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放送予告9/2ETV特集『青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言』&大林監督から若き映画人への28分のメッセージ(6/11)

 2017年8月28日配信(予定)のメルマガ金原.No.2918を転載します。
 なお、「弁護士・金原徹雄のブログ」にも同内容で掲載しています。
 
放送予告9/2ETV特集『青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言』&大林監督から若き映画人への28分のメッセージ(6/11)
 
 今年の8月、NHKスペシャルやETV特集を中心として、瞠目すべきドキュメンタリー番組の秀作を次々と放送したNHKの姿勢に、(半信半疑ながら?)賞賛の声が集まっています。
 実は、上記NHKによる番組放送予定を網羅したNPJのイベント情報「平和と戦争を考えるテレビ・ラジオ番組 2017年夏」をブログで紹介していたところ、私のブログにしては珍しく、ずっとアクセスが続き、リストの最後に載っていた8月19日のETV特集『描き続けた“くらし” 戦争中の庶民の記録』の放送が終わった後も、ぼちぼちとアクセスが続いているくらいです(「平和と戦争を考えるテレビ・ラジオ番組 2017年夏」(NPJイベント情報)~NHKのテレビ・ラジオ放送予定/2017年7月7日)。
 
 さて、民放を含め、「平和と戦争を考える」番組はそろそろ一段落したかと思い、今週のETV特集の予定を調べてみると、『青春は戦争の消耗品ではない 映画作家 大林宣彦の遺言』の放送が予告されていました。これは見ざるを得ません。
 もっとも、以下の番組案内に挙げられている『転校生』、『時をかける少女』はしっかりと記憶に焼き付いていますが、私は、その後の大林監督のフィルモグラフィーの良き伴走者では決してありませんでした。ウィキペディアに掲載されている44本の劇場用映画の内、私が劇場で観たのは、第13作『彼のオートバイ 彼女の島』(1986年)が最後だったのですから。
 それは、『彼のオートバイ 彼女の島』にがっかりしたからでは決してありません。それどころか、私が角川春樹プロデュースによる初期「角川映画」からベスト3を選ぶとすれば、『彼のオートバイ 彼女の島』は絶対にそのうちの1本に入ります。残る2本は、その時の気分によって、『セーラー服と機関銃』(1981年)、『蒲田行進曲』(1982年)、『時をかける少女』(1983年)、『麻雀放浪記』(1984年)などを揺れ動きますけど。
 1986年は、司法試験受験浪人の身でありながら、読書三昧、映画三昧の生活を続けていた私のモラトリアムの時代が終わろうとしていた年でした。この年合格しなければ司法試験を断念するしかないなと考えながら、新宿武蔵野館(多分)で『彼のオートバイ 彼女の島』を観たのが4月。そして、その年の秋、ようやく司法試験に合格し、私の「映画の時代」は「司法試験受験の時代」とともに終わりを告げたということです。
 
 個人的な感慨はこれくらいにして、ETV特集の番組案内をご紹介しましょう。
 
 (番組案内から引用開始)
「転校生」や「時をかける少女」などで知られる映画作家大林宣彦。末期ガンを宣告された今、「戦争」をテーマにした新作に挑戦している。完成までの日々を追う魂の記録。
末期ガンを宣告された映画作家大林宣彦、79歳。43作目に選んだテーマは“戦争”。華麗でポップな映像世界で知られた大林監督が、なぜ今、戦争を描くのか。そこには軍国少年だった頃の記憶、そして青春を戦場で過ごした父の姿があった。新作「花筐(はながたみ)」のシナリオには、太平洋戦争へ向かう青年たちの葛藤が書き込まれた。「青春が戦争の消耗品だなんてまっぴらだ」。映画人生の集大成に挑む大林監督の1年を追う。
(引用終わり)
 
 映画『花筐』に関する参考サイトは末尾にリンクしておきますので、興味のある方はそちらをご参照願います。
 ここでは、今年の6月11日、第19回「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア(SSFF & ASIA)」の授賞式に審査員として出席した大林監督が行った28分間のスピーチ動画をご紹介したいと思います。
 私は、今日のブログを書くため、色々とネット検索をしていて、ふと以下の記事が目にとまりました。
 
(引用開始)
 昨年8月にステージ4の肺がんの宣告を受けた大林宣彦監督(79)が11日、都内で行われた国際短編映画祭「ショートショートフィルムフェスティバル」の授賞式に公式審査員として出席した。5月にがんが報じられて以降、初の公の場で、後輩の映画製作者たちに向けてメッセージを贈った。
 魂の「遺言」だった。つえをつき、やせた頬で登壇した大林監督は小倉智昭キャスター(70)、俳優の三上博史(年齢非公表)ら他4人の審査員が1分程度の講評を述べた後、マイクを握った。「余命3か月の宣告を受け、本当はここにはいないはずでしたが、まだ生きてます。生きているならば、ただ一人、胸に温めていた黒澤明監督の遺言を伝えようと命懸けでここに立っております」
 親交の深かった世界の巨匠から告げられたという非戦の思い、アマチュアイズムの信念などを28分間にわたって力強く語った。最後に「映画とは風化せぬジャーナリズムである。自分自身を確立する手段であるという意識を持って生きていってほしい。黒澤監督が言った『俺の続きをやってよね』という言葉を、若い人たち皆さんに贈ります」と言い残して、舞台袖に消えた。会場に大きな拍手がこだました。
 映画「時をかける少女」「転校生」などで知られる大林監督は昨年8月、監督人生の集大成と位置づける作品「花筐(はなかたみ)」のクランクイン前日にがん宣告を受けた。窪塚俊介(35)や満島真之介(28)らが出演し、日米開戦前夜の若者たちの青春群像を描いた作品を、治療と並行して撮影。既に完成し、12月に公開を予定している。
 終了後、取材に対し「がんはまだありますけど、現代の医療はすごくてね。もう少し生きるつもりでいます」と柔和な笑顔を見せていた。
(引用終わり)
 
 大林宣彦監督が癌を公表されたことは漏れ聞いていましたが、6月11日の28分間のスピーチは知りませんでした。
 急いで探してみたところ、「ショートショート フィルムフェスティバル&アジア」の公式YouTubeチャンネルに以下の動画がありました。感動しました。是非ご覧ください。そして、9月2日のETV特集も絶対に観ましょう。
 
大林宣彦監督が伝えた巨匠・黒澤明の"遺言" / Nobuyuki Obayashi conveys the great filmmaker Akira Kurosawa’s last message.
 

(参考サイト/
映画『花筐』関連)
映画『花筐(はながたみ)』公式サイト
 
公式サイトから「大林宣彦監督からのメッセージ」
(引用開始)
 映画『花筐』の源となる脚本の初稿は、いまを去る40数年の昔、僕、大林宣彦の劇場用映画第一作『HOUSE/ハウス』(77)を撮るよりも前に、第一作を『花かたみ』として製作する予定で書き上げておいたものである。
 三島由紀夫がこの一冊を読んで小説家を志したという、檀一雄最初の短篇集に収められた鮮烈な純文学『花筐』が原作である。文豪佐藤春夫による一頭の蝶の絵の装幀に、僚友・太宰治が帯文を寄せた箱入り愛蔵本を手に、これを映画化するのは僕の終生の夢であった。檀一雄さんの生前にお逢いして映画化の許可は戴いており、この空想的で美的な言語世界を映画にするには何処が宜しかろうかと伺ってみたところ、「唐津へ行ってご覧なさい」、と微笑みながら一言。檀さんはその頃既に重い病に臥しておられたのでありました。
 それから日が経ち、檀一雄さんの訃報が御子息の檀太郎君から告げられた。僕の青春のひとつがそこで終わり、映画『花かたみ』の脚本は書棚の奥深くに仕舞われて、永い眠りの時の中に入って了った。それから更に歳月が流れ、僕は独り、遠い青春の記憶を弄っていた。映画が誕生するにも、「旬」があります。40年前には見えなかったものが、いままざまざと見えてくる、ということも。
 昭和11年(1936年)文芸誌に『花筐』が発表されたその翌年、処女短篇集『花筐』の出版記念予告日に檀一雄召集令状を受け取り、戦地へ赴いている。そして多くの尊い命が、戦場の露と消えた。一見、放蕩無頼にも見ゆる本作の若き登場人物たちの精神や行動も、まことは切実なる生きる意志、――我が命は、魂は、我が信じるままに自由であらせよ、と願う、その純血の現れであったか、と。僕はこの物語を、いま新たに昭和16年(1941年)、あの太平洋戦争勃発の年に置き換えて語ってみようと思う。それはいまを生きる僕らに、より切実な、戦争の記憶であるから。
 「これは、いま必要な映画ですね」。唐津の里の里人のこの一言に励まされながら・・・。
(引用終わり)

映画『花筐(はながたみ)』予告編