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wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

司法に安保法制の違憲を訴える意義(14)~東京・差止請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告による意見陳述(様々な立場から)

 今晩(2017年4月22日)配信した「メルマガ金原No.2790」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
司法に安保法制の違憲を訴える意義(14)~東京・差止請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告による意見陳述(様々な立場から)

東京地方裁判所(民事第一部) 
平成28年(行ウ)第169号 安保法制違憲・差止請求事件
原告 志田陽子、石川德信ほか50名
被告 国

 昨年4月26日、東京地方裁判所に提訴された2件の安保法制違憲訴訟のうち、差止請求訴訟について
、同年9月29日、12月21日に続く第3回口頭弁論が、去る2017年4月14日(金)午前10時
30分から、東京地裁103号法廷で開かれました。
 昨日、原告代理人2名による陳述(原告「準備書面(3)」~同「(6)」の概要をそれぞれ説明する
もの)をご紹介しましたが、今日は、3名の原告による意見陳述の内容をご紹介します。
 陳述されたのは、
  原かほるさん(両親ともに障がいを持つ女性)
  高橋俊敬さん(戦地での加害に苦しんだ父を持つ医療従事者)
  山口宏弥さん(元国際線機長)
という様々なバックグラウンドを持つみなさんでした。
 以下には、法廷で読み上げられた陳述書の全文を転載しますが、三輪祐児さん(UPLAN)が撮影された記者会見と報告集会の動画を併せて視聴することにより、法廷での陳述の様子がありありと目に浮かぶもの
と思います。

20170414 UPLAN 東京地裁103号法廷を満席に!安保法制違憲訴訟 第3回差し止め訴訟期日& 報告集会(2
時間05分)

冒頭~ 入廷前集会(東京地裁正門前)
16分~ 裁判終了後の記者会見
46分~ 報告集会(司会 黒岩哲彦弁護士)
 46分~ あいさつ 寺井一弘弁護士
 52分~ 高橋俊敬さん(戦地での加害に苦しんだ父を持つ医療従事者)
 58分~ 原かほるさん(両親ともに障がいを持つ女性)
 1時間05分~ 山口宏弥さん(元国際線機長)
 1時間12分~ 古川(こがわ)健三弁護士
 1時間20分~ 福田 護弁護士
 1時間42分~ 黒岩哲彦弁護士
 1時間45分~ 質疑応答・意見交換
  1時間48分~ 飯島滋明さん(名古屋学院大学教授)
 2時間01分~ 閉会あいさつ 寺井一弘弁護士

 なお、昨日も書きましたが、報告集会の中で、司会の黒岩哲彦弁護士が「素晴らしい」と絶賛した岡山国賠訴訟(3月22日に行われた第2回口頭弁論)での17歳の女子高校生(原発事故により、横浜市から岡山市に避難)の意見陳述も是非お読みいただければと思います。
 

原告意見陳述 原 かほる   
 
 私の家族は、両親と私の 3 人ですが、3 人とも障害者手帳を持っています。父(67 歳)は脳性小児麻痺の後遺症による歩行障害で、母(73 歳)はポリオの後遺症による歩行障害です。二人とも、車椅子を使っており、また年金暮らしです。母は、洋裁の技能士として知事表彰を受ける等、体が不自由ながらも身に着けた技能を如何なく発揮し、地域社会において生活を確立してきました。けれども加齢とともに障害の程度が進み、今では手指の自由を失い、ハサミや針を扱うことができません。また父も、以前はタクシー会社で配車の仕事をしていましたが、長年の無理がたたって歩行の困難度も増し、痛みに耐えながら生活をしています。
 私は、痙性対麻痺という病気で子どもの時から歩行障害がありました。進行性の障害ではないものの、緩やかに、けれど確実に、自分の運動の範囲が狭められていくのを感じながら、今は、車椅子や杖を使って歩行しています。
 私は、大学を卒業後、大学院を経て、自立して働いてきましたが、現在は少しでも両親の力になりたいと地元に戻り、実家の近くで暮らしています。介護サービスを利用し、仕事との両立を工夫しながら、両親の生活を支える日々です。私は、県の職員として働いてきましたが、昨年の 4 月からは休職し、労働組合の専従役員として職場の問題解決に努めています。
 今回の安保法制で、私や両親が受けた衝撃は大変大きなものでした。両親は、戦中・戦後の混乱の中、障害者として困難な人生を歩んできました。その中で、特に母は、障害を持つ私が仕事を得て、社会的に自立できるようにと支援してくれました。母の時代、障害者は公立高校に入ることが許されておらず、必要な教育を受けることができなかったそうです。そこで、私にはできるだけの教育を受けさせ、自分の仕事で食べていけるようにと配慮してくれたのでした。そのおかげで、私は現在、県の職員として地域住民のために働いています。けれども、私のこの生活も安保法制の現実化の下で、維持できないのではないかという強い不安と言い知れぬ恐怖を感じています。それは戦争中にこの国で、障害者がどう扱われてきたかという歴史から思うのです。戦時中の学童疎開では、障害児は対象外であったといいます。障害者は生きるに値しない存在と国家に見なされていたわけです。ナチスによる障害者虐殺の事実もあります。
 安保法制は人を殺すことを認める法律で、軍事への莫大な支出を重ねる一方、医療・福祉への予算は削られていきます。それにより、障害者は「お荷物」で、役に立たない、疎ましい存在だという空気が、社会に蔓延していくことが恐ろしいのです。
 戦後、世界では、障害者が健常者と同じように暮らせる社会を目指して動いてきました。21世紀になり、障害者権利条約が国連総会で採択された後は、日本も国内法の整備を進め、やっと批准に漕ぎつけました。現実には障害者として日々の生活に困難を抱える者にとって、障害者を健常者と同じ価値を持つ存在として認め、同じように暮らせるための施策が進められ、その差別解消を目指す動きは、私にとって、社会が少しずつ明るく変わっていくような動きでした。希望そのものでした。ところが、安保法制によって、この社会を取り巻く空気が私たち障害者にとっては一変したのです。昨日今日、社会は変わっていないように見えても、すでに舵は切られたのです。抗いきれない大きな力によって、暗闇に向かってゆっくり引きずり込まれるような、そんな恐怖と不安に押しつぶされそうになっています。
                                        以上
 

原告意見陳述 高橋 俊敬(柳原診療所事務長)

1.亡父の戦争体験
 私の亡父、高橋國雄は、大正 9 年(1920 年)宮城県の田舎町に生まれ、尋常高等小学校卒業後上京し、旋盤工をしながら日大工学部の夜間部に通いましたが、戦局の悪化に伴って昭和18年に繰り上げ卒業となり関東軍重砲部隊に配属されました。
 父が配置されたのはソ連国境、東寧という巨大な要塞でした。1945年8月9日未明、突然雷鳴のような砲撃が始まり、東寧要塞にも砲弾が集中されましたが、分厚いペトンで造られた要塞は持ち堪え、直ちに反撃の砲撃戦となりました。口径20cmを超える重砲も何発も立て続けに撃ち続けると砲身が真っ赤に焼け付き、初年兵が外に出て砲身にバケツの水を浴びせて冷やす作業をするのですが、周囲をソ連軍に包囲された中、機関銃弾が浴びせられ何人も死んでいきました。父は、入隊したばかりの10代の若者たちが次々に戦死する有様を見て「戦争の怖さ」を初めて知ったそうです。
 やがて、要塞の外周から次々に突破され、中隊長から砲台を自壊して脱出するよう命令され、重砲中隊の残存者たちは森林の中に逃げ込みました。
 玉音放送から5日後の8月20日。日本軍の格好をした3人の兵隊を発見し、詰問したところ動員された朝鮮兵と分かり、中隊長は「敵前逃亡」と決めつけて3人の斬首を命じたのです。
 命じられたのは父と軍曹の二人。父も一人の朝鮮人青年の首を切り落としました。父はその瞬間の、軍刀の刃先が頸椎に食い込んだ瞬間の感覚が忘れられず、死ぬまで「恐ろしいことをしてしまった」と悔やんでいました。夜中に突然うなされることも死ぬまで続きました。

2.史学科を選択し、 地域医療に

 父や東京大空襲で被災した伯父たちの悲惨な戦争体験を小さな頃から聞いて育った私は、「何故、戦争が起きるのか?」、それを理解しようと大学の文学部西洋史専攻に入学し、戦争史を中心に学びました。そして、戦争は自然現象ではなく、戦争しようとする勢力がいてはじめて勃発するというごく当たり前な結論に至りました。
 現在私は、北千住にある小さな診療所の事務長として、命を守る仕事に尽くしています。

3.集団的自衛権・安保法制は憲法違反であり、私には耐えられない!
 2014年7月1日、政府は「集団的自衛権」を閣議決定しました。2015年9月19日に安保法制(戦争法)が強行採決されるに及んで、私の怒りと不安は最大限に募り、怒髪天を突くような思いでした。私の一人息子や同年代の若者たちが、戦地に駆り出され銃火にさらされる時代が始まってしまいました。今、歯止めをかけなければ、私の父が経験したような、いや、それよりもっと悲惨な日々が必ずやってきます。
 憲法前文と九条が明確に禁じている戦争を絶対に認めるわけにはいきません。
 前の大戦で、2000万を超えるアジアの人々が犠牲となり、日本兵も海外で240万人が犠牲となっています。厚労省の公表資料によっても、117万人の戦死者の遺骨が今も遺族に還されておりません。
 私は、2013年2月に厚労省の公募ボランティアとして約2週間、「玉砕」の島=硫黄島に行き、地下壕を掘り御遺骨を回収して来ました。硫黄島では有毒ガスが流出しているので、陸上自衛隊の不発弾処理班と化学防護班の隊員たちが随伴してくれました。2週間の間、お互いの出身地や父母兄弟のこと、なぜ自衛隊に入隊したのか?などを聞く中で彼らへの尊敬と愛情が沸いて来ました。
 2016年11月20日、陸自部隊が「駆けつけ警護」「共同宿営地防御」の任務を付与されて南スーダンに派遣されてしまいました。私は硫黄島で一緒だった彼らも派遣されるのかと思うと身が削られるような深い悲しみに陥りました。安保法制がある限り、自衛隊の危険な地域への派遣は行われるでしょう。
 また、「武力攻撃事態法」では、「存立危機事態」を総理大臣が宣言すれば、私たち医療従事者も動員され、私や私の同僚も戦争に協力させられます。
 72年前の戦争の後始末さえできない国が、「集団的自衛権」の名の下にふたたび戦争ができるようになることなど断じて許せません!
 シベリアから奇跡的に生還した父もお墓の中から「戦争だけはしちゃいかん!」と叫んでいると思いま
す。「玉砕」した硫黄島の将兵も約半分の1万1千人が未だに未帰還です。彼らも土砂で埋まった地下壕の奥から「戦争しちゃいかん!」と叫んでいる声が私には聞こえます。
 平和に生きる権利を守るため、私は政府の違法性を訴え、安保法制の即時廃止を訴えるものです。
                                        以上
 

原告意見陳述 山口 宏弥

 私は1972年にパイロットとして日本航空に入社、1991年からの19年間は、機長として主にヨーロッパを中心に乗務してきました。
 飛行機の運航は,気候や地震・火山などに影響されますが,特に国際線は,世界各地の政情や治安の状況に大きく影響されています。
 民間航空は平和であってこそ存在できる産業です。そのために航空労働者は民間航空が戦争に巻き込まれることに,一貫して反対してきました。しかし、1999年5月の周辺事態法を契機に,自衛隊の民間機利用が目立つなど取り巻く環境が悪化してきました。
 国際民間航空条約は,民間機を使った軍需輸送を禁じています。条約は例外的に2国間の軍需輸送を認めていますが、日本の航空法に日本国籍機の軍需品輸送の規定がありません。それは憲法9条があり、軍需品の輸送を想定していないからです。
 ところが,政府は周辺事態法以後「安全基準を満たせば危険品輸送として可能」「民間機による武器・弾薬の輸送も排除されない」とそれまでの航空法の解釈を変えました。
 2000 年8月には、アメリカ国防総省から当時の防衛施設庁を通して国内航空各社に対して米軍の輸送資格を取得するよう申し入れがありました。これには労働組合の強い反対もあり航空会社は、受け入れていませんが、要請は現在でも続いています。
 2003年のイラク戦争では「戦争反対」の声が高まり、自衛隊派遣では日本の民間機を使用しませんでした。しかし2006年のイラクからの撤退。2009年のジプチへのPKO「派遣」では、日本航空は民生支援を理由に自衛隊輸送を受け入れました。
 昨年11月30日、日航機がチャーターされ南スーダンへ119名の自衛隊員が輸送されました。これは「集団的自衛権行使」を容認する安保法制の成立後の閣議決定で、「駆け付け警護」などの任務が付与され、武力行使も前提とした自衛隊員の輸送でした。
 今日まで、日本の民間機は「報復テロ」の標的にはされませんでした。しかし安保法制の成立で、他国の戦争の助太刀をする自衛隊員の輸送は、これまでの輸送とは根本的に異なります。輸送そのものが相手国から敵視され攻撃されるだけでなく、報復テロの対象が日本国民・国内へと広がるからです。
 かつて世界一の航空会社であったパンアメリカン航空は、80年代にパレスチナリビアなどのテロ集団から相次いで攻撃され、多くの犠牲者を出した結果、信頼を失い、旅客が離れ、倒産に追い込まれました。パンナムがテロの標的とされた理由は軍需輸送を行っていただけではありません。「戦争する国・アメリカ」の象徴であったからです。
 今年 1 月、アメリカでトランプ政権が誕生しました。安倍首相は世界に先駆けてトランプ大統領と会談。「日米の価値観が100%一致した」として日米同盟の更なる深化を評価しています。これまで以上に日本に軍事協力を求めて来ることは明らかです。安保法制は、日本政府がアメリカの求める際限のない軍事的な協力を断る理由としていた憲法9条の歯止めを取り払ったものです。

 安倍政権は、安保法制の制定で日本を「戦争のできる国」に変貌させました。これによって、日本の民間機が、テロ集団の標的にされる可能性は極度に高まりました。飛行機の旅客や乗務する仲間、後輩が犠牲となることが現実味を帯びてきています。私は、憲法を蹂躙し、国民の命を軽んじる政権に対して、いいたたまらない気持でいると同時に、止めることのできない口惜しさと憤りを感じています。

 貴裁判所には、大統領令を違憲と判断したアメリカ連邦裁判所のように、法の番人として、三権分立の範を示す判断を下されますよう切望いたします。
                                        以上
 

(弁護士・金原徹雄のブログから)
2016年9月3日
東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)
※過去の安保法制違憲訴訟関連のブログ記事にリンクしています。
2016年9月6日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年9月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(2)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述
2016年10月4日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(3)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年10月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(4)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述
2016年12月9日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(5)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告代理人による意見陳述

2016年12月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(6)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告による意見陳述
2017年1月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(7)~寺井一弘弁護士(長崎国賠訴訟)と吉岡康祐弁護士(岡山国賠訴訟)の第1回口頭弁論における意見陳述
2017年1月7日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(8)~東京・差止請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述
2017年1月8日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(9)~東京・差止請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告(田中煕巳さんと小倉志郎さん)による意見陳述

2017年2月14日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(10)~東京「女の会」訴訟(第1回口頭弁論)における原告・原告代理人による意見陳述

2017年3月15日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(11)~東京・国家賠償請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告代理人による陳述 
2017年3月16日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(12)~東京・国家賠償請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告(田島諦氏ほか)による意見陳述
2017年4月21日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(13)~東京・差止請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告代理人による陳述