wakaben6888のブログ

憲法を大事にし、音楽を愛し、原発を無くしたいと願う多くの人と繋がれるブログを目指します

武藤類子さんが和歌山に来られます~原発がこわい女たちの会 結成30年のつどい@和歌山ビッグ愛(5/28)

 今晩(2017年5月25日)配信した「メルマガ金原No.2823」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
武藤類子さんが和歌山に来られます~原発がこわい女たちの会 結成30年のつどい@和歌山ビッグ愛(5/28)

 既に一度ご案内していますし、もう開催まで3日しかない間際でもありますが、やはり一度は正式に告
知すべき重みのある企画だと思いますので、あらためてご紹介します。
 それは、来る5月28日(日)午後2時から、和歌山ビッグ愛9階会議室Cで開催される「原発がこわい女たちの会 結成30年のつどい」に、ゲストとして福島県三春町(みはるまち)から武藤類子(むとう
・るいこ)さんが招かれているということです。
 私は、武藤さんが和歌山に来られるということを、同会代表の松浦雅代さんから「原発がこわい女たちの会ニュース」の第101号をお送りいただいて初めて知りました(
「原発がこわい女たちの会ニュース」第101号が届きました~祝結成30年!/2017年4月15日)。
 
 上記ニュース第101号やニュースからスピンオフさせた後掲チラシにも書かれているとおり、現在、福島原発告訴団団長、ひだんれん共同代表などの重責を担われている武藤類子(むとう・るいこ)さんの存在を私が初めて知ったのは、多くの国民にとってもそうであったと思いますが、2011年9月19日
に東京の明治公園で開かれた「さようなら原発5万人集会」(実際には6万人が集まったとか)での武藤さんの衝撃的なスピーチがYouTubeにアップされ、それを視聴した時でした。
 感動のあまり、スピーチ全文を文字起こしした人が何人もおり、実は、私もその1人でした。といって
も、私の場合は、「みんな楽しくHappy?がいい♪」に掲載された文字起こしをベースにして、これを厳密に校正しただけですが。「(必読!)スピーチ書き起こし9/19「さようなら原発5万人(6万人)集会」」としてメルマガ金原に掲載し、後にブログに転載しました。
 今回も、末尾に、私が書き起こしたスピーチ全文を貼り付けておきます。

 また、その後も武藤さんは様々な集会でスピーチを依頼されることが多く、その内、原稿が公開されているもの2点をメルマガ(ブログ)でご紹介したこともありました(末尾のリンク参照)。

 それでは、以下、チラシ文字情報を転記します。是非、多くの方に武藤さんのお話に直接耳を傾けてい
ただきたいと思います。
 
チラシから引用開始)
原発がこわい女たちの会結成30年のつどい
福島原発事故 7年目の今
ゲスト・武藤類子さん
◯日時:2017年5月28日(日)14:00~16:30
◯会場:和歌山ビック愛9階 会議室C
        和歌山市手平2丁目1?2
◯会費:無料 だれでも参加できます。

 武藤類子さんは現在福島県の三春町(みはるまち)にお住まいです。
 2011年9月19日「さようなら原発集会」(明治公園)における武藤類子さんのスピーチは感動さ
せるものでした。女の会76号に全文載せました。(私たちは静かに怒りを燃やす東北の鬼です)という言葉が入っています。
101号武藤類子 福島原発の責任を正す告訴運動⇒東電の責任を追及する運動にかかわってこられ、現在福島原発告訴団
長として活躍されています。
 この6年間大変なご苦労をされてきたと思います。和歌山で初めて講演していただきます。福島県で何
が起きているのかを、お聞きしたいと思います。是非参加下さい。
 なお、写真は、2014年10月24日和歌山県日高町阿尾(元原発予定地)に立つ武藤類子さんです

 大阪の女たちが武藤類子さんを少し骨休みさせようと、関西での講演の前に日高町方杭の「波満乃家(
はまのや)」に招待した時の写真です(撮影・松浦)。
 
主催:原発がこわい女たちの会 連絡先・松浦 TEL 073/451/5960
(引用終わり)
 
 なお、武藤さんと直接の関係はありませんが、武藤さんがお住まいの三春町(みはるまち)と聞いて、
どうしても私が思い出すのは、同町が、40歳未満の住民に対して安定ヨウ素剤の組織的配布を行った唯一の自治体であったということです。
 この件については、月刊誌「DAYS JAPAN」が福島県内の自治体に行ったアンケート結果や、2012年
9月にNHK総合TVで放送された「福島県三春町ヨウ素剤決断に至る4日間」という番組を紹介するという形で、メルマガ(ブログ)を書いたものです。
 
三春町の4日間(安定ヨウ素剤配布・自治体の決断) 前編
三春町の4日間(安定ヨウ素剤配布・自治体の決断) 後編
 
 以上の記事をメルマガに書いたのは2013年1月6日のことでしたが、その年の8月31日、大阪弁
護士会館で開かれたシンポジウム「区域外避難者は今 放射能汚染に安全の境はありますか―低線量被曝被害による分断の構造―」に参加した際、会場で入手した小冊子『20年後のあなたへ-東日本大震災難ママ体験手記集-』を読んで、私は大きな衝撃を受けました(『20年後のあなたへ-東日本大震災避難ママ体験手記集-』を読んで/2013年8月31日)。
 その日の夜に書いたメルマガ(ブログ)から一部引用します。
 
(引用開始)
 一々内容をご紹介する訳にもいきませんが、一つだけどうしても書いておきたいエピソードがあります

 それは、福島県から避難された方の手記の中に書かれていたことです。
 Aさんは、福島第一原発から65㎞ほどのところにあった自宅が地震で損壊して住めなくなり、原発から
約40㎞にあった自分の実家に1歳の息子を連れて避難していたのですが、実家のある町で40歳未満の全町民に安定ヨウ素剤が配布されることになったものの、自分と息子は既にその町の住民ではないため、配布対象とはならず、せめて息子の分だけでも何とか配布して欲しいとお願いし、いろいろなところに電
話で要請したりしたもののどうしても息子のために入手してあげることができなかったというのです。
 Aさんは手記に書いています。
  「幼い息子が被曝するかもしれないという状況の中で薬をもらえないのは、親としては本当に辛かった、としか言いようがありません。被曝していく息子を目の前に、何もしてやれない悔しさ・・悲しさ・・憤り。今でもその時の光景が鮮明によみがえってきて、夜中にうなされたり寝付けなかったりすることがあります。私は親なのに我が子を守ってやることができなかった、という不甲斐なさが今でも頭から離れません」
  本来、万一原発事故が起こった際の対処基準を作るというのであれば、このAさんのような思いを全ての母親に二度とさせてはならない、ということが教訓になっていなければならないはずですが、実際にはどうなのでしょうか?
(引用終わり)
 
 この最後の感想については、後日、菅谷昭(すげのや・あきら)さんが市長を務める長野県松本市が制
定した「松本市災害時医療救護活動マニュアル 原子力災害編」で、以上の教訓が十分に取り入れられていることを紹介しました(
「松本市災害時医療救護活動マニュアル 原子力災害編」の安定ヨウ素剤についての記述を読んで欲しい/2016年10月2日)
 
 ちなみに、上記の手記を書かれたAさんと後日お会いする機会があり、「実家のある町」がやはり三春町であったことを確認しています。
 
 ところで、5月28日(日)午後、和歌山市では、この武藤類子さんの講演とほぼ同時間帯に、
「第一回 ラブ&ピースライブ和歌山~平和を祈るコンサート」(於:ライブハウス OLDTIME/13:00~)が開催されることになっており、このライブの出演予定者を含め、多くの人が「身体が二つ欲しい!」と悲鳴を上げていま
す。
 私自身、何とかこの2つの企画をかけ持ちする方法はないものか?と思案をめぐらしているところです。
 
【「さようなら原発5万人(6万人)集会」での武藤類子さんスピーチ全文書き起こし】
 福島のみなさん、どうぞ一緒に立ちあがって下さい。
 みなさんこんにちは。福島からまいりました。今日は福島県内から、それから、避難先から、何台もバ
スを連ねて沢山の仲間たちとやってまいりました。初めて集会やデモに参加する人も沢山います。それでも、「福島原発で起きた悲しみを伝えよう」「私たちこそが原発いらないの声を上げよう」と声を掛け合い、誘いあってやって来ました。
 初めに申し上げたいことがあります。
 3.11からの大変な毎日を、命を守るためにあらゆることに取り組んできたみなさんひとりひとりを
深く尊敬いたします。
 それから、福島県民に温かい手を差し伸べ、つながり、様々な支援をして下さった方々にお礼を申し上
げます。
 ありがとうございます。
 そして、この事故によって、大きな荷物を背負わせることになってしまった子どもたち、若い人々に、
このような現実を作ってしまった世代として、心から謝りたいと思います。
 ほんとうにごめんなさい。
 
 さて、皆さん、福島はとても美しいところです。東に紺碧の太平洋を望む浜通り。桃、梨、リンゴと果
物の宝庫の中通り猪苗代湖磐梯山の周りに黄金色の稲穂が垂れる会津平野。その向こうを深い山々が
縁取っています。山は青く、水は清らかな、私達のふる里です。
 3.11原発事故を境に、その風景に目には見えない放射能が降り注ぎ、私達は被ばく者となりました
。大混乱の中で、私達には様々なことが起こりました。素早く張り巡らされた安全キャンペーンと不安のはざまで、引き裂かれていく人と人とのつながり。地域で、職場で学校で、家庭の中で、どれだけの人が
悩み悲しんだことでしょう。
 毎日毎日否応なく迫られる決断。逃げる、逃げない。食べる、食べない。子どもにマスクをさせる、さ
せない。洗濯物を外に干す、干さない。畑を耕す、耕さない。何かに物申す、黙る。さまざまな苦渋の選
択がありました。
 そして今、半年という月日の中で次第に鮮明になってきたことは、
  「事実は隠されるのだ」
  「国は国民を守らないのだ」
  「事故はいまだに終わらないのだ」
  「福島県民は核の実験材料にされるのだ」
  「莫大な放射能のゴミは残るのだ」
  「大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ」
  「私達は捨てられたのだ」
 私達は疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。でも、口をついて出てくる言葉は、
  「私達をバカにするな」
  「私達の命を奪うな」
です。
 福島県民は今、怒りと悲しみの中から静かに立ち上がっています。「子どもたちを守ろう」と、母親が、
父親が、おじいちゃんが、おばあちゃんが、「自分たちの未来を奪われまい」と若い世代が、大量の被ばくにさらされながら事故処理に携わる原発従事者を助けようと労働者たちが、土地を汚された絶望の中から農民が、放射能による新たな差別と分断を生むまいと障害を持った人々が、一人ひとりの市民が、国と
東電の責任を問い続けています。
 そして、「原発はもういらない」と、声を上げています。
 私達は静かに怒りを燃やす東北の鬼です。私たち福島県民は、故郷を離れる者も、福島の地に留まり生
きる者も、苦悩と責任と希望を分かち合い、支え合って生きていこうと思っています。
 私達と繋がって下さい。
 私達が起こしているアクションに注目して下さい。
 政府交渉、疎開裁判、避難、雇用、除染、測定、原発放射能についての学び、そして、どこにでも出
かけ、福島を語ります。
 今日は遠くニューヨークでスピーチをしている仲間もいます。
 思いつく限りのあらゆることに取り組んでいます。
 私達を助けて下さい。
 どうか、福島を忘れないでください。

 もうひとつ、お話ししたい事があります。
 それは私達自身の生き方、暮らし方です。私達は何気なく差し込むコンセントの向こう側を想像しなけ
ればなりません。便利さや発展が差別と犠牲の上に成り立っていることに思いをはせなければなりません
原発はその向こうにあるのです。
 人類は地球に生きるただ一種類の生き物にすぎません。自らの種族の未来を奪う生き物が、他にいるで
しょうか?私はこの地球という美しい星と調和した、まっとうな生き物として生きたいです。ささやかで
も、エネルギーを大事に使い、工夫に満ちた豊かで創造的な暮らしを紡いでいきたいです。
 どうしたら、原発と対極にある新しい世界を作っていけるのか、誰にも明確な答えは分かりません。出
来ることは、誰かが決めたことに従うのではなく、一人ひとりが、本当に、本当に、本気で自分の頭で考
え、確かに目を見開き、自分が出来ることを決断し、行動することだと思うのです。
 一人ひとりにその力がある事を思い出しましょう。私達は誰でも変わる勇気を持っています。奪われて
きた自信を取り戻しましょう。
 原発をなお進めようとする力が垂直にそびえる壁ならば、限りなく横に広がり繋がり続けていくことが
私達の力です。
 たった今、隣にいる人と、そっと手をつないでみて下さい。見つめ合い、お互いの辛さを聞き合いまし
ょう。涙と怒りを許しあいましょう。今つないでいるその手のぬくもりを日本中に世界中に広げていきま
しょう。
 私たち一人一人の背負っていかなければならない荷物が途方もなく重く、道のりがどんなに苛酷であっ
ても、目をそらさずに支え合い、軽やかに、朗らかに生き延びていきましょう。
 ありがとうございました。
 
(動画)9・19「さようなら原発集会」~6万人が参加(46分)

※武藤類子さんのスピーチは36分~46分です。

(弁護士・金原徹雄のブログから/武藤類子さん関係)
2011年9月21日(2013年2月16日に再配信)
(必読!)スピーチ書き起こし9/19「さようなら原発5万人(6万人)集会」
2012年7月19日(2013年2月17日に再配信)
7/16武藤類子さんスピーチ原稿(さようなら原発10万人集会)
2013年5月30日
武藤類子さんが語る福島の“今”(第12回 女たちの『一票一揆』院内集会)
2015年9月24日
「9.23 さようなら原発 さようなら戦争 全国集会」(代々木公園)での武藤類子さんのスピーチ

2015年12月3日
武藤類子さんの講演(11/23)を聴き、まんが「なすびのギモン」(環境省)を読んで考えた