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8年前の岸本周平氏への手紙~とてもとても遠いところに来てしまった

 2017年10月4日配信(予定)のメルマガ金原.No.2955を転載します。
 
8年前の岸本周平氏への手紙~とてもとても遠いところに来てしまった
 
毎日新聞2017年10月4日 地方版(和歌山)
衆院選2017 希望、民進2人を公認 岸本氏と坂田氏 戦いの構図固まる/和歌山
(抜粋引用開始)
 希望の党が3日に発表した衆院選の第1次公認には、県内小選挙区から当初、民進で出馬予定だった2氏が決定した。1・2区は自民、希望、共産の三つどもえに、3区は自民、共産の一騎打ちになる構図がほぼ固まり、10日の公示に向けて各陣営が選挙準備を加速させている。【稲生陽、石川裕士、阿部弘賢】
 当初民進候補として立候補を予定していた1区で、希望の公認を得た前職の岸本周平氏(61)は「安倍政権を倒すために野党が一つになるべきだと訴えてきた。スタート地点に立てた」と話した。希望の党は、合流を望む民進出身者に対し、「現実的な安全保障政策」や憲法改正などを支持する政策協定書への署名を条件としている。岸本氏は「政策協定は私の政策範囲に収まる。これまでの私の主張と全く変わらない」と強調した。
(引用終わり)
 
 この報道についてあれこれ書く気はありません。
 ただ、以下にご紹介する2009年9月10日付で私が岸本周平氏に出した手紙を偶然見つけた今年の9月27日(奇しくも、民進党希望の党への「合流」が一斉に報じられた日でした)以降、民進党議員の出処進退という、ある意味壮大な人間ドラマ(「悲劇」でもあり「喜劇」でもある)を目撃しながら、岸本氏がどのような決断を行うのか、確報に接するまでは、この手紙の公表は差し控えようと思っていました。
 そして、昨日(10月3日)、かねての予想通り、岸本氏が「希望の党」公認で衆院選に出馬することが確定しましたので、8年前の手紙を公表することにしたものです。
 この手紙は、2009年8月30日に行われた衆院選総選挙(後に政権交代選挙と呼ばれるようになった)和歌山1区において、2度目の挑戦で自民党現職を破って初当選して間もない岸本氏に対し、同氏の選挙をボランティアで手伝っておられた坂之上洋子さんのブログを引用する形で、これから始まる岸本氏の議員活動についての期待を伝えようとして書いたものです。
 あれから8年、岸本氏も、私も、そして日本も、とてもとても遠いところに来てしまったのだという感慨が一入(ひとしお)です。
 私が岸本氏にこのような手紙を書くことはおそらく二度とないでしょう。
 8年前に抱いた私の岸本氏への期待は、その後の紆余曲折でアップダウンを繰り返してきましたが、いよいよ今回の希望の党入りで結論が出たようです。
 私自身、今日以降の活動の基本をしっかりと定めるためにも、「訣別」すべきものは何かを確認する必要があると思い、この手紙を公表することにしたものです。ご理解いただければ幸いです。
 
(金原から岸本周平氏宛2009年9月10日付手紙/引用開始)
                                                             2009年9月10日
  
岸 本 周 平  様
 
                           弁護士 金 原 徹 雄
 
 桐蔭高校25期の金原です。
 このたびの衆議院議員総選挙ご当選、心よりお祝い申し上げます。
 私自身は何のお力にもなれませんでしたが、岸本さんの過去4年間の地道な活動が多くの有権者の支持を得たものであり、仮に民主党への「風」がなくても、(当確が出る時間は深夜になっていたかもしれませんが)必ずや当選されたものと思います。
 今後は、新人とはいえ、即戦力として期待されていると思いますので、存分に力を発揮されますよう、お祈り致します。
 ところで、西浜の事務所にお伺いした際にも申し上げましたが、私は、民主党の政策を全面的に支持している訳ではありません。
 とりわけ、安全保障問題については、民主党の進路に重大な懸念をいだいています。
 この時期に政権交代が実現したことが、来年5月の改憲手続法施行に向けてどのような影響をもたらすのか、全国で7,000以上存在するいわゆる「9条の会」の会員は、固唾を飲んで見守っているところでしょう。
 私が、「憲法9条」についてどう考えているかは、あえて述べるまでもないと思いますが、選挙公示の1週間前に、私が所属する「9条ネットわかやま」と「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」のメーリングリストに投稿したメールを添付しますので、ご一読いただければ幸いです。
 これは、坂之上洋子さんのブログ「犬も歩けば渋谷にあたる」に掲載された、
  8月7日「戦争についてのターニングポイント」
  8月9日「想像力」
の両記事に深い感銘を受け、是非みんなに読んでもらいたいと思って紹介することとしたものです。
 私が、安全保障問題について岸本さんに期待するところも、このメールに書いた以上のものではありません。
 岸本さんの支援者にも様々な考えの方がおられるでしょう。また、選挙で応援に来ていただいた鳩山代表や前原副代表、元上司の奥田トヨタ自動車相談役などが「9条」についてどのような意見を持たれているかは誰でも知っています。
 しかし、国会に議席など持っていない庶民の多くが、「9条を変えなければ」などと思っていないことは、官界・経済界から距離を置かれたこの4年間で十分ご理解いただけたことと思います。
 注文ばかりで少しも餞になっていない手紙になりました。
 激務の日々が待ち受けていることと思いますが、くれぐれもお身体大切に、息長く国民に奉仕する活動を続けていただくことを念願しております。
 
                                  (「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」事務局長)
(引用終わり)
 
[若干の補注]
1 当確が出る時間は深夜になっていたかもしれませんが
 2009年8月30日の投開票で全国で最初に当確が出たのが岸本氏だったと、坂之上洋子さんのブログに書かれていました(民主1番目の薔薇の花 岸本周平)。
2 西浜の事務所にお伺いした際
 高校の同窓生数人とともにに岸本氏の事務所を訪問したことを指しています。ちなみに、岸本氏は私の高校の2年後輩です。
3 坂之上洋子さんのブログ「犬も歩けば渋谷にあたる」
 今でも「犬も歩けばどこかにあたる」と改題して続いています。
4 (2009年)8月7日「戦争についてのターニングポイント」
(抜粋引用開始)
私のターニングポイントは、丹下さん(※映像作家の丹下紘希さん)のターニングポイントと時期も近い。私はその時期NYに住んでいました。
テレビで米国議会が、ブッシュ大統領に報復戦争への“必要で適切なあらゆる軍事力”行使の権限をあたえる決議を採択した時。
反対した議員は一人。
バーバラ・リー黒人の女性議員だけ。
彼女以外は民主党共和党も全員賛成した。
そのことがあるまで、私は日本よりは米国の方が違う意見を尊重しあう文化があると思いこんでいたのです。
ショックだった。
ほぼ全員一致で戦争に突入していく。その勢いに足が震えたことを良く覚えています。
心底悲しかった。
(略)
私は、これから日本に何が起きるかわからないと思っている。
マスコミが国民に恐怖を植え付けるのは、簡単だ。
自衛をしなければ、こちらがやられる。
だから戦う。
群衆にそう思わせることがどんなに簡単か、私は肌で知っている。
本当に?
本当にそう?
丹下さんの言葉を繰り返す。
メディアの言っていることを鵜呑みにしてはいけない。ニュースは正しいことばかり伝えているとは限らない。
(引用終わり)
5 (2009年)8月9日「想像力」
(抜粋引用開始)
想像力
私は、それが人としてとても大事だと思うのです。
テロリストになることで自分の家族を守っている可能性もある。
洗脳されて死ぬ事を選ぶくらいの状態がそこによこたわっているわけです。
日本も戦争してた時に皆が洗脳されてたわけです。
軍部のマスコミ操作によって信じ込んでたことが沢山ありました。
そしてもうひとつ認識してほしいこと。
ことをややこしくするのが、世界中には軍の予算で生きている人が沢山いる、という点。
それがなくなると困る人が本当に沢山いるんです。すごいお金が動く産業。
敵は悪ければ悪いほどいいんです。敵が怖いと国民が思えば、儲かる産業なんです。そのためにマスコミ操作したり、政治家にロビー活動できる」お金がいくらでもある。大学の教授にもっともらしい論文書かせたり、ね。
だけどね。目を開けたら、武器を使わずに平和的に世の中を変える方法は本当に山ほどある、んです。
もちろん難しいです。非常にムツカシイ。時間もかかる。
でも、やっぱり、そういう風にやらないといけないし、やるしかないんです。
爆弾落しても何万の兵士を送り込んでも結局、泥沼化する。解決しない。
税金を無駄に使うだけなんです。
それなら、最初からその問題の根っこを引っこ抜かないといけない。
私は被爆国でありながら、立ち直れた日本は、非暴力ということを徹底的に訴えるリーダー的な国になれると思う。
世界中見てまわって、日本って本当にいい国なんです。そしてそう感じないかもしれないけど、日本は世界から実は尊敬されている国、でもあるんです。
だから、もっと国際貢献すべき。
だけど、そのやり方は、みんなが心の底から考えて出していくべきだ、って言いたいんです。
それが戦争で死んでしまった(日本人だけでなくすべての)人たちへのせめてもの償いになると思うのです。
(引用終わり)
6 「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」事務局長
 私は、2006年1月から2012年1月までの丸6年間、「憲法9条を守る和歌山弁護士の会」の2代目事務局長でした。