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司法に安保法制の違憲を訴える意義(19)~東京・国家賠償請求訴訟(第5回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述

 2017年11月1配信(予定)のメルマガ金原.No.2973を転載します。
 
司法に安保法制の違憲を訴える意義(19)~東京・国家賠償請求訴訟(第5回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述
 
 昨年(2016年)4月26日に東京地方裁判所に提訴された2件の安保法制違憲訴訟のうち、国家賠償請求訴訟の第5回口頭弁論が9月28日に開かれ、その日の法廷で陳述された訴訟代理人(弁護士)3人と原告3人の意見陳述の要旨が、安保法制違憲訴訟の会ホームページにアップされました。
 そこで、今日はその前半として、3人の原告訴訟代理人(福田護弁護士、島村海利弁護士、伊藤真弁護士)による陳述をご紹介します。それぞれの陳述は、裁判所に提出された原告「準備書面」の概要を述べるものであったはずです。
 なお、通常であれば、裁判判終了後に報告集会が開かれるのですが、9月28日には、市民大集会「私たちは戦争を許さない」(於日本教育会館)が開催されたため、報告集会自体はありませんでした(市民大集会「私たちは戦争を許さない」(2017年9月28日)で確認されたこと/2017年9月30日)。
 
 上記の市民大集会での寺井一弘共同代表の主催者挨拶でも言及されていましたが、次回(第6回)期日が2018年1月26日(金)、次々回(第7回)期日が5月11日の、いずれも午後一杯の時間を取った指定がされ、東京安保法制違憲・国賠請求訴訟は、いよいよ次回以降、証人尋問、原告本人尋問等の証拠調べの段階に入っていくことになります。
 原告側からは、元最高裁判事、元内閣法制局長官憲法学者国会議員を含む19名の証人申請、様々な立場を代表する18名の原告本人尋問を申請したそうです。
 以下に、市民大集会の動画を再掲しておきます。
 
20170928 UPLAN 「私たちは戦争を許さない-安保法制の憲法違反を訴える」市民大集会(2時間22分)
冒頭~ 映像(長崎の被爆者団体「ひまわり」による演奏『もう二度と』/2017年8月9日 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典より/)
4分~ 開会挨拶 寺井一弘弁護士(「安保法制違憲訴訟の会」共同代表)
17分~ 基調講演「私たちはなぜ戦争を許さないのか」
      伊藤真弁護士(「安保法制違憲訴訟の会」共同代表)
原告の思い
1時間10分~ 河合節子さん(東京大空襲被害者)
1時間15分~ 服部道子さん(広島原爆被爆者)
1時間24分~ 本望隆司さん(外国航路船員)
1時間29分~ 井筒高雄さん(元自衛官
来賓挨拶
1時間34分~ 濱田邦夫さん(元最高裁判所判事)
1時間45分~ 青井未帆さん(学習院大学教授)
1時間48分~ 柚木康子さん(安保法制違憲訴訟女の会)
特別報告 
1時間55分~ 山城博治さん(沖縄平和運動センター議長)
アピール採択
2時間06分~ アピール案朗読 棚橋弁護士
 
 今日ご紹介する3人の訴訟代理人による陳述を一読したところ、証拠調べに入る前の最後の弁論期日に相応しく、原告の主張のうち、最も重要なポイントをあらためて強調し、裁判所の注意を喚起しようとしたものと思われました。
 国民の皆さまにも是非ご一読いただければと思います。
 

原告ら訴訟代理人 弁護士 福 田  護
 
 新安保法制法の基本的な違憲性と立法事実の不存在について述べます。
1 立法事実なき強行採決
(1)憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使を認める2014年7月1日の閣議決定(本閣議決定)は、同年5月15日のいわゆる安保法制懇の報告を受ける形でなされましたが、安倍総理大臣は、その報告当日記者会見をして政府の「基本的方向性」を発表しました。その中で安倍総理大臣は、紛争地域から退避する日本人母子が乗っている公海上の米軍艦を描いたパネルを示しながら、自衛隊がこの米艦を相手国の攻撃から防護できなくていいのかと訴え、「こうした事態は机上の空論ではありません」「まさに紛争国から逃れようとしているお父さんやお母さんや、おじいさんやおばあさん、子供たちかも知れない。かれらが乗っている米国の船を、今、私たちは守ることができない」と熱弁をふるい、集団的自衛権の行使の必要性を訴えたのでした。この同じ事例は、本閣議決定当日の安倍総理大臣の記者会見でも、重ねて訴えられました。
 ところが国会審議のなかで、結局、この米艦に日本人が乗っているかどうかは、存立危機事態かどうかの判断にとって「絶対的なものではない」、言い換えれば無関係である、ということが明らかになりました。
(2)もう一つ繰り返し強調された事例が、ホルムズ海峡の機雷掃海の必要性でした。これは、2012年8月のアーミテージ・レポートで日本による実施が求められ、上記安保法制懇もこれを取りあげ、本閣議決定直後の衆参予算委員会の集中審議でも真っ先に集団的自衛権行使の必要事例として挙げられ、新安保法制法案の国会審議の中でも繰り返し繰り返し取りあげられてきたものです。
 そこでは、日本が輸入する石油の8割が通過するホルムズ海峡が機雷で封鎖された場合、機雷除去を自衛隊ができなければ国民生活に死活的な影響が生ずるとして、集団的自衛権の行使の必要性が訴えられました。しかも、他国の領域での自衛隊の武力の行使は、「ホルムズ海峡の例以外は、現在念頭にありません」と繰り返され、唯一の事例だと説明されていました。
 ところがこの事例についても、国会審議の終わりごろになって、安倍総理大臣は、「今現在の国際情勢に照らせば、現実の問題として発生することを具体的に想定しているものではありません」と答弁するに至っています。
(3)それならば、この法律はいらないはずです。結局、あれほど大騒ぎをして、集団的自衛権の行使ができなければたいへんなことになると、煽情的に訴えられた事例が、両方
とも立法事実たりえないことが明らかになったのです。そうであれば、この法案は一旦撤回されるべきものでした。ところが国会では、言論と民主主義の府とは到底思えない、問答無用の強行採決が敢行されたのでした。
2 海外派兵はしないという詭弁
 また、安倍総理大臣は、前述の安保法制懇報告当日の記者会見を含め、新安保法制法の
下でも、「自衛隊武力行使を目的として、かつての湾岸戦争イラク戦争での戦闘に参加するようなことは、これからも決してありません」「武力行使の目的をもって武装した部隊を他国の領土、領海、領空に派遣するいわゆる海外派兵は、一般に自衛のための必要最小限度を超えるもので許されない。これは新三要件の下で集団的自衛権を行使する場合であっても全く変わらない」「他国の領域での武力の行使は、ホルムズ海峡以外は念頭にありません」、と繰り返し強調しました。
 しかし、存立危機事態における「他国に対する武力攻撃」を排除する自衛隊の武力の行
使は、その性質上当然に、当該他国の領域における武力の行使を予定するものであり、法
文上も、もちろん外国の領域を不可とする何の限定もありません。すなわち新安保法制法
は、自衛隊の海外での武力の行使を前提とするものです。政府も国会答弁で、「法理上」はそうなることを認めざるをえませんでした。そして、海外で武力の行使をする自衛隊は、
憲法9条2項の「戦力」に該当することをもはや否定することはできませんし、「交戦権」
の行使の主体となることも明らかです。
 安倍総理大臣の海外派兵はしない、できないという答弁は、このような安保法制法の最
も基本的な違憲性と大きな危険性から国民の目をそらそうとする詭弁というほかはありま
せん。そしてこのような詭弁がまかり通ってしまう行政府と立法府の現状は、真に憂慮す
べき事態にあるといわなければなりません。
                                                                            以上
 

原告ら訴訟代理人 島 村  海 利
 
新安保法制法の違憲性・各論
第1 はじめに
 新安保法制法の強行採決による「成立」及び施行により、自衛隊法95条の2が新設されました。
 この条文は、自衛隊の武器等防護のために、自衛官が武器を使用できることを定めた自衛隊法95条の適用場面を拡張し、米軍等の部隊の武器等を防護するため、平時から自衛官に武器の使用を認めるものです。
第2 米艦防護等の実施
 米軍等の部隊の武器等防護については、平成29年5月に、海上自衛隊護衛艦「いずも」と「さざなみ」が、房総半島沖周辺で米海軍の補給艦と合流し、任務を行いました。この間、海上自衛隊護衛艦の艦載ヘリコプターを補給艦に着艦させ、海自艦が補給艦から燃料の補給を受ける手順を確認するなどの訓練も実施したといいます。
 また、平成29年4月以降、海上自衛隊の補給艦が、北朝鮮弾道ミサイル警戒にあたる米イージス艦に給油を行っていたことが明らかになりました。これは、新安保法制法の一環として改正された日米物品役務相互提供協定(ACSA)の発効を受けたものです。
第3 問題点
(1)そもそも、自衛隊法95条の2のもとになった95条ですら、憲法上疑義が唱えられてきました。すなわち、武器等防護のための武器使用は、防護対象が主に武器であるため、生命・身体に対する自然的権利とは言えません。従来、95条の解釈として、我が国の防衛力を構成する重要な物的手段を破壊、奪取しようとする行為に対処するため、武器等の退避によっても防護が不可能であること(事前回避義務)、武器等が破壊されたり相手が逃走したりした場合には武器使用ができなくなること(事後追撃禁止)など、極めて受動的かつ限定的な必要最小限の使用のみが許されるものとされてきました。
 米軍の武器等防護のために自衛官が武器を使用することに、憲法上の根拠があるとは考えられませんし、国際法上の説明も困難であるとの指摘もなされています。
(2)また、武器等防護行為から集団的自衛権の行使に発展するおそれがあります。米軍
の武器等防護が実際に行なわれる場面を想定してみましょう。相手国等から米軍に対し、武力行使に至らない程度の何らかの侵害行為があったとして、その相手国等に対して自衛官による武器の使用がなされたとしましょう。普通に考えて、相手国等からすれば、自衛隊が反撃してきたと思うのは明らかです。そうすると、それは集団的自衛権の実質的な行使であり、国会の承認も内閣総理大臣の防衛出動命令もないまま、日本が国際的武力紛争の当事者になることになります。
(3)つまり、それは、文民統制が機能しないことを意味します。戦争というのはいつも、
現場での小競り合いをきっかけに始まってしまうものです。さらに恐ろしいことに、米艦防護等の実施については、特異な事象が発生した場合のみ、速やかに公表するとされています。政府は、現在も、「運用上の理由」を盾に実施状況を公表していないのです。国民には何も知らされないうちに、自衛隊が米軍のために発砲し、戦争が始まってしまうという危険があるのです。
第4 なし崩し的に続く米軍との一体化
 前述したとおり、新安保法制法の違憲性が叫ばれる中でも、米艦防護や米イージス艦への給油が既に行われています。
 今回の実績をもとに、日本海に展開する米原子力空母カール・ビンソンや米イージス艦に対する「米艦防護」や、米戦闘機に対する「米軍機防護」などへと拡大する危険もあります。
 その先にあるのは、集団的自衛権が実際に行使され、米軍との一体化がさらに進むことです。
 他国と一体となって武器を使用することを許すことは、「武力の行使」に当たり、又はその具体的危険を生じさせるものですから、憲法9条1項に違反します。また、戦争に容易につながっていく行為を行うことを認めているという意味で、憲法9条2項にいう交戦権の否認にも反します。
 したがって、新安保法制法により新設された自衛隊法95条の2は、違憲です。
                                                                            以上
 

原告ら訴訟代理人 伊藤 真
 
違憲審査制と裁判所の役割
 違憲審査権の意義と裁判所の役割を主に論じ、裁判所は付随的違憲審査制であることや司法消極主義を理由に、新安保法制法の違憲判断を回避することがあってはならないことを諸外国と対比しながら論じる。
1 民主的な政治過程との関係について
 違憲審査権は、伝統的な私権保障型の付随的審査制を基本としながらも、それが憲法保障の機能をもつべきであるということにも十分に配慮しなければならない。
 その配慮とはすなわち、裁判所は、付随的審査の基本的枠組みを維持し、議会に敬意と謙譲を払いつつも(司法消極主義)、必要な場合に合憲性の統制に積極的になることである(司法積極主義)。
 その「必要な場合」かどうかは、「広く、立法事実や憲法事実、社会的背景や権力機関の機能状況等」を総合的に考慮して判断するほかない。
 「必要な場合」かどうかの判断は、代議的自治の政治過程によって悪法を矯正できない状況にあったかどうかが、1つの指標となる。
 では、新安保法制法案の審議過程において、そうした国民の声が反映されていたかといえば、全くそうではなかった。むしろその不十分さと異常さが顕著な国会というほかはなかった。首相らの答弁が二転三転し、委員会決議がないままに採決が強行された。このように、新安保法制法の審議過程における不十分さと異常さに照らせば、国民の声がそこに届いていたとは言いがたく、憲法が予定する議会制民主主義を破壊して作られたものだとさえいえる。そうだとすると、裁判所は、合憲性の統制に積極的に乗り出さねばならない。
2 統治行為論について
 仮に統治行為論を概念として肯定したとしても、本件訴訟は司法判断がなされるべき事案である。まず、砂川判決の統治行為類似の理論に従って今回の新安保法制法を判断するのであれば、「一見極めて明白に」違憲無効か否かの判断を避けて通ることはできない。
 そもそも、統治行為論は、政治問題については、裁判所よりも国民の意思が直接反映されている国会で判断するほうが民主主義に適合することに支えられている。ところが、新安保法制法は先に述べたように不十分な審議経過と異常な議決によって成立し、権力間のバランスが崩れる中でなされたものであり、国会判断に敬意と謙譲を払うべき場面ではない。
 仮に政治部門が憲法破壊を進める状況にありながらも、司法府が何もできないとしたら、憲法 81 条で違憲審査権が認められたことの意義が大きく減殺される。
3 憲法判断の回避について
 憲法判断回避の準則によって裁判所が自己抑制をすることがある。しかしこれは、絶対的なルールではない。どのような場合に裁判所が憲法判断を行うかについては、憲法にも法律にも何ら明文の規定はない。むしろ、類似の事件が多発する恐れがあり、明確な憲法上の争点があるような場合に憲法判断することは学説上も是認されてきた。この点について、芦部信喜教授は、憲法判断回避のルールによらず、憲法判断に踏み切る際に総合的に考慮すべき要素として「事件の重大性」、「違憲状態の程度」、「その及ぼす影響」、「権利の性質」をあげる。これらの要素を当てはめてみたとしても、新安保法制法の憲法適合性にかかわる本件訴訟については「憲法判断回避の準則」を適用できる場合ではない。
4 外国の違憲審査制
 日本国憲法違憲審査制のあり方について考える際に、日本と同様に立憲主義、法の支配、権力分立、民主主義、司法権の独立、そして基本的人権の保障などの憲法価値を重視している外国の違憲審査制のあり方が参考になる。
 まず、アメリカでは裁判所が積極的に違憲審査権の行使に踏み切ってきた事実を指摘できる。権力分立が機能してきたといえ、1986 年に連邦最高裁は、外交関連の問題がすべて政治問題となるわけではなく、政治問題となるのは政策の選択等であって、法律の解釈の問題は政治問題にはならないとしている。
 本件訴訟は、新安保法制法が違憲であるか否かという憲法問題を問うものであり、こうした重要な法律問題を解決するために裁判所が積極的にその権限を行使するべき事案であることは、アメリカの政治問題の法理の展開を見ても明らかである。
 なお、日本において、司法消極主義の根拠として、民主的基盤を持たない裁判所は民主的基盤を持つ政治部門の判断に対しては謙抑的であるべきだと主張されることがある。しかし、フランスの「転轍手」理論によれば、裁判所の判断はたとえ違憲判断であっても最終的には憲法改正国民投票を含めた国民の判断に委ねることになるのであるから、民主主義という観点からは全く問題がない。裁判所は政治部門と比較した際の自らの民主的基盤の弱さを理由に、積極的に憲法判断、違憲判断を下すことを躊躇する理由は一切ないといえる。
 ドイツでは憲法擁護のための機関として、連邦憲法裁判所が憲法に明記された。議会の決定がファシズムへの道を開いた歴史的事実から、かつての議会への信頼感が失われ、それを統制する必要性が広く共有されたからであった。
 アメリカやフランス、ドイツでは「人権保障」のために裁判所が積極的に違憲審査権を行使し、憲法違反との判決を下すことに躊躇しない現実がある。フランスの「転轍手」理論が示すように、違憲審査権は民主主義に反するどころか、主権者である国民に対して国政の最終決定権に関する意見表明の場を提供する可能性があるという点で、決して民主主義に反するものでないという主張が受け入れられている。フランスやドイツでも、「憲法院」や「連邦憲法裁判所」の積極的な人権擁護の判断は、多くの国民の支持を得ている。
5 裁判所と裁判官の職責
 新安保法制法をめぐっては、日本の裁判所は「人権保障」の職責を自覚し、違憲判断を行うべき緊急性がアメリカやフランスの事例以上に高いものとなっている。裁判所が新安保法制法に対して憲法判断を避けることにより、違憲の既成事実が積み重ねられることを黙認したり、あるいは誤った合憲判断を下したりした結果、新安保法制法が存続することになれば、多くの自衛官が海外での戦闘で殺傷されるような事態を招くことになろう。そのような事態に至らないよう、日本の裁判所もアメリカ、フランス、ドイツの裁判所と同様に、人権、そして憲法価値を守る存在であることを明確な判決で示し、日本にも「法の支配」が存在することを内外に明らかにする職責が裁判所にはあるのである。
 そもそも、「人権保障」と「憲法保障」という目的は、「水と油」のような相いれない関係ではない。むしろかなり重なり合う。「人権保障」のためには、「私権保障型」の司法審査制を固守するのではなく、「憲法保障機関」としての裁判所でもあるべきという要請は、日本国憲法下での裁判所にも当てはまる。
 いうまでもなく、戦争は最大の人権侵害である。国家が戦争に近づくことを阻止することは、最大の人権侵害を未然に防ぐことを意味する。
 だからこそ、人権保障のためには、憲法9条や前文の平和主義が要請する平和国家としての憲法秩序の維持が必要なのであり、この憲法秩序を保障するために、裁判所が「憲法保障機関」としての役割を果たすことが要請されるのである。
 新安保法制法は日本人を危険な状態に陥らせる可能性が高い。そして実際に日本人が「殺傷され」てからでは、決して救済はできない。だからこそ、日本人が戦争やテロなどで生命や身体、安全が危機にさらされる事態、日本人が戦争で人を殺傷し、殺傷される事態を事前に予防するため、「防波堤」である憲法前文や9条の平和主義の価値を擁護する「憲法保障機関」としての裁判所であることも、人権保障の観点から要請されているのである。
 原告らの精神的苦痛を無視して、具体的な権利侵害がないから違憲審査権を行使しないなどという立場に立つのであれば、新安保法制法のために日本人が人を殺傷し、殺傷される事態が生じたとき、新安保法制法を成立させた安倍内閣、そして国会とともに裁判所も共同で責任を負うことになる。人権保障の役割を遂行するためには、「憲法保障」のための裁判所としての役割を果たすことも求められているのである。
 そして、政府が立憲主義に反する姿勢を取っているときに、裁判所には、これを是正する職責がある。内閣法制局が、内的批判者たる法律家としての役割を自ら放棄してしまった今回のような事態においては、政治部門の外にいる裁判所が、立憲主義の擁護者としてその役割を積極的に果たす以外に、日本の立憲主義を維持貫徹する方途はない。
 これまでもそれぞれの時代における、その時代固有の司法の役割、裁判官が果たすべき役割があった。今の時代は、政治部門が憲法を尊重し敬意を払っているとは思えない状況にあり、政治部門内での抑制・均衡が機能不全に陥っている。これまでにないほどに立憲主義、平和主義、民主主義といった憲法価値が危機に直面している。こうした時だからこそ、果たさなければならない司法の役割、裁判官の使命があるはずである。
 私たちは、裁判所にあえて「勇気と英断」などは求めない。この歴史に残る裁判において、裁判官としての、法律家としての職責を果たしていただきたいだけである。憲法を学んだ同じ法律家として、司法には、政治部門に対して強く気高く聳え立っていてほしい。このことを切に願う。
                                                                            以上
 

(弁護士・金原徹雄のブログから/安保法制違憲訴訟関連)
2016年9月3日
東京・安保法制違憲訴訟(国賠請求)が始まりました(2016年9月2日)
※過去の安保法制違憲訴訟関連のブログ記事にリンクしています。
2016年9月6日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(1)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年9月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(2)~東京・国家賠償請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述
2016年10月4日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(3)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告訴訟代理人による意見陳述
2016年10月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(4)~東京・差止請求訴訟(第1回口頭弁論)における原告による意見陳述
2016年12月9日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(5)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告代理人による意見陳述
2016年12月10日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(6)~東京・国家賠償請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告による意見陳述
2017年1月5日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(7)~寺井一弘弁護士(長崎国賠訴訟)と吉岡康祐弁護士(岡山国賠訴訟)の第1回口頭弁論における意見陳述
2017年1月7日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(8)~東京・差止請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述
2017年1月8日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(9)~東京・差止請求訴訟(第2回口頭弁論)における原告(田中煕巳さんと小倉志郎さん)による意見陳述
2017年2月14日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(10)~東京「女の会」訴訟(第1回口頭弁論)における原告・原告代理人による意見陳述
2017年3月15日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(11)~東京・国家賠償請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告代理人による陳述 
2017年3月16日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(12)~東京・国家賠償請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告(田島諦氏ほか)による意見陳述
2017年4月21日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(13)~東京・差止請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告代理人による陳述
2017年4月22日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(14)~東京・差止請求訴訟(第3回口頭弁論)における原告による意見陳述(様々な立場から)
2017年6月23日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(15)~東京・国家賠償請求訴訟(第4回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述
2017年6月25日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(16)~東京・国家賠償請求訴訟(第4回口頭弁論)における原告による意見陳述(野木裕子さん他)
2017年8月7日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(17)~東京・差止請求訴訟(第4回口頭弁論)における原告訴訟代理人による陳述
2017年8月8日
司法に安保法制の違憲を訴える意義(18)~東京・差止請求訴訟(第4回口頭弁論)において3人の原告が陳述する予定だったこと
2017年8月20日
「私たちは戦争を許さない-安保法制の憲法違反を訴える」市民大集会(2017年9月28日/日本教育会館)へのご参加のお願い
2017年9月30日
市民大集会「私たちは戦争を許さない」(2017年9月28日)で確認されたこと