙が実施できる方法を定めて,選挙や国会召集が行われるべきである。
⑤ 任期満了の場合
衆議院議員の任期満了前に緊急事態が発生した場合には,緊急事態発生後から任期満了前までは衆議院議員も存在することから,国会(臨時会)を招集し(日本国憲法53条),緊急事態に対処することが可能である。そして,総選挙が予定どおり実施されるならば,選挙実施後は新たに選出された衆議院議員が存在していることから,国会を召集し緊急事態に対処することは可能である。したがって,この場合には,議員の任期の特例を設ける必要はない。
衆議院議員の任期満了前に緊急事態が発生したため,予定どおり選挙を実施することができず任期満了が到来することにより,衆議院議員が存在しない事態が生じる場合があり得る。
 この場合,「衆議院が解散されたとき」に認められる参議院の緊急集会の規定は適用されない。そのため,憲法上任期延長を認めることにより,衆議院議員の不在状態を解消し,国会(臨時会)の召集を可能とすることも考えられるが,他方で,任期延長は,延長された間は選挙が実施されないことになり,その間,国民から選挙の機会を奪うことにもなる。
 任期延長を認める場合にその期間が問題となるが,緊急事態の程度や規模は千差万別であることから,その期間は事態ごとに個別的に判断せざるを得ない。しかも,その判断は内閣が行うことが想定されるが,国会がその判断の適正さを確認することができないため,必要以上に任期延長を認めてしまうおそれも否定できない。現に,1941年に衆議院議員の任期が,任期満了前に,立法措置により 1 年間延期されたことがある。その理由は,「今日のような緊迫した内外情勢下に,短期間でも国民を選挙に没頭させることは,国政について不必要にとかく議論を誘発し,不必要な摩擦競争を生じせしめて,内外外交上はなはだ面白くない結果を招くおそれがあるのみならず,挙国一致防衛国家体制の整備を邁
進しようとする決意について,疑いを起こさしめぬとも限らぬので,議会の任期を延長して,今後ほぼ1年間は選挙を行わぬこととした」というものであった(法学協会「第七六帝國議會・新法律の解説」1941年有斐閣)。そして1年後には戦時下において任期満了に伴う総選挙(翼賛選挙)が施行された。それは,「議会の刷新を期し,政治力の結集を図ることがむしろ戦争遂行のため緊要であると考え,戦争の真っ最中であえて総選挙を断行した」のである(「議会制度百年史・帝国議会史・下巻」636頁)。このように,衆議院議員の任期延長が戦争遂行の国内体制整備のために行われた日本の過去の実例に照らすと,憲法上任期の特例(任期延長)が認められることにより,内閣が必要以上に任期を延長し,それにより国民の選挙の機会を失わせることにより政権与党が議会の多数を占める体制が維持され,民意が十分に反映されないまま内閣主導の下で緊急事態への国内体制が整備されていく可能性は否定できない。そのような事態は,国民主権の原理に照らして弊害が大きいと言わざるを得ない。
 以上から,緊急事態の発生により総選挙が実施されないまま衆議院議員の任期満了が到来した場合に対応するために任期延長を認めることは,内閣の権限濫用のおそれがあり,国民主権の原理に照らして弊害もあることから,憲法上任期の特例の規定を設けるべきではない。
 むしろ,日本国憲法制定当時の前記金森国務大臣の答弁にみられるように,緊急事態に対しては,あくまでも民主政治を徹底することにより対応すべきとの日本国憲法制定当時の考え方によれば,繰延投票(公職選挙法57条)により選挙を実施することにより衆議院議員不在の状況を可及的速やかに回復し,国会(特別会)を召集することで対応すべき
である。そして,先の自民党改正草案Q&AのQ42の回答によれば,それが可能である。
 なお,過去に任期満了による総選挙が実施されたのは1976年(昭和51年)12月の1度だけであり,憲法施行後70年に1度しかない。
 このように過去においても極めて頻度が少ないことに加え,そのような場面で緊急事態が発生し,しかも全国のほとんどの選挙区で選挙が実施できずに衆議院議員の任期満了が到来するという事態が発生することが,どれほど現実的なのか疑問である。
 以上から,衆議院議員の任期満了前に緊急事態が発生したため衆議院の定数を欠くほど多くの選挙区において予定どおり選挙を実施できずに任期満了が到来した場合を想定して,憲法上任期の特例を設ける必要性は認められない。
⑥ 以上のとおり,緊急事態が発生した場合に,内閣の解散権の制限や,議員の任期及び選挙期日の特例を憲法上創設する必要はない。
(5) まとめ
 このように,自民党改正草案に定められているように,緊急事態が発生したときに,内閣の緊急命令権限,内閣総理大臣の財政処分権限,内閣総理大臣の指示権限,国民等の服従義務,解散権の制限及び議員の任務等の特例を設けるという緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上創設する必要性が認められない。
 
5 自民党改正草案-濫用防止の制度設計
(1) はじめに
 自民党改正草案が想定している緊急事態において,憲法上緊急事態条項(国家緊急権)を創設すべき必要性が認められないことに加え,自民党改正草案の条項の制度設計では,以下のとおり,緊急事態条項(国家緊急権)の濫用を防ぐことはできない。
(2) 緊急事態宣言の発動要件の包括的委任等
 自民党改正草案は,緊急事態宣言を発することができる場合として,「我が国に対する外部からの武力攻撃」「内乱等による社会秩序の混乱」「地震等による大規模な自然災害」に加えて「その他の法律で定める緊急事態」を挙げているが,この規定内容では対処措置の対象となる緊急事態について憲法上の限定がなく包括的に法律に委ねられることになる。
 また,内閣総理大臣が緊急事態宣言は,「特に必要があると認めるとき」は「法律の定めるところにより」閣議にかけて発することができると定めているが,仮に法律で緊急事態宣言を発することができる要件を定めるということであれば,その要件は憲法上の限定はなく包括的に法律に委ねることになる。また,仮に法律には単に手続的要件を定めるのみであり緊急事態宣言を発することができる要件を定めない場合には,緊急事態宣言の要件としては憲法上必要性の要件のみとなり,内閣総理大臣に専断的な決定権を与えることになる。
 これらの規定内容では,緊急事態の範囲が広がり,しかも内閣総理大臣は緊急事態宣言の発動要件の判断について憲法上の歯止めがなく,内閣総理大臣に専断的な決定権を与えるものであり,立憲主義を損ないかねないものである。
 また,例示されている「我が国に対する外部からの武力攻撃」「社会秩序の混乱」「大規模な自然災害」という文言も包括的かつ広範であり,宣言を発令する要件としては不明確である。
(3) 国会の承認
 緊急事態宣言については事前又は事後の国会承認(98条2項),「政令」「その他の処分」については事後の国会承認(99条2項)が必要とされている。しかし,前記のとおり,国会が緊急事態宣言の当否を判断するに当たり安全保障関連情報の開示を求めても,当該情報は「特定秘密」に指定され国会への開示も制限されることになる。そのため,内閣に対する国会の民主的抑制機能を十分に果たすことができない。
(4) 措置の期間
 自民党改正草案では緊急事態の期間に制限を設けていない(98条3項)。国会の事前承認があればいくらでも更新することができることになる。
 また,同案は100日を超えるごとに国会の事前承認を必要としているが(98条3項),緊急事態条項(国家緊急権)は例外的措置であることからすると,100日は長すぎる。
(5) 法律と同一の効力を有する政令
自民党改正草案99条1項は,「緊急事態の宣言が発せられたときは,法律の定めるところにより,内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができる」と規定している。この規定によれば,制定できる政令の範囲に限定はなく,また憲法の人権規定その他の憲法規範を遵守しなければならないのかも明らかではない。憲法上,内閣に対して,政令だけで従前の法律を全て改正できる権限を与えるものと解することが可能であり,例えば,緊急事態宣言の期間中,刑事訴訟法と同一の効力を有する政令を制定することにより,令状なき身体拘束・家宅捜索・通信傍受など,平時では法律で行っても憲法違反となるようなことが認められる可能性がある。また,本来の手続を省略した土地収用,家屋・工作物の除却等の即時断行的な行政処分が行われ,これに対する行政訴訟も差止め請求も停止させられることも考えられる。このように,本条による措置はあまりに広範であり,かつ人権が制約される危険性も大きい。
② また,自民党改正草案における上記の政令の制定に関しては,「国会が閉会中又は衆議院が解散中であり,かつ,臨時会の招集を決定し,又は参議院の緊急集会を求めてその措置をまついとまがないとき」(災害対策基本法109条)というような限定がない(国民保護法130条にも同様の規定がある。なお,大日本帝国憲法の緊急勅令においても議会閉会中に限定していた(8条1項)。)。
政令には事後に国会の承認を必要とするが,承認が得られない場合に効力を失う旨の規定がない(99条1項2項)(なお,大日本帝国憲法においても緊急勅令が事後に議会の承認を得られない場合は将来に向かって効力を失う旨の規定があった(8条2項))。
(6) 財政上必要な支出その他の処分
 自民党改正草案では,内閣総理大臣は「財政上必要な支出その他の処分」を行うことができると定められている(99条1項)。ここでは,財政処分を内閣総理大臣に包括的に委ねている。しかも,事後の国会承認が得られない場合に効力を失う旨の規定もない(99条2項)。
 国の財政を処理する権限は,国会の議決に基づいてこれを行使しなければならないとされている(日本国憲法83条)。これは,日本が戦前,軍事費のために無制限な財政支出を行って国家財政を破綻させたことに対する真摯な反省の下,財政民主主義を定めたものである。赤字国債を原則として禁止する財政法も同じ理念による。自民党改正草案99条1項は,この財政民主主義に抵触するものであるが,内閣総理大臣国債発行も含めて無制限に財政を処理する権限を認めるものであり濫用を防止し得ない。
(7) 公的機関の指示に従う義務
自民党改正草案99条3項は,「緊急事態の宣言が発せられた場合には,何人も,法律の定めるところにより,当該宣言にかかる事態において国民の生命,身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他の公の機関の指示に従わなければならない」として国民の公的機関の指示に従う義務を規定している。
 これまでも,例えば,国民保護法において,「国民は,この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは,必要な協力をするよう努めるものとする。」との規定が置かれていた(4条1項)。しかし,文言上明らかなとおり,「協力をするよう努める」という努力義務にとどまるものであり,また,努力義務であるにもかかわらず,万が一にも強制にわたることがあってはならないという趣旨から,「前項の協力は国民の自発的な意思にゆだねられるものであって,その要請に当たって強制にわたることがあってはならない。」との規定も注意的に置かれていた(4条2項)。
 しかし,自民党改正草案99条3項は,「協力をするよう努める」ことを超えて,「指示に従わなければならない」という義務を定めるものであり,強制されることを含むものである。仮に緊急事態下であるとしても,法律の授権に基づくものではなく,現憲法下では認められていない憲法により直接定められている国その他の公の機関の指示に対する国民の順守義務について,指示の主体及び義務の内容が憲法上限定されないまま,「法律の定めるところにより」幅広く認められることになれば,基本的人権が無制限に制約されかねない。
 この点,同項は,「この場合においても,第14条,第18条,第19条,第21条その他の基本的人権に関する規定は,最大限に尊重されなければならない。」と定めている。しかし,そのような規定があったとしても,憲法に国等の指示に対する国民の順守義務の根拠が明記された上でこのような規定が置かれていることからして,人権相互の矛盾・衝突を調整する内在的制約(日本国憲法13条「公共の福祉」)とは異なり,憲法の人権保障の例外としての外在的制約が認められることとなる(自民党改正草案Q&Aにおいても,「国民の生命,身体及び財産という大きな人権を守るために,そのため必要な範囲でより小さな人権がやむなく制限されることもあり得る。」と説明されている。なお,法律レベルではあるが,事態対処法ですら,「武力攻撃事態への対処においては,日本国憲法の保障する国民の自由と権利が尊重されなければならず,これに制限が加えられる場合にあっても,その制限は当該武力攻撃事態等に対処するため必要最小限のものに限られ」とされている(事態対処法3条4項)。)。
 また,諸外国の例を見ても,フランス憲法16条にこのような条項はないし,ドイツ憲法の緊急事態条項には,例えば,防衛事態(連邦領域が武力で攻撃された,又はこのような攻撃が直接に切迫していること。ドイツ基本法115a 条1項)に関して,兵役又は代替役務の義務を負わない者に,非軍事役務の従事義務(同法12a 条3項)を,また非軍事的衛生施設,治療施設等の労働力不足のときにそれを補うために女子を徴用することができる(同条4項)など,限定された役務従事義務を規定するだけである。
② さらに,日本が1979年に批准した自由権規約(「市民的及び政治的権利に関する国際規約」)4条1項及び2項は,緊急事態の存在が公式に宣言されたときでも,人種などによる差別は許されず,思想良心の自由,奴隷・奴隷状態の禁止等の人権については侵害してはならないと定めている。
 しかし,上記のとおり,自民党改正草案99条3項は,「この場合においても,第14条,第18条,第19条,第21条その他の基本的人権に関する規定は,最大限に尊重されなければならない。」と規定するにとどまり,侵害を禁止することが端的に明記されておらず,平時では許容されない人権侵害の余地を認めるとも解されるものであるから,自由権規約4条 1 項及び2項と抵触する。
③ 以上のとおり,自民党改正草案99条3項によって,基本的人権が不当に制約されかねないという懸念は払拭されるものではなく,むしろ,この規定が憲法上明記されることによって司法による人権の事後的救済が困難になるおそれがあり,立憲主義を損なうものといわざるを得ない。
(8) 国会議員の任期について
 自民党改正草案99条4項は,「緊急事態の宣言が発せられた場合においては,法律の定めるところにより,その宣言が効力を有する期間,衆議院は解散されないものとし,両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。」と定めている。
 前記4(4)で述べたとおり,緊急事態において特例として議員の任期が延長されることにより,本来予定されていた任期満了による総選挙が実施されなくなる。これは,国民の選挙の機会を失わせるものである。
 また,議員の任期の特例は「法律の定めるところにより」設けることができるとされており,憲法上の歯止めがない。仮に議員の任期延長について,法律により内閣総理大臣の裁量に委ねられることになれば,政権与党が多数を占める状態が継続し,緊急事態宣言時の内閣が政権を維持し続けることもあり得る。
 さらに,衆議院が解散された場合には,解散の日から40日以内に選挙を行うことが定められているが(日本国憲法54条1項),仮に選挙期日の特例について,法律により内閣総理大臣の裁量に委ねられることになれば,解散後,衆議院議員が不在のまま長期にわたり総選挙が実施されず,国会も召集されないまま,緊急事態宣言時の内閣が政権を維持し続けることもあり得る。
 これでは,国会及び国民による内閣に対する民主的抑制が十分に働かず,濫用を防止することは困難である。
(9) 小括
 そもそも,自民党改正草案が緊急事態条項(国家緊急権)を憲法上創設する理由の一つに,緊急事態条項(国家緊急権)に基づく権限の行使を憲法で縛り,その濫用を防止しようとする立憲主義が挙げられている。ところが,自民党改正草案は,緊急事態条項(国家緊急権)の全てにおいて,「法律の定めるところにより」との文言を含んでおり,重要な部分の多くを法律に委ねている。特に,98条1項は,緊急事態宣言の要件を定めるものであるが,それを「その他法律で定める緊急事態」として法律に委ねてしまえば,法律でいかようにも要件を定めることになり,憲法による縛りはなくなる。また,99条3項は,基本的人権に制限を加えることを許容するとも解される規定であるが,その内容についても法律に委ねてしまえば,平時では許容されないような人権制限が法律で可能となる。これは立憲主義を破壊するものであり,立憲主義の立場から憲法に緊急事態条項(国家緊急権)を規定すべきであるとの自らの論拠にも反する。
 以上のことから,自民党改正草案の制度設計は,立憲主義に反し,緊急事態条項(国家緊急権)の濫用を防止することはできず,基本的人権を損なう危険性が避けられない。
 
6 結論
 よって,意見の趣旨記載のとおり,当連合会は,自民党改正草案を含め,日本国憲法を改正し,戦争,内乱,大規模自然災害に対処するため同草案が定めるような対処措置を内容とする緊急事態条項(国家緊急権)を創設することに反対する。
                                     以 上

法律の略称
【事態対処法】
武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律
【米軍等行動関連措置法】
武力攻撃事態等及び存立危機事態におけるアメリカ合衆国等の軍隊の行動に伴い我が国が実施する措置に関する法律
特定公共施設利用法
武力攻撃事態等における特定公共施設等の利用に関する法律
【外国軍用品等海上輸送規制法
武力攻撃事態及び存立危機事態における外国軍用品等の海上輸送の規制に関する法律
【捕虜取扱法】
武力攻撃事態及び存立危機事態における捕虜等の取扱いに関する法律
【国民保護法】
武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律
国際人道法違反処罰法
国際人道法の重大な違反行為の処罰に関する法律

(別紙1)自由民主党憲法改正草案第9章「緊急事態」
【第98条】
1 内閣総理大臣は,我が国に対する外部からの武力攻撃,内乱等による社会秩序の混乱,地震等による大規模な自然災害その他の法律で定める緊急事態において,特に必要があると認めるときは,法律の定めるところにより,閣議にかけて,緊急事態の宣言を発することができる。
2 緊急事態の宣言は,法律の定めるところにより,事前又は事後に国会の承認を得なければならない。
3 内閣総理大臣は,前項の場合において不承認の議決があったとき,国会が緊急事態の宣言を解除すべき旨を議決したとき,又は事態の推移により当該宣言を継続する必要がないと認めるときは,法律の定めるところにより,閣議にかけて,当該宣言を速やかに解除しなければならない。
 また,百日を超えて緊急事態の宣言を継続しようとするときは,百日を超えるごとに,事前に国会の承認を得なければならない。
4 第2項及び前項後段の国会の承認については,第60条第2項の規定を準用する。この場合において,同項中「三十日以内」とあるのは,「五日以内」と読み替えるものとする。
【第99条】
1 緊急事態の宣言が発せられたときは,法律の定めるところにより,内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか,内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い,地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。
2 前項の政令の制定及び処分については,法律の定めるところにより,事後に国会の承認を得なければならない。
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には,何人も,法律の定めるところにより,当該宣言に係る事態において国民の生命,身体及び財産を守るために行われる措置に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。
 この場合においても,第14条,第18条,第19条,第21条その他の基本的人権に関する規定は,最大限に尊重されなければならない。
4 緊急事態の宣言が発せられた場合においては,法律の定めるところにより,その宣言が効力を有する期間,衆議院は解散されないものとし,両議院の議員の任期及びその選挙期日の特例を設けることができる。

(別紙2)安全保障法制の概要
1 我が国の安全保障に関する重要事項を審議する機関として,内閣に国家安全保障会議が設置されている(国家安全保障会議設置法1条)。同会議は,武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態(以下「武力攻撃事態」という。事態対処法2条2号)及び武力攻撃事態には至っていないが,事態が緊迫し,武力攻撃が予測されるに至った事態(以下「武力攻撃予測事態」という。同法2条3号。以下,武力攻撃事態及び武力攻撃予測事態を併せて「武力攻撃事態等」という。)への対処に関する基本的な方針等について審議をする(国家安全保障会議設置法2条1項)。
2 武力攻撃事態等に至ったときは,政府は武力攻撃事態等への対処に関する基本的な方針(以下「対処基本方針」という。)を定める(事態対処法9条1項)。対処基本方針が定められたときは,内閣総理大臣は,臨時に内閣に武力攻撃事態等対策本部(以下「事態対策本部」という。)を設置し(同法10条),内閣総理大臣が対策本部長に就任する(同法11条)。
 武力攻撃事態等に至った場合,対処基本方針が定められてから廃止されるまでの間,指定行政機関等は,武力攻撃事態等の終結等のために必要な措置(以下「対処措置」という。事態対処法2条8号参照)を実施する。対策本部長は,対処措置を的確かつ迅速に実施するために,対処基本方針に基づき,指定行政機関の長等に対し,対処措置に関する総合調整を行う(同法14条1項)。また,内閣総理大臣は,上記の総合調整に基づく所要の対処措置が実施されないときは,地方公共団体の長等に当該対処処置を実施すべきことを指示し(同法15条1項),それも実施されないときは,自ら当該対処処置を実施することができる(同法15条2項)。
3 自衛隊の行動等に関しては,武力攻撃事態に至った場合,内閣総理大臣は防衛出動を命ずることができる(自衛隊法76条)。防衛出動時には,自衛隊には,武力行使権限(同法88条),公共の秩序維持のための権限(同法92条),緊急通行権限(同法92条の2)が認められている。
 また,武力攻撃予測事態に至った場合には,防衛大臣は,防衛出動の待機を命ずることができ(自衛隊法77条),その下で,防衛施設を構築することができる(同法77条の2)。それに従事する自衛官には,一定の範囲で武器使用が認められている。
4 米軍等との関係では,米軍等行動関連措置法の定めるところにより,日本が米軍等に対し,補給,輸送,修理・整備,医療,通信,空港・港湾業務等の物品や役務の提供を行うことができる(同法77条の3)。
5 国民保護に関しては,防衛大臣は,都道府県知事から自衛隊の部隊等の派遣要請を受けた場合,又は,事態対策本部長である内閣総理大臣から自衛隊の部隊等の派遣を求められた場合には,部隊等を派遣することができる(国民保護法15条1項,2項,自衛隊法77条の4)。また,「国民は,この法律の規定により国民の保護のための措置の実施に関し協力を要請されたときは,必要な協力をするよう努めるものとする。」との規定が置かれている(4条1項)。内閣は,著しく大規模な武力攻撃災害が発生し,国の経済の秩序を維持し及び公共の福祉を確保する必要がある場合において,一定の条件の下,金銭債務の支払猶予等に関して政令制定権限が認められている(同法130条1項)。
6 港湾施設,飛行場施設,道路,海域,空域及び電波(以下「特定公共施設等」という。特定公共施設利用法2条3項)の利用のうち港湾施設については,内閣総理大臣(対策本部長)は,港湾管理者に対して,優先的利用の要請をすることができ(同法7条1項),それが確保できない場合には港湾管理者に確保するよう指示し(同法9条1項),それでもなお確保できない場合には国土交通大臣を指揮して確保のための措置を行うことができる(同法9条3項)。これは,飛行場施設の利用に関しても同じである(同法11条)。
7 我が国の領海及び我が国周辺の公海における外国軍用品等(兵器・武器・弾薬等や外国軍隊の構成員)の海上輸送の規制に関しては,防衛大臣は,内閣総理大臣の承認を得て,防衛出動を命じられた海上自衛隊の部隊に対して,停船命令や船上検査などの停泊検査及び回航措置の手続を実施するよう命ずることができる(外国軍用品等海上輸送規制法4条1項)。その際,自衛官は職務の遂行に関して武器を使用することができる(同法37条,自衛隊法94条の7)。
8 このほかにも,捕虜取扱法では武力攻撃事態における捕虜等の拘束など捕虜の取扱について定めている(捕虜取扱法4条,自衛隊法94条の8)。

(別紙3)治安法制の概要
1 内閣総理大臣は,大規模な災害又は騒乱その他の緊急事態に際して,緊急事態の布告(以下別紙3において「布告」という。)を発することができる(警察法71条1項)。布告が発せられたとき,内閣総理大臣は一時的に警察を統制し,警察庁長官(以下「長官」という。)を直接に指揮監督する(同法72条)。長官は,布告に記載された区域(以下「布告区域」という。)を管轄する都道府県警察の警視総監等に対し,必要な命令・指揮をし(同法73条1項),布告区域外の都道府県警察に対して布告区域等への警察官の派遣を命じることができる(同法73条2項)。
2 また,内閣総理大臣は,間接侵略その他の緊急事態に際して,一般の警察力をもっては治安を維持することができないと認められる場合には,自衛隊の出動を命ずることができる(以下「治安出動命令」という。自衛隊法78条1項)。この場合,内閣総理大臣は,海上保安庁防衛大臣の統制下に入れることができ(同法80条1項),防衛大臣がこれを指揮することになる(同法80条2項)。なお,防衛大臣は,治安出動命令が発せられることが予測される場合には,出動待機命令を発することができる(同法79条1項)。また,治安出動命令が発せられ,武器を所持した者が不法行為を行うことが見込まれる場合,当該武器所持者の所在場所等における情報収集を命ずることができる(同法79条の2)。
3 都道府県知事は,治安維持上重大な事態につきやむを得ない必要があると認める場合には,内閣総理大臣に対して自衛隊の出動を要請し(同法81条1項),内閣総理大臣は,事態やむを得ないと認める場合には,自衛隊の出動を命ずることができる(同法81条2項)。
4 これら治安出動の他にも,内閣総理大臣自衛隊の施設等への警護出動命令(同法81条の2),防衛大臣の海上における警備活動命令(同法82条)などの定めが置かれている。
5 日本の社会秩序を混乱させた者に対しては,当該者が行った犯罪に応じて,刑法その他の刑事法により各種刑罰規定が定められている。
6 なお,2005年(平成17年)の自衛隊法改正により弾道ミサイル等に対する破壊措置命令に関する規定(同法82条の2)が設けられたが,政府はこれを,防衛出動命令下命前の措置であるので武力の行使ではなく武器の使用であるとして,防衛作用ではなく警察作用としている(2005年(平成17年)7月5日参議院外交防衛委員会での大野功統防衛庁長官の答弁)。政府の見解を前提とするならば,これも治安維持の制度に位置付けることができる。
7 テロ対策防止に関する条約としては,①航空機内の犯罪に関する条約(1969年),航空機不法奪取防止条約(1971年),③民間航空への不法行為防止条約(1973年),④空港での暴力行為防止議定書(1989年),⑤国家代表等への犯罪防止・処罰条約(1977年),⑥人質行為防止条約(1983年),⑦核物質防護条約(1987年),⑧海上航行不法行為防止条約(1992年),大陸棚プラットフォーム不法行為防止条約(1992年),⑨プラスチック爆弾探知条約(1998年),⑩テロ爆弾使用防止条約(2001年),⑪テロ資金供与防止条約(2002年)などがある(2003年(平成15年)2月衆議院憲法調査会事務局「「非常事態と憲法」に関する基礎的資料-安全保障及び国際協力等に関する調査小委員会(平成15年2月6日及び3月6日の参考資料)」・衆憲資第14号)。
8 政府は,武力攻撃の手段に準ずる手段を用いて多数の殺傷する行為が発生した事態又は当該行為が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態で,国家として緊急に対処することが必要なもの(緊急対処事態)に至ったときは,緊急対処事態に関する対処方針(緊急対処事態対処方針)を定めるものとされている(事態対処法22条 1 項)。ここに緊急対処事態とは,武力攻撃に準ずるテロ等の事態をいい,例えば,原子力事業所などの破壊,大規模集客施設やターミナル駅などの爆破,生物剤や化学剤の大量散布,航空機などの自爆テロなどである(内閣官房国民保護ポータルサイト)。国民保護法は,国や地方公共団体等に対して,緊急対処保護措置を的確かつ迅速に実施することに万全を期す責務を有するとされている(同法172条)。そして,国民は,緊急対処保護措置の実施に関し協力を要請されたときは,必要な協力をするよう努めるものとされている(同法173条1項)。

(別紙4)災害法制の概要
1 災害対策基本法によれば,非常災害が発生し,かつ,当該災害が国の経済及び公共の福祉に重大な影響を及ぼすべき異常かつ激甚なものである場合に,内閣総理大臣は,災害緊急事態の布告(以下別紙4において「布告」という。)を発することができる(同法105条1項)。この布告があったとき,次の措置が採られる。
(1) 内閣総理大臣は,臨時に内閣府に緊急災害対策本部を設置する(同法107条,28条の2)。緊急災害対策本部長には内閣総理大臣が就任する(同法28条の3,1項)。緊急災害対策本部には,緊急災害現地対策本部を置くことができる(同法28条の3,8項)。緊急災害対策本部長は,関係指定行政機関の長等に必要な指示をしたり(同法28条の6,2項),資料又は情報の提供,意見の表明その他必要な協力を求めたりすることができる(同条3項)。
(2) 政府は,災害緊急事態への対処に関する基本的な方針を定める(同法108条)。
(3) 内閣は,国の経済の秩序を維持する等の緊急の必要がある場合において,国会が閉会中又は衆議院が解散中であり,かつ,臨時会の招集を決定し,又は参議院の緊急集会を求めてその措置を待ついとまがないときは,緊急措置として政令を制定することができる。政令の対象は,生活必需物資の配給等の制限他合計4点である(同法109条1項,同法109条の2)。政令には刑罰を付すことができる(同法109条2項)。政令を制定したときは,内閣は直ちに国会又は参議院の緊急集会で承認を求めなければならない(同法109条4項)。政令に代わる法律が制定されないこととなったときは,制定されないこととなったときに政令の効力は失われる(同法109条5項)。
(4) 内閣総理大臣は,国民に対し,国民生活との関連性が高い物資等をみだりに購入しないこと等の協力を要求することができる(同法108条の3)。
2 大規模地震対策特別措置法によれば,内閣総理大臣は,気象庁長官から地震予知情報の報告を受けた場合において,地震防災応急対策を実施する緊急の必要があると認めるときは,地震災害に関する警戒宣言を発するとともに,住民等へ警戒態勢を執るべき旨を公示する等一定の措置を執らなければならない(同法9条1項)。
 警戒宣言を発したとき,次の措置が執られる。
(1) 内閣総理大臣は,臨時に内閣府地震災害警戒本部(以下「警戒本部」という。)を設置する(同法10条1項)。警戒本部長には内閣総理大臣が就任する(同法11条2項)。警戒本部は,所管区域において指定行政機関の長等が実施する地震防災応急対策又は災害応急対策(以下「地震防災応急対策等」という。)の総合調整等を行う(同法12条)。
(2) 警戒本部長は,関係指定行政機関の長等に対し,必要な指示を行うことができる(同法13条1項)。
(3) 警戒本部長は,防衛大臣に対し,自衛隊の部隊の派遣を要請することができる(同法13条2項)。
3 警察法によれば,前記のとおり,大規模な災害で治安の維持のために特に必要があると認めるときは,緊急事態の布告を発することができ(警察法71条1項),内閣総理大臣警察庁長官を直接指揮監督し,一時的に警察を統制することができる(同法72条)。
4 原子力災害対策特別措置法によれば,原子力事業者の原子炉の運転等により放射性物質又は放射線が異常な水準で当該原子力事業者の原子力事業所外へ放出された事態が発生したと認められる場合,原子力規制委員会は,内閣総理大臣に対し,その状況に関する必要な情報の報告等を行う(同法15条1項)。
 上記報告等を受けた内閣総理大臣は,直ちに原子力緊急事態宣言を公示し(同法15条2項),原子力災害対策本部を設置し(同法16条1項),内閣総理大臣がその対策本部長に就任する(同法17条1項)。
 また,内閣総理大臣は,市町村長及び都道府県知事に対し,居住者等の避難のための立退き,屋内への退避の勧告等を行うべきこと等を指示することとされている(同法15条3項)。
5 自衛隊法によれば,都道府県知事等は,天災地変その他の災害に際して,防衛大臣等に自衛隊の派遣を要請することができ(同法83条1項),要請を受けた防衛大臣等は救援のために自衛隊を派遣することができる(同法83条2項本文)。ただし,特に緊急を要し,要請を待ついとまがないと認められるときは,要請を待たないで自衛隊を派遣することができる(同法83条2項但書き)。
6 地震等の大規模な自然災害の場合,被災者の救助等のために人権制約を認めた規定がある。
 すなわち,都道府県知事は,(ⅰ)医療,土木建築工事又は輸送関係者を救助に関する業務に従事させることができる(災害救助法7条1項)。これには罰則がある(同法31条)。(ⅱ)救助を要する者及びその近隣の者を救助に関する業務に協力させることができる(同法8条)。(ⅲ)病院,診療所,旅館等を管理し,土地家屋物資を使用し,物資の生産,集荷,販売,配給,保管若しくは輸送を業とする者に物資の保管を命じ,収用できる(同法9条1項)。これには罰則がある(同法31条)。(ⅳ)職員に施設,土地,家屋,物資の所在場所,保管場所に立ち入り検査させることができる(同法10条1項)。これには罰則がある(同法33条1項)。
 市町村長は,(ⅰ)設備物件の占有者,所有者又は管理者に対して当該設備又は物件の除去,保安その他必要な措置を採ることを指示できる(災害対策基本法59条1項),(ⅱ)居住者等に対し避難のための立ち退きを勧告し,立ち退きを指示することができる(同法60条1項)。(ⅲ)居住者等に対し,屋内待避その他屋内における避難のための安全確保措置を指示できる(同法60条3項)。(ⅳ)警戒区域を設定し,立ち入りを制限,禁止,退去を命ずることができる(同法63条1項),(ⅴ)他人の土地・建物その他の工作物を一時使用し,土石竹木その他の物件を一時使用し,若しくは収用できる(同法64条1項)。(ⅵ)現場の災害を受けた工作物又は物件の除去その他必要な措置を採ることができる(同法64条2項)。(ⅶ)住民又は現場にある者を応急措置の業務に従事させることができる(同法65条1項)。
 
(校注/金原から)
10頁 28行目 「~という地方分権に視点から」を「~という地方分権の視点から」に訂正した。
31頁 5行目 文末に句点(。)を付加した。
 

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2016年1月26日
水島朝穂教授による自民党改憲案「緊急事態条項」批判論文(2013年)がネットで公開されました
2016年2月3日
自民党改憲案・緊急事態条項はナチス授権法の再来か?~海渡雄一弁護士の論考を読む

2016年2月6日
立憲デモクラシーの会・公開シンポジウム「緊急事態条項は必要か」を視聴する

2016年4月11日
立憲デモクラシー講座第8回(4/8)「大震災と憲法―議員任期延長は必要か?(高見勝利氏)」のご紹介(付・『新憲法の解説』と緊急事態条項)
2016年5月29日
金森徳次郎国務大臣答弁と『新憲法の解説』を読む~災害を理由とした緊急事態条項は不要!
2016年10月24日
動画とレジュメで振り返る講演「参院選後の改憲の動きと私たちの課題」(2016年10月22日/講師:金原徹雄/主催:憲法を生かす会 和歌山)
 

(付録)
『これがボクらの道なのか』
『時代は変わる』
『遠い世界に』
『花をください』
『Hard Times Come Again No More』
『血まみれの鳩』
演奏:長野たかし&森川あやこ
 
※2013年10月5日@京都市御池地下街 ゼスト御池