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必見!MBSドキュメンタリー映像'17『村と科学者~避難解除の福島・飯舘村~(仮)』(5/28深夜)

 今晩(2017年5月14日)配信した「メルマガ金原No.2812」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
必見!MBSドキュメンタリー映像'17『村と科学者~避難解除の福島・飯舘村~(仮)』(5/28深夜)

 昨日・今日の2日間(5月13日・14日)、放送大学和歌山学習センターで、 面接授業「中世の紀行文学を鑑賞する」(講師:下西忠高野山大学教授)を受講しました。放送大学の現役学生(正式に入学して9年目に入ったところ。まだ今年度を含めて2年間在籍できます)として、「東関紀行」を読むという得難い経験をしました。これによって、中世紀行文学の隆盛と新文体の確立が、その後の日本文学(松尾
芭蕉の「奥の細道」など)や文章日本語の形成に与えた大きな影響を知ることができました。
 来月も、下西先生は講演で和歌山市を訪れる予定と話されていましたが、詳細を聞きそびれてしまいました。簡単なネット検索ではよく分かりませんでしたが、講演情報に接してご都合がつくようであれば、是非受講をお勧めしたいと思います。

 さて、今日のメルマガ(ブログ)は、大阪の毎日放送MBS)が月に1回のペースで放送するMBSドキュメンタ
リー映像'17のご紹介です。
 番組案内を読んだ限りでは、飯舘村と今中哲二さんを追ったドキュメンタリーのようであり、これは必
ず視なければと思い、皆さまにもご案内することとしたものです。
 3.11以降、何度も今中さんの講演会に参加し、一度は私が交渉担当者となって来ていただいたこともあり(2012年4月に青年法律家協会和歌山支部がお招きした際)、すっかりお馴染みとなった今中哲二
さんですが、恥ずかしながら、3.11までは、そのお名前も存じ上げませんでした。

 3.11以降、今中さんや小出裕章さんら、京都大学原子炉実験所の原子力安全研究グループに集ったいわゆる「熊取6人組」の存在を知るきっかけとなったのは、毎日放送のドキュメンタリー映像'08として放送された『なぜ警告を続けるのか~京大原子炉実験所・"異端"の研究者たち』がネットにアップ
されたのを視聴した時でした。この番組を放送したばっかりに、関西電力からの強硬な抗議によって大変な騒ぎになったということも、すぐに知識として共有するようになりました。
 そして、3.11が起こった年(2011年)の秋には、その続編というべき
『放射能汚染の時代を生きる~京大原子炉実験所・"異端"の研究者たち~』が放送されました。

 その後、私のメルマガ(ブログ)でもたびたび今中哲二さんの活動を取り上げてきました。そのほんの
一部に過ぎませんが、末尾にリンクしておきました。

 それでは、5月28日(日)深夜に放送される「村と科学者~避難解除の福島・飯舘村~(仮)」の放送予告をご紹介します。大阪・毎日放送が視聴可能なエリアにお住まいの方は是非ご覧になってください。

毎日放送 2017年5月29日(月)午前0時50分~(28日・深夜)
MBSドキュメンタリー映像'17
「村と科学者~避難解除の福島・飯舘村~(仮)」

(番組案内から引用開始)
 福島県の北部にある飯舘村(いいたてむら)は人口6,000人、農業と肉牛で村おこしに励み、四季折々の風景が美しい村だった。村の大部分は福島第一原発から30キロ以上離れていたが、2011年3月の原発事故では気象状況のために大量の放射性物質が雨と雪によって降下し、山や田畑、住宅を汚染した。事故発生当初、村民には放射能汚染についての情報がほとんど知らされず、1ヶ月以上経ってから国は村を“計画的避難区域”に指定。人々は物事の判断を十分に行う暇もないまま全村避難させられ、故郷を奪われることに
なった。
 この飯舘村に事故当初から入り、放射能汚染の測定を続けている科学者がいる。京大原子炉実験所の今中哲二さんだ。村内をまわって空間放射線量や土壌汚染のデータを測定し、広く一般に公開している。「飯舘村を汚染している放射性物質は、主にセシウム134(半減期3年 ※金原注「2年」の間違い?)とセシウム137(半減期30年)。理論どおりに減衰してはいるが、汚染がほぼなくなるまでに、50年100年単位の時間がかかる」と今中さんは言う。原子力の専門家として、1986年にソ連で起きたチェルノブイリ原発事故を主に研究してきた。今中さんは福島とチェルノブイリを重ね合わせて、こう言う。「いったん原発事故が起きると、周囲20~30キロの地域・文化がまるごと失われるという点では、同じことが起きている・
・・」
 今年3月31日。飯舘村では避難指示が解除された(一部帰還困難地域を除く)。宅地や農地の大規模な除染の結果、年間の追加被ばく線量が20ミリシーベルトを下回るようになったというのが理由だが、山林の除染は手つかずで、村内には高線量が計測される“ホットスポット”が点在する。5月1日現在、村に戻ったのは259人。全人口の4%足らずで、ほとんどが高齢者だ。そんな村は、いま国からの交付金で財政は潤い(予算額は原発事故前の4倍)、道の駅や子ども園などの公共工事が急ピッチで進められている。原発事故での強制避難と解除を経験した村は、巨額の公費の下でどう再生を果たそうとしているのか、村民と科
学者それぞれの視点から考える。
(引用終わり)

(参考サイト) 

(参考動画)
第112回 原子力安全問題ゼミ(2016年2月10日) 今中哲二さん講演(1時間13分)