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司法に安保法制の違憲を訴える意義(15)~東京・国家賠償請求訴訟(第4回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述

 今晩(2017年6月23日)配信した「メルマガ金原No.2852」を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
司法に安保法制の違憲を訴える意義(15)~東京・国家賠償請求訴訟(第4回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述

 昨年(2016年)4月26日に東京地方裁判所に提訴され、同年9月2日に第1回口頭弁論が開かれた安保法制違憲・国家賠償請求訴訟も、期日を重ね、今年の6月2日に第4回口頭弁論が行われました。
 「安保法制違憲訴訟の会」では、裁判終了後の報告集会で配布するための報告会資料に、当日の裁判で行われた原告訴訟代理人(弁護士)や原告本人による陳述の原稿を掲載し、これを同会ホームページの中の「裁判資料」コーナーに掲載する例となっており、そこに掲載された代理人や原告本人の「陳述」については、同会のご了解を得て、私のメルマガ(ブログ)に、「司法に安保法制の違憲を訴える意義」と題して転載させていただいています。
 
 このうち、原告訴訟代理人による陳述は、おおむね、原告側の主張を詳細に展開した「準備書面」の内容のエッセンスを述べたものであり、その時点における弁護団の法的主張を凝縮したものとして、参考になります。
 法的な概念をめぐって、学説や判例に言及した主張を繰り広げる「陳述」を読んでも、「難しい」と感じる方が多いとは思いますが、ここをクリアしなければ勝利にたどりつくことができないのですから、是非頑張って読んでいただければと思います。
 今回の弁論では、角田由紀子弁護士による「人格権」についての判例の整理は勉強になりましたし、福田護弁護士の陳述を読んで、「PKOにおける駆け付け警護の新任務の付与」と「自衛隊護衛艦による米軍艦船の武器等防護」を、「本件(国賠請求)における損害発生の請求原因として、これらの規定を追加して主張する」ことになったことを知りました。提訴時は、存立危機事態における防衛出動(集団的自衛権の行使)、後方支援、協力支援の3点を違憲の根拠としていたのを拡大したということになります。

 なお、6月2日の裁判当日の午後、参議院議員会館講堂で行われた報告集会の動画をご紹介しておきます。

2017年6月2日 安保法制違憲訴訟国倍第4回期日 報告集会(1時間36分)

冒頭~ 司会 杉浦ひとみ弁護士
1分~ 挨拶 寺井一弘 弁護士(全国における訴訟の状況について)
(陳述した原告から)
16分~ 原告 野木裕子(のぎゆうこ)さん
25分~ 原告 渡辺一枝(わたなべいちえ)さん
(代理人から)
32分~ 伊藤 真 弁護士
52分~ 角田由紀子 弁護士(人格権について) 
1時間12分~ 古川(こがわ)健三 弁護士(若手弁護士の活動について)
1時間18分~ 内田雅敏 弁護士
1時間24分~ 福田 護 弁護士

 ところで、寺井一弘弁護士からの挨拶の冒頭でも熱く語られていたとおり、沖縄における安保法制違憲訴訟が、慰霊の日の今日(6月23日)、那覇地方裁判所に提訴されました。

沖縄タイムス プラス 2017年6月23日 12:38
「安保関連法は違憲 何としても止めたい」 沖縄戦体験者ら67人、那覇地裁に提訴

(引用開始)
 沖縄戦の体験者や宮古島自衛隊配備に反対する県民ら67人が23日午前、集団的自衛権の行使を認めた安全保障関連法は憲法違反で、平和的生存権を侵害しているなどとして、国に1人当たり1万円の損害賠償を求める訴訟を那覇地裁に起こした。全国の弁護士や元裁判官らでつくる「安保法制違憲訴訟の会」が呼び掛けている訴訟で、沖縄の提訴は24番目。
 原告側は訴状で「集団的自衛権の行使は憲法9条に違反し、実際に行使された場合は相手国から敵対国とみなされ、日本が攻撃される」と指摘。「原告はこれから起こりうる事態を危惧し、言葉に表せないほどの精神的苦痛を受けている」と訴えている。
 サイパンで戦争に巻き込まれた原告の横田チヨ子さん(88)=宜野湾市=は「政府が今やっていることは戦前と同じ。何としても止めないといけない」と訴えた。
(引用終わり)

琉球朝日放送 報道制作部 2017年6月23日 18時25分
安保法制の違憲訴訟を提訴(動画あり)

(引用開始)
 2015年成立した集団的自衛権行使の容認などを柱とした安保法制は憲法違反だとして、戦争体験者たちが那覇地方裁判所に提訴しました。
 6月23日、裁判を起こしたのは沖縄戦南洋群島での戦争を体験した人たちなどで、67人が原告となっています。
 原告らは、安保法制は戦争放棄などを定めた憲法9条に違反していると訴えました。同様の裁判は東京や福岡など全国20ヵ所でも起こされています。
(引用終わり)

 今日の沖縄での提訴により、「安保法制違憲訴訟の会」の呼びかけに応えて全国の裁判所に提起された安保法制違憲訴訟は、20地裁、全24件となりました。

 それでは、以下、東京・国家賠償請求訴訟(第4回口頭弁論)における原告訴訟代理人3名による陳述の内容をご紹介します。
 

原告ら訴訟代理人 弁護士  伊  藤   真 
準備書面(7)について(被告準備書面(1)への反論)
 
第1 国賠法上の違法性の判断基準について

 被告は、「職務行為基準説」を採用することにより、いわゆる「相関関係論」すなわち、侵害行為の態様・程度と被侵害利益の種類・内容との相関関係において違法性が判断されるとする立場は取り得なくなるかの主張をしているので、この点について反論する。
 まず、国賠法上の違法性は、厳密な行政法規違反に限定されるものではないことは、田中二郎博士など行政法の研究者や、平成25年3月26日最高裁第三小法廷判決に付された寺田逸郎裁判官及び大橋正春裁判官の補足意見などでも言及されているところである。
 被告主張のように、侵害行為の態様や被侵害利益の内容を考慮すべきでないと言えるのは、刑事手続上の検察官や裁判官の職務行為の違法性が問題となった事案における「職務行為基準説」(「公権力発動要件欠如説」とも称されるもの)についてであり、これと、一般の行政処分についての「職務行為基準説」を混同してはならない。
 行政処分に関するいくつかの裁判例においても、国賠法上の違法性を、侵害行為の態様・程度と被侵害利益の種類・内容との相関関係において判断している。
 よって、一般に「職務行為基準説」を採用することが、「相関関係論」を否定する理由にはならない。
 では、立法不法行為の場合はどうであろうか。立法不法行為の場合には、職務行為基準説を採用しつつも、より一層、侵害行為の態様と被侵害利益の種類・性質との相関関係を考慮するべきと考える。国会議員の職務義務違反という行為態様の違法性の質と量は、侵害行為の態様と被侵害利益の種類・性質等を考慮しなければ、判断できないものといえるからである。特に、憲法の基本原理に牴触したり、国民各人の権利や法的利益を侵害したりする可能性のある法律を制定する場合には、相当慎重に立法内容を検討する注意義務があるといえ、さらに、有識者から違憲と指摘されるような法律を制定する際には、当該立法が憲法違反とはならないことを国民に説得的に説明する法的義務が生じているといえる。このように、国会議員の職務義務の内容・レベルは、侵害行為の態様、当該立法行為によって生じる被侵害利益の種類・性質などを考慮しなければ判断できない。検察官の公訴提起・追行などの公権力発動要件のように明確な要件が予め法定されている訳ではないからである。
 
第2 「『平和的生存権』は、国賠法上保護される具体的権利ないし法的利益とはいえない」という被告の主張は正当でないこと
 被告の立場は「平和的生存権は抽象的かつ不明確」であり、裁判上の救済の対象となる「具体的権利ないし法的利益と認められない」という論旨で一貫している。被告のこうした主張は、戦争や武力行使の現実を直視しないことから生じるものである。「平和的生存権」の権利性を正確に認識するためには、まずは具体的事実例に真摯に向き合うことが必要となる。
 原告らが、陳述書で述べ、法廷で主張している声は、あくまでも、原告らの現実である。こうした現実に目を向けず、「抽象的かつ不明確」という主張を繰り返す被告の対応は、多くの国民・市民の苦しみに目を閉ざすものと言わざるを得ない。
 平和的生存権については、歴代政府が自衛隊の海外派兵を加速させることに対応して、憲法学会では、その内容も精緻化されてきたし、裁判所でも「平和的生存権」の具体的権利性を認める判決が生まれている。このように「平和的生存権」の内実も確実に進化しているのである。
 こうした時代の変化や学説・判例の進歩を考慮せず、従来どおりの旧態依然の主張を繰り返すことは許されない。被告は、自ら「我が国を取り巻く安全保障環境が厳しさを増している」と認めている。そのような今日においても、平和的生存権という人権の進化を認める必要など全くないというのであろうか。権利ないし法的保護利益は、侵害の具体的な危険性が増加すれば、それに伴って要保護性も増していくものである。
 プライバシー権などの人格権がその最たるものであろう。個人情報が本人の意に反して拡散してしまう危険性が増している現代だからこそ、これを法的に保護する必要性が増しているのである。平和的生存権も同様である。
 付言するが、2016年12月19日、「平和的生存権」と同じような内容を有する「平和への権利宣言」が国連総会で採択された。「平和概念が曖昧」であるとか「司法上の権利となり得ない」という主張をする国も存在したが、そうした見解は国連総会で支持されなかった。平和を権利として認識することは、もはや国際標準なのである。
 なお、違憲訴訟のあり方に関する被告の主張に対しては、さらに別途準備書面にて反論する。
 
第3 「人格権は国賠法上保護される権利ないし法的利益とは言えない」という被告の主張は、「人格権」に関する不当な理解に基づくこと
 原告らの主張する人格権について、被告は、「漠然とした不安感を抱いたという域を出るものではなく、かかる内容をもって具体的権利性が認められると解する余地はない」(被告準備書面(1)38頁)などと繰り返し述べている。これが誤りであることは、準備書面(8)において詳細に主張する。
 新安保法制法の成立により、基地周辺や大都市、原発周辺の住民、自衛官、海外にいる日本人、NGO関係者などの生命や安全が危険にさらされる。こうした状況はまさに「人格権」の侵害と言わざるを得ない。
 
第4 憲法改正 ・ 決定権は「『国家の主権者としての国民』という抽象的な位置づけ」にとどまるものではなく、具体的な権利であること
 被告は、国政選挙における選挙権に関して「国家賠償法上保護された権利」と認めている。そうあれば、憲法改正・決定権が問題となる投票の場合には、国政選挙以上に「国家賠償法上保護された権利が存在」すると考えざるを得ない。
 憲法学説でも、憲法改正・決定権こそが主権者の意見表明であると考えているし、選挙という主権者の間接的な意見表明よりも、国民投票という直接的な意見表明の方が、より強固で明確な意思表示といえるからである。
 また、被告は、「そもそも、平和安全法制関連2法は、憲法の条文自体を改正するもの」ではないことを根拠に、「憲法改正・決定権」が侵害されたわけではない旨を主張する(被告準備書面(1)40頁)。
 しかし、この主張は、ヒトラーナチスによる「授権法」成立(1933年3月23日)により、ワイマール憲法が実質的に廃止されたように、法律の制定によっても憲法の意義が空洞化される事例が存在する歴史を忘れた危険な主張であり、「法の支配」や「立憲主義」の理念を体現する、日本国憲法の基本理念の空洞化を正当化するものであり決して許されるものではない。
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 角田由紀子
~人格権の被侵害利益性と具体的被害について~
 
1 被告国は原告らの人格権に関する主張を、答弁書において真っ向から否定し、原告らのいう「人格権」侵害なるものは、結局のところ、「漠然とした不安感を抱いたという域を超えるものではないのであって、かかる程度の内容を持って具体的権利性が認められると解する余地などない。」とまで述べております。原告らは、先に提出した準備書面(8)において、原告らの主張する人格権が国賠法の保護を受ける権利ないしは法的利益であることを詳しく論じ、国の主張が間違っていることを論証しております。

2 今日においては、「人格権」と呼ばれる権利が存在し、これが何らかの意味で法的に保護されることは、わが国の判例・学説で疑問の余地なく認められております。
(1) 学説について
 人格権が、権利として認められるには、戦前からの議論に始まり、今日まで多くの議論が積み重ねられてきており、今日では見るべき段階に達しております。
 ある学者は、近年は、環境に関する権利・利益や情報・プライバシーに関する権利・利益などに関連して人格権に含まれる権利が新たに提唱されるなど、権利内容が多様化しており、その現代社会における重要性はさらに高まりつつあるとも述べております。また別の学者は、人類は、これからも、人格的価値を侵す思わぬ事態に遭遇することであろう。そして、その過程で人格価値の新しい側面も見出されてくることになろうと述べております。
 多くの権利がそうであるように、人格権も未だ完成されたものではなく、社会の進展・変化に対応して新しい認識を重ねてその権利に含まれるものを広げていくものです。新安保法制法のもとでの新しい人権侵害状況は、今までの学説及び判例によって築きあげられてきた人格権の蓄積の上に立って、考えられるべきものです。
(2) 判例について
 判例も、非常に重要な権利として人格権を認めております。以下にその一部を紹介しますように、人格権の権利性を認めた最高裁判例が複数ありますが、そのいくつかを紹介します。
最高裁大法廷判決 昭和 61(1986)年6月11日付判決(北方ジャーナル事件)は、最高裁判決が初めて、名誉権を人格権として認めたものであります。この事件で最高裁は、人格権を極めて重大な保護法益であって、排他性を有するとして、絶対権としての人格権を明確に位置付けました。
最高裁大法廷判決 昭和63(1988)年6月1日付判決(自衛官合祀手続き事件)は、結論としては、キリスト教徒である原告の夫を神社に合祀しないでほしいという訴えを認めなかったものですが、プライバシー法の専門家であった伊藤正己裁判官の反対意見があります。伊藤裁判官は、「現代社会において、他者から自己の欲しない刺激によって心を乱されない利益、いわば心の静謐の利益もまた、不法行為法上、被侵害利益となりうるものと認めてよい。」と述べております。伊藤裁判官は、原告の受けた侵害は、「単に不快であること」を超えるものと論じております。この見解は、被告の反論を検討するにあたり、重要な手がかりを与えてくれます。
最高裁第二小法廷平成元(1989)年12月21日判決は、ビラ配布行為に起因する人格的利益の侵害について不法行為責任を認め、原判決を変更して慰謝料の支払いを命じたものです。この判決は「私生活の平穏などの人格的利益」が侵害されたことを明確に認めたのです。
最高裁第二小法廷平成3(1991)年12月21日判決(水俣病認定業務に関する熊本県知事の不作為違法に対する損害賠償請求事件上告審判決)は、県知事による水俣病認定が遅れており、認定を待つ患者の不安や焦りの気持ちは、「いわば内心の静謐な感情を害するものであって、その程度は決して小さいわけではない」としてその気持ちは、不法行為上の損害賠償の対象となることを認めたのです。この判決は、自衛官合祀手続き事件では否定された「内心の静謐」の利益の侵害が不法行為になりうるとしたもので、最高裁としては、内心の静謐の利益を不法行為法上の保護法益として明確に認めた最初の判決です。本件原告らの主張の理解に大いに参考になるものです。
 下級審でも重大な判決がいくつも出されております。
①大阪高裁 昭和50(1975)年11月27日判決は、大阪国際空港の夜間飛行禁止等請求事件のものです。「個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体を人格権ということができる。」「人格権の内容をなす利益は人間として生存する以上当然に認められるべき本質的なものであって、これを権利として構成するのに何らの妨げはなく、実定法の規定をまたなくとも当然に承認されるべき基本的権利である」。この事件では、被告国は、学説による体系化、類型化をまたなくては人格権として裁判上採用できないと主張したのですが、大阪高裁は、その主張をはっきりと否定しました。
②福井地裁平成26(2014)年5月21日判決は、大飯原発3,4号機の運転差止を認めたものです。この判決は、人格権は憲法上(13 条、25 条)の権利であり、人の生命を基礎とするものなので、わが国の法制下では、これを超える価値を見出すことができないとして、その重要性が強調されています。これは、本件で原告たちが訴えている、戦争による生命侵害への不安、恐れの重要性に通じるものとして示唆的です。
③最近のものとして記憶に新しいのは、2017 年3月17日、前橋地裁の判決です。福島・原発被害避難者による損害賠償請求事件です。判決は、平穏生活権が自己決定権を中核とした人格権であって、放射線被ばくへの恐怖不安にさらされない利益や内心の静謐な感情を害されない利益を包摂する権利など、多くの権利を包摂するものであると述べています。
 これらの指摘は、本件原告らの多くが、憲法のもとで築いてきた今までの人生を否定されたと感じ、戦争になるのではないかとの恐怖不安にさらされるなどしていることが、人格権の深刻な侵害であると訴えていることが、人格権侵害であるとする論拠となるものです。

3 原告らの主張する人格権の内容被告は「曖昧な不安にすぎない」主張していますが、以上のように今日までの学説・判例によれば、少なくとも人間の尊厳に伴う基本的な法益をその内容とするものであれば、人格権・人格的利益として法的保護の対象になることが
明らかにされています。
 原告らは、内閣及び国会の行為によって、その生命・身体及び精神に関する侵害の危険にさらされ、また、平和に生活してきた平穏を壊されたことにより、さらに、憲法改正について主権者としての意思決定をする場を奪われたことにより、著しい精神的苦痛を受けているのです。
 原告らが、侵害された人格権は、具体的には、①生命権・身体権及び精神に関する利益としての人格権、②平穏生活権、③主権者として蔑ろにされない権利です。
 原告らを類型化すれば、次のようにいうことができます。①戦争体験者②基地周辺住民③公共機関の労働者④学者・教育者、宗教家、ジャーナリスト、子を持つ親や孫を持つ祖父母、障がい者、若者、原発関係者、平和を望む国民・市民などのその他の特徴的な被害者です。これらの原告たちは、それぞれが生きてきた歴史を背景として今日まで憲法の下で懸命に生きてきたのですが、被告により様々に人格権を侵害されて、現実に苦しんでいます。

4 終わりに
 今、原告たちに残された救済の手段は司法しかありません。多くの人々の期待が今ほど司法に寄せられたことはなかったのではないでしょうか。ぜひ、憲法が司法に託した責務を果たして下さるよう、改めて裁判所にお願いをする次第です。
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 福 田   護
~駆け付け警護及び武器等防護について~
 
1 新安保法制法の適用と原告らの権利侵害
 新安保法制法が施行されて1年余が経過し、この間、私たちはその適用された2つのケースを目の当たりにしました。一つは南スーダンPKOにおける駆け付け警護の新任務の付与であり、もう一つは自衛隊護衛艦による米軍艦船の武器等防護です。どちらも、案に違わず、憲法9条に違反して自衛隊が武力の行使に至る危険を実感させるものであり、原告らの平和的生存権、人格権、そして憲法改正決定権を深く侵害するものでした。
 これらは、新安保法制法の立案・制定過程において夙にその違憲性が指摘されていたものであり、今回の適用はその具体化、現実化にほかなりません。そこで原告らは、本件における損害発生の請求原因として、これらの規定を追加して主張することとします。
 
2 駆け付け警護の違憲性とその危険の現実化
 被告国は、昨年11月15日、改正PKO協力法で新たに規定されたいわゆる「駆け付け警護」の任務を、自衛隊の派遣部隊に付与することを閣議決定しました。駆け付け警護は、PKO活動関係者に不測の危難等が生じた場合に、自衛隊の部隊が現場に駆け付けてその生命・身体の保護を行うというもので、活動関係者を襲った武装勢力から救出等するために、その妨害を排除するのに必要な強力な武器の使用までも認められたものです。これは、容易に武装勢力との間の戦闘行為、すなわち武力の行使に発展しかねず、また、自衛隊員が相手を殺傷し、又は殺傷されることになりかねない、極めて危険な任務です。
 しかも、南スーダンにおいては、すでに停戦合意は崩壊し、大統領派と反大統領派との間の激しい戦闘が繰り返される内戦状態にあり、PKO参加5原則の前提が失われた状況にあることは、国連その他の関係機関の度重なる報告等で明らかなことでした。しかも、昨年7月8日から始まった首都ジュバにおける激しい戦闘の状況は、現地の自衛隊の「日々報告」等の文書にも、明瞭に記載されていたのです。
 そんな戦地に、政府は、駆け付け警護という危険な任務を与えて、自衛隊の部隊を送り込んだのです。自衛隊の宿舎のすぐそばでも、激しい銃撃戦がありました。国連PKO司令部近くのテラインホテルでは、援助関係者に対して政府軍兵士たちによる殺人、レイプなどの暴虐行為が繰り広げられているのに、その救助要請に国連の他国部隊は動きませんでした。それほど危険な状態なのです。
 その上、政府ないし自衛隊は、あろうことか、激しい戦闘の実情を報告したこれらの自衛隊の文書を国民・市民に開示せず、秘匿しようとしていた事実が明らかにされつつあります。戦争ないし武力紛争に関する情報が、正確に国民・市民に伝えられず、情報操作がなされるほど危険なことはありません。
 
3 武器等防護の違憲性と日本の軍事的対立の当事者化
 被告国は、昨年12月22日、自衛隊法95条の2に新設された他国軍隊の武器等防護の規定の運用指針を策定し、本年5月1日から3日間、自衛隊の最大級護衛艦「いずも」等に対し、米軍の補給艦の武器等を防護するための警護を命じました。これによって日本は、ミサイル発射等を繰り返す北朝鮮に対し、力による外交を推進するトランプ政権のアメリカが日本海にカールビンソン空母打撃群を展開するという、緊迫した軍事的対立の下で、明確に、米軍と一体化して軍事的対立当事者となることを示したのです。
 この米軍等の武器等防護の規定は、武力攻撃に至らないいわゆるグレーゾーンの状況下で、米軍等の艦船や航空機まで含めて、その「武器等」を自衛隊が防護するというもので、たとえば、公海上で米艦と自衛艦が警戒監視活動を行っている場合に、米艦に向かっているミサイルを自衛隊イージス艦が迎撃することまで想定されているものです。この迎撃のために、現場の自衛官の判断で、自衛隊の武器を使用することができるというのです。
これが、自己保存のための武器使用をはるかに超え、戦争の口火を切り、実質的な集団的自衛権の行使になりかねない、極めて危険な規定であることは明らかです。この場合日本は、閣議決定も総理大臣の防衛出動命令もなく、ましてや国会の承認などもないまま、ある日突然、アメリカのための戦争に突入してしまうという危険を否定できないのです。
 しかも、その運用指針によれば、政府は、この米艦の警護等の実施中に特異な事象が発生した場合にのみ公表義務があるだけで、その他の情報の開示は政府の裁量に委ねられています。
 ここでも、情報操作の危険性を指摘しなければなりません。
 
4 危険にさらされる原告らの権利

 いま私たちは、新安保法制法の実施により、この国が実際に武力の行使に踏み込みかねない、現実の危険に直面しています。南スーダンPKOの施設部隊はともかくも撤収しましたが、自衛隊の部隊が戦闘に巻き込まれなかったのは偶然にすぎません。その危険な戦場に危険な任務を背負って臨場したという事実は厳然と存在し、今後も繰り返されることが危惧されます。米軍等の武器等防護も、いつ暴発するかわかりません。
 戦争とその被害、加害への恐怖は、いま現実のものとなりつつあるのです。
 

(弁護士・金原徹雄のブログから/安保法制違憲訴訟関連)
2016年9月3日
東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)
※過去の安保法制違憲訴訟関連のブログ記事にリンクしています。
2016年9月6日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年9月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(2)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述
2016年10月4日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(3)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年10月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(4)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述
2016年12月9日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(5)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告代理人による意見陳述

2016年12月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(6)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告による意見陳述
2017年1月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(7)~寺井一弘弁護士(長崎国賠訴訟)と吉岡康祐弁護士(岡山国賠訴訟)の第1回口頭弁論における意見陳述
2017年1月7日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(8)~東京・差止請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述
2017年1月8日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(9)~東京・差止請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告(田中煕巳さんと小倉志郎さん)による意見陳述

2017年2月14日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(10)~東京「女の会」訴訟(第1回口頭弁論)における原告・原告代理人による意見陳述

2017年3月15日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(11)~東京・国家賠償請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告代理人による陳述 
2017年3月16日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(12)~東京・国家賠償請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告(田島諦氏ほか)による意見陳述
2017年4月21日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(13)~東京・差止請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告代理人による陳述

2017年4月22日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(14)~東京・差止請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告による意見陳述(様々な立場から)